天は二物を与えず、などと言いますが、余裕で与えますよ。なんだったら三物も四物も与えますよ。
何も成せない人間は、何も与えられていないのです。
そこから何かを成したいのなら、与えられている人間以上に努力して運に恵まれなければなりません。
では、与えられている人間はどうなのでしょうか。
単純比較ですが、与えられていない人間よりも楽に物事を成せます。
それは1つの分野に留まらず、多種多様な分野で才能を開花させるのも珍しくありません。
では、なぜそのような不幸な仕組みになっているのでしょうか。
そこにはきちんと理由があります。
皆さんはこんな話を聞いた経験がありませんか?
超一流の絵描きが楽器を持つと、すぐに素晴らしい演奏をできるようになった、と。
これが端的な例です。
絵のプロは、音のプロになれます。音だけではなく、彫刻家や作家としての才能を開花させることもあります。
こちらは理由も合わせて有名ですね。何かを極めている方は、能力の自力からして鍛えられている、と。その鍛えられている自力は、別の分野でも応用できるため上達が早い、と。
そう聞けば納得できる気がしませんか?
天が本当に与えているのは二物ではなく、自力です。自力を鍛えられた方は、二物も三物も極められるのです。
なので、何もかも持っている人と何も持っていない人が不公平に差をつけられるのは当然なのです。
天は二物を与えます。三物も四物も与えます。
だから、お願いします。
私に自力を鍛えられる才能を与えてください。