帰還
おわらない
ティタニアを地獄に送り込んだ何かはそのままの状態でしばらくその場に立ち止まっていた。彩果と奈子は何もできないままさくらの後ろ姿を見るしかできない。
しばらく不穏な静寂が流れる中、何かが割れるような音が聞こえた。
「な、なに!? なんで空が割れて……」
奈子が指す先の空にひびが入り、硝子のように割れ始めた。よく見ると周りが同じ現象を起こし始めている。
「もしかして、妖精の女王がいなくなったから妖精の世界も消されるんじゃ」
それならば妖精の世界に留まっている彩果達はどうなるのか。答えは一目瞭然。一緒に消されるのだろう。
「は、早く逃げないと」
「でも出口なんて」
奈子が考えあぐねているとそれまで止まっていたさくらの体が何も言わずに足を動かし始めた。
「妖精ちゃん!? どこに行くの!」
彩果が慌ててさくらの手首を掴んで止めようとするがさくらは一切歩みを止めずにそのまま木々を抜けて広い草原へと出ていく。
呆気に取られている二人に目もくれず、さくらは無言で両手を割れている空に挙げる。
「妖精ちゃん? 何してるの?」
彩果が止めることもできずに崩壊する世界とさくらを交互に見比べる。
さくらが両手を挙げてしばらく無言で待っていると、壊れた世界の一部が突然白く光りだし、先ほどの地獄の門と同じような形の白い円が三人の目の前に浮かび上がった。
「何これ! また地獄?」
「いいえ、これは違う。この匂いは」
奈子が恐る恐る円に近づくと、強い引力が彼女に働き、そのまま光の中に吸い込まれる。すぐ後ろに立っていた彩果とさくらも間髪入れずにその中に吸い込まれ、世界が完全に壊れる前にその光は小さく鎮まった。
次に彩果の目に映った光景は奥まで緑が生い茂っている背の高い木々だった。また妖精の世界かと思ったが、それにしては景色が人間世界のようだ。木々から覗く空は清々しい程綺麗な水色で、彩果が手をついている地面は水を含んだように湿っている。
「ここは……」
「彩果。大丈夫?」
彩果が辺りを見回して様子を確認しようとすると、隣から奈子の心配そうな声が聞こえた。
「奈子。ここは一体どこなの?」
「精露山だよ」
彩果と奈子ではない第三者。優しい人物だとわかるような低い声音が頭上から聞こえてきた。
二人がそちらへ目を向けると、眠っているさくらと、そんなさくらを抱きかかえている中年の男性がいた。
「彩果さんと奈子さんだね。良かった。どうやらさくらはしっかり約束を守れたようだね」
「えっと、あなたは?」
「僕は神海大成。簡単に言うとさくらの父親だね」
大成は今までのことが何でもなかったかのように穏やかに奈子の質問に応答する。
「さて、遅くならないうちに帰ろう。朝早く出てきたのはいいが、妖精の世界にいた時間は長い。日が暮れるまでには君たちを家に送り届けないとね。酷い怪我だが、歩けるかい?」
大成が呆気に取られている奈子の手を引いて立ち上がらせようとする。同時に彩果が口を開いて大成を止める。
「ま、待ってください。私は帰れません」
彩果の言葉に奈子は驚いたような視線を向ける。一方の大成は何を言っているのかわからないというような表情を見せる。
「何故だい? 戻ってきたということはティタニアからの束縛から逃れたということだろう」
「そう、ですけど。でも私はこの世界にいてはいけない存在なんです。ティタニアの暗示できっと私の記憶も消えてるし」
彩果の言う通り、奈子とさくら以外で彩果を覚えている者は一人もいなかった。恐らく今帰っても誰も彩果の存在を承認できないだろう。
奈子もそのことをよくわかっているため、神妙な面持ちを浮かべる。
「なんだ。そんなことかい」
そんな二人の重い空気を壊すかのように大成はあっけらかんとした声で構わず奈子の手を引いて立ち上がらせる。その後、彩果にも同様の動作を行う。
「そ、そんなことって。彩果はこの先どうやって生きればいいんですか!?」
「多分大丈夫だよ。奴隷紋から解かれたなら、ティタニアの呪いも解けているはずだ」
「確証は?」
「ないよ。でも僕の勘は意外とよく当たるんだ。それに、もし記憶がなくなっていたとしたら神海家に来ればいいさ」
「え?」
大成の突然の発言に彩果と奈子はその場で硬直してしまった。
「うちは無駄に広いし、さくらも姉が一人できることは嬉しいだろう。詩織も受け入れてくれるだろうし。デメリットと言えば彩果さんの環境が変わることかな」
「ちょっと待ってください! そんな簡単なことじゃ……」
「簡単なことだよ。あくまで僕にとってはね。でも、ティタニアがいなくなった今、彩果さんが気に病むことは何もないんじゃないかな」
「えっと、でも」
「とにかく詳しいことは山を下りてからにしようか。奈子さんの傷が悪化したらそれこそ後遺症が残るかもしれない。応急処置をしてから決めよう」
そう言うと大成は有無を言わさずにさくらを抱えながら下山していった。
彩果と奈子はまだ何か言いたい気持ちを抑えながら後をついていった。
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