あの日の夢と白昼夢
ここが武器庫……?
エレベーターを降りた先は何もない、ある程度開けただけの空間。
もちろん武器もなければ、相変わらず照明さえ見当たらない。
ただ不自然に明るいだけの、白い部屋。
きっと常識ある人間なら、誰もこの部屋のことを武器庫とは呼称しないだろう。
「あ、あの、えっと、ちょ、ちょっとお待ちください」
スムーズに話していた八女の口調が、またたどたどしくなる。あれは仕事用の話し方ということだろう。
死神の言葉はいつも現実味がなく、演技くさい。
「み、みなさん、次へ、お、お進みください。もう間もなく、と、扉が、出ます」
八女が指した先は何もない、真っ白な壁。
しかしそう認識した瞬間、そこには扉ができていた。
……なんでもありか。
扉はあらゆる物理法則を無視し、初めからそこにあったかのように僕たちを待っている。常識をこれだけ無視されると言及する気にもなれない。全員が何も言わないまま、一人ずつ背の低い扉をくぐっていった。
開けられた扉の中からは、先の見えない闇が覗いている。
……死神が案内する場所、か。
これまで無機質な空間が連続していただけなので、想像もつかない。この扉の先も例に漏れずそうかもしれないし、入った瞬間地獄が待ちうけているのかもしれない。
前方から悲鳴が聞こえない以上、危険ではないんだろうけど……。
暗くて向こうが見えない分、歯がゆい不安は拭えない。
「それじゃ、先に行って来るね」
相変わらず最後尾の僕に椎名さんが微笑みかける。真中さんを背負い直した彼女は、一呼吸開けて闇へと踏み出した。
近くにあったはずの二つの背中は一瞬にして見えなくなる。
そして僕は、一人になった。
「あ、あの……、入らないの、ですか?」
いや、正確に言うなら頭数は二つ。
愛莉の姿をした僕と、包帯の死神。
一つしか扉のない密閉空間に、やはり零の姿はない。
……まあ、あまり関係ないか。
「行くよ。そのために来たんだから」
やっと諦めがついた。僕もようやく闇へと踏み出す。繋がっているはずの片足は、どれだけ目を凝らしても見えない。
それはまるで闇に喰われたような、視覚的に気色の悪い感覚。思わず目を瞑ってしまったけど、次を踏み出さない選択肢はない。
僕は目を瞑ったまま、全身を闇に委ねる。
……一体どんな場所なんだ?
足を置く地面はある。風通しもいいし、窮屈さもない。鼓膜は雑多な音に震えていた。瞼越しに見える眩しさは、闇に幽閉されていないことを証明している。
もしかして……、外か?
確かに室内へ続いているとは限らない。塔なのだから部屋だと思い込んでいたけど、作りによっては外に続くこともあるだろう。死神の武器庫が室内だとはどんな神話にも書かれていない。
……何にしろ、目を開ければそれで済む話か。
臆病な瞼を徐々に開く。
「……ここは」
僕の眼前に広がっていたのは見知った景色。
もちろん闇の中でもなければ、これまでのような無機質な部屋でもない。
吹き抜けた冷たい風、規則的な電子音、真っ直ぐ伸びた二つの「線路」。
見間違えるはずもない、毎日通っていたのだから。
「高ノ宮……、駅」
扉の先にあったのは、学校から最寄りの駅。
愛莉が殺された、まさにその場所だ。
○ ● ○ ● ○
愛莉が殺された場所に、愛莉の身体で立っている。
なるほどこれは悪趣味な話だ。
……他の六人は?
