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狭間の塔  作者: 春秋 一五
一階「武器庫と門番」
6/10

あの日の夢と白昼夢


 ここが武器庫……?

 

 エレベーターを降りた先は何もない、ある程度開けただけの空間。

 

 もちろん武器もなければ、相変わらず照明さえ見当たらない。


 ただ不自然に明るいだけの、白い部屋。


 きっと常識ある人間なら、誰もこの部屋のことを武器庫とは呼称しないだろう。


「あ、あの、えっと、ちょ、ちょっとお待ちください」


 スムーズに話していた八女(やめ)の口調が、またたどたどしくなる。あれは仕事用の話し方ということだろう。


 死神の言葉はいつも現実味がなく、演技くさい。


「み、みなさん、次へ、お、お進みください。もう間もなく、と、扉が、出ます」


 八女が指した先は何もない、真っ白な壁。


 しかしそう認識した瞬間、そこには扉ができていた。


 ……なんでもありか。


 扉はあらゆる物理法則を無視し、初めからそこにあったかのように僕たちを待っている。常識をこれだけ無視されると言及する気にもなれない。全員が何も言わないまま、一人ずつ背の低い扉をくぐっていった。


 開けられた扉の中からは、先の見えない闇が覗いている。


 ……死神が案内する場所、か。


 これまで無機質な空間が連続していただけなので、想像もつかない。この扉の先も例に漏れずそうかもしれないし、入った瞬間地獄が待ちうけているのかもしれない。


 前方から悲鳴が聞こえない以上、危険ではないんだろうけど……。


 暗くて向こうが見えない分、歯がゆい不安は拭えない。


「それじゃ、先に行って来るね」


 相変わらず最後尾の僕に椎名さんが微笑みかける。真中さんを背負い直した彼女は、一呼吸開けて闇へと踏み出した。


 近くにあったはずの二つの背中は一瞬にして見えなくなる。


 そして僕は、一人になった。


「あ、あの……、入らないの、ですか?」


 いや、正確に言うなら頭数は二つ。


 愛莉の姿をした僕と、包帯の死神。


 一つしか扉のない密閉空間に、やはり零の姿はない。


 ……まあ、あまり関係ないか。


「行くよ。そのために来たんだから」


 やっと諦めがついた。僕もようやく闇へと踏み出す。繋がっているはずの片足は、どれだけ目を凝らしても見えない。


 それはまるで闇に喰われたような、視覚的に気色の悪い感覚。思わず目を瞑ってしまったけど、次を踏み出さない選択肢はない。

 

 僕は目を瞑ったまま、全身を闇に委ねる。

 

 ……一体どんな場所なんだ?

 

 足を置く地面はある。風通しもいいし、窮屈さもない。鼓膜は雑多な音に震えていた。瞼越しに見える眩しさは、闇に幽閉されていないことを証明している。

 

 もしかして……、外か?


 確かに室内へ続いているとは限らない。塔なのだから部屋だと思い込んでいたけど、作りによっては外に続くこともあるだろう。死神の武器庫が室内だとはどんな神話にも書かれていない。


 ……何にしろ、目を開ければそれで済む話か。


 臆病な瞼を徐々に開く。


「……ここは」


 僕の眼前に広がっていたのは見知った景色。


 もちろん闇の中でもなければ、これまでのような無機質な部屋でもない。


 吹き抜けた冷たい風、規則的な電子音、真っ直ぐ伸びた二つの「線路」。


 見間違えるはずもない、毎日通っていたのだから。


「高ノ宮……、駅」


 扉の先にあったのは、学校から最寄りの駅。


 愛莉が殺された、まさにその場所だ。



   ○ ● ○ ● ○




 愛莉が殺された場所に、愛莉の身体で立っている。


 なるほどこれは悪趣味な話だ。


 ……他の六人は?


