集まりし勇者と愚者
「卯月。卯月 光弥だ」
オタク風の男性は腕を組んだまま呟いた。
「私は安東 雪姫です」
若い女性は柔和な笑みを浮かべる。
「……牧田 司」
青年は面倒そうに吐き捨てた。
「真綾よ。真中 真綾」
女子高生は黒い毛先を弄んでいる。
「諏訪 美奈子。こんな見た目だけど二児の母なのよ」
中年男性はため息交じりに笑う。
「椎名 陽香です。兄の身体なんですけど、ごめんなさい。ガラが悪くて……」
椎名さんはバツが悪そうだ。
「……長峰 愛莉、です」
そして僕は、未だに慣れていない。
零の案内に従ってエレベーターに乗った僕たちはとりあえず自己紹介をすることにした。密室で無言というのも空気が悪い。何も知らない僕たちにとって、これは必要な時間だ。
と、思ってはいるけど。
「……」
僕たちは一体、何を話せばいいのだろう。
自己紹介と言っても、この七人で青春の汗を流すわけではない。趣味やら得意科目やらを話しても有意義な時間にはならないだろう。自己紹介というものは時と場所に合わせた項目を選ぶ必要がある。
素性も、目的も、関係性も。
何もかもが不明なまま集められた七人が、共通して話す話題などない。
「君たち七人は別に何でもないよ。偶然同じ時に願っただけさ。仲良くしたいならすればいいし、殺し合ってくれても構わない。エレベーターにだけ一緒に乗ってくれればね」
僕の隣に座っていた零がどうでもよさそうに説明する。塔を登るためのエレベーターは一つしかないらしい。
だから全員一度に登りさえすれば、それでいいと。
全く不適格な答である。
「……塔って、狭間の塔って、どんなところ?」
「さあね? 僕も隅々まで知らないよ。各階の管理は別の死神に任せてるからね」
実は僕もどこに着くか、直前までわからないんだ。
「そっちの方が、楽しいだろう?」
誰もここを娯楽施設だとは思っていないだろうけど。
零は質問には応えてくれるが、それが必ずしも答だとは限らない。エレベーターに乗ってからというもの、何一つとして有益な情報を得られなかった。
はぐらかしてるのか、本気で答えてそれなのか。
死神の考えなんて、人間にはわからない。
「ま、まあ、この先がどうなってるかわからないですけど……。協力しないよりは、したほうが、いいんじゃないかな、って……」
意を結して提案した椎名さんだが、歯切れは悪い。恰好悪く見えるかもしれないけど、この雰囲気で協力を申し出れる椎名さんはやはりいい人で、勇気のある人だと思う。
最低でも僕だったら、無理。
僕は基本的に良い人じゃないし、小心者だ。
「そうねぇ。偶然同じ時っていうのも何かの縁だし、仲良くしましょうよ」
少しの沈黙の後同意したのは中年男性、諏訪さんだった。くたびれた背広に後退を始めた頭、ビールによって膨らんだお腹は絵に描いたような「おじさん」だ。
諏訪さんの言葉を信じるなら、彼は彼女なんだけど……。
こびりついた固定概念とは、厄介なものである。
「……そうだな。大勢でいる方が好都合なことも多いだろう」
オタク風の男性、卯月さんも頷いて見せる。青のチェックシャツを入れたジーンズ、曇った眼鏡はいかにもステレオタイプという感じだ。やや自堕落な体系と固い口調に深い溝がある。
「仲が悪いよりは、仲良くする方がいいですよね」
……少し変な言い回しだけど、同意か。
白いワンピースにカーディガン、ブーツまで白い安東さんは肌の色も白い。背中まで伸びる黒髪がよく映えている。日本美人という言葉がよく似合うその風貌は、とても儚げだ。
「ま、どーせ一緒にいなきゃなんないんだしね。仲間は多い方がいいっしょ」
そばかすが印象的な真中さんは大人しそうな見た目に反して口調が荒い。目にかかる前髪に丸い眼鏡、膝下まで伸びるセーラー服は言うなれば「委員長」だ。中身と外見の仲は悪そうである。
あと、名前にA音が多い。
「愛莉ちゃんは、賛成してくれる?」
勝手に傍観を決め込んでいたら、僕の番がきた。
否定する理由もないので頷く。
「ありがと。えっと、あとは……」
牧田 司君、であってるかな?
