被害
焦りという感情を、百年ぶりに抱いた気がする。
初心者狩りとやらの存在で、せっかく一歩踏み出した転生者たちはまた尻込みしてしまっている。
テオファニアに警告などされなくとも、直接手を出すつもりはない。が、早急に対処しなければならない。
「……ん?」
鍛錬場へ戻る最中、足を止めて崖の上に目をやる。
微かにではあるが、人の騒ぎ声が聞こえる。居住区となっている崖上部は普段物静かで、崖の下まで声が聞こえるようなことは殆どない。祭りなどの催し物があるという話も聞いていない。
そしてその声の方向から、一つ濃密な魔力の気配がした。
これほどの濃さの魔力を持つ生物は、俺が連れてきた魔物のどれか。テオファニアとヴァーツラはペトリュスにおり、ネナは自らの住処を離れると思わない。
「リュリュか!」
任せた鍛錬場を離れる程の何かが、崖の上で起きている。飛ぶように階段を登り、一心不乱に騒ぎの中心部へと向かった。三十人ほどの野次馬で作られた円に割って入る。
「あ、ウラボスさん! 待ってたよ」
リュリュは一人の男性の腕を掴み、地に伏せていた。近くで男性が介抱されており、彼の腰には鉄の剣が括り付けられていた。多少の出血や擦り傷が見られるが、冒険者生活に支障は無さそうだ。
「この人、〝初心者狩り〟って名乗ってたんだけど。他の仲間は逃しちゃった。やっぱり久しぶりだと体がなまっちゃってるなぁ」
悔しそうにぼやくリュリュだが、それはセニルに被害を出さないよう手加減していたからだろう。仮にも彼はクネイトゥラを闊歩できる魔物の一人であり、弱者ばかり狙う卑劣な輩に遅れを取るはずがない。
リュリュの頭をポンポンと撫でてから、しゃがみ込んで初心者狩りを正面から見つめた。
赤髪の青年が、恨めしそうに俺を睨んでいる。年は十代後半、何の魔術的効果もついてない装飾をじゃらじゃらと身に付けている。武器を持っていないことから、彼は素手か魔術で戦うタイプなのだろう。
「なあ、初心者狩りってなんだ?」
「はっ! その名の通り、初心者をいたぶる集団だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「お前らのボスは誰だ?」
「言うと思っているのか?」
素直に答える訳はないか。
俺はため息をついて、彼の喉元に右手を添えた。
「一体何を……っ!」
彼は動けない体を懸命に揺らし始めた。
「っ……かはっ……やめっ――」
「下手に喋らないほうがいい。貴重な水分が無くなるだろう?」
俺は〝乾燥〟の魔術を発動させ、口内の水分を徐々に吸い取った。地味に聞こえるが、口内の水分が急に奪われるのは、なかなか日常では味わえない不快感と危機感を齎す。
といってもこの能力、生命を対象にする場合は直に触れる必要がある上に、水分を奪うまで時間を要する。ミツに言ったとおり、戦闘にはとことん向いてない。
「ミイラになりたく無ければ、首を縦に振るんだ」
男は涙目になりながら、ぶんぶんと顔を縦に振った。
捕まっても動じないことから手慣れているように見えたが……ただ捕まった時の恐怖を知らなかっただけか。
彼は拷問に関する訓練を受けていない。そもそもリュリュに無抵抗で捕まる辺り、実力はさほど無いのだろう。初心者狩り……国絡みの組織である可能性は格段に低くなった。
俺は魔術を止めると、彼は勢いよく咳き込んだ。
「もう一度聞く。ボスの名をまず教えるんだ」
「こほっこほっ……ダイゴ……という名前だ……」
「どんな見た目をしている?」
「俺と同じ赤髪で……けほっ……がたいがいい……鍛冶屋の竜人よりは小さいが……」
「助かった」
ここまで聞ければ十分だろう。
まあ、別に聞き出せなかったとしても初心者狩りを追うことは可能なのだが。
「リュリュ、敵の居場所は分かるか?」
「もちろん! 逃げた奴らの魔力はマークしてたからね。逃げた二人とも、同じところに向かってるよ」
「なら、追いかけるとするか」
奴らのボスがどのような思考回路をしているかは知らないが、もしも部下を傷つけたこの街に報復をしようと考えるやつなら、非常にまずい。
「リュリュ、案内を頼めるか?」
「もちろんだよ」
リュリュは男の顔に手のひらをかざし、気を失わさせた。
