奈子の思い
さくらはよく貧血を起こすが、そうでなくてもかなりの運動音痴でただ歩いているだけなのによく転ぶ。そのため自分専用の小さめな救急箱を持ち歩いている。そこにある湿布をハサミで切って、奈子の腫れている頬に貼った。
「よし。これで大丈夫です。点呼の時には多分外しても目立たないと思いますよ」
「……ありがとう神海さん。迷惑かけたわね」
湿布の位置を固定すると、奈子は申し訳ないと言う風に困ったように笑う。いつもしっかりしている奈子が弱弱しく笑う姿を見てさくらは居たたまれない気持ちになる。
「あの、奈子さん」
「うん? ああ、ごめんなさい。すぐ出てくから」
遠慮がちに呼ぶさくらが「出ていってほしい」という意図を含んだと捉えた奈子はすぐに出ていこうとした。そんな奈子を急いでさくらは止める。
「ち、違います! ここにいてくださって構いません。弥生もまだ帰ってこないでしょうし」
「そう? じゃあお言葉に甘えようかしら」
引き止めるさくらに従って奈子は再びその場に腰を落ち着かせる。とは言っても先ほどの事態を理解していないさくらはどう奈子に話しかければいいかわからず、視線を彷徨わせる。
(どうしよう。さっきのこと聞きたいけど、先輩があんなだったし。奈子さんを叩いてまで話を遮ったんだから。私に教えたりなんかしたらまた奈子さんが怒られるだろうし)
「ごめんなさい神海さん。変なことに巻き込んでしまったわね」
さくらの表情を読み取ったのか、奈子が謝罪してきた。さくらはどう返事していいものかわからず首を振る。
「奈子さんのせいじゃないですよ。いえ、彩果先輩のせいでもないんですけど」
さくらはどう話そうか悩む。そのうちに奈子が彩果に外に出るなと忠告していたことを思い出す。
「あ、あの奈子さん! 彩果先輩を責めないでください。先輩を外に誘ったのは私なんです」
「はい?」
さくらは昼時の件を奈子に説明した。彩果がロビーでつまらなそうにしていたこと。見かねたさくらが彩果を外に誘ったこと。優しい彩果がそれに乗ってくれたこと。全て事細かく奈子に説明した。
「だから、先輩は何も悪くないんです。私が先輩の意見も聞かずに無理に連れ出したんです。だから先輩を怒らないでください」
謝るさくらに少し驚いたような表情を見せた奈子だがすぐに微笑を浮かべて首を振った。
「あなたのせいじゃないわ神海さん。私もちゃんと見ていなかったのが悪かったし。あなたは善意で彩果を外に出そうとしてくれたんでしょ。彩果はきっとありがたく思っていたでしょう。ただ」
奈子は頭を下げるさくらの顔を上げる。微笑を浮かべる奈子の表情が少し曇り、言い淀んでいるような雰囲気を出した。
「奈子さん?」
「彩果は、外に出してはいけないの。いいえ、普段は出ていいのだけど、この場所は駄目なの。絶対に」
「この場所って、精露山のことですか?」
躊躇う奈子だが、さくらの目を見た後、肯定を示すように頷いた。
「本当にごめんなさい神海さん。本来ならあなた達を巻き込んでしまったことに謝罪して顛末を話すべきなのだけど、これだけはどうしても話してはいけないの。どうか見なかったことにできないかしら」
奈子が後輩であるさくらに頭を深く下げて頼み込む。もちろん理由を聞きたいとさくらは思ったが、先ほどの彩果の豹変ぶりと、奈子の消沈した表情を見れば、そんなことを言っていられない。
「わかりました。見なかったことにします。相澤君達にもそう伝えておきますね」
承諾するさくらに安心したように奈子は顔を上げた。
「ありがとう神海さん。よろしくお願いします」
点呼の時間が近づいてきた。さくらと共にロビーに向かおうとした奈子だが、何かに気づいたように足を止めた。
「奈子さん?」
「どうしよう。点呼表も筆記用具も全部部屋だわ。急げば間に合うけどあそこには彩果が」
既に一時間以上経っているが、あの様子だと彩果は恐らくまだ機嫌を損ねているだろう。
「……いいえ。そんなことも言ってられないわ。すぐに行かないと」
「あ、あの奈子さん。私も一緒に行きます。彩果先輩にも謝りたいですし」
二人の喧嘩の原因が自分にあると思っているさくらは奈子についていった。奈子達の部屋はさくら達の部屋から三つ離れたところにある。辿り着いた奈子は躊躇いながらも扉をノックしてから入った。
「彩果、入るわよ」
何も返答がない。やはりまだ怒っているのかと後ろに立っていたさくらが中を覗くと彩果は荷物の前で座っていた。こちらを振り向くことはない。
「先輩?」
違和感を覚えたさくらが呼びかける。顔を向ける代わりに彩果は──急に倒れ込んだ。
「彩果!?」
慌てて奈子が靴を脱ぎ捨て彩果の元に駆け寄る。さくらも遅れて部屋に入り、彩果の方へ寄っていった。
彩果の顔を見ると、苦悶の表情を浮かべた。その肌は苦しそうに紅潮し、汗が浮き出ている。奈子が彩果の額に手を当ててさくらの方を振り向く。
「神海さん、先生を呼んできて。すごい熱」
「は、はい」
奈子と抱えられている彩果に背を向けてさくらは急いでロビーにいる顧問の元へ走っていった。
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