これは幸運にも不幸な話。
◇◆◇◆◇
私が赤ちゃんからようやく幼児になった頃だ。その頃には生まれ変わった先が、大層風変わりな世界であると知っていた。
この世界は剣で戦って、精霊もいるし、魔法もある。でも呪文一つで整った奇跡が起こるような、そんな都合のいい世界ではないようだった。
男爵の父は跡取り予定の3つ年上の兄に稽古をつけて、私も3歳からまたいつか嫁に行く為に細々と…本当に多すぎる、魔法の手順を覚えることになったのだ。
何せとにかくこの当時の魔法というやつは、まだ発達途上だった。
年々もっと効率のいい方法は出てくるし、長年信じられていた説が嘘であったと判明することも多い。
貴族はそんな魔法の発展に日夜努力を続けていたのだ。
……つまり、魔法なんてこの時点では、あんまり役に立たないものだった。
生活魔法など使うより手を動かした方が早く、治療魔法も人体を熟知していなければ効果がない。
基本的に妖精って、人間の生活とか、身体の構造とか知らないからね。
洗濯物を乾かそうとしてキャンプファイヤーになったり。ちょっとした切り傷で、指が6本になったり、心臓が二個に増えるのだ。
だからあんまり複雑じゃない魔法陣とか描いての防衛と、嫌な物をなんでも詰め込んだ呪詛を飛ばす程度しかできなかったのである。
魔法陣の効果?お察しだ。ギャンブルの方がまだ役に立つ物が当たる確率が高い。なお呪詛だけは低コスト高威力でめっちゃ綺麗に決まるらしくて、この当時は各国の主要な攻撃方法だったらしい。
この前もどっかの領地が草も生えなくなったと、こっそり父たちが話していた。
じゃあ魔法なんて使うのをやめてしまえばいい、と思うんだけど。呪詛から領地を防衛するには、敵の手を学ばないといけない。
だからみんな役に立たないと言いつつも、主に民とかと地を守るために、必死に魔法を研究しなければならなかったのである。止めたとこから呪詛に喰われるからだ。特にうちの国みたいに、周辺諸国に囲まれたちっちゃいとこなら尚更である。
そう語る母は、まあ呪詛とか防ぐ手立て、直接かけた術者をころすしかないんだけどと、大変たおやかに笑っていた。花を持つ方が似合うたおやかな彼女が、弓とか抜群にうまい女傑なのだとまだこの頃の私は知らない。
話は逸れたがそんな魔法の勉強に、現代の技術に慣れた私が不毛だ、と嫌気が差すまでは早い。
だってもっと役に立つことに時間を使いたい。生涯かけて研究したところで、リターンがない分ギャンブルよりひどいじゃないか。
早々に魔法の勉強に辟易した私が、息抜きに始めたのは絵の具作りだ。つまり、花弁とか貝殻とか潰す系の幼児の遊びである。ひたすらそこらへんの石とか使って、水も混ぜて細かくすりつぶすやつだ。
趣味なんて役に立たなくて、お金がかからない位が楽しくていい。仕事じゃないんだから。
なかでも夕飯に出た貝の殻で作った真白い絵の具が思いの外上手くいって、ちょっと塗るだけでも真珠のような光沢を帯びていた。
興が乗った私は、それを元にぴかぴかひかる泥団子を作ったのである。
ただでさえ光を弾くほどに硬く仕上げて、ぴかぴかに磨き上げた泥団子だ。
貝の真珠色に、アカヒバナの朱色で彩色したそれは、真っ白な艶々にほの赤いのが混じるマーブル模様だ。会心と言って良い出来だった。
うん、なんか魔法に使う道具みたい。普段練ってるよくわかんない薬草よりずっと魔法だよ。
適当に作ったけど。白は光の精霊の色だ。赤は火の精霊。……んー、割とよくあるタイプの組み合わせだな。確か、魔除けにもなるらしいけど。誰もよくは知らない。
そこにたまたま三つ上の兄、ドミニクが来た。
事情を知らない人が見れば、泥団子でもぱっと見で宝珠である。
これは私が悪い。
この年頃、ただの綺麗な石でも相当テンション上がるのに、見たことない宝珠(泥団子)だよ?テンション爆上げだったよね。
やたらと興奮する彼に、適当に思いついた由来を伝えて、庭に置いておくだけであらゆる魔を弾くとんでもない代物 (だったら面白いね)と説明した気がする。
なんだっけ、確か人ごときの怨嗟を容易く焼き払う太陽神、その眷属たる火の精霊から力を賜り、月の女神の眷属である光の精霊の慈悲に縋って場を清める宝珠。ただ置くだけで自動的に呪詛を祓い続け、土地を清浄に戻すとかなんとか。
ちょっと古傷に障るけど、こういう設定が好きな子は多いから、主に親戚の集まりで押し付けられた従兄弟の世話で役に立つ。