「ヴァーツラ! ネナ!」
「はっ!」
「……もしかして、戦の予感?」
俺が呼びかけると、その場にいない筈の二人が姿を表した。
短距離限定で使用できる転移魔術。といっても、自分が従えている主の傍にしか飛べない魔術である。
「ああ、そうだ。この街に手を出した愚か者たちを倒しに行く」
「儂の武器が奪われかけたとなれば、黙ってはおれんよな?」
「……あるじさまが行くなら、私も」
ヴァーツラは拳を掌にぶつけ、衝撃波を撒き散らした。一人の鍛冶職人として、盗人を許しておけないのだろう。
ネナは……まあ……俺の言うことなら基本的に従ってくれるので、良しとしよう。口には出さないが、慣れないことをさせられストレスが少なからずあるはずだ。どこかで発散させなければ暴走する恐れがある。まあ、被害を受けるのは俺だけなのだろうが……。
「で、そこに隠れている……ミツ!」
「はいいっ!」
素っ頓狂な声を出したミツは、慌てた様子で駆け寄ってきた。俺が到着したときにはすでに、野次馬の中に紛れ込んでいた。この近くに家があるのか、それともリュリュといたのか分からないが……ちょうどいい。
「そろそろ実践を交えたいと思ってたんだ。経験のためにもついてくるんだ」
「はい、先生!」
ここのところ、ミツへの鍛錬が座学中心になっていた。そろそろ、一度実践の緊張感を味わうのも悪くないだろう。
「でも私、まだ術を一度も試して――」
「構わない。ミツも試してみたいだろ? 自分で編み出した剣撃がどこまで通用するか」
「……はい!」
拳を握り、ミツは闘気を奮い立たせる。
体を動かす鍛錬の時間が減っていること、そして、あえてギルドの依頼をさせなかったこと。ミツの中では、凄まじいほどの鬱憤が溜まっているだろう。
「テオファニアに頼んで、転移するのな?」
「いや、森の探索がてら歩いていこうじゃないか。この森にどのような魔物がいるか、実際に見ておきたいからな」
「……もしかして、デート……?」
「好きに解釈してくれ」
ネナは無言で俺の腕にしがみついてきた。いや、本当にデートのつもりで行くのか……? ヴァーツラもリュリュも、ミツもいるのにか……?
「そうだ、ミツ殿」
ヴァーツラは手に持っていた小さな袋を差し出した。
「ええと……これは?」
「客一号記念品、といったところよな。本音を言えば、儂の打った武器を見て、あんなに気持ちい喜ばれ方は久しぶりだった……ただそれだけよ」
ヴァーツラは優しい微笑みを浮かべながら、袋から二振りの短刀を取り出した。その一つの鞘を抜くと、半透明の刀身が姿を覗かそた。
「これって……魔剣!? いえいえ、わたしにそんな高価なものを……」
「価格では無い。これは気持ち……ミツ殿への感謝の気持ちよな」
ミツは困ったように俺へと視線を向けた。
流石に俺も苦笑いをしてしまった。これは単なる魔剣なんかじゃない。
普通の魔剣は魔石から作られるが、この剣はヴァーツラの体を芯に作られている。自然にある魔石より遥かに魔力が凝縮された地竜の岩肌……しかも彼は普通の地竜ではなく、魔力伝導率が百パーセントの地脈龍。剣の発する青白い光が、遮光カーテンの無い野外でもはっきりと目視できるほど強いのが何よりの証拠だ。
王都の一等地に巨大な屋敷を立てたとしても、お釣りがでるほどの価値を持つだろう。
「ったく、武器の生産が遅いと思えば……そんな化物じみたプレゼントを打ってたという訳か」
「申し訳ありませぬ」
「お前がそういう奴なのは分かっている。咎める気もないし……むしろ、ありがたいくらいだ」
いずれセニルの憧れとなるミツにとって、これ以上無い相応しい武器と言えるだろう。
「というわけで、ありがたく受け取っておくんだ。ここで遠慮をすれば、せっかく身を挺して打ってくれたヴァーツラに恥をかかせることになる」
「そ、そうですよね……分かりました」
ミツの小さい手が、ヴァーツラの大きな手から鍛刀を受け取った。そして大事そうに胸に抱えこむ。
「ありがとうございます。大事に使います!」
「もし他にも装備が必要なら、遠慮なく相談してくだされ。特価で承りましょうぞ」
読んでいただきありがとうございました。
次の更新は3月29日予定です