スタンス
ほんとはあらすじに書くべきなんだけど、なんか長くなりすぎて一瞥ブラバされそうなので分けました。
こんにちは。
作品を公開するに当たり、思ったことなどを書きつつ一品に仕立て上げてみるというセコさ極まりない駄文です。
さて、前頁で公表した駄文は無駄に挑発的だと自分でも思いますが文章を公表した以上反応はあります。(反応されるほど価値のあるものを書いているのかという恐怖の前提はありますが。)
ああいうものを書くのならその反応についても考えをあらかじめ述べてみるべきかと思いましたので少しばかりつらつら語ります。
世の中には、批判は役に立たないから不要という考えも聞いたことがありますが、これは的外れもいいところと思います。
私はどちらかというと毒を吐く側、批判する側のメンタルよりですので、あえて言いますが『役に立て』ということ事態嘲笑物の主張としか思えません。
暴論ですが、下らない駄文を読んで不快に思ったから文句をつけているのです。駄文を作った愚か者を成長させる気などさらさらありません。何でそんなやつのために行動しないといけないのでしょうか。
そんな舐めた考えだからダメなんだよ。
まあ、こんな事いうと人格攻撃が~とかいう輩もいますが、他人を人格攻撃するような人間であるとレッテルを貼るのも攻撃の一種でしょう。お互い様です。
だから何をしてもいいと思っているのか、という言葉もありますがそれは意見ですらない寝言です。片方が間違っているからもう片方は正しいに決まっているなどという幼稚な二元論は妄想の類です。そんなことは誰も言っていない。
私も文章を公表したので気持ちは分かりますよそりゃ。
でも作者が読者はオレに都合のいいことだけ言えそれが出来ないやつはダメだと要求するなら、読者にだってオレが望むものを書けない作者はダメだと主張する権利はあるはずです。
それが平等ってものでしょう。
趣味で何をしようと自由というのは個人の範囲に納まっている時だけです。パソコンのメモ帳に書いているまでです。
公表し他人に読ませた以上、読んだ他人から反応が帰ってくるのは当たり前です。そして、反対も賛成も相手の自由です。それが個人の権利というやつです。言論の自由。表現の自由は作者の特権ではありません。
だから黙って批評されろ、というのが私の意見・・・・・・ではありません。
読者が不快になった文句を言うのは当然の権利ですが、その権利は作者にもあります。
読者からの文句を受け容れる自由、拒絶する自由は当然作者にもあります。
オレの指摘は当然の正義。受け容れて当たりまえ、というのも読者の身勝手に過ぎません。
一方的に主張し終えたお前は優位だろう、何が平等だというのはありますが、そこは先手の特権みたいなものです。
規則の範囲で優位を占めようとするのは努力の範囲です。
それに、不利な状態で戦わない自由だってあるのです。
批判されるとへこむと主張する作者はいますが、それ読者だって平気じゃありませんよ。感想をブロックされたら読者だってへこみますしそれが嫌だからよほどの事がない限り感想なんて書きません。
だから当然自分の作品に感想がぜんぜん付かないのも理解できます。もちろん嬉しくはありませんが。
感想欲しい、批判は嫌だ。世の中都合のよいことばかり起きなきゃ生きていけないって、生命として脆弱です。働かずに三食昼寝つき生活を要求するのと何が違うんでしょう。私なら感想よりそっちが欲しいですね。どう考えてもそっちのがお徳です。
現実世界にそれを主張して受け容れさせる確率考えたら、転生トラック探してナーロッパに移住するほうが建設的判断ではないでしょうか。
そういうわけで、他人の批判する権利を侵害はしませんが自分の言動の責任は自分でおとり下さい。となります。
ええ、わざわざ書くまでもない当たり前の結論でした。
現実社会で生きている普通のコミュ能力があれば十分です。
文章稼ぎは終わりにします。
今度は二千文字行かなかった。文章書くの大変ですね。