意思を持つ淫らな薬草〝魔草人〟-truth-
小屋のドアを開くと、蝶使いと木の軋む音が悲鳴のように叫んでいる。いつ外れてもおかしくないドアにミツが訝しげな瞳を向けているが、俺は気づかないふりをした。
小屋の壁は全て棚になっており、フラスコや瓶などの入れ物や、薬草を育てるための植木鉢が置かれている。内装だけみれば薬屋っぽい気がするが、ミツは不安そうな顔つきになっていた。
「灯りがついてないみたいなんですが……大丈夫ですか?」
「……大丈夫……蔓で、分かるから」
ネナの使う蔓は万能だ。
感触をネナに伝えることができるため、床下に張り巡らせれば、どこで誰が動いているか手に取るように分かる。置かれている
ボロボロの小屋を支えているのもあちこちに蔓延っている蔓であり、折れた木材や穴の補強も全て蔓で行っている。
もともとこの小屋に蔦なんて伸びていなかった。この小屋を丈夫にするために、敢えてネナが伸ばしたのだ。
「この小屋はあくまで倉庫。薬品入れや、薬草を育てるためのな。この小屋の表に、商売するためのカウンターを作る予定だ」
「それなら、まあわからなくはないですが。って、誰に作ってもらうんですか?」
「ヴァーツラだ。あいつは案外器用でな……武器だけでなく、簡単なものであれば家具も作ることができるんだ」
彼は物を作るという行為自体が、趣味と言っても過言ではない。
本当は今日に間に合わせて作るつもりだったのだが、魔剣の制作に時間が取られたため、間に合わなかった。カウンターができるまでは、布を地に敷いて売るしかないだろうか。
このセニルには、そもそも薬を売る店すらない。
いや、正確には冒険者用の薬屋がない、と言うのが正しいだろう。風邪や腹痛など、一般的な病気を治す薬を売っている店はあったが、魔物との戦いで負う傷を即座に治すような薬は無かった。
見た目も大事だが、冒険者が一刻も早く薬を手に入れるようにすることができる薬屋を作ることが大事である。
「……なんだか、心配ですね」
「今のやり取りでネナを認めろという無茶は言わない。結果だけを見てくれればいい」
正直、ネナだけでうまくいくとは俺も思っていない。ただ薬を作る才能は間違いなく、人間には代えられない。
最悪、売る担当の人間を雇うことも考えなければならないだろうか。
「……あるじさま」
ネナは俺にちょいちょいと手招きしている。
このタイミングか……もう少し倉庫の中に置かれている物を見ておきたかったが、ここで断ってしまえば彼女の機嫌を損ないかねない。
「……ミツ、少しここにいてくれるか?」
「いいですけど……どうしたんですか?」
「ちょっとネナと相談があって、な」
小屋を出ると、ネナがじっと俺を見上げていた。
頬を微かに赤らめ、琥珀色の瞳がうるうると揺れている。ネナは俺の右手に、自身の左手を絡めた。
「何がしたいか察したけどな……ここでは俺はウラボスって呼んでくれ」
「……うん……わかった、あるじさま」
「……はぁ」
「?」
「いや、もう好きにしてくれ」
ネナのそのような気遣いができると期待はしていない。
百年の時を経て、少しは成長したかと思っていたが……あまり変わっていなかったか。
「……はやく……わたし、がまんできない」
「分かった分かった。ここじゃあれだから……ネナの家に入ってもいいか?」
「うんわたしはどこでもいいけど」
ネナの家の入口はかなりの小ささだったが、匍匐前進でなんとか入れることができた。
中には先程脱いだ葉の服に、寝るための葉の布団……って、葉っぱだらけじゃないか。
魔草人にとってはこれが普通なのだろう。
「ねえ、あるじさま。はやくちょうだい?」
家に入ってくるやいなや、ネナは熱い吐息を漏らしながら俺へと迫ってきた。
ゆっくりとした口調が一転し、迫るような早口になっている。
「分かったよ」
俺は肩をすくめて、指を噛んだ。
じわっと滲み出る鮮血を上に、指をネナの方に差し出した。
「はわあ……!」
言葉にならない歓喜の声。