辺りを見渡すけど、直前に入ったはずの椎名さんさえ見当たらない。代わりに電車を待つ人々が数人いるだけだ。
この風景が現在のものなのか、再現なのかはわからないけど。
つまり、そういうことだろう。
「思い出、未練、因縁、ね……」
ここには全てが含まれている。だから僕はこの場所に辿り着いた。
入り口は同じだけれど、行く先は違う。
きっと他の六人も、それぞれの思い出に導かれているはずだ。
「……早く離れよう」
久しぶりに来たような気がするけれど、懐かしさより気持ち悪さが勝った。一刻も早く武器とやらを回収し、駅から離れたい。
誰だって自分の大切な人が殺された場所で、くつろぎたくなんてないだろう。
「あれ……?」
もう一度首を動かそうとしたが、動かない。それどころか身体が一切いうことを聞かなくなった。腕が勝手に伸びて、長いツインテールに触れる。瞬きや呼吸さえ、僕の意識を無視して行われた。
「優君は買い物、行ったのかなぁ……」
勝手に動いた口が言葉を紡ぐ。この言葉はもちろん僕のものではない。
となると、愛莉の声で発されたこの言葉は、
「あーあ、行きたかったなー」
もしかして、愛莉の言葉なのだろうか。
世界中で僕のことを優君と呼ぶのは愛莉しかいない。間延びした話し方も間違いなく彼女の物だ。それだけで十分証明は完了する。
それに……、この言葉の内容。
ほとんど毎日一緒に行動していた愛莉が、着いて行かなかった買い物。
……なるほど、愛莉が一人の時点で察しはついていたけれど。
ここは、「あの日」の高ノ宮駅か。
僕が愛莉と安易に別れてしまった「あの日」。
つまりこの後、愛莉は。
「―――」
声を出そうとしても口は開かない。
駅から離れようとしても体が動かない。
指と目は勝手に動き、見たくもないスマートフォンの画面を見ていることしかできなかった。
……これが八女の言っていた、未練と因縁か。
僕はここで殺されるのを、愛莉が殺されるのを黙って待つことしかできない。
電車が近づいてくる音が聞こえる。
駅で静かに立っていた人々が俄かに動き始めた。
カチャ
丁度、その時。
注意していなければ聞こえないほどの些細な音が背後で聞こえた。
ああ、もしかしてこれが――。
「―――」
愛莉に伝えようとしても、やはり身体は動かない。
手遅れなのはわかっている。これは現実じゃない。だけど抵抗せずにはいられなかった。
どうせ僕には、何もできないのに。
カチャ
再び小さな音が聞こえる。愛莉はその微かな違和感を気にも留めていない。振り返ることもなければ、疑問に思う素振りさえもなかった。
当たり前……か。
一度でも後ろを振り返ればと思う。
一歩でも身体を横にずらせばと、思う。
でもそんなのは結末を知っている者の勝手。傍観者の野次に過ぎない。
いくら観客が「振り返れ」と叫んだって、役者は役を演じ切るだけだ。
「――ッハァ、ハァハァ」
後方から只ならぬ息遣いを感じる。周りにいた人々が騒ぎ始めた。
それでも愛莉は振り返らない。
…………?
駅で他人が騒いでいても気に留めないかもしれない。
ただ、それにしても、これは。
「――」
僕が動揺していることなんて知るはずもない愛莉が、空を仰ぐ。その口が何かの言葉を紡ぐように動いた。
言葉は声にならない。
しかし身体を共有している、僕にはわかる。
ご、め、ん、ね。
たったその四文字を模った口は、微笑むように歪んだ。
背後で爆発音が聞こえる。
そして意識は、ぷっつりと途絶えた。
○ ● ○ ● ○
「おはよう、長峰 愛莉」
目が覚めると、目の前には金髪碧眼の僕がいた。
「それとも、今死んだばかりだったかな?」
……いやな目覚めだ。
舌打ちをしながら体を起こす。辺りを見渡すとすぐに赤いカーペットが目についた。
扉をくぐったらすぐに気を失っていた。
僕の身に起こった現象は、文字にするとそんなものなのだろう。
「……他の人は?」
「まだ寝ているよ」
おめでとう。
「珍しく、君が一番早起きだ」
零はいちいち鼻につく言い方をする。気にするだけ無駄だ、今は頭を整理する時間が欲しい。スカートを履いていることも気にせず、その場に胡坐をかく。
部屋の中では、六人が円を描くようにして横たわっていた。扉に入っただけではこんな形にならない、というのは野暮だろう。
あんなものを見せられたんだ。
今更常識を盾にするほうが狂っている。
「……」
他にも気になる事はあった。
他の七人は何を見せられているのか。
武器とはなんだったのか。
そして、僕はこれからどうすればいいのか。
「……まあ、いっか」
でも今はとりあえず、身体が無事ならそれでいいだろう。
「僕」の現状はとりあえず理解した、ことにして。
今は他に考えるべきことがある。
「愛莉……」
周りがどれだけ騒いでも、愛莉は微動だにしなかった。
そして声にもせず呟いた、あの言葉。
ご、め、ん、ね。
愛莉があれを、何か意図をもって行ったとしたら?
