ストレスフリーってストレスフルの副詞みたいだよね
カラフル<形容詞>華やかな
カラフリー<副詞> 華やかだ
皆さんこんにちは。
先回のお話ですが内容は自己責任にしても、こいつナロウアンチかっ! なのにナロウに登録してるんじゃねえよ見たいな誤解がされそうな表現がありましたので、少々中和を試みつつ創作的なことを考えてみたいと思います。
さて、一部にはナローの話は安易なのばっかだ。読者は少しのストレスにも耐えられない幼稚な精神の持ち主だ。なろうってダメだな。みたいな論調があります。
確かにランキングを見渡しても、チートでご都合主義でハーレムでと、これでもかというほど安楽なものばっかりです。
読者層がそれを求めているのは否定し切れません。でもそれは読者層だけの問題でしょうか。
いえ、作者が悪い。供給するのが問題で買うほうは悪くないんだ、みたいな責任転嫁ではありませんよ。
それは『小説家になろう』というサイトの、というより(サイト批判でもありませんから)web小説という形態に属するものです。
例えば○○文庫、というレーベルから発刊された本格ファンタジー小説が、主人公は苦労し窮地に陥り大逆転の末、大団円を迎えたとしましょう。
ピンチと勝利。この落差こそ逆転のカタルシス。昔から成立している手法です。面白さの秘訣です。
こんな、子供でも知ってるような技術すら使えないなんてナロー作者はドンだけレベルが低いんだ。そしてそんな話を有難がるナロー読者ってどれだけ感性が貧しいんだ。
いやいや、ちょっと待ってくださいよ。
上の文章をよく読みましょう。面白いというのは、落差です。けしてストレスそのものじゃないのですよ。
文庫本、というのは一冊で起承転結して話として成立しています。いわばパッケージングでありストレスは味を引き立てる調味料として加工済みです。
だから苦味エグ味が入っていても許されるのではないでしょうか。
なろうの場合はどうでしょうか。
短編を除けば話としては連載型ですので、解決がありません。それは次回以降です。いわゆるストレス回というのはストレスオンリー。いわばばら売りです。ストレスだけばら売りされたって単品で欲しがる人がどれだけいるでしょうか。
連載型だけど、逆転するものが一杯ある?
そうですね。少年誌などは当たり前にそういう展開をしています。でも彼らは商売でやっています。毎週ジャ○プがサ○デーがマ○ガジンが発売されるのは当たり前のことです。出版社が、プロの漫画家が必ず解決を保障しています。打ち切りという例外はありますが。
でも、なろうは違います。
一部の活躍している本プロ作家を除き、大半が素人です。次の更新がいつになるのか、来週なのか一ヵ月後なのか、それどころか解決せずエタられてしまう恐れすらあります。
そんな不安のある状況で、ストレスだけ受け容れるなんてリスクを冒せるでしょうか。
実力と信頼のある作家ならともかく、なるべく避けたいですよね。
というわけで、なろうでストレス展開が好まれない理由に対する考察でした。
世間で受け容れられているものと、なろうで流行っているものは別物というのは聞きますが環境が違うというのはあると思います。
私も将来連載とかするとして、長期連載で解決まで保障しきれるかといったら微妙です。
やるにしても、数話で解決がせいぜいかなあ。
創作論というよりまだ読者目線的なものが残る視点から見た状況ですかね。
そういうわけで、ストレスフリーな作品を求めること書くことは悪くないのデース。あ、よいしょっ!
さ、一品出来たし擁護も終わった。
わたしはアンチじゃないですからねっ。
まあ、お前の感性は標準なのかといわれるとたぶん違いますし、理由がこうだからそれが面白いってわけでもないですけどね。
薀蓄だけで面白い話が書けたらいいなあ。