可愛らしくも艶めかしい声に、俺はぞくりと背を震わせた。
小さい体から発せられているとは思えない、膨大な欲望が一心に俺に降り注がれている。
「いただきまーす」
ネナの首の後ろから白く細い糸が二本伸びる。
うねうねと宙をうねりながら、それらは俺の血へと一目散に飛んできた。そして、ゆっくりと俺の血を吸っていく。
ネナはぞくぞくと体を震わせて、
「はぁ……美味し……百年ぶりのあるじさまの味……」
「お前な、さっきからわざとそういう言葉を使ってるだろ。欲しかったらいくらでもやるから、普通に頼んできてくれ」
「……そうしたいけど……私……人寄生型魔草人の性だから……」
〝人寄生型魔草人〟。
クネイトゥラにのみ生息する、この世で最も稀有な人に寄生する魔草人……それがネナの正体だ。植物淫魔とも言われる。
ネナが露出の多い服装を好んだり、淫靡な態度をとってしまうのは、餌を魅了するための本能が原因だった。彼女曰く〝人間が食欲や性欲を抑えられないのと同じ〟らしく、ネナ自身治そうとしているが効果は全くといって良い程でない。
寄生するといっても〝根〟を使って、人の体液から魔力や栄養を吸い取るだけである。
ネナに限らずだが、魔草人には吸った魔力の特性を得るという性質もあるため、より強い生物に寄生しようとする。
そして、この世界で最も強い俺に寄生しているネナは、史上最強の魔草人なのである。
俺の魔力量や特性が100パーセント使えるわけではないとはいえ、ヴァーツラに引けを取らない戦闘力を有する。
「さ、終わりだ。続きは、薬屋を無事に始められてからな」
「……分かってる……わたし、がんばる」
血を吸った根を首の後ろにしまいながら、ネナはぐっと拳を握った。
俺という餌がある限り、ネナは決して裏切ることができない。そして、血を得るためなら多少の無茶もできる。
ある意味、ここに連れてくる魔物としては一番の安牌である。
ただ、血を与える頻度は考えなければならない。
与えすぎては、仕事をしなくなる恐れがある。かといって、与えなさすぎると、血欲しさに暴走する恐れもある。
「……ごちそうさまでした……あるじさま、濃厚だったよ」
「そりゃ良かった。百年もの間、よく我慢できたな」
ネナの髪をくしゃくしゃと撫でてやる。
「……えへへ……あるじさまに、命じられてたから」
俺は初めてネナに初めて血を与えたとき厳命した。
条件として、俺以外の生物から血を吸わないと。俺の血に慣れたネナにとって、他の生命の血では、きっと死ぬまで絞り出したとしても満足しないだろうから。
正直、俺が封印されている間、クネイトゥラで暴走するとしたらネナだと思っていた。それを良い意味で裏切ってくれたのだから、しばらくは甘めに接してやっていいのかもしれない。
「用事も済んだから、ミツの元にもど――」
家のすぐ外で、誰かが倒れるような音がした。
まあ、可能性が一番高いのは……
「ミツ。そこで何をしてるんだ」
家から顔を出すと、目の前でミツが尻もちをついていた。
どことなく、頬を赤くして目に涙を浮かべているような気がする。先程のネナと似たような、どこか違うような顔だ。
「……あるじさまの味……濃厚……命じる……」
その言葉に、俺の全身から冷や汗が吹き出た。
もしかして、先程までのやり取りを聞かれてしまったのだろうか。
「ちょ、ちょっと待て! 盛大になにか勘違いしているのではないか!」
「先生の……先生の変態!!」
ミツはそう怒鳴りつけ、一目散に走り去ってしまった。
俺も急ぎ追いかけようとしたが、匍匐前進で外に出ているうちに姿が見えなくなってしまっていた。
「……あるじさま……もしかして、へんたい?」
「お前に言われたくない!」
読んでいただきありがとうございます。
ネナちゃんのメイン回は大体こんな感じです。もう少し攻めた文章を書いてみたいな……!
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