可能性はいくらでも思いつく。でも全部憶測止まりだ。当然だろう。彼女が死ぬ前に「ごめんね」と呟いた理由、そんなものが分かる人は人じゃない。
僕は今、考えることさえできないのか。
ピースが、あまりにも情報がなさすぎる。
「……」
こんなところで意地を張っているわけにもいかない、か。
「今見せられたのは、本当のこと?」
トリックがわからなかったのなら、仕掛けた本人に聞けばいい。零の言葉は癪に障るけど、もう今更だ。
死神がやることなんて、死神にしかわからないのだから。
「さあね。ここを取り仕切っているのは八女だ。僕にはわからないよ」
……やはり癪に障る。
しかも今回に関しては答さえ返ってこなかった。ただ気分が悪くなっただけである。
「……八女はどこ?」
「ここにはいないよ」
そんなことはわかっている。ただまあ、そういうことなのだろう。
この階には僕の知る限り、二つしか部屋がない。
もう一度扉をくぐれば、僕は一つの答を得ることができる。
「先に行くかい? 僕は止めないよ」
零が顎で壁の一方をさす。そこにはシンプルなデザインの扉が佇んでいた。
「……いや、みんなを待つよ。何があるかわからないし」
一体感なんて欠片もない七人でも、一人で行動するよりマシだ。それに僕は急いでいるわけじゃない。
愛莉が死んだのは、過ぎ去った事実。
過去の真相を知ることは、必要だが急務ではない。
「それに、少し疲れた」
気を失っている間が一番疲れた。エレベーター内での一件もあって、身体には湿ったような疲れがまとわりついている。みんなまだ起きていないし、休める時に休んだ方がいいだろう。
固い床に、もう一度横になる。
人を眠らせるにしては、決していい環境じゃない。
「八女に伝えておくよ。床はクッションフロアにしといて、って」
……いらないとことで気の利く死神だ。
言葉を口にするのも億劫だ。とても眠い。目を瞑るだけで沈んでいきそうな、そんな感覚。何もかもがどうでもよくなるほどの、強い眠気。
「おやすみ、長峰 愛莉。一つだけいいことを教えてあげるよ」
抵抗していても仕方ない、だから僕は目を瞑る。
「果報は寝て待て、良い言葉だよね」
零の言葉の意味も、この眠気の意味も深く考えずに。
○ ● ○ ● ○
また夢を見ていた。
見たことない景色、見覚えのない人。
僕は僕の身体で、誰かとどこかで走っていた。
……今度は本当に、夢なのだろうか?