絶対に秘密にしなければ、と真面目くさって言えば、両手で口を押えて一生懸命頷くのでかわいい兄だ。
正直ここまで言わないと、泥団子を屋敷に持ち込みかねなかったからね。
貴族にしては、まだのびのび育てられている方とは知っていたけど。流石にメイドに怒られてしまう。
うん、まあ当時兄は6歳だ。それで十分騙されてくれた。
それでほとぼりが冷めたら処分しようと、庭の薔薇の茂みに隠していたのだけど。
その隙間からたっぷりと月光を浴びた泥団子が、翌朝不可思議な光を浴びていたのも、朝露に絵の具がとろけることがなかったのも全く気づいちゃいなかった。
だって晩御飯に超豪華なラムチョップが出たし、肉に食いつく3歳児の脳が、たかが泥団子忘れても仕方ない。正直初めて見たようなご馳走だったのだ。
まあ、当時の状況を思えば、これが最期の晩餐になるのを覚悟してたんだなって思うけど。
「どうかこちらの宝玉を譲っていただきたい……!」
「や、やだあああおとうさまあああ…!」
そんなこんなで正直泥団子のことも忘れていたら、いきなりやべぇヤツが来た。
魔法の勉強をしていたら、見覚えある泥団子を手に、淑女(3歳)の部屋まで押し入ってきたのである。
何だかぼろぼろの執事曰く、急に訪ねてきて、周囲を攻撃しながら入り込んできたらしい。
いくら周辺諸国との戦争で成り上がった男爵といえ、ここ一応貴族の家だぞう。どうかしてる。
襲撃者はぼさぼさの黒髪に、丸眼鏡の学者風の少年だった。
15、6歳くらいの。やけに反射するガラスで目の形もわからない。少しよれたシャツに、変な柄のネクタイをしめていた。私が庭先に放置していた泥団子に、異様な興奮を示している。
正直存在は忘れてたけど。純粋に手間をかけた泥団子を、そんな奴に譲るのは普通に嫌だった。
執事を攻撃しておいて、何にも気にせず泥団子に異常な高値をつけていく男もさっぱりわからないし、両手を掴んで鬼気迫る勢いで迫ってくるのも最悪だった。
手に負えない、と正しい判断をした執事が呼んだらしい。父が私の泥団子を見て、頭を抱えてるのは素直にごめんと思った。
真面目なひとなのである。最近は特にいつも遅くまで働いてるとこに、こんな珍妙な騒ぎを持ち込んではたまったもんじゃないだろう。
この時は結局父が少年から泥玉をもぎ取ってから、少年の首根っこを掴んで、窓から捨てたことで収束したんだっけ?この後、私が熱出して寝込んだからうろ覚えだ。
ちなみにこの時私は知らなかったけど。というか、今でも精霊なんて見えないけど。小さな泥団子には、相当上位の精霊が複数宿っていたらしい。これはとんだことである。
なんかこう…この時の魔法の道具の作り方って、基本魔法的に関連ありそうなのをとりあえずつぎ込んで、あれこれやってみるスタイルだったのだ。それを運よく精霊が気に入れば道具に宿り、魔法具となる。
だから見た目も結構悪いし、作ったところでどう使うかも分からなかったり、役に立たなかったり。日持ちしないものも多かった。
まともな効果で継続的に機能する物があれば、たとえ効果が触ったら光るレベルでも、王に献上されていたくらいだ。
例えるなら発売直後のアイテム作成とかいるゲームで、あらゆる素材で試行錯誤するあの感じだ。苦労して素材を集めても、欲しい効果が出るとは限らないし、出来たアイテムだって品質がランク分けされる。
精霊が好む色みたいな知識は何となく共有されるけど。解釈が間違っていることも当然ある。とっておきの配合は、他の研究者と差をつけるためにも秘匿されたから、余計訳がわかんない物が出来上がる。
しかし知識を元に作っても、宿るのは低級な自我の薄い精霊ばかりで、それすら数打ちゃ当たる程度の確率だ。そして大変お金と手間をかけても、簡単に失敗できる仕様だったのである。だからそこまで実用的な魔法は大きく発展しなかったのだ。
そんな中で上位の精霊が複数宿る泥団子は、まだ魔法なんか触りくらいしか知らない子どもが、作っていい代物じゃなかったらしい。
後程正式に使者を立てて泥玉を鑑定しにきたお偉いさんに、真っ青な顔で国宝、と言い切られて絶句した。
そもそもなんで彼らがうちに来たのか。
そう聞けば機密に守られた情報の中、渋々と隣国が放った呪詛が跳ね返った、と教えられた。
本当に危機的な状況だったらしい。なのに何故か、じわじわと地図を塗りつぶすように侵食し、あらゆるものが死に絶える可能性の高いそれでも、あからさまに私の父の小さな領地は元気である。