 辺りを見渡すけど、直前に入ったはずの椎名さんさえ見当たらない。代わりに電車を待つ人々が数人いるだけだ。


 この風景が現在のものなのか、再現なのかはわからないけど。


 つまり、そういうことだろう。


「思い出、未練、因縁、ね……」


 ここには全てが含まれている。だから僕はこの場所に辿り着いた。


 入り口は同じだけれど、行く先は違う。


 きっと他の六人も、それぞれの思い出に導かれているはずだ。


「……早く離れよう」


 久しぶりに来たような気がするけれど、懐かしさより気持ち悪さが勝った。一刻も早く武器とやらを回収し、駅から離れたい。


 誰だって自分の大切な人が殺された場所で、くつろぎたくなんてないだろう。


「あれ……?」


 もう一度首を動かそうとしたが、動かない。それどころか身体が一切いうことを聞かなくなった。腕が勝手に伸びて、長いツインテールに触れる。瞬きや呼吸さえ、僕の意識を無視して行われた。


「優君は買い物、行ったのかなぁ……」


 勝手に動いた口が言葉を紡ぐ。この言葉はもちろん僕のものではない。


 となると、愛莉の声で発されたこの言葉は、


「あーあ、行きたかったなー」


 もしかして、愛莉の言葉なのだろうか。


 世界中で僕のことを優君と呼ぶのは愛莉しかいない。間延びした話し方も間違いなく彼女の物だ。それだけで十分証明は完了する。


 それに……、この言葉の内容。


 ほとんど毎日一緒に行動していた愛莉が、着いて行かなかった買い物。


 ……なるほど、愛莉が一人の時点で察しはついていたけれど。


 ここは、「あの日」の高ノ宮駅か。


 僕が愛莉と安易に別れてしまった「あの日」。


 つまりこの後、愛莉は。


「―――」


 声を出そうとしても口は開かない。


 駅から離れようとしても体が動かない。


 指と目は勝手に動き、見たくもないスマートフォンの画面を見ていることしかできなかった。


 ……これが八女の言っていた、未練と因縁か。


 僕はここで殺されるのを、愛莉が殺されるのを黙って待つことしかできない。


 電車が近づいてくる音が聞こえる。


 駅で静かに立っていた人々が俄かに動き始めた。


 カチャ


 丁度、その時。


 注意していなければ聞こえないほどの些細な音が背後で聞こえた。


 ああ、もしかしてこれが――。


「―――」


 愛莉に伝えようとしても、やはり身体は動かない。


 手遅れなのはわかっている。これは現実じゃない。だけど抵抗せずにはいられなかった。


 どうせ僕には、何もできないのに。


 カチャ


 再び小さな音が聞こえる。愛莉はその微かな違和感を気にも留めていない。振り返ることもなければ、疑問に思う素振りさえもなかった。


 当たり前……か。


 一度でも後ろを振り返ればと思う。


 一歩でも身体を横にずらせばと、思う。


 でもそんなのは結末を知っている者の勝手。傍観者の野次に過ぎない。


 いくら観客が「振り返れ」と叫んだって、役者は役を演じ切るだけだ。


「――ッハァ、ハァハァ」


 後方から只ならぬ息遣いを感じる。周りにいた人々が騒ぎ始めた。


 それでも愛莉は振り返らない。


 …………?