「できれば意見を、聞かせてほしいな」
「……」
やんわりと言葉をかけた椎名さんを、鋭い眼光が睨みつける。
190センチを越えそうな高身長、線は細いがしっかりとした四肢、第一ボタンの開いた学ラン。
「……仲間なんて、どうでもいいな」
鋭い犬歯が、ちらりと覗く。
「嫌いなんだよ、その言葉」
牧田 司。
発言も踏まえて、僕の苦手なタイプだ。
「そ、そっか。ごめんね、馴れ馴れしくしちゃって……」
椎名さんの見た目も随分と怖いが、気圧されてしまったようだ。言葉が妙にずれている。立ち上がって話していた彼女は、僕の隣におずおずと座った。
……気の毒だけど、ごめんなさい。
僕に牧田 司を叱れるほどの威圧感はない。ましてや今は愛莉の身体である。零の話ではないが、万が一があってはいけない。
一つの答でまとまりかけた僕たちは、再び黙り込んでしまう。当の犯人は悪くなった空気を気にする様子もない。腕を組み、イライラと右足を上下させている。スニーカーの擦れる音だけが密室の中でひび
「はぁ……」ん?
「空気読めないわね、陰気くさい。あんた絶対友達いなかったっしょ?」
荒い口調に、隠さない棘。
牧田 司を指差し嘲笑したのは、対面に立つ真中さんだ。
「あぁ?」
「何が「どうでもいいな」、よ。あんた厨二病なの? 一人がカッコいいと思ってるなんてだっさーい」
威圧されても全く怯む様子がない。寧ろ熱を増したようである。
「あんたが今どう思われてるか、わかってる?」
空気読めない根暗野郎、よ。
「カッコつける前に人間関係のお勉強でもしたら?」
……言っていることはわからなくもないけど。
いくらなんでも、挑発しすぎなのでは?
「……ってめぇ、くそ女」
「何よ? 私は本当のこと―」
一瞬の、出来事。
「黙らねぇとその身体、」
恵まれた体格と鍛え上げられた肉体が為した、一歩と一挙。
「ぶっ殺すぞ」
真中さんの身体は牧田 司の片腕によって、軽々と持ち上げられていた。
「っぁ、ぅぐっ、っぇぉ――!」
真中さんは必死の形相でもがき、叫んでいる。それは最早言葉ではなく命の漏れる音だった。健康的だった顔色が、徐々に熟れていく。
「な、なにやってるんですか!」
「おい、手を離せ!」
あまりの速さと驚きに動けなかった僕たちはようやく我を取り戻した。椎名さんと卯月さんが慌てて組みかかる。しかしそれでも、幹のような腕は細い首を離さない。
僕は鬼気迫るその光景を前に、何もすることができなかった。
我が身が可愛い、愛莉の身体を危険に晒したくない、僕には。
「……私たちは下がってましょ。女の子の身体に傷をつけちゃいけないわ」
硬直している僕の前に諏訪さんが手を広げてしゃがみ込む。いつの間にか安東さんも僕の隣に来ていた。代わりに零が視界から消えている。
……本当にこれで、いいのだろうか。
協力すると口では言っておきながら、他人を盾にして座っている。
そんな僕を見て、愛莉はどう思うだろう。
「この体があれば……。俺は、仲間なんてなぁ……」
……?
自問自答をしていた僕の耳に違和感のある言葉が届いた。紛れもなく牧田 司のものであるそれは、怒り以外の感情に震えている。彼が僕と同じ目的であるなら彼の言葉は妙な矛盾を抱えていた。
この体が、あれば?
「――お楽しみのところ、悪いけどね」
エレベーターに渦巻いた怒号、焦り、苦しみ、そして疑問。
全てを無視した零の声は、飄々としている。
「もうそろそろ一階に着くみたいだよ。早く済ませてもらえるかな?」
僕はどちらでも構わないからさ。
「ねぇ、牧田 司」
「…………チッ」
零は決して空気を読まない。しかし今回はそれが良い方向に働いたようだ。真中さんの身体がようやく重力に従って、落ちる。ぐったりした四肢は伸びきり、動かない。
「……息はある。一時的に意識が途切れたんだろう」
すぐに駆け寄った椎名さんと卯月さんが真中さんの生存を確認した。既に死んでいる僕たちに生存はおかしな話だが、ひとまず良かったと思う。
あまり感情的になれない僕でも、人が目の前で死ぬところなんて見たくない。
「血気盛んなのはいいことだけどね。あまり迷惑かけないでおくれよ?」
零が片目だけで牧田 司を馬鹿にする。再びエレベーター壁に背を預ける姿勢になった学ランは気に留めている様子も無かった。まるで何事もなかったかのように、目を瞑っている。
「話を戻そう。僕も仕事をしなきゃならない」
娯楽を楽しむためには面倒なことも必要だよ。
「一階は……、なるほど。ここに着くんだね」
どこからか黒いスマホを取り出した金髪の僕は何事か確認する。エレベーターがどこに着くのか、零も知らなかったようだ。少し前の話は本当だったらしい。
案内者として、これほど不安なことはないけれど。
「さて、ようやく着くのは君たちにとっての一階。運がいい方だとは思うよ。何しろここでは「準備ができる」からね」
その言いぶりだとまるで階層がはっきりと定まっていないみたいだ。エレベーターで昇るのだからそんなことは決してな……、いや、
本当に、定まっていないのか?
