聖騎士と少女 その3
今、彼女は何と言ったのだろう。下僕と聞こえたが、何かの聞き間違いだろうか。彼女の口から発せられた言葉が理解できず、ライナスは困惑する。自分の理解の範疇を超えた状況に耐えられず、ライナスは上司であり、この部屋の主でもあるオシオに助けを求めた。
「隊長、これはいったい」 ――どういうことですか、と続けようとした言葉をライナスは最後まで言えなかった。
ドーベントは「ライナス君」とライナスの言葉を途中で遮り、急に呼び出したことについて謝罪した。
「まずは、急に呼び出したことについて謝ろう。すまないね。とりあえず座りながら話そうじゃないか。」
聖騎士団長というと、とても厳めしい顔を想像するかもしれないが、ドーベントからはそういった厳めしさは感じられない。長く続く聖騎士団の歴史の中でも彼は最も若くその座に就いた。年齢も未だ50に達していないと聞く。ドーベントはその人好きそうな顔とよく笑うことから聖騎士のみならず多くの人に好かれていた。
そして今、その人好きそうな笑顔がライナスに向けられていた。以前パーシヴァルがドーベントのことを威圧感は感じられないくらい人の良さそうなオッサンと評していたのをライナスは思い出す。全然そんなことはないぞパーシヴァル、と心の中でライナスは独り言ちる。その笑顔からは有無を言わせぬ凄みを感じる。ライナスの背中を冷たい汗が伝っていく。どうやら失態を犯したために呼ばれたということではなさそうだが、今はそれよりも嫌な予感しかしない。
ライナスが身構えていることを察してか、ドーベントは「まずは初対面同士、挨拶と自己紹介をしようじゃないか」と提案してきた。この中で初対面の人間と言えばライナスと推定修道女?しかいない。推定修道女?は早くアンタから自己紹介しなさいよ、とでも言いたげな顔をライナスに向ける。先ほど「あなたがライナスね!」と名前を呼んでいたので既に知っているだろうと思いつつも、仕方なく「聖騎士団第三部隊所属のライナスです」と簡素な自己紹介をする。
「――第三部隊所属」
ライナスが自己紹介をした後に、小さく彼女がそう呟いた気がした。
「それじゃ、次はわたしの番ね」
推定修道女?はコホンと一つ咳ばらいをすると先ほどまでの雰囲気から打って変わって神妙な面持ちで自己紹介を始めた。
「私の名前はコリン。女神アストラの生まれ変わりよ」
「――は?」
この娘は何を言っているのだろうか。言うこと言うことが突拍子もない。先ほどの下僕発言はまだ序の口だったということだろうか。ライナスは推定修道女?もといコリンと名乗る少女の頭を疑った。そもそも女神アストラは慈愛の女神であると共に美の女神だ。確かに彼女は美少女と言っても過言ではない。しかし、アストラと言えばその輝くような銀髪が有名だが彼女の神は栗色だ。天は二物を与えずと言うが、顔が良くても頭がこれではどうしようもない。聖騎士団長と隊長も人が悪い。きっと悪ふざけかなにかなのだろう。ライナスがそんなことを考えていると。
「は?じゃないわよ。あと、今私のことを残念な子だと思ったでしょ。いいこと?私は女神アストラの生まれ変わりよ。もっと私のことを崇めなさい!敬いなさい!ひれ伏しなさい!」
「――ここは聖騎士団第三部隊の屯所であって病院じゃないぞ」
「だから、違うっつうの!呪うぞコラ」
「上等だ。呪えるもんなら呪ってみろ!」
ライナスとコリンは売り言葉に買い言葉の状態でどんどんとヒートアップしていき、ついには二人とも立ち上がる。そんな、二人をドーベントとオシオはやれやれといった様子で眺めていた。さすがにこのままでは埒が明かないためオシオが二人を止めようとした、その時である。
「そんなに言うなら見せてあげようじゃないの」
「何をだよ」と言おうとした瞬間、ライナスの身体はズズンッと重くなる。抗おうと踏ん張るが、それよりも身体にかかる力の方が強いのか徐々に体が床とくっついていく。なんだこれは!身体が重い!唱印術か!