敵国への恭順を疑っても、全く不思議じゃないくらいには。
……でも、何故か日に日に父の領地からじわじわ広がる様に、侵食されていた部分もきっれーに清められていったのだという。それも、この国の領土だけ。
もう100年くらい草も生えないとされた土地。弱った領民と収穫間際で大量に枯れた麦。それらが何事もなかったかのように復活して、お祭り騒ぎになったくらい効果があったらしい。
しまいにはこちらにかけられた呪詛の効果が、そっくり跳ね返ったかのように敵国を枯らしていったのだそうだ。
他国からの使者が、もう許してほしいと大量の貢物と共に訪問してくるまでは早かった。
なんでも術者が次々変死したらしい。もとは他国が放った呪詛は、術者の死亡で解決しなかった。おまけに手に負えなくなった呪詛は、なぜか国民を素通りに、貴族を襲い始めたのだ。
許してほしい気持ちはわかるが、この国の王家だって何が起きたのかさっぱりわかってない。まさか小さな領地の男爵家で、幼気な少年が与太話に騙されていたなんて、全く思いもよらなかっただろうけど。
3日と経たずにうちの国へ呪詛を強硬した隣国の王まで斃れたらしいが、そんな都合のいい魔法に心当たりなんてない。
新しくまともな王が立ってから、何故か呪詛は鎮まったようだけど。その国はそのままうちの小国に恭順したそうな。詳しい事情なんて、その当時小児の私に聞かれてもよくわかんないけど。マジで国が無くなる寸前まで追い込まれた、と後の歴史教師には教えられた。
王家は戦々恐々としていた。確実にこれからの戦争を塗り替える、とんでもない兵器が自国にあると確信していたからだ。
しかし蓋を開けてみれば、仕掛けはなんとなくの子どものお遊びの泥団子。魔導具の逸話はその場しのぎの与太話。場合によってはその場で開戦もありうると、物々しい装備でやってきた調査団は、しょうもない事実に大層お疲れのようだった。
結局最終的に国王命令として泥団子をまきあげて、うきうきとした様子で帰った男……グリルビーク侯爵家次男、カルセドニーは、その一週間後に使者を寄越したらしい。
対応した父曰く……。
「先日きた学者の男が、お前を婚約者にしたいらしい。燃やしたから安心しなさい」
「ししゃを?」
「うん。よく燃えた」
うんじゃないんだよなぁ~!
いいの?あの学者さん結構偉い人じゃないの?と思っていたら、使者はグリルビーク家が誇る紙製の呪い人形だったらしい。手が込んでる。
既に王家と話はつけておいた、と父の指先がつつくのは、手のひらほどの箱に収まる、小さな3個ほどの泥団子だ。全て私のお手製である。
他の貴族にも私財をなげうつ勢いで懇願されて、もらうものを貰って厄除けの泥玉を量産後。他にも応用できないかとやってみたのである。そして残念なことに出来てしまったのである。
ちょうど机にあるのは、赤、青、黄色の信号機カラーだ。
それぞれ侵入者を足止めする、泥団子からやばいのがいろいろ出て積極的に防衛する、一番嫌な幻覚を見せて警告する、といった機能がある。
今度はちゃんと市販の絵の具で作って、適当に天日干ししたのに。やっぱりやばい効果があったのだ。もしやと思って、神々と縁をこじつけた天然素材でやったら、一目見た父がそっと肩を叩いて王家に献上したレベルの代物ができた。
そう。どうやら私、これまで確立していなかった、『必ず何がしかの効果がある魔導具』のレシピをぶちあててしまったらしい。
他よりかなり大きめに作った厄除けの泥玉と一緒に。全然違う効果の泥玉を10個ほどまとめて王家に献上したことで、大変恩を売ったようだ。
男爵家の娘一人の身柄など、どうとでもなるくらいには。
「お前を欲している厄介なのは、あの男だけではないよ。強くなりなさい……狩られないために」
それ貴族の娘的にありなのかなぁ。いいところにお嫁に行くのも義務では?と思ったけど口には出さない。
だって年齢一桁に求婚する10代なんて、明らかに私の泥団子が目的だからね。
ここは普段からずっと家にいるからと訳わかんない研究を押し付けられがちな女性の地位が低く、夫やチームの男性が研究成果を横取りすることが普通にある。
下手をすれば研究結果を搾取されながら、全く興味のない魔法研究に一生を捧げることになりかねない。そんなのは絶対に嫌だった。
しかしこのカルセドニーがまたしつこかった。
本当諦めないし未だに呪詛送ってくるの大半この人だしもう…本当もう倫理観どうなってるんだろう……なんで呪われたら嫁ぎに来ると思うの?
