命がけの最終鍛錬
鍛錬場には、隠された地下室が存在する。
上下左右、磨かれた石で敷き詰められた、牢獄のような殺風景な部屋だった。ミツに掃除してもらうまでは、埃とカビ臭さが立ち込めており、長らく使用した形跡が見られなかった。
鍛錬場よりも遥かに広い面積を持っている。過去、セニルに冒険者が溢れたときは鍛錬場として利用していたらしい。
「地下室キレイにしておきましたが……ここで何かするんですか?」
ミツは首を傾げ尋ねてくるが、俺は構わずに準備に入る。
奇妙な模様が描かれた枝を数本、部屋のあちこちに置いていく。すると枝を繋ぐように光の線が走り、一人でに白い円が作り出された。
「もしかして……魔術陣?」
細やかな文字と、帯のような太い線が無数現れ、薄暗い部屋に光を発する粒子が舞う。その光景はあまりに幻想的で、ミツは思わず口を開けたまま眺めていた。
「あの……先生……?」
「これはテオファニアから貰った〝式枝〟というものだ。妖精の常套手段でもあるのだが、森そのものを魔術化させる時によく使うらしい」
「そうなんですか……じゃなくて! 私は何をするのか聞きたいんですけど……」
腰に携えていた剣を手にし、人差し指の表面を薄く斬ってみる。
「先生何を………!」
じんわりと血が滲み出したかと思えば、空に漂う光の粒子が傷の周りに貼り付く。そして数秒もせぬうちに完治した。
「治った……勝手に……」
「この部屋にかけた魔術は〝自動治癒〟。即死の傷でなければ、どのような傷だろうが癒やしてくれる。……人間ではそう簡単には及ぶことのできない難易度の術だがな」
ちゃんと俺の指示通りの術を、テオファニアは仕込んでくれていた。信用していない訳ではないが……一度は試しておかないといけない。もしこの術式が機能しなければ、大事に至る恐れがあるのだから。
術の効果を確認した俺は、ミツへと向き直る。
「さて……ミツ。暫く鍛錬を放って悪かったな」
「いえ……その……先生最近お忙しそうだったので……初心者狩りだった人たちの動向も見ないといけませんし……」
「今日からの鍛錬……非常に厳しくなるか構わないか?」
「大丈夫ですけど……一体何を……」
「そうか」
返事をしたミツを見て、俺は一歩跳んだ。
「えっ……?」
ミツは今、何が起きたか見えただろうか?
ただ、風に頬を撫でられたことしか認識できなかったろうか?
「治癒というのは体表の傷だけでなく、体内の傷も癒やしてくれる。これほど高速に動いても、筋肉が全然傷んでいない。テオファニアの性格は好まないが、こと魔術においては頭が上がらんな」
振り返ると、ミツの背中が目に入った。予備動作なし、足の筋肉だけで地を飛ぶ跳躍……百年ぶりだったためか、うまく力の調整ができず足が石畳にめり込んでしまった。
「今から行うのは命懸けの特訓だ」
「いのち……がけ……」
命懸けという言葉と、自然治癒の術式でミツは察しただろう。
「これは加減無用、実戦形式の鍛錬だ。例え腕や足が斬られたとしても、怯むことも涙することも許されない。常に敵に目を配り、剣を向けろ」
二度目の跳躍。
ミツの右腕を切り落とさんと刃を振るうが、ミツの短剣に阻まれる。
「やはり見えていたか!」
「今までと……違う……っ!」
隙だらけの腹部に蹴りをかまし、怯んだ瞬間に剣を横に薙ぐ。
が、水流によってすばやく後退したミツにはわずかに届かなかった。
「これが……先生の本気……!」
「ああ、本気だ」
決して嘘ついている訳ではない。
封印術が残っている状態の今の俺にとって、最大の力を発揮している。最大ということは、もちろん筋肉もろもろに莫大な負担がかかっているというわけで……本来であれば魔力強化した上で動くべきなのだが、俺には乾燥の魔術しか使えない。
つまり悲しいことに、この本気は自動回復魔術陣がある時にしか出せないのである。
ま、俺のことはどうだっていい。要は、この動きにミツがなれさえすれば……如何様な敵でも倒すことができるようになるというわけだ。
肉弾戦において魔王軍幹部……いや、魔王にある程度抗える力は手にすることができるだろうか。
「だから遠慮はいらない。容赦なく毒を放ってこい。でなければ……苦しむのは自分になる。自動回復するとはいえ、痛みは生まれるのだからな」
「……分かりました」
俺は再び剣を構える。ミツも剣に毒の魔術を発動させ、周囲にも水の魔術陣を展開する。意識から発動までほぼノータイム……魔術起動も緩やかでミツの基礎練習を怠らない姿勢が、彼女をこの域まで持ち上げた。
「何なら、ダイゴを倒したときに使った毒を使ってもいいんだぞ」
「あれは使いません」
ミツはきっぱり断った。まあ、そうだろうとは思っていた。
少し染み込んだだけで、激痛を与え、死に至らしめる毒。ミツが使うにはあまりに残酷な力だ。ミツが忌み嫌うのも無理はない。
「確かにあの能力は強い。だが、肌を傷付けることが前提となるならば、その評価は反転する。中遠距離での戦いが多い魔術戦で、どうやって接近する?」
「それは……」
武器を選んで戦えるほど、ミツは強くない。彼女自身のありとあらゆる武器を、場面に応じた最良を選んで戦わなければ上にはいけない。
「そもそも前提として、あの力は肌を傷付けなければ発動しないのか? 効果は一つだけなのか?」
「……分かりません。あの時も無我夢中に剣を振っただけで、まさかそんな力があるとは思いませんでしたし」
一般的な魔術ならともかく、本人しか使えない固有魔術の性能は、当然のことながら本人しか分からない。ならば、本人が検証する他ない。
「試すなら今しかない」
「でも先生が……それに試すって何を……」
「痛みには慣れてるから大丈夫だ。その力で出来そうなことが思いついたら、とにかく試すことがいいだろうな」
「……分かりました」
ミツは顔を歪めながら、魔術を発動する。ダイゴを倒す前と同じように、短刀に紫色の光が走る。
相変わらずぞっとしてしまう程の歪んだ魔力。ありとあらゆる負の感情を凝縮させたようで、直視することも憚られる。
「私はこの力が嫌いです。使うことも、見られることも。でも先生となら……乗り越えられそう……!」
「光栄だな。さあ、遠慮なくぶつかってこい!」
「はい!」
読んでいただきありがとうございます。
次話より最終章に突入します。
次の更新は金曜日予定です。