第一話 いつもと変わらない朝
──誰か助けてくれよ!
ちっぽけな青年の想いが爆発する。この世の理不尽に必死に抗って叫ぶ。
──大丈夫。私がついてるから。
包み込まれるような、柔らかい声が響く。温かい感触に包まれている瞬間は、時が止まっているようだった。
「……重い」
自宅のベッドで目覚めた青年──内海颯太は一言だけそう呟いた。あくびを一つしてベッドから起き上がる。
携帯を開いて時刻を確認すると、七時を回っており、これから学校に行く支度をしなければならない。
今日は七月十四日火曜日。
自室の扉を開けると、いつものようにキッチンで妹の明里がエプロンを着て、朝食を作っている。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう」
颯太は椅子を引いて席に座る。ついているテレビを見ると、朝のニュース番組の中で天気予報をしているようだ。今日の天気は晴れらしい。
「はい、できたよ」
「ありがとう」
二人の今日の朝食はこんがりと焼けたトーストに、目玉焼きが乗っている。さらにサラダもついている。
「いただきます」
「そういえば、今日の晩ご飯はどうするの?」
明里が椅子の背もたれにエプロンをかけ、椅子に座った。
「食材なら学校の帰りに買ってくるぞ。今日は何にするか」
「晩ご飯はお兄ちゃんの担当だし、別に食べたいってものもないから自由に買ってきて」
明里がトーストをかじりながらスマホで何かを見ている。
「明里、食べながらスマホは行儀悪いぞ」
「原始人みたいなお兄ちゃんに言われたくない」
「原始人呼ばわりか…。一応携帯は持ってるんだけどな」
今の時代はガラパゴスよりスマートな時代らしい。時代はどんどんと便利な方向へ向かっているのが分かったらしく、颯太は苦笑いを浮かべていた。
「今、スマホ使ってない若者は原始人だよ」
「僕とその他のガラケー使ってる若者に宣戦布告したな」
「そんなにいないでしょ?」
明里はフォークでプチトマトを刺して口に運んでいた。
「思いつく人はいるけどな」
「え、ほんと?」
「身近な人だったら一人いるな」
「その人が誰かなんとなく分かった気がする」
明里は少し笑いながらスマホを置いて、食べるのに集中し始める。颯太もサラダは綺麗に食べ、トーストも残りわずかというところだ。
「お兄ちゃんは学校は楽しい?」
「まぁ、行ってても行ってなくても変わらないかもな」
「友達少ないからでしょ」
「まぁ、そんな所だな」
痛いところを突かれ、颯太は言い返す言葉が見つからない。実際、友達と言える人は殆どいないのだ。
残りのトーストを食べ終わり、食器をキッチンのシンクに置く。
「ついでに洗うから、明里の食器も持ってこい」
「まだ食べてるんだけど」
「じゃあ、食べ終わったら置いといてくれ」
「分かった」
颯太は自室に戻り、学校の用意を済ませる。夏真っ只中にどんどんと近づいていく季節。制服は半袖のカッターシャツを着ることになっている。ボタンを上から止め、制服のズボンに着替えて自室を出る。
真っ直ぐキッチンのシンクへと向かう。明里も食べ終わり食器がシンクに置いてある。洗い物と言っても多くはない。
「さっさとやるか」
水を出してスポンジを濡らし、その上から洗剤を少し垂らす。皿をそのスポンジで撫でるようにして、汚れを落とす。一通り汚れを落としたので、水で洗剤を洗い流す。
そして、タオルでしっかりと水分を拭き取る。
「よし終わった」
食器棚に戻して颯太の作業は完了した。テレビの時計は七時半を示している。
「明里もそろそろ準備したらどうだ」
「もうやってあるよ。あ、そろそろ学校いかなくちゃ」
「じゃあ、鍵はやっとくから早く行ってこい」
「うん、じゃあよろしく」
明里は自室に戻り鞄をとって、玄関へと向かった。颯太も見送るために玄関へ向かう。
「行ってきます」
「気を付けろよー」
「うん」
短く言葉を交わして、颯太も自室から鞄を取り、暇をつぶすためにテレビを眺めていた。
ふと、アイスのコマーシャルが流れる。さっぱりとしたバニラ味に定評のあるアイスだ。そのアイスを有名男性俳優が美味しそうに食べている。
「帰りに買ってくるか」
十分ほどが経って颯太も家を出る。部屋の鍵を閉めエレベーターに向かう。颯太たちが住んでいるのは四階なので、エレベーターですぐに着く。
オートロックの扉を通り過ぎて外へ出る。マンションから高校までは電車で行くため、最寄りの駅まで歩く必要がある。木々が万緑の葉を何枚もつけて、風に揺れている。
いつもとなんら変わりのない道。住宅が並んでいるのを抜けると、大きな道に出る。車の交通量も増え、コンビニが見えたりする。
駅の近くには商店街があり、颯太はよく明里にお土産を買って帰っている。
颯太は手慣れた様子で、改札に定期券をかざして、いつも通り電車を待つ。この時間帯では、颯太が通っている高校の生徒達がちらほらと見える。
次の電車が来るまであと数分のところで、颯太の携帯電話がなった。
「なんだ?」
メールが届いているらしく確認をする。送信主は父親だ。
──元気でやってるか? 今度、予定が合えば会いに行こうと思ってるんだ。
「いつになるんだろうな」
メールを送り返そうと思い、颯太がメールを書き始めたところで電車が来てしまった。そのまま携帯電話をズボンのポケットに入れ、電車に乗り込む。
朝の電車の中は混雑しており、スーツを着たサラリーマンや同じ学校の生徒で、列車のほとんどを占めている。
夏という事でエアコンが効いているのだろうが、人が密集すると暑くなってしまう。座る事など夢のまた夢で、吊革に捕まるのがやっとだ。
颯太はぼーっとしながら外の景色を眺める。特に面白いものもなく、ただ住宅街が見えたりするだけなのだった。