もう面倒くさいなって、事件の1年後に王家にも泥団子の作り方献上したんだよね。
本来は秘匿して、家の価値を高めたりするそうだけど。男爵家が抱えるには荷が勝ちすぎる。皆が作り方覚えれば、わざわざ私との婚姻とかいらないじゃん?
そしたらやっぱり私個人におかしな能力がある訳ではなくて、皆が同等の成果を上げることができたから最高だった。
既に魔除け団子も大量生産されて、国の要所に隠してある。うちの国に潜り込んだところで、全て破壊することは到底出来ないだろう。
これまでは小国であるうちは他国からの呪詛で、国が崩壊しないよう現状を死守するしかできなかったけど。呪詛が効かなくなった今、国の産業の発展に手を伸ばす余裕すらできたのだ。めでたしめでたしである。
これで私に興味はなくなるな、とほっとしていたのに。何故か国の魔法研究の進歩を300年とばしで早めたからって、私個人が子爵の位を得ることになった。
年齢一桁なのに訳わかんない。父より爵位上とかウケる。しかも誰も止めてくれないのが酷い。
まあそんな訳でね。王家がバックについてたから、将来有望な技術者枠の私は、グリルビーク侯爵次男も袖にできるくらいにはなったんだ。王様が絶対にカルセドニーの嫁にはやらないと、確約してくれたからね。
もう時代遅れになった呪詛を使うかつての英雄カルセドニーに、これ以上好きにはさせたくない、って気持ちも多少あったようだけど。私からしたらありがたい限りだ。
あとはお茶会に出て少しずつ顔を売って、真っ当な将来の夫を探すだけだったのに。王妃主催のお茶会で、私は様子のおかしい男と再会してしまった。
訂正する。母と一緒に来ていたのに、急に物陰に引きずり込まれたのだった。
「おかしいなぁ私言ったよね?お嫁さんになってって。なのになんで今更他の男に媚びを売る必要があるのかな?……どうして黙っているの、申し開きがあるならしてみなさい」
まだ小さい…4歳の私を隅に追い詰めて、上から覗き込んだ男は、明らかに何か患っていた。
あやすように声をかけているのに、何一つ安心できない。
「……そのお話は正式に断ったはずですよ。魔法具の作り方なら、共有されていたでしょう」
「んー……?そんなもの関係ないね。私は君が欲しいから婚約を申し込んだんだよ?ああ、もしかしてそんなことを気にしていたのか……言葉が足りなかったね、私は君を外に出す気はないんだ。魔法なんか使えなくたって別にいいんだよ?」
何言ってるのかよくわからないのはわかった。
でも幸いこの時の私、こんなことを想定して既にあれこれ作っていた。
ポケットの泥団子により、私の周りを土属性の金色と、光属性の白が混じる半透明な…いわゆる結界が取り巻いていたのである。ちょっと歪な形の卵みたいな、指一本触れさせないスタイルだ。
なんとか覆いかぶさる男から逃げ出すと、後ろから結界ごと持ち上げられたので、改良は必要かもしれない。
「ああ。それだよ、それ。君は魔法なんか使うのに、いつも楽しそうだ……いいなぁ、僕の手元に置きたい。ずぅっと君を見ていたい。僕と一緒にいてほしい」
きっと毎日が楽しいと思うんだ、と普通のことを言って笑う男の目を、私は初めて見ることができた。いつも逆光と眼鏡でよく分かんなかったからね。
でも見えない方がよかったな。
奇妙に綻んだ口元に、どろりと濁った緑が、異様な熱をたたえて私を見ているなんて知りたくなかった。
「何をしている!」
完全に身がすくんで動けなくなった私の耳に、気つけのように幼い声が響いた。
何でこんなやばい奴に声を、と思って振り返れば、先程母と挨拶した少年がいた。
オレンジの飴玉みたいなタレ目を不機嫌そうにつりあげた、第2王子フラン殿下がいつのまにかいたのである。
彼は私よりは大きくて、カルセドニーよりは随分と小さい男の子だ。
それなのにのんびりした顔を一生懸命引き締めて、ヤバい男の蛮行を留めてくれたのだ。
「これはこれは…フラン王子」
私が入った卵をそっと下ろすと、カルセドニー様は面倒そうに礼をしている。
私もまた臣下としての礼を取ろうと慌てて結界を解こうとしたら、縄みたいなのが巻きつく心地がして、指一本動かせなくなる。舌すら痺れて、何も言うことができなくなった。
え、え、うそ、これはやばい……!
