2. イザナ (26歳)
カムナ神殿は西の角岳を背にするようなかたちで威風堂々と威光を放つ。カムナの民たちの幸せと繁栄を願うための神聖な場所。それは民たちの心のよりどころであり、皇国の象徴となっていた。ちょうどこの場所は小高い丘となっている。かつての祖先がここに神殿を設けたのはカムナ皇国を見渡せる景観と、昔から神聖視されていたという角岳を遥拝できるからであろう。
敷地内の正面にある一番大きな神殿造は本殿と呼ばれ、一般的な祭祀が行われる。むろん常に訪れる人たちのために解放してあるため、皆の様々な願いがここに発せられる。皇国の平和、家内安全、五穀豊穣、良縁祈願、旅の安全、子宝祈願に安産祈願など、おおよそ人として生活するうえで人知の及ばぬところを何かに頼りたいと思ったときに、皆この場所を訪れる。幼いころから時にはここを遊び場ともしていたたくさんの子供たちが、成長する過程で悩みのあるたびここを訪れ、天のまなざしに包まれ守られ皇国を担う人財となり大人となっていった。だからこの本殿は、誰しも親しみをもっている身近な存在なのだ。
しかし、そのさらに奥にある奥殿となると話は別だ。この場所は表からは全く覗くこともできないつくりとなっていて、その存在を疑うものさえいるほどだ。完全非公開のこの奥殿は代々この国の領主であり斎主でもあるカムナ皇国殿位継承者のみが天に向かって祈る場所だ。そのため表とは違って敷地は狭く、奥殿は本殿に比べて非常に小さな造りとなっている。
「天より降りし祖先に感謝し、森羅万象古今の精霊に感謝します。」
第197代カムナ皇国殿皇イザナ。彼女の朝は日の出の祈りから始まる。ひたすらに皇国の平和と安寧を、民の幸福を祈り続ける。この奥殿の小さな空間で、歴代の殿位継承者たちがひたすら天に向かって祈り続けてきたのだ。その伝統に対して、敬意を感じずにはいられない。
一通りの祈りが終わるとイザナはこの小さな敷地内のある場所へ向かって立ち止まった。堂々としたその出で立ちで、いまにも動き出しそうな像がそこにはあった。イザナと変わらぬほどの背丈のあるその像は明らかにこの場所にあっては異彩を放っていた。その像にむかってイザナは一礼する。背中に伸びた長い黒髪が少し風になびいた。
「初代殿皇ヒカリノミコト。私に、民に寄り添う使命を全うするチカラをお与えください。そしてマスラオ達には雄々しさと優しさを、ナデシコ達には気高さと華ある強さをお与えください。」
ヒカリノミコトとはこのカムナ皇国を建国した初代殿皇である。イザナの遠い祖先であり、この国のルーツである。その存在は古い古文書に記されてはいるものの、実在したのか確かめるすべなど当然あるわけがない。この像さえも数十代前の殿皇が、夢に出て天啓をさずけたヒカリノミコトを忠実に再現して極秘につくらせたといわれている程度だ。しかし、その数代あとの殿皇による手記によれば、やはり同じく夢にでてきたがその姿かたちはこの像そのままであったと記されている。また、性別に至っても曖昧で、古文書には明記がない。記された表現のされ方から男であるとの見方が強いが、この像を見る限り女と言われても納得できる。ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな。結局は信じるかどうかの世界となってしまうが、奥殿に安置され続けていることを思うと、あながち全てが創作だとも考えにくいと思われるのだ。
一礼からなおって頭をあげたイザナは、今一度まじまじとその像を見つめる。毎日見ているはずのヒカリノミコトの像。わずかだが、何か違和感を感じる。スラリと立ち、左手には全ての理を記したとされている巻物を、右手には武勇を象徴する薙刀。何かを伝えんとしているのか、しかしながら像である。突然しゃべりだすわけもなく、イザナは気のせいだと思いつつもなにかが心に引っかかった。