 駅で他人が騒いでいても気に留めないかもしれない。


 ただ、それにしても、これは。


「――」


 僕が動揺していることなんて知るはずもない愛莉が、空を仰ぐ。その口が何かの言葉を紡ぐように動いた。


 言葉は声にならない。


 しかし身体を共有している、僕にはわかる。


 ご、め、ん、ね。


 たったその四文字を模った口は、微笑むように歪んだ。


 背後で爆発音が聞こえる。


 そして意識は、ぷっつりと途絶えた。



   ○ ● ○ ● ○



「おはよう、長峰 愛莉」


 目が覚めると、目の前には金髪碧眼の僕がいた。


「それとも、今死んだばかりだったかな?」


 ……いやな目覚めだ。


 舌打ちをしながら体を起こす。辺りを見渡すとすぐに赤いカーペットが目についた。


 扉をくぐったらすぐに気を失っていた。


 僕の身に起こった現象は、文字にするとそんなものなのだろう。


「……他の人は?」


「まだ寝ているよ」


 おめでとう。


「珍しく、君が一番早起きだ」


 零はいちいち鼻につく言い方をする。気にするだけ無駄だ、今は頭を整理する時間が欲しい。スカートを履いていることも気にせず、その場に胡坐をかく。


 部屋の中では、六人が円を描くようにして横たわっていた。扉に入っただけではこんな形にならない、というのは野暮だろう。


 あんなものを見せられたんだ。


 今更常識を盾にするほうが狂っている。


「……」


 他にも気になる事はあった。


 他の七人は何を見せられているのか。


 武器とはなんだったのか。


 そして、僕はこれからどうすればいいのか。


「……まあ、いっか」


 でも今はとりあえず、身体が無事ならそれでいいだろう。


 「僕」の現状はとりあえず理解した、ことにして。


 今は他に考えるべきことがある。


「愛莉……」


 周りがどれだけ騒いでも、愛莉は微動だにしなかった。


 そして声にもせず呟いた、あの言葉。


 ご、め、ん、ね。


 愛莉があれを、何か意図をもって行ったとしたら?


 可能性はいくらでも思いつく。でも全部憶測止まりだ。当然だろう。彼女が死ぬ前に「ごめんね」と呟いた理由、そんなものが分かる人は人じゃない。


 僕は今、考えることさえできないのか。


 ピースが、あまりにも情報がなさすぎる。


「……」


 こんなところで意地を張っているわけにもいかない、か。


「今見せられたのは、本当のこと?」


 トリックがわからなかったのなら、仕掛けた本人に聞けばいい。零の言葉は癪に障るけど、もう今更だ。


 死神がやることなんて、死神にしかわからないのだから。


「さあね。ここを取り仕切っているのは八女だ。僕にはわからないよ」


 ……やはり癪に障る。


 しかも今回に関しては答さえ返ってこなかった。ただ気分が悪くなっただけである。


「……八女はどこ?」


「ここにはいないよ」


 そんなことはわかっている。ただまあ、そういうことなのだろう。


 この階には僕の知る限り、二つしか部屋がない。


 もう一度扉をくぐれば、僕は一つの答を得ることができる。


「先に行くかい? 僕は止めないよ」


 零が顎で壁の一方をさす。そこにはシンプルなデザインの扉が佇んでいた。


「……いや、みんなを待つよ。何があるかわからないし」


 一体感なんて欠片もない七人でも、一人で行動するよりマシだ。それに僕は急いでいるわけじゃない。


 愛莉が死んだのは、過ぎ去った事実。


 過去の真相を知ることは、必要だが急務ではない。


「それに、少し疲れた」


 気を失っている間が一番疲れた。エレベーター内での一件もあって、身体には湿ったような疲れがまとわりついている。みんなまだ起きていないし、休める時に休んだ方がいいだろう。


 固い床に、もう一度横になる。


 人を眠らせるにしては、決していい環境じゃない。


「八女に伝えておくよ。床はクッションフロアにしといて、って」


 ……いらないとことで気の利く死神だ。


 言葉を口にするのも億劫だ。とても眠い。目を瞑るだけで沈んでいきそうな、そんな感覚。何もかもがどうでもよくなるほどの、強い眠気。


「おやすみ、長峰 愛莉。一つだけいいことを教えてあげるよ」


 抵抗していても仕方ない、だから僕は目を瞑る。


「果報は寝て待て、良い言葉だよね」


 零の言葉の意味も、この眠気の意味も深く考えずに。



   ○ ● ○ ● ○



 また夢を見ていた。


 見たことない景色、見覚えのない人。


 僕は僕の身体で、誰かとどこかで走っていた。


 ……今度は本当に、夢なのだろうか?