「私の婚約者が人酔いしましてね。しかし途中の退席は礼を失すると…なんとか説得して医務室に連れて行く最中なのですよ」
うまいこと言って連れていく気だこの野郎……!
え、どうしよう。父は男爵だ。そして私が子爵。
いくら王家の後ろ盾があるといえ、迂闊に侯爵家に喧嘩を売れない。
もしやこのままさらわれるの?恐いんだけど。流石に王家の茶会に、攻撃できるような泥玉は持参していない。抵抗する術がないのだ。
本気で血の気が引いた。
様子がおかしいこの男を、王家が止めてくれる理由が見当たらない。きっと見捨てるだろうと思ったのに。フラン殿下は全く引かなかった。
「俺はなぜこの茶会に招待されていないお前が、ここにいるかを問うているんだが?……そもそも貴様とウォーフル子爵との婚約は、王直々に却下されていただろう。忘れたとは言わせないぞ」
えっ…まじですか王〜?大変だったね、と爵位貰う時に直々に労われた時そんなこと言ってなかったじゃないですか!ありがとうございます一生ついていきます!
「……チッ」
この男に不敬罪の概念ないの?恐いんだけど。
しかし王子の護衛に、茶会の参加者と視線を集めて。圧倒的に分が悪いのはカルセドニーの方だ。
芝居掛かった動作で私を下ろすと、変な魔法も解けた。
いずれまたとかささやかれても知るもんか!徹底的に避けてやるから覚えていろよ!
「あの男は、ウォーフル子爵が現れるまでは呪術の天才だった。本人は望んではいなかったがな……己の境遇から解放されてから、どうもお前に異様に入れ込んでいてな」
あ、呪詛かけて、戦争相手の国を潰すお仕事をされていたようだ。
もしかして、あんまり処罰とか強く言えないのも、下手すれば牙を剥かれるから?聞かなかったことにしたい。
フラン王子から手を差し出されて、慌てて名乗りを上げようと思ったのだけど。何故か声が張り付いたように出なかった。
「無理に声を出さなくていい。お前のことはよくよく父に頼まれている。……これは、カルセドニーの置き土産だ。あれでも先の大戦の英雄でな。大変な実力者である意味手がつけられん。だが、それでもすぐ助けに入ればよかったよ……こわかったろ?」
舌打ちするフラン王子は、悔しげに4歳児の背中をさすってくれた。
確か私より3つ年上なんだっけ。兄と同い年だ。
王家すごいなー、小学生くらいの年齢なのに、あんなヤバいのと渡り合えるなんて。
でも正直王家もいる茶会に対して警備がずさんなのは、騎士団とかそこら辺りの責任じゃないかな。
だからあなたがそんな顔をする必要はない、と口を開いたら、やっぱり何の音も出なかったし。急にひどく喉が痛んだ。
きりきりと締め付けられるようなそれに、えづきそうになる。
苦しくて喉を抑えた私に、明らかにフラン王子の眼差しが怒気をはらんだものになる。
「自分以外の男に接すると苦しむ呪いか?悪趣味な…!」
う、うわー!そ、そこまでされてたの?こわっ!まだ私、人体への解呪がどうのは習ってないよ!どうしよう!そもそもできるの?!
王子が遅れてきた魔法の研究員達に、指示を出しているけど。正直言って、あんなのが所属してる研究所なんか信用できない!
