第四話 夢のあの人
「はい、連絡事項は以上だ。体調に気をつけるんだぞー」
そう言うと担任は教室から出ていった。授業は全て終了し、帰りのホームルームが終わり、ほとんどの生徒が教室を出て帰宅する。
颯太はその流れに乗り、今日の晩飯は何にするか、などと考えながら階段を降りて昇降口に向かう。
ふと、前の女子生徒の鞄のキーホルダーが落ちる。可愛い猫のキーホルダーだ。しかし、隣の女子生徒とおしゃべりに夢中になっているせいか一向に気づかない。
颯太はそのキーホルダーを拾い上げ、女子生徒の肩をトントンと叩く。
「はい!?」
驚いた様子で後ろを振り向いた。隣の女子生徒が颯太の顔を見るなり、訝しげに「誰?」と呟いているのが聞こえた。
「キーホルダー落としてるぞ」
「あっ、本当だ! ありがとうございます」
丁寧な口調でお礼を言われる。
少しカールのかかったショートボブで、少し幼い顔からは柔らかい印象を受ける。颯太に流行などは分からないが、今風の髪型なのだろうか。
女子生徒は一礼をして、待たせている友達と昇降口の方へ向かう。
「ごめんねー。キーホルダー落としちゃってさー」
「どんくさいなー」
颯太もそのまま昇降口へと向かった。校門を通り過ぎて、駅には向かわず近くのスーパーに立ち寄る。
「今日と明日の分を買えばいいか」
独り言を呟いてカゴを持ち、何を作るかを考えながら、野菜のコーナーやお肉のコーナーなどを渡り歩く。
「にんじんは…家にあったな」
カゴに二食分の食料を入れた所で、レジに向かう。
レジで会計を済ませ、袋を持ち、駅へと向かう。
日は西に傾いており、やや橙色に光っている。行きと変わらない電車の中。
ぼーっと過ごしているとあっという間に、降りる駅に着き、颯太は電車を降りた。
「じゃあねー」
「うん、また明日ー」
駅のホームではそんな声が聞こえる。
よく見ると妹の明里が電車にいる友達に手を振っていた。電車が出発をして友達を見送ると、明里は改札口に向かう。
颯太は明里に声をかける。
「おかえり」
「お兄ちゃんも一緒だったんだね」
「そうみたいだな」
明里は颯太が持っているレジ袋に視線を落とす。
「荷物持とうか?」
「いや、大丈夫だ」
「今日は何を作るの?」
「帰ってからのお楽しみだ」
二人は改札を出て、たわいもない話をしている内にマンションへ着いた。エレベーターで四階まで上がり、家の扉の前に着くと、明里が鍵をさして扉を開ける。
夕陽が落ちていくのがよく見える。
「綺麗だな」
颯太は短く呟いて扉の中へ入っていった。
「あー、美味しかったー」
明里がソファに横たわり、全身を伸ばしている。
「カレーなんて久しぶりだったよー」
「そう言えば、そうだな」
ここ一ヶ月の記憶にカレーを食べた記憶は二人には残っていない。美味しく感じるのにはそのためでもあるだろう。
「ねぇ、次はいつお父さんと会えるの?」
明里は寝そべったまま颯太に聞く。
「唐突だな。なんでだ?」
「メールが来て、今度会いに来るって書いてあったけど、詳しくは書いてなかったからさ」
「残念ながら僕にも日時は分からないな」
「そう」
明里の一言からは少し悲しさを感じるようだった。
ただ親に会いたいのもそうだろう。
現に颯太と明里は両親と暮らしていない。だから、というところもある。颯太も明里も両親と暮らしていない事に、納得がいっていない訳ではない。
しかし、そこに問題があるのだろう。納得はしているが、やはりたまには父親に会いたくなるのだろう。
だが、それとはまた別の要因があるように、颯太は感じた。それが何か、颯太には少しだけ分かっていた。
「じゃ、お風呂入ってくる」
「ああ」
そう言って、明里は部屋に着替えを取りに行き、そのままお風呂へ直行した。
「仕方がないことなんだ」
月も星も見えない暗闇に包まれ、人工の光しか輝いていない夜に、颯太はそう呟いて食器を洗っていた。
「うる……な! なんであんたみたいなのが──」
「こんな……して……かしくない訳?」
「…めて……」
「言いたい事があれば、存分に吐き出して良いですよ」
波の音がうるさいくらいに思える。
「…なんで僕たちだけがこんな想いをしないといけないんですかね」
「というと?」
「何もしていないのに、こんなに辛い思いをしないといけないんですかね」
「人生には運命というものがつきものなんですよ。だから仕方がないことなんです」
「仕方がない訳ないじゃないですか。結局誰も得してない」
颯太は拳に怒りを乗せる。
「颯太君は何を求めているんですか?」
颯太は黙ったままだ。
「颯太君は何が欲しいんですか?」
「僕は……」
何も出てこない。颯太は自分が何を求めているか分かっていない。あの日まで自分はないを求めていたのだろうか。
「……ちゃん?」
颯太の体が揺れている。いや揺らされている。
「お兄ちゃん、もう朝だよ」
揺れの正体は明里が颯太をおこす為にしたことだった。
颯太はやけに重い体を起こして、目を擦る。最近の朝はとても暑く感じられる。
今日は七月十五日水曜日。
「おはよう」
颯太はあくびを一つして、ぐっと伸びる。
時計を見るとすでに七時を回っている。
「今日は自分から起きなかったね」
「変な夢見たからな」
「どんな夢?」
「教えなーい」
ベットを軽く整えてリビングに向かい、朝食を食べる。
今日は日本の朝っぽい食事だ。
「そう言えば、今度夏祭りがあるらしいけど」
「いつやるんだ?」
「八月の一日と二日らしいよ」
チラシを見ながら明里が教える。
「ふーん」
「微妙な反応だね」
「だって、バイトでせっかく稼いだお金が消えていくんだぞ?」
「本当は一緒に行く人がいないからでしょ?」
核心に迫った明里の発言に颯太はぐうの音も出ない。
「図星だったんだ」
「まぁな」
流石に兄妹ということだけあって、しっかりと兄の性格を把握している明里。
「お兄ちゃんは彼女とか欲しくないの?」
「絶賛募集中だ」
「お兄ちゃん、まあまあ顔はいいと思うけどね」
妹の意外な発言に少し戸惑う颯太。
「それは知らないけど、性格面でダメだろ」
「そうだね」
明里は少し笑って応える。
「早く彼女できないかなー」
「頑張ってねー」