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私と彼女の物語  作者: 雪桃
中学一年生(全17話)
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古びた琴と美しい音色

 それは紛れもなく、さくらが稽古でよく使うような十三弦の琴だった。

 随分と年季が入っているが桐で作られているから丈夫そうだ。


「……なんで?」


 さくらが琴を発見して第一声を放った。

 もちろん琴も和楽器である。飽きるほど見ているが、それにしたって何故蔵の中に、なんの梱包もされず放置されているのか。

 名門家にとってはあるまじき行為だろう。


琴柱(ことじ)もしっかりされてるし、糸もプラスチックじゃなくて、クジラのヒゲ? ていうことは随分前のお琴?」


 正直これを持って帰りたい欲求と持って帰りたくない欲求がさくらを渦巻いている。

 蔵の中で放置されてしまっているのなら丁重に手直ししなくてはならないが、母達からはこれをどこで見つけたのか問い詰められるだろう。

 そうすれば必然的に壁を壊したことも話さなければならない。


「そもそもこれちゃんと使えるのかな」


 さくらは帯の中に入れておいた琴専用の爪を親指だけ嵌めた。

 蔵の中は散らかっているうえ狭い。2メートルを超えるような琴はどうしても横にできないので仕方なく立てかけたままさくらがしゃがむ。

 充分に安全を配慮してある曲の一節を弾いてみる。するとどうだろうか。


「……きれい」


 今まで弾いてきた曲よりも、演奏会でプロが弾いてきたものよりも、目の前にある琴の音色は極上と言っていいものだ。

 さくらが思わず感嘆のため息を漏らしてしまうほどに。


(こんな、心の底から洗われるような楽器なんて今まであったかしら)


 先程までの驚きや疑心暗鬼はなんだったのか。

 自分のものでもないのにさも見せびらかしたい気持ちに襲われる。


「そうだ!」


 さくらは名案を思いついた。

 早速琴を蔵から出してよろめきながらも屋敷まで運ぶ。

 さくらは小柄で生まれつき重度の貧血持ちであるが、年季が入っていて軽くなっている琴は簡単に持てた。


「お母さま! 私いいもの見つけたよ。ほら!」

「うるさいですよさくら。頼んだものは……なんですそのお琴」


 さくらは先ほどまで母に稽古をつけてもらっていた部屋までやってきて元気よく戸を開けた。

 その姿に母は嫌悪を見せるが、すぐに視線は琴の方に向かう。


「私は蔵へ行けと言ったのです。誰が楽器部屋から琴を持ってこいと言いましたか」

「それが聞いて。これ蔵にあったの。壁の奥。この状態で」

「はあ?」


 嬉々として目の前の琴を語るさくらはまるで獲物を獲ってきた獣のよう。

 対して事情を理解できない母は完全に娘の頭を疑っている。


「……それで、どうして得体のしれないものをわざわざ持ってきたのですか」

「得体のしれないものじゃなくて琴だよ?」

「はいはい琴ですね。それで理由は?」


 一切信用していない。琴など一目で誰もがわかるというのに相変わらず頑固な人だとさくらは思う。

 自覚がないだけでさくらも似たような性格なのだが。


「このお琴ね。音色がすごいの。もう今まで弾いてきたものよりも。お母さまやプロの方が弾いたものよりも。一小節弾いただけでも心が洗われるような」

「ほう?」


 適当に聞き流していた母だが、自分やプロが弾いたよりもと言われて眉を上げた。

 自分を持ち上げたいわけではないが母もそれなりに努力を積み重ねてきた。

 それを娘に「この琴の方がいい」と言われればショックも受けるだろう。


「そこまで言うなら聞かせてもらいましょうか」

「はーい」


 実を言えばさくらの目的はここからだった。

 最近の神海家はピリピリしている。姉は高校受験でまともに口を聞いてくれないし母は余計厳しい。父は──自由奔放でいつも通りだ。

 それでも中学に上がりたてのさくらにとってはあまりいい環境ではない。

 その中で全てを洗うような琴の音色である。


(この音を聞けばいくらお母さまでも納得せざるを得ないでしょ)


 琴の音色で屋敷を癒そう。これがさくらなりの考えである。

 早速琴を丁寧に横に倒し爪を今度は3つ嵌めて一小節どころか母が止めと言うまで弾き続けた。


(あーやっぱりいい音だなー)

「……さくら」

(ずっと弾き続けてたいなー)

「さくら。やめなさいさくら。やめなさい!」


 美しい音色に浸っていたさくらは母の諫めるような怒りを含んだ声で我に返った。

 目の前を見れば母がこの上なく気分の悪そうな目でさくらを見ていた。


「え、どうしたのお母さま」

「それはこちらのセリフです。あなたの耳は腐っているのですか」


 母が何を言っているのかわからないさくらはつい両耳を触ってしまう。特に変わっている様子はない。


「……綺麗だったでしょお母さま?」

「どこが? こんな黒板を爪で引っ掻いたような気持ち悪い音をあなたは綺麗だと言うのですか」


 母の例えはよくわかるものだ。さくらもあんな音、トラウマレベルで嫌だ。

 だが音色はそんなものではない。


「ああもう。時間の無駄です。その琴はどこかに置いておきなさい。誰かが処分します」


 さくらの引き止める声もむなしく更に気を悪くした母は部屋を出ていってしまった。

 後にはわけがわからないさくらと古びた琴だけが残された。

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