救えない
さくらは自分の携帯に映されている日付を見る。八月八日。合宿に行ったのが八月二日。間違いなく自分は家に帰ってきたのだ。彩果との記憶を代償に。
「違う。私が見たのは夢じゃない。ティタニアもいたの。幽霊もいたの。彩果先輩も……いたの」
自分に言い聞かせるようにさくらはその場で一人呟く。だがその顔は絶望と悲痛に塗れていた。母や昨夜だけではない。きっと有季も忘れているだろう。他の部員も全員。全員──。
「じゃあ私の記憶は?」
全員忘れているのにさくらは覚えている。むしろ合宿から帰ってきた後の記憶がない。疲れていたから? それで彩果の記憶が消されたなど証明にならない。
「どうして私だけなの」
いっそのこと自分の記憶も消えてしまえば、彩果を知っている人がいなくなれば。彩果はもう妖精の世界から帰ってこない。さくらが苦しむこともない。
「……駄目だ。それじゃあまた先輩が苦しむ」
真矢だった頃の彩果は四十年ものタイムラグを抱え人間界に戻ってきた。その時の彼女はどんな思いだったのか。自分だけ置いてけぼりにされ、孤独と奇異の目に晒され、苦しみながら生きた彼女は。
「妖精ちゃんと呼んだのは……あなただけでしょう」
おかしなあだ名をつけ、天真爛漫で人気者の彩果は作られた性格。真矢だとバレればたちまち全員が敵になるから。
未名河彩果は喜納川真矢が苦しんで作られた人間。そして今、彩果も真矢も忘れ去られようとしている。一人を除いて。
「私が、助けなければ、彩果先輩はいつまでも独りぼっち」
さくらの手が震える。二年前も、一年前の事件も、誰かが助けてくれた。一人ではなかった。だが今回は誰もいない。一人で彩果を救い出さなければならない。
「でも、一体どうすればいいの」
妖精の世界はあの森に続いている境界だけだ。東京から山梨までは電車を使えば数時間で着くが、一人で遠出をしたことのないさくらにはほとんど無謀な行為だ。では家族の誰かについてきてもらうか。母はさくらを信じてくれないだろう。父は話を聞いてくれるだろうが仕事ですぐには帰ってこれない。姉はまだ高校生だ。結局母に止められて終わりだろう。
「どうして私は何もできないのっ!」
救いたいと思う人を簡単に救えない自分がひどく嫌になる。結局さくらは誰かに力を借りなければ何もできない世間知らずな娘なのだ。
「先輩を……助けたいのに。私は」
悲観するさくらは枕に顔を押し付け涙を堪える。ここで泣いても彩果は救えない。誰も救ってはくれない。そうは思っていても図書館で調べることもインターネットを使うことも恐らく不可能だろう。神隠しは世間一般的に見て誘拐事件として取り上げられている。誰が妖精など信じるか。
脳内で思考を巡らせるさくらは何を思ったか携帯の写真フォルダを開いた。
「せめて先輩に写真でも残っていれば」
ティタニアに記憶を消されてしまってもモノとしては残っているかもしれない。そんな希望を抱いたさくらに世界は悉く残酷だった。
「そんな……」
彩果は写真が好きだ。よくさくらと一緒に自分で撮っている。そのせいでさくらの携帯のフォルダは彩果とのツーショットが多い。それなのに彩果の存在は消されている。丁寧に写真はそのままに、彩果の姿だけ消されている。記憶が残っているさくらにはその雑に消された写真を見て更に絶望を浮かべた。そしてさくらはあることに気づいた。
「もしかして、ティタニアを怒らせたから?」
あの時ティタニアは怒りをさくらに向けていた。世界を揺るがす程に。それが彩果の説得で簡単に帰してくれるのだろうか。ティタニアはそこまで寛大な人間なのか。
(私だけ記憶が残っているのも、私だけ先輩との思い出が雑に消されているのも、ティタニアの仕返し。私の大切な人を奪い、味方もいない。私が助けにいけないように東京に帰した)
「全部、私のせい」
さくらが大人しくティタニアの子どもになっていれば良かったのか。彩果を外に連れていかなければ。奈子の忠告をさくらが覚え、守っていれば。幽霊がさくらを見捨てたのも、彩果を守らなかったさくらへの戒め。
「私が、先輩を、見捨てた」
原因が自分だと自覚したさくらは携帯を開いたまま力なく腕を降ろした。
「ごめんなさい。先輩、ごめんなさい……っ」
声を詰まらせながら謝るさくらを慰めてくれる人はいない。このまま時が経つのを待とうとしているさくらだが、不意に携帯のディスプレイが光り、音が鳴った。その画面には『高岡奈子』と表示されている。
「……奈子さん?」
さくらは呆然としながら通話ボタンを押した。
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