巨岩兵の襲来
夜が明けて間もない頃、セニルの東側にある森で一台の馬車が軽やかに駆けていた。
何かの塗装が塗られているのではと疑うほど、艷やかな毛を纏う馬は、足場の悪い森を難なく走っている。引っ張られている台車は真っ白に塗装されており、国旗が四隅に立てられている。
馬を操縦する業者、馬ともに真っ赤な服を着ている。
国が雇用している正当な〝郵送屋〟である何よりの証拠だった。
「……なんだ?」
業者は急に、馬の足を止めた。
先程まで静寂だった森の葉が、せわしなく揺れている。滅多な事では動じない熟練の馬が、そわそわとしている。まるでこの場からすぐにでも離れたいと言わんばかりに。
「風……いや、地震か? 火山地帯でも無いのに一体……」
と、業者はふと西の方に顔を向けた。
それは殆ど無意識の行為だった。何かを感じ取った訳でもなく、ただ偶然顔を上げただけだった。
「な、なんだ……あれは……」
彼の眼前には十メートルをゆうに超える巨人がそびえ立っていた。ごつごつとした黄土色の岩石で作れた体に、赤い宝石が埋め込まれた目が彼を睥睨している。
「あれは巨岩兵だな。一人であれほどの規模を召喚するとは……よほど魔力を蓄えていやがったな」
怯える業者の隣で、俺は巨岩兵を見上げていた。
田舎町といえど、国から街を任せられたことだけはあるようだ。術者は巨岩兵の体の内部におり、手足の指先にまで魔力を流している。巨岩兵へのダメージを身体に受けやすいデメリットがあるが、細やかな操作ができることがメリットだ。
「それは分かっている! って、お前は一体――」
慌てる業者の〝誰なんだ〟という質問は、巨岩兵の拳の振り下ろしによって生じた暴風によって掻き消される。馬車を押し潰さんとする拳は、魔術障壁によって阻まれる。衝撃で辺りの木々がしなり、砂埃が巻き上がった。
もちろん、これは俺の魔術ではない。
「ねえ、おじさん。早くここを出たほうがいいよ。僕が守ってあげるからさ」
台車の屋根に座っているリュリュが、緊張感のない声で警告する。
「あ、ああ」
「ねえ、ウラボスさん。僕がいなくても大丈夫? 他の人が来るまで持つ?」
「持たせるさ。俺よりも、その人をセニルまで守ることを優先してくれ」
「分かってるよ」
半ば焦りながら去る馬車の上で、リュリュはひらひらと手を振った。
「さて、と」
俺は巨岩兵へと向き直る。
既にリュリュの魔術障壁は消え失せている。
「ロードリック町長……まさか、申請書の原本を運ぶ馬車を狙うとは。国が統括してる馬車を攻撃したと知られたら、死刑は免れないのでは?」
ギルド民営切替申請書は、王都の役所で受領印を押した後、原本を馬車によって運ばれる。国が直接委託している業者への攻撃は国家反逆罪に等しく、本来であれば取り得ない行動である。
「あなた達のせいにすればいいだけです。どうせ国はこんな田舎町の些細な出来事など調査しませんから」
「原本を消失させ、俺らも殺す事ができる。一石二鳥の手か」
俺も国が調査に乗り出さないことを利用して、ギルドの申請書を出したわけだが……いくら田舎町といえど、調査する間もないくらいほど忙しいとでも言うのか。
「ええ。前者は失敗しましたが、まだ時間はあります。手っ取り早く……あなた達を倒せばですが!」
繰り出される岩の掌底を、大きく右に飛び跳ねて躱す。木々を目隠しにしながら、微塵の容赦もない攻撃を躱し続ける。ミツとの特訓のおかげで、体力と戦闘時の直感をわずかに取り戻していなければ、大胆に〝囮役〟する事などできなかっただろう。
と、不意に巨岩兵は俺への攻撃を辞めた。そして、ゆっくりとセニルの方へ体を向けた。
「俺から逃げるのか?」
「ええ。私の第一目標はあの馬車を破壊すること。あなたを倒すことなど、いつでも出来ますから」
「そうか……それは残念だ!」
俺は隠し持っていた一本の枝を、地面に落とす。と、巨大な魔術陣が地面に出現した。直径百メートル長に及ぶ陣は白い光子を吹き出しながら、凛々と森を照らしている。
「まあ、待て。もう少し俺の余興に付き合ってくれないか? 何……お前にとってもこれは、非常に良い経験になる」
「一体何を……」
俺は右手を空高く掲げ、一度拳を握り、そして、大きく開いた。
「――君たちは――」
茂みの奥から一人、そしてまた一人と転生者たちが姿を見せる。少し腰を引きながらも、立派に武器を構えて。ある者は一人で、ある者は三人から五人の編成で、巨岩兵の周囲を取り囲んでいく。
数にしておよそ――百。
しかし、ロードリック町長は構わずセニルへの進行を開始する。弱者を何人束ねたところで、邪魔にすらならないと思ったのだろう。
「今から始まるのは、ボーナスステージだ。滅多に戦うことの出来ない巨大な敵と戦う〝練習〟をしてもらう。何が起きても、命を失う事はない」
しかし彼らはただの転生者ではない。
俺と仲間たちがきっかけと少しの手助けによって強くなった、れっきとした冒険者たちだ。
「死は恐れなくていい。自分の力を全てぶつけろ! 身に付けてきた知恵、力、魔術、武器……全てを叩きつけろ!」
森を震わせるほどの雄叫びが、ビリビリと鼓膜を揺らす。そして全員が同時に、巨岩兵へと飛び掛かった。
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