そんなライナスを「ふふん」と軽く鼻で笑いながらコリンは勝ち誇った顔で見下ろしていた。
「な、なん、なんなんだ、これ、身体が、お、おも」
「言ったでしょ。呪いよ、の・ろ・い」
「もう、その辺でよろしいでしょう」
ドーベントが見るに見かねて止めに入るとコリンは気が晴れたのかライナスにかけていた正体不明の力を解く。ライナスの額にはびっしりと汗が浮かんでいた。立ち上がりながら、その汗を袖で拭うと今起きたことについて考える。唱印術の類だろうか。いや、だとしたら発動に詠唱が必要なはずだ。もしくはアーティファクトか。だがアーティファクトらしきものを持っているようには見えない。隠し持っていたとしても、使っているようにも見えない。ますますわからない。まさか、本当に彼女は女神の生まれ変わりで今のは呪いだとでも言うのだろうか。
ライナスははっきりしない答えを求めてドーベントを見やる。
「少し落ち着いたかね。ライナス君」
「まだ落ち着いてはいませんが、自分が悪ふざけで呼ばれたわけではないことはわかりました」
ライナスは先ほどの騒動で倒れた椅子を元に戻すと座りなおす。
「さて、いろいろとあったがそろそろ本題に入ってもいいかな?」
自己紹介から全く進んでいなかった話題を進めようとドーベントが仕切りなおす。
「ライナス君、彼女の言葉に嘘偽りはない。彼女はね、正しく女神の生まれ変わりなのだよ」
「そんな、聖騎士団長まで!」
「事実だ、ライナス」
「隊長!」
ドーベントに合わすようにオシオも念を押してくる。
「事実だ、ライナス」
「お前は黙ってろエセ女神」
ライナスの言葉に、女神アストラの生まれ変わりことコリンは「本物だし」とそっぽを向く。
「それで、自分はなぜ呼ばれたんでしょうか」
この際、彼女が女神かどうかは関係ないと割り切ることにして、会話を促すライナス。
「最初に言ったでしょ。下僕よ」
ライナスは未だに下僕発言をするコリンを睨む。
「彼女の言うことは当たらずとも遠からずと言ったところだ」
オシオの言葉にライナスは驚愕の顔をする。そんなライナスに追い打ちをかけるようにドーベントがオシオの言葉を継ぐ。
「正確には彼女の従者となってほしいということだよ」
ドーベントは続ける。
「何もずっと従者でいろと言うわけではないよ。二か月でいい。今年のアストラ聖祭が終わるまでの二か月間、彼女の従者兼護衛をしてほしい。聖騎士である君からすれば簡単な任務だろう」
護衛、しかも二か月の間もこの娘を。最悪である。要人警護をしたことはあるが、本業ではない。第三部隊は魔物討伐が専門である。護衛が必要なら専門である第二部隊に頼むべきじゃないのか。口に出そうになった弱音をすんでで飲み込む。ライナスは聖騎士の矜持として「それが、任務でしたら」と口にするのがやっとであった。もう彼女が本物の女神かどうかなんてどうでもいい。そもそも聖騎士団長と隊長の指名である。断ることなんてできないのだ。
「なんでも命令していいのよね」
「もちろんですよ。コリン様」
コリンとオシオのやり取りにライナスは「ちょっと待て、それは聞いてない!」と言おうとした瞬間、ほんの少しであるが身体が重くなる。黙ってろとでも言いたげにニヤニヤとライナスに視線を向けるコリン。
「彼女の命令に背いたら即刻聖騎士はく奪だと思えよ、ライナス」
すでに意気消沈しているライナスに向けてオシオは追い打ちをかけるのだった。
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