奈子と彩果が出会った日
十年前。奈子は学校の林間学校で山梨に来ていた。
それまで何も知らなかった奈子は友達と仲良く精露山を登っている、はずだった。
「あれ?」
辺りを見回してもあるのは背の高い木だけ。つい数秒前に話していた友達も、担任の先生も、ガイドをしてくれていた人もいない。
「ここどこ? 先生ー! みんなー!」
いくら大人びている奈子とは言え、まだ小学校も低学年。薄暗い見知らぬ土地に取り残されれば不安に胸が駆られる。
できることと言えばその場で動かずに叫ぶことだ。
「先生ー!! どこー!?」
奈子は声が裏返るほど、森に響き渡らせるように大声を上げて教師を呼ぶ。だが返ってきたのはやまびこのみで、人間の応答はない。
「どこ……どこ……」
奈子の心は不安から恐怖に変わっていく。足元も霧でほとんど見えない。帰り道もわからない。
幼いながらに遭難したことを理解した奈子はその薄く吊られた目に涙を零れそうなほど浮かべる。
皆とはぐれたらその場にいなさい。担任にはそう教わったが、不安と恐怖に襲われた奈子は堪らず足を一歩踏み出してしまう。
「わっ!」
霧で見えなかったが、奈子の目の前には太い根が地面に伸びていた。奈子の小さな足はその根にとられ、下り坂になっているところを転がっていく。
「う、うわぁぁぁん!! おかあさぁぁぁん!!」
膝を擦り、全身に湿った土を被った奈子は耐えきれずに大声を上げて泣き出した。自分はここから帰ることができないのかという恐怖で奈子の心は限界だった。
しばらく頬を大量の涙で濡らした奈子だが、不意に遠くの方から枝を踏むような乾いた音が聞こえた。
「先生?」
大人からは熊が出るかもしれないから音のする方に近寄らないようにと教わっている。だが今の奈子にはそんな教訓、ないに等しい。誰でもいいから人に会いたいのだ。
音のする方に近づいた奈子は異様な光景をその目に映した。
「……だれ?」
「……」
奈子の目の前には子どもがいた。
奈子よりも一回り小さな子ども。黄色のワンピースを着ているところから女の子なのだろうが、泥だらけの全身では性別が判断できない。
そして、右の頬には蝶の羽のような鱗粉がかけられた痣が残っている。
「あ、あなたも迷子なの?」
奈子が女の子に話しかけてみるが、彼女は虚ろな目を空に向けたまま返事をしない。
「こ、ここに子どもだけでいたら危ないの。一緒に大人を呼ぼう」
女の子も遭難しているのだと思った奈子は彼女の泥だらけの手を取って引こうとする。
その瞬間、女の子の虚ろだった瞳が零れ落ちそうなほどに開き、口を大きく開いて叫びだした。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「え、なに? どうしたの?」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
奈子が慌てて手を離すと女の子は踵を返し、霧で見えない道なき道を叫びながら駆けだした。
「待って! どこ行くの!?」
しばらく呆然としていた奈子だが、すぐに我に返り、女の子を追いかけ始めた。自分より小さな子どもが一人で森の奥に行くのは危険だ。
だが視界が悪く、足元も覚束ない地面で追いつけるほど奈子の運動神経は良くない。
先ほどと同じように何かに躓くと、急斜面になっている坂を転げ落ちる。前を走っていた女の子も巻き込んで、二人は一番下まで落ちていった。
「痛い……」
「う、うぅ……」
奈子は痛みに襲われながらも下敷きにしている女の子から退くためにすぐに隣に動く。その際、女の子が逃げないように細く泥だらけの手首を掴み続けた。
「ひ、ひっ」
奈子も混乱しているが、過呼吸を起こしている女の子を見ていると冷静になってくる。
「だ、大丈夫だよ。私、怖い人じゃないから。一緒にみんなの所に行こう」
女の子が逃げる素振りを見せないので奈子はゆっくり手首から自分の手を離した。
女の子は恐怖で体が動かないらしく奈子から解放されても過呼吸を起こしたままそこから足を動かさない。
「あ、あ……」
「大丈夫。大丈夫。ね? 一緒に行こう」
奈子は落ち着かせてから動こうとしたが、一向に収まる気配がないので半ば強引に手を引っ張り立たせる。再度引っ張ると女の子は一気に力が抜けたような生気の宿らない表情を見せ、声も出さず奈子に従った。
(なにこの子……でも大人しくしてくれると助かるかも)
奈子は女の子の急な変わりように少し引いていたが、騒がれると困るので放っておいた。それよりも今はこの森を抜けなければいけない。
そう思い奈子が手探りで一歩を踏み出した瞬間、霧から鈴のような綺麗な声が聞こえた。
『ああ、坊や。ここにいたのね。探したわ』
そこにいたのは巨大な大人の女──ティタニアだった。
感想・誤字報告よろしくお願いします。




