「針は止まらない」
どこからか時計の音がする。死者にも聞こえるのか、これは。平等とは恐ろしいものだ。古畑は目を開ける。目の前には男がいた。小綺麗で、どこにでも居そうな風貌だが、どことなく胡散臭い。男は唇に弧を描いた。
「お目覚めですか、古畑叶翠さん。」
「え、あっはい」
ほぼ脊髄反射で答えた。問いかけた男の声は平坦で、表情との統一性のなさに警戒度が上がる。男の目がこちらを上から下までじっと見つめた。感情の乗らない目はレーザーポインタを当てられているようだ。古畑は居た堪れなくなり、周囲を見回した。此処はどこかの会議室、だろうか。日に焼けて色の褪せた壁にはアナログ式の円い掛け時計、書類の詰まったガラス戸付きの棚に折りたたみ式の机と椅子。椅子は少し古そうだ、座り方を変えればぎしぎしと音がする。
(いや、待て。何で私は会議室に居るんだ?私は、海に落ちたはず―)
「古畑さん?」
男に呼びかけられ、古畑ははっ、として顔を上げる。
「初めまして。私はこういう者です。」
男は名刺を取り出して机に置いた。そこには、「異界境保安管理局 比翼連理 第二管理部主任 日吉元親」と書いてあった。随分とご大層な名前である。宗教団体か何かなのだろうか。
「はあ。」
古畑は頭の中が疑問符でいっぱいになった。一体どこから手をつけたら良いのだろう。古びた会議室に胡散臭い男、死後の世界とはこういうものなのか。古畑の思い描いていた死後の世界とはかけ離れていた。
「あれ、また固まっちゃった?」
先程とは打って変わって日吉は気さくに話しかける。そういう話し方が出来るならもう少し早めにシフトチェンジして欲しかった。日吉は一つ息をつくと、どこからか書類を取り出してきた。それを手に取りながら話し出す。
「まあ、状況から説明するか。古畑叶翠さん、君は今日海から転落死を図った。そうだよね?」
日吉に問いかけられ、古畑はうなずく。どうやら、現状を一つ一つ確認していくスタイルらしい。
「で、今君はここ、比翼連理の事務所の中にいる」
(ここは事務所だったのか、なるほど)
「なんで古畑さんが、此処にいるのかって言うと、それは私が古畑さんをスカウトしたから」
(なるほど、スカウト。なっとk……するわけがあるか! )
「は?」
古畑は思わずけんか腰に返答してしまった。
(いや、私は悪くない。この日吉さんとやらが突拍子なさすぎるのだ)
「スカウトしたんだよ、私が君を」
古畑の脳内疑問符は倍増する。何故スカウト?しかも死んだ後に。
「え、あの、何のスカウトに?」
「翼人」
「ヨクジン?」
何なんだ、それは。聞いたことがない。古畑の頭の中は更に混乱する。そろそろ頭が割れて、中から万国旗と鳩が飛び出しそうだ。
「そう、翼人。翼に人って書いて翼人」
「は、はあ」
「これから、古畑さんにはその翼人になってもらう」
「それ、拒否権とかって……」
日吉は古畑が初めて対峙したときのように口の端を吊り上げる。
「ないね」
一番聞きたくない台詞を一番良い笑顔で言い放った。古畑はこのとき、しっかりと認識した。
日吉元親は食えない男である、と。しかしここで固まっていては立ちゆかない。古畑は気を取り直し日吉に問いかける。
「はあ。それで、その翼人てのはなにをするんです?」
「翼人は異世界とこの世界、現世の狭間に生じる「歪」を消すんだ。」
「ヒズミ?」
「うん。まあ、異なる世界同士の境界線が曖昧になることで生じるバグみたいなやつかな。」
日吉は一枚の紙を見せる。古畑が目を通すとそこには日吉が口頭で説明した翼人と「歪」に関する詳細な説明が記載されていた。古畑の頭は混乱を通り越した謎の境地に至っていた。ひとまず落ち着いて読んでみることにする。異なる世界同士の境界線、ということはこの世界の他にも世界は複数存在するらしい。それはなんとなく分かる。
(つまり推しちゃんは生きている……。何と素晴らしき)
何を隠そう、古畑はゴリゴリの二次元ヲタクだったので。
閑話休題。翼人は異なる世界同士の境界線上に現れるバグらしい。黄泉戸喫的なルールなのだろうか。別世界のモノが現れることは現世にとって不都合を生む、とか。
「なんとなく分かった?」
古畑が紙を読み終えると、日吉が問いかける。
「はあ、まあなんとなくですけど」
かなりなんとなくである。「歪」自体の姿形も知らないこの状態で、「歪」を退治することは可能なのだろうか。
「ん、じゃあとりあえずやってみようか」
「は?」
「お・し・ご・と」
日吉はそばにあった棚からゴソゴソと何かを取り出し、机に置いた。スマートフォンと、何かよく分からない包み。だが包みは見覚えがあるものだった。色はどちらも黒だ。
「こっちは連絡とかに使う端末。で、こっちは君の「異物」」
包みから取り出されたのは、古畑が使っていたワイヤレスイヤホンだった。
「これ、私の…。あの、イブツって?」
「「歪」を消すために使う道具のこと。翼人個人の思い入れのあるものでね、翼人は原則、生前の持ち物は持てない決まりになっている。だけど「歪」を消すための「異物」だけは持っていられるんだ」
(このワイヤレスイヤホンは私にとってそれほど思い入れのある物だったのか)
古畑はワイヤレスイヤホンを見つめる。それは一ヶ月前に購入した物だった。
(試聴したら恐ろしく良い音がして驚いたんだよな、お父さんやお母さんにも聞かせたんだっけ)
今、両親はどうしているだろう。古畑はふと思いを馳せる。どれほど時間がたったのかは分からないけれど、できれば見つからないでいたい。死体はもう上がっているかもしれないが。小さな未練がチクリと古畑の胸を指した。
「さあて、説明はこんなもんで良いかな。では実地といこう」
ガタリ
日吉はニッと笑い、立ち上がった。
「えっ」
(おい嘘だろ)
まだ全然足りていない、と古畑は慌てるも日吉はさくさくと指示をする。
「端末と異物持って立って」
指示された古畑は渋々端末と異物を持ち、立ち上がる。日吉はタブレットを操作しながら古畑を会議室のドアまで導いた。
「今、扉の向こうは渋谷駅につながってる。ここから先俺はついてはいけない。端末に「歪」が発生しているポイントを乗っけてるから、先ずはそこに向かって」
日吉は古畑の端末を操作し、マップを表示する。ある地点にピンを刺した。
「わ、わかりました」
「ポイント着いたら連絡ちょうだいね。それじゃあめくるめく初任務、行ってらっしゃーい!」
某テーマパークの従業員のようなかけ声と共に日吉がドアを開ける。古畑は戸惑いながらも、ドアの向こうへ一歩踏み出したのだった。