 意味不明な状況の夢を見る。そんなことよくある話、寧ろ夢とはそういうものであるべきだ。だから僕は安心して夢の世界に浸る。


「なあ! 本当に、本当にこれでよかったのか!」


 隣を走っていた男が叫ぶ。僕は黙ってそれに頷いた。僕の意志ではなかったけれど、夢の中ではあまり関係のないことなのだろう。


 僕は男と二人で角を曲がる。そこには血に塗れた女が立っていた。薄暗闇の中で、彼女は不気味な笑みを浮かべている。


「待ってたわ……。待ってたわよ、優ちゃん?」


 気味の悪い動作で女が振り返る。僕の名前を呼んだその口で、彼女は指に付いた血を舐めとった。その姿は「死神」という言葉を連想させる。零よりもよほど、それらしい。


「……」


 意識外の僕は、黙って彼女の前に立つ。


 そして右手に持ったものを、彼女へと向けた。


 …………これは。


「それは、何?」


 何で僕が、よりによって僕がそんなものを持っているのか。気味の悪い女が首を傾げたことに、激しく同意する。


「……ごめんなさい、美涙(みなみ)さん」


 でも僕は、それと彼女を真っ直ぐ見つめていた。


 そして、


 僕は。


「――ちゃん! 愛莉ちゃん!」


 叫びに近い呼び声。強制的に夢から覚める。無理に大きい声を出したからだろう、彼女は噎せていた。


「……すみません、椎名さん」


 頭がぼーっとしていて、うまく状況を掴めない。ただ迷惑をかけたのだということはわかった。呆けている僕を見て、赤髪の彼女はほっと胸を撫で下ろす。


「ううん、大丈夫。愛莉ちゃんだけずっと起きなかったから心配しちゃって……」


 どうやら全員目が覚めたようだ。扉の方に目を向けると、卯月さんが扉をくぐろうとしている最中である。僕がここで目を覚まさなかったら、簡単において行かれていたのだろう。


 ……真中さんは?


 彼女だけ別の理由で気を失っていた。目を「覚ませたか」心配だったが……、どうやら杞憂だったようである。首にうっすらと指の跡を残している彼女は、不機嫌そうな表情で壁際に立っていた。


 その手に、ロープを持って。


「……それ、どうしたんですか?」


「あぁ?」


 恐る恐る声をかけてみたのだが、気に障ったようだ。大人しい見た目に似つかわしくない剣幕で威嚇された。椎名さんの苦笑いが印象的である。


「それって、これのこと? 知らないわよ」


 乱雑にロープを放りだした彼女は、その一端を持ちまた引き寄せる。


「でもこれが、武器ってことなんでしょ?」


 必要か不必要かもわからないその動作は、猫を連想させた。


「ロープが……武器」


 あまり自然ではない言葉の並びだ。武器という言葉を聞いてロープを一番に思い浮かべることはまずない。


 凶器とかなら、まだしっくりくるんだけど。


「そ。あんたはなんだったの?」


「……僕ですか?」


「寝たんでしょ? 私はあんまり知らないけど」


 寝たら、武器?


「――!」


 そう言われて、気づいたことがある。


 鳥肌が立った。自然すぎてそれまで気が付かなかったのだ。僕は目が覚めてから今まで、自分がそうしていることに一片の疑問も抱かなかった。


 だって、それはそうだろう。


「それ? いいわね、強そうじゃん」


 僕は夢の中で、ずっとそれを握りしめていたのだから。



   ○ ● ○ ● ○



 扉をくぐる順番は、また最後だった。


 ……今回は怖気づいたからではない。


 宛てのない言い訳を胸に、真中さんの後を行く。


「……そういえば」


 八女に、聞かなければならないことがあったのだ。寝ぼけていたからか、あまりに驚いたからか、すっかり忘れてしまっていた。


 死神と会話するのは億劫だけど、仕方ないか。


「っ、ごめんなさい!」


 考え事をしていた僕は、真中さんが止まったことに気付かなかった。彼女の後頭部で鼻をしたたかに打つ。咄嗟に謝ったのは防衛本能なのだろう。


「……あれ?」


 怒号が飛んでくるかと身構えたけど、真中さんは何も言わなかった。それどころか先に進んでいたはずの六人も黙り込んでいる。その異様な現在に、僕だけがおいて行かれていた。


 一体何が起こって……?


「これは……、何」


 真中さんの背中越しに見た光景は、惨状。


「ぅうあぁあ……」


 無機質な床に広がる、真っ赤な模様。


 横たわり唸り声を上げる、血塗れの死神。


 そしてそれを踏みつけて立つ、ドレス姿の少女。


「何なのよ!」


「――――キャハッ」


 真中さんの叫びに、少女の嬌声が重なる。


 そして彼女は手に持っているものを、


 血塗れた細身の剣を、こちらへと向けた。


「私は、アリス」


 無邪気な笑みはどこまでも残酷に、可愛らしい声はどこまでも冷酷に。


「狭間の塔の、アリス」


 ねーねー、おねーちゃんタチー。


「アリスと、あそぼーヨー!」


 お伽噺の開演を、どうしようもなく告げるのであった。


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