帰ってきたよ
次にさくらが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。仰向けに寝ていたさくらが最初に見たものは白い天井と見慣れた母の顔。
「お、母さま?」
さくらが小さく詩織に声をかける。するといままで心配そうに覗き込んでいた詩織がはっとさくらと目を合わし、その大きな瞳に涙を溜め、脇目も降らずに泣き崩れた。
「さくら、さくら! 良かった。無事で良かった。あなたが本当にいなくなったら私は……」
礼節を重んじる母がここまで泣き崩れるところを見たことがなかったさくらは寝起き早々驚きに目を見開いた。
その後気づく。自分は拉致された後すぐに気絶し、病院に送られたことを。
その間、詩織はずっと娘の生死を見ることしかできなかったことを。
「ごめん。ごめんなさいお母さま。心配かけてごめんなさい」
一年前もそうだ。さくらは詩織に心配ばかりかけている。
妖精の世界へ行きたいと言った時も、今も、詩織はただたださくらの無事を祈ることしかできない。
さくらは怠い体を上半身だけ起き上がらせベッドに突っ伏す母の背中に左手を置く。
「お母さま。私、帰ってきたよ。いっぱい怖いことされたけど、ちゃんと生きて帰ってきたよ。ねえ、お母さま……怖かったよ。怖かった……っ!」
さくらの脳内で昨晩のことがフラッシュバックする。
初めてだった。大人の男に殴られたことも、勝手に髪を切られたことも、全部初めてで、さくらのトラウマになった。
「怖かったよ……怖かったよぉ……」
「さくら。もう大丈夫。ここにはもう怖いものはない。大丈夫。大丈夫よ」
幼子のように泣きじゃくるさくらに詩織は自分も涙を流したまま娘の小さな体を抱きしめる。そしてその震えている背中を優しく撫でる。
「もう、怖がらなくていいから。私の可愛いさくら」
さくらはしばらくの間、安心できる母の胸の中で、声を上げて泣いた。
「さて、相澤君は何だか上手くいきそうだし、心配はいらないな。それにしても撫子があんなに積極的だとは思わなかったんだけど」
「だって彼、あんな危険な場所なのに身を呈して助けに行くほどさくらのことが好きだってことでしょ。それくらいの度胸があるなら私も協力せざるをえないわ」
今までさくらに言い寄る男は存在したが、それ全て撫子が一刀両断してきた。その関門をくぐり抜けるとは、昨夜も中々強者だ。
(まあ彼もさくらと色々あったみたいだし大丈夫かな。それより今は)
「何か話す気になったか?」
二人が扉を開けた先は稽古場となっていた。そこの真ん中に椅子が設置されており、制服を着た男子が座って項垂れている。
「話す気はあまりない、と」
「どうする? 無理矢理吐かせるならやるけど」
「もうちょっと平和に解決しようぜ」
撫子の物騒な言いように流石の隆二も苦笑を浮かべて首を振る。
「えっと、柴崎碧君だっけ? 調べたところ、君別にあの男達と仲間関係にはなかったみたいだね。と、するとなんで協力してたのかな。大体予想はつくけど」
「……お前らには関係ない。殴るなり切るなりするがいい」
「あらそう? じゃあ遠慮なく」
碧の言い回しに青筋を立てた撫子はすぐさま刀で切りかかろうとする。慌てて隆二が止める。
「撫子! 頼むからちょっと大人しくしてくれ」
「何言ってるの。こいつはさくらを連れ去った張本人よ。そんな奴に慈悲をやってどうするの」
怒りを露わにする撫子を宥めた後、隆二は碧に向かい合って薄ら笑いを浮かべる。
「君があの男達と束になってさくらを傷つけたのって、君が何かで脅されてたからでしょ。例えばそう、妹を人質に取られたりとか」
「──っ」
隆二の言葉に立ち上がろうとする碧だが、後ろ手に縛られた縄がそれを許さない。
「ちゃんと調べてあるよ。でもできれば君の口から色々説明してほしいんだ」
「……言えない」
「言ったら妹さんが傷つくから?」
隆二が妹と口にする度に碧の顔色が悪くなっていく。
「言ったらどうなるの? 妹さんの居場所は知られてるのかい? それにまだあれ以外にも人が」
「妹は関係ない!」
顔色を悪くしながら碧が隆二の言葉を遮るように叫ぶ。
「妹は……あいつは普通に生きていれば良かった。俺があいつらに逆らわなければ妹に危害が及ぶことがなかった」
碧の言葉から段々覇気がなくなっていく。
「妹は人質に取られてることを知らない。でも、あいつらは俺が昨日しくじったことを知ってる。俺にミスは許されない。妹が、早くしないと妹があいつらに」
「……君があの集団に出会ったきっかけを教えてくれるかい? ただの人間の弱みを握ったくらいで協力を仰いでくるかな」
隆二の質問にしばし沈黙していた碧だが、小さく口を開く。
「俺があいつらに会ったのは三月。ここに引っ越してきた日だった。両親は俺達が小学生の時に離婚して、子どもはそれぞれ引き取られていった。だが一年前、親父が転勤でこの街に引っ越すことになった。ここには母親と妹もいる。だからお互い接触禁止を言い渡されたままではあるが、同じ街に住むことになった」
「まあここまでは珍しいことでもないな」
「……俺は、妹がこの街にいることが嬉しかった。妹にまた会えるかもしれないと思って、あいつが通っている学校に入学することに決めた。だが、入学式前日になって、あいつらは俺の目の前に現れた」
碧が一人で夜道を歩いていた時、あの男達が突然目の前に来て言った。
『君、あの高校に行くんだって? それなら一個頼まれてくれないかな』
『なんだあんたら。警察を……』
『ああダメダメ。僕達のことは秘密にしなきゃ駄目だよ。でないと君の妹さんが危ない目に遭うからね』
『は? なんであいつが』
『可愛い子だね、君の妹さん。これなら人身売買に出しても文句はない』
人身売買ということばが出た瞬間、碧の顔から血の気が引く。
『なんだそれ。おい、妹に何する気だよ』
『やだなー。まだ何もしないよ。君の返答次第だってば』
碧は男の顔を悔しそうに睨んだ後、小さく口を開く。
『俺は、何をすればいい』
碧の言葉に男は満面の笑みを向ける。
『簡単だよ。君と同級生の神海さくらっていう子を連れてきて。もちろん君一人で。手段は問わないからさ。その間、絶対警察に行ったり妹さんに近づいたらダメだよ。もし約束を破ったら妹さんに身代わりになってもらうからね』
男はそのまま呆然としている碧を置いて帰っていった。
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