「ただしまあ、忘れ物のないように」
零の口角が吊り上る。同時に一定だったエレベーターの速度が緩まった。減速していくモノはいつか止まる。そのぐらいの常識はここでも通じるみたいだ。
七人を乗せた箱はやがて完全に動きを止め、その口を開く。
「失ったモノが必ずしも戻ってくるとは限らない、からね?」
零の言葉は不吉に、不敵に、不真面目に。
いつまでも僕の鼓膜を震わせていた。
○ ● ○ ● ○
僕たちを出迎えたのは人口の光、赤いカーペット、鮮やかな色彩の壁紙。
「あ、え、えっと……。ど、どうも、はじめ、まして」
名前は、八女。
「こ、この階を担当している、死神、です」
そしてあまりにも弱々しく痛々しい、包帯まみれの少女だった。
「やあ、八女。相変わらずだね」
「ぜ、零様……。お疲れさま、です」
誰もエレベーターを降りようとしていない僕たちをおいて零だけが一歩踏み出す。八女と名乗る死神は一瞬怯えたように見えた。まるで厳しい先生に出くわした一年生のようである。
……確かに零と八なら零の方が先だけど。
そんな単純な話だろうか。
「どうしたんだい? 降りないと始まらないよ」
僕の見た目をした零は、決して様呼ばわりされる器には見えないけれど。
「……そうだな。俺は降りよう」
やや間をおき、卯月さんが前へと進み出す。それに続いて一人、また一人とエレベーターを降りて行った。どこか他人事で後ろ姿たちを見守っていた僕は、いつの間にか最後の三人となり果てる。
「愛莉ちゃんは、どうするの?」
エレベーターに残っているのは僕と、気を遣った椎名さん。
そして気を失ったまま横たわる、真中さん。
「……行きます。行くしか、ありませんし」
答は最初から決まっている。得体の知れない恐怖が僕を縛り付けていただけだ。愛莉のことを想えば、こんな鎖すぐに解ける。何もないことは平和だが、無駄であることに疑いはない。
それにこの先に何があるかなんて、考えたところで仕方ない。
仕方ない時は、諦めればいいのだ。
椎名さんが真中さんを背負うのを手伝い、僕もエレベーターから出る。
すると扉はその時を待っていたかのように口を閉じた。
寸分狂わず閉じた二枚の扉は継ぎ目のない一枚の壁に見える。
「あの、えっと、みなさんお集り、でしょうか?」
純白の包帯から紅の瞳が覗く。同じく深紅の髪は、黒いワンピースと白い包帯からあまりにも浮いていた。無理に笑った唇が引きつっている。
「あ、改めまして、八女、です」
ぺこり
深々と頭を下げる礼儀正しい姿は零と全く重ならない。
そういえば、零はどこにいったのだろう。
辺りを見渡すけれど、目立つ金髪はいつの間にか消えていた。
僕たち七人と、死神。
総数も内訳も変化ないけれど、空気感は随分と変わったように思える。
「こ、ここ、ここは……、えっと、すみません」
何かを話そうとしたらしい八女は、しかし言葉が出てこなかったのだろう。後ろを向いてスマホで何か確認している。
……こういう時、零なら飄々と言い放ってみせるのだろう。
不敵に、不遜に、不愉快に。
それが良いこととは、決して思わないけれど。
「お、お待たせ、しました……。それでは――」
黙る七人を前に八女は眼を瞑る。
再び開いた彼女の瞳は、鮮血を想起させた。
「ここは、武器庫。あなたたちの思い出が、未練が、因縁が。武器となって現れる場所」
もちろん、お持ち帰りいただいて構いません。
「元は、あなたたちのものですから」
お返しするだけ。
「ただそれだけの、お話です」