黒猫邸の晩餐会
果たさなければいけない約束を、果たせないとわかった時、あなたはどうするだろう?
竜弥は優しい嘘をつくことにした。
最愛の妻、文絵を、幸福な記憶の世界に閉じ込める、優しい嘘。
その嘘の世界で、
資産家で老女の文絵は、昭和に生きる初々しい二十一歳の新婚の妻となり、
邸宅の家政婦は隣の世話焼きおばさんになって、
文絵は、和服の似合う男前の謎めいた夫竜弥と、月島の二軒長屋で暮らしている。
新妻文絵の手料理には黒猫フミエが魔法をかけ、
小茄子漬けに鯵のなめろう、ししとうの揚げびたし、豆腐田楽や帆立と海老のバター炒め、豚肉の柚子胡椒焼きは、どんな料亭も適わぬ美味となる。
魔法のかけられた文絵が、ふと思い出したように竜弥に持ちかける、
謎めいた友人の話。
「竜弥さん、お友達の小窪律さんに会ってくださいな」
優しい嘘に閉じ込められた筈の文絵の持ち出す、外の世界の話。
文絵の示唆に何が潜んでいるのか。竜弥は愁眉を顰め、彼らを招くことにする。
竜弥の優しい嘘が壊れないように。
文絵が現実を思い出さないように。
あるいは、
近づく終末を確かめ、その時に備えるために。
文絵はどこまでわかっていたのだろうか?
自分を閉じ込める竜弥の優しい嘘が、嘘でしかないことを。
幸福な若妻として振る舞う文絵の、
残された理性、現実の認識は、
どこまで確かだったのだろうか。
また一人友人が招かれる。
クリスマスにはローストチキン。ポークカツにビール。グラタン、オムライス、ポテトサラダ。
「そうですわ、今村さん。竜弥さんにあの話を聞かせてくださらないこと?」
客人のために唐揚げを追加しようと、立ち上がった文絵が、ふと振り返って微笑む。
そして始まる、二つ目の不思議な話。
友人たちの不可思議な謎解き話に、文絵は何を託していたのか。
優しい嘘を続ける竜弥へ届けたかった言葉は、なんだったのか。
竜弥は推測するけれど、その推測は当たっているのだろうけれど、
文絵自身ですら、きっと理解していない、無意識の行動。
意識の底に眠る、ふと浮き上がって水面をめざす、あぶくのような儚い気持ち。
水底から生まれ、ただ自然のことわりのままにのぼってゆく、ふくれ、浮かびゆく、はじけそうな思い。
そして竜弥は文絵を連れ、国を出る。
不思議な縁に繋がれた律と今村が二人を追い、見つけた結末は。
「わたくし、竜弥さんが思う以上に、色んなことを知っていますのよ。‥」
終始、不思議と優しい嘘に満ちた、はらはらと桜の花びらが舞うような、こころひかれるお話でした。
何らかの形で、また彼らに出会いたいと願います。
リケジョの律も、和服イケメンもすてきだけど、
一押しは今村さん。
「兄貴がっ、貴弘さんがっ、Suicaは名前入りのにしろって、言うっ、からっ!」
と、長身で強面の男が「兄貴に言われて」名前入り乗車カードを使っているのもすてきだし、
「聞くな」といいながら三十分後にナースステーションに忍び込んで書類の情報を盗み見たりと、
いざというときに頼れる無言実行のところがとってもかっこいい!
そんな訳で、とってもすてきなのでした。