意味不明な状況の夢を見る。そんなことよくある話、寧ろ夢とはそういうものであるべきだ。だから僕は安心して夢の世界に浸る。
「なあ! 本当に、本当にこれでよかったのか!」
隣を走っていた男が叫ぶ。僕は黙ってそれに頷いた。僕の意志ではなかったけれど、夢の中ではあまり関係のないことなのだろう。
僕は男と二人で角を曲がる。そこには血に塗れた女が立っていた。薄暗闇の中で、彼女は不気味な笑みを浮かべている。
「待ってたわ……。待ってたわよ、優ちゃん?」
気味の悪い動作で女が振り返る。僕の名前を呼んだその口で、彼女は指に付いた血を舐めとった。その姿は「死神」という言葉を連想させる。零よりもよほど、それらしい。
「……」
意識外の僕は、黙って彼女の前に立つ。
そして右手に持ったものを、彼女へと向けた。
…………これは。
「それは、何?」
何で僕が、よりによって僕がそんなものを持っているのか。気味の悪い女が首を傾げたことに、激しく同意する。
「……ごめんなさい、美涙さん」
でも僕は、それと彼女を真っ直ぐ見つめていた。
そして、
僕は。
「――ちゃん! 愛莉ちゃん!」
叫びに近い呼び声。強制的に夢から覚める。無理に大きい声を出したからだろう、彼女は噎せていた。
「……すみません、椎名さん」
頭がぼーっとしていて、うまく状況を掴めない。ただ迷惑をかけたのだということはわかった。呆けている僕を見て、赤髪の彼女はほっと胸を撫で下ろす。
「ううん、大丈夫。愛莉ちゃんだけずっと起きなかったから心配しちゃって……」
どうやら全員目が覚めたようだ。扉の方に目を向けると、卯月さんが扉をくぐろうとしている最中である。僕がここで目を覚まさなかったら、簡単において行かれていたのだろう。
……真中さんは?
彼女だけ別の理由で気を失っていた。目を「覚ませたか」心配だったが……、どうやら杞憂だったようである。首にうっすらと指の跡を残している彼女は、不機嫌そうな表情で壁際に立っていた。
その手に、ロープを持って。
「……それ、どうしたんですか?」
「あぁ?」
恐る恐る声をかけてみたのだが、気に障ったようだ。大人しい見た目に似つかわしくない剣幕で威嚇された。椎名さんの苦笑いが印象的である。
「それって、これのこと? 知らないわよ」
乱雑にロープを放りだした彼女は、その一端を持ちまた引き寄せる。
「でもこれが、武器ってことなんでしょ?」
必要か不必要かもわからないその動作は、猫を連想させた。
「ロープが……武器」
あまり自然ではない言葉の並びだ。武器という言葉を聞いてロープを一番に思い浮かべることはまずない。
凶器とかなら、まだしっくりくるんだけど。
「そ。あんたはなんだったの?」
「……僕ですか?」
「寝たんでしょ? 私はあんまり知らないけど」
寝たら、武器?
「――!」
そう言われて、気づいたことがある。
鳥肌が立った。自然すぎてそれまで気が付かなかったのだ。僕は目が覚めてから今まで、自分がそうしていることに一片の疑問も抱かなかった。
だって、それはそうだろう。
「それ? いいわね、強そうじゃん」
僕は夢の中で、ずっとそれを握りしめていたのだから。
○ ● ○ ● ○
扉をくぐる順番は、また最後だった。
……今回は怖気づいたからではない。
宛てのない言い訳を胸に、真中さんの後を行く。
「……そういえば」
八女に、聞かなければならないことがあったのだ。寝ぼけていたからか、あまりに驚いたからか、すっかり忘れてしまっていた。
死神と会話するのは億劫だけど、仕方ないか。
「っ、ごめんなさい!」
考え事をしていた僕は、真中さんが止まったことに気付かなかった。彼女の後頭部で鼻をしたたかに打つ。咄嗟に謝ったのは防衛本能なのだろう。
「……あれ?」
怒号が飛んでくるかと身構えたけど、真中さんは何も言わなかった。それどころか先に進んでいたはずの六人も黙り込んでいる。その異様な現在に、僕だけがおいて行かれていた。
一体何が起こって……?
「これは……、何」
真中さんの背中越しに見た光景は、惨状。
「ぅうあぁあ……」
無機質な床に広がる、真っ赤な模様。
横たわり唸り声を上げる、血塗れの死神。
そしてそれを踏みつけて立つ、ドレス姿の少女。
「何なのよ!」
「――――キャハッ」
真中さんの叫びに、少女の嬌声が重なる。
そして彼女は手に持っているものを、
血塗れた細身の剣を、こちらへと向けた。
「私は、アリス」
無邪気な笑みはどこまでも残酷に、可愛らしい声はどこまでも冷酷に。
「狭間の塔の、アリス」
ねーねー、おねーちゃんタチー。
「アリスと、あそぼーヨー!」
お伽噺の開演を、どうしようもなく告げるのであった。