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狭間の塔  作者: 春秋 一五
一階「武器庫と門番」
7/10

牧田 司の、はじまりⅡ


 ずっと、自分は主人公だと思っていた。


 失敗しても、いつかは綺麗に成功するのだと。


 努力すれば、必ず報われるのだと思っていた。


 ……もう、随分と昔の話だ。


「それで、そん時鎌田がなーー」


 くだらない、つまらない話を聞き流しながら、ふといつかを思い出していた。もうはっきりとは思い出せない、きっと夢も希望もあった頃の記憶だ。


 費やした時間は未来のため、流した汗は夢のため。


 そんな夢想をして、泥だらけになっていた。


 それが自然だと思っていた、それが必要なものだと思っていた。


 結局全部、無駄になっただけだった。


「……なあ、聞いてんのか牧田」


 聞いていない。


 聞きたくもない。


 まだ何も諦めていない、諦めなくてもいいやつの話なんて。


「これ以上無視するなら、もういい。本題に入んぞ」


 狭い路地で刀磨が立ち止まる。後ろにいた俺は、止まらざるを得なくなった。


「……」


 ぶん殴ってでも、進みたい。


「牧田、聞いたぞお前ーー」


 蹴り倒してでも、聞きたくない。


「何で部活、辞めたんだ?」


 殺してでも、こいつと話なんてしたくない。



   □ ■ □ ■ □



 天才高校球児、三試合連続完封試合。


 投打の活躍、相手校を圧倒。


 スカウトも脱帽、プロ入り確定か。


 夏の新聞に踊った、歯が浮きそうな賞賛。それは全部刀磨に向けられたものだった。


 世の中には天才って人種がいるものだ。


 俺が刀磨と他人であるならば、同じ学校のただの同級生であるならば、その程度の感情しか湧かなかったのだろう。


 それならばよかった。


 他人事で終われるなら、そんなに幸せなことはなかったのだ。


「小さい頃から一緒に頑張ってきたじゃねえか。何で何も相談してくれなかったんだよ?」


 いわゆる、幼馴染というやつ。


 俺と刀磨は、物心つく前からの知り合いだった。


 生まれた病院も、幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も同じ。もちろん野球を始めた時期も同じだ。


 そんなやつが天才と賞賛され、かたや俺は--。


「……お前には、わからないからだよ」


「何がだ?」


「平凡以下の人間の気持ちなんて、お前にはわからないからだよ」


 どれだけ努力しても、ダメだった。


 ある一点で成長は止まり、俺という人間は一つのゴールに達した。


 天才はそのゴールがない者のことだと、俺は思う。


 だから既に終わった、ゴールで止まった俺は、天才じゃない。


「……なんだよそれ。お前だってあんなに頑張ってたんだから、」


「二回だ」


「え?」


「「あんだけ」頑張った俺が、高校に入って試合に出た回数だよ」


 正しくは二打席、か。


 自分で思い出しても、腹が立ってくる。


「……」


「どけ、これ以上話すことはない」


 押しのけようと乱暴に刀磨の体を押す。しかし俺の力では十分な道を開けることができなかった。それが余計に、腹の虫を駆り立てる。


「どけって言って、」


「待て、牧田」


 黙っていた刀磨が俺の両肩を強く掴む。抵抗した関節がミシリと泣いた。


「俺と、勝負しよう」


 こいつはそんな小さな悲鳴なんて、聞いていやしないのだ。



   □ ■ □ ■ □



 刀磨が仕掛けた勝負はありきたりなものだった。


 刀磨がピッチャーで、俺がバッター。


 三打席の内、俺が一本でもヒットを打てれば俺の勝ち。逆なら刀磨の勝ち。


 俺が勝てば晴れて退部、負ければ残留。


 そんなドラマのような、くだらない勝負。


 ちなみに結果は--、


「俺の勝ちだな、牧田」


 最初から、わかっていた通りだ。


 ……刀磨の球が打てるなら、そもそも退部なんてしない。


 前提条件を間違えているのだから勝負として成立していないのだ。呑んでしまった少し前の自分に腹が立つ。それでこいつから逃げられるならと、舞い上がっていた自分に苛立つ。


 しかしそれよりも、何よりも、


「これでわかったろ、牧田。お前はまだ努力できるんだよ」


 他人の話も聞かず、自分の偽善と自己満足を勝手に正義に変換するこのバカを、俺は許せない。


「……」


 かすりも、しなかった。


 努力だけはしてきた。隣の天才に追いつこうと、他の全てを犠牲にしてでもバットを振り続けてきた。


 その結果が、これ。


 これから先、血反吐も出なくなるまで努力すればいつかは勝てるのかもしれない。でもそれだけの価値を、それをするだけの意味を、俺は見いだせるのだろうか。


 もう諦めてしまっている、悔しくもない俺に。


「明日からまた、練習こいよ。俺は待ってるからな」


 刀磨は俺の肩を叩き、球拾いを始める。こいつの中ではこの話はもう終わっているのだろう。いつか語られる、サクセスストーリーの一つとして綴じられたのだろう。


 どこまでいっても刀磨は主人公で、俺はモブ。


 人生一つ費やしても、一ページ程度にしかならないただの脇役だ。


「……羨ましい」


 生まれた時に、天才だっただけのくせに。


「ん、何か言ったか?」


 ずっと、刀磨のことが嫌いだった。


 同じ練習でもすぐに上手くなる才能も、ちょっと鍛えれば大きくなる身体も、ちやほやされるところも、自分のことしか考えなくても上手くいくところも。


 でも、それ以上に。


「羨ましい」


 ずっと、入れ替わりたいと思っていた。


 要領の良い吸収力も、恵まれた体格も、誰からも好かれる性格も、そして根っからの主人公であることも。


 全部俺には、ないものだから。


「羨ましいって、何が、」


 ガギィィ


 バットを横に振り抜いたのは、ごく自然なことだった。芯で捉えられた体は、地面に伏す。


 どうってことはない、今まで何度も繰り返してきた動きなのだから。


 ただ球を打つか頭を打つか、それだけの違いだ。


 ガゴッ



 ガギッ


 殴る、殴る、叩きつける。


 何度も何度も、バットを振る。


 刀磨の呻き声が消えても、体が動かなくなっても、頭から赤色が流れ出しても。


 俺は何度も、刀磨を殺す。


「--最初から、こうすりゃよかったんだ」


 きっと俺は、満足しているのだろう。


 今まで刀磨に抱いていた様々な感情が、一振りごとに消えていく。陰鬱としていた心が、シンプルなものに変わっていく。


 そして最後に残ったのは、一つだけ。


「……羨ましい」


 結局はそれだけだった。


 努力すればなんでもできると思ってるやつに、努力しなくても成功する体はもったいない。


 なあ、だから、いいだろ?


「俺にその体、よこせよ」


 どうせ死んだんだから、な。


 バカみたいに晴れていた空が、泣き始めた。


 不気味で不吉で不躾なそれは、一人と一人を濡らす。


 どこかで子供の、笑い声が聞こえた気がした。

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