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neoteny [archetype]  作者: 真宵 遙
episode 1:予兆
2/9

phase.1-1 痕跡(2/2)

「目的……か」

 そっと独り言のように呟く。


「犯行動機……ってレプリカントにはあるのでしょうか?」

 高槻がそう尋ねる。藍那に問う以上に自分自身に語りかけているようにも思われた。


「レプリカントが意思を持っている……あなたは些か懐疑的なようですね、高槻さん」


「ええ、AIが自らの意思で動き出すなんてそう簡単には信じられませんよ。確かにSF作品の題材としてよく取り上げられてはいますが、あんなのは所詮はフィクションに過ぎない」


「レプリカントに意思があるかどうかは私も分かりません。でも、あり得ない話ではないと思いますよ」


 藍那は高槻に目で合図をする。

「これを見て」

 そう言って、彼女は肩までかかる自身の髪を後ろで軽く束ねた。この首筋が彼によく見えるように。


「……これって……確か……」


 ……どういうことだろうか?

 もう一度考え直してみたが、高槻には彼女が何を言おうとしているのか検討もつかなかった。


「i-link……ですよね?」


「ええ、i-linkに接続する為の端末です。でもこれは特殊ですから……」


 i-linkに接続された端末はカチューシャのようなものが可動して脳波を読み取ることで指向性の情報のやり取りを可能としてる。しかし、彼女の端末には脳波をスキャンする可動部位が見当たらなかった。


「言われてみれば……脳波スキャナーが無いな」


「そう、私のにはスキャナーがない。私はわざわざ外部から脳波を読み取る必要が無いんです。それが何を意味するか分かりますか?」


「えっ……?」


 高槻にはやはり理解できなかった。しかしながら、今まで会話の流れから、彼女が何を仄めかしているのか、おおよそは推測できた。


「ごめんなさい、話を戻しましょう。要するにレプリカントの意思の有無はともかく、フィリップ・キンドレド・ディックをSF作家と呼ぶ時代はもう終わったってこと」


 フィリップ・K・ディックって確か……えっと……

 高槻は記憶の引き出しから一つの作品を思い起こした。

「『ブレードランナー』……ですか?」


「そうですね。レプリカントの話となると、やはり参考にすべきは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でしょう」


「懐かしいな、映画の方なら見たことがあります」


「……そうなんですか」


 今どき、五十年も前のSF作品を観たことがある人なんてそうそう見かけることは無い。


「珍しいですね、今どき……」


 そう口にしたのは藍那だった。


 尤も高槻も彼女に対して同じ感想を抱いていた。だが、敢えて口にすることは無かった。


 その後は、彼女は話す口を無くしたかのように、そして人との会話に一切関心を示さなくなったかのように、ただ黙々と、周囲の状態を念入りに確認していた。

 遺体の発見された場所は勿論のこと、周囲の植生、そして、足跡さえ無かったものの、しっかりと辺りの地面の荒れ具合と土の質感を確かめて、考察する為の材料にしていた。その間、高槻はその場に立ち尽くすばかりだったのだが、それが唯一、今の彼ができる最善の行為のようにも思われた。高槻にとってはこの沈黙は確かに気不味いものであったが、彼は自ら話題を持ちかけることで彼女の調査を遮ることはせず、ただ、この海月という女性に最大限の自由を与え、見守ってやることに専念した。


 藍那はi-linkの膨大なデータベースにアクセスし、植生や土質、現場に僅かに残された血痕をデータと照らし合わせていく。


「今、視覚で捉えた情報と類似点のある全てのデータを表示して」

 この声が周囲の人間に聞こえることなど無い。所謂、心の声。則ち、脳内で形成した文字列はi-linkの端末で読み込まれ、そのまま端末に指示を促す。


 彼女の視界に広がる拡張現実には、幾つものブラウザが立ち上げられ、ネットの海に埋没していた数十年前の植生の研究論文、その中にある植物の画像など、一見して不必要と思われるデータや、警察庁に不正にアクセスして手に入れた個人のDNA鑑定結果の情報などが視界を埋め尽くす勢いで浮かび上がってくる。


「早くして……時間をかけ過ぎると逆探知される」

 

 彼女はネイルの出来を確認するかのように、爪先を見つめ、左手の人差し指と中指で、同じく右手の二本の指先の爪を軽く撫でた。


「変……レプリカントにしてはちょっと