ぼんやりとフラン殿下と研究員たちのやり取りを見ながらも。なんか手はないかな、と思っていたら、私のドレスのポケットがごそりと勝手に揺れた気がした。
琥珀色のそれは、最新の魔法研究(笑)の産物だ。
うちのシェフを巻き込んで作成した、ハーブ系のいい匂いするべっこう飴である。
無駄に鍛冶屋に頼み、専用の金型まで作って見た目にこだわった一品だ。
別に私は爪楊枝でぺろきゃん、みたいな形で全然構わなかったんだけど。報奨金は貯めておきなさいって母に口酸っぱく言われてるから。一応魔法じみた要素がないと、ポケットマネーで砂糖を買う許可が下りなかったせいである。
一応、月の女神の恩恵を身体に取り込む、と言う名目で作成した。なので見た目は結構こっている。
デザインは鍛冶屋のドルカさんに丸投げしていたけど。
病の治癒を司る月の女神にあやかった、クレーターも再現したまん丸い満月の表面。
女神に仕えてあらゆる瘴気を払う、とか言うカモミールの裏面。
それらが組み合わさったようなコインのような形だ。作った本人はかなり厳ついおじさんなのに、優美でかわいいデザインなのである。
あんまりかわいすぎて、紋にデザインに作ってくれた職人の名前をつけたくらいやばい。その場のテンションが恐い。
ドルエさんがノリよくて、ありがたき幸せとか言ってくれる人で助かったよね。貴族ムーブが駄々滑りするところだった。
まあ、特にそうして力を取り込んだところでどうなる、とも思ってないけどね。甘いものが自費で食べたい言い訳だし、効果だって健康食品とか縁起物とかそんなレベルだ。
型を作るのに時間がかかったから、まだ試作品に効果があるかは試してない。ちょうど昨日の夜に完成したけど。虫歯になるからと母に説教されて、帰りの馬車でつまもうと思っていたのである。
まあカモミールまぜてるし、喉には良いかもなと口に含めば、舐め溶かすうちに徐々に喉が楽になっていく。
元の世界でも、飴は喉にいいって言うもんね。荒んだ心に糖分が足りるだけでも違う。呪詛はストレスで追い詰められる部分も強いからね。
今回はカモミールにしたけど、他のハーブもおいしいのがあるんだろうか。こっちの世界、ハーブは薬草扱いで、薬以外に料理に使って食べるのは実用性第一の庶民がほとんどらしい。
けど、この飴が案の定何かおかしかった。
喉から急に黒いもやがふき上がったと思うと、べちゃりと豪華そうな絨毯に落ちたのである。
焦った様子の研究員達を尻目に、フラン王子が上からハンカチを被せて踏みつけた。
布に悪いものを吸い取らせている、とぽかんとする私を研究員がわかりやすく教えてくれた。
「これは…なんだ?」
「……当家で研究の一環で作成しましたの。ただの、薬草飴ですわ」
「ただの……?」
今度はすっと声が出た。
頭おかしい機能がついた泥団子発祥の家の、新しい研究の結果。
おまけに稀代の天才がかけた呪詛をも弾いた適当な飴に、研究員達の目がらんらんと光るのを見た。
しかし行動は殿下の方が早い。
「……さてはお前立てないな?ウォーフル子爵!」
「え、は、はい!」
まあ王族だからね。白も黒になるよね。大丈夫。空気読む4歳児だから。
多分普通に立てるけど。そう答えたら、疲れたように笑ったフラン王子が、私を背中におぶる。そのままさっそうとその場を後にした。慌てたのは研究員共である。
「お待ちを!……ウォーフル子爵、どうかその飴についてお話を聞かせてください!」
「貴様達は先程まで何を見ていた。下がれ」
「フラン殿下、どうか、どうかお待ちください!」
「くどいぞ」
追いすがる研究員達は騎士の槍に阻まれ、悠々と歩く彼は簡単にウォーフル家の馬車まで私を案内してくれた。
「うっとうしい連中だな。さっさと忘れて、今日は早く帰って寝た方がいいぜ。後日詳しく話を聞くことにはなるだろうが。……ん?ああ、悪いな。こっちの方が慣れてんだ。公式の場じゃああだけどな」
気安い口調に驚いたのを察したのか。フラン王子はうちの兄ちゃんみたいにそう言って笑うと、内緒にしててくれ、と頭を撫でられた。
馬車の扉も閉められて、最後の挨拶をするときに彼は言う。
「………悪かったな。この借りはいずれ必ず返す。期待していてくれ」
少し口の端をあげて、どちらかと言えば悪く笑うその顔に、ときめく程度には疲れていたらしい。
王子といえ、元の私とは随分年の離れた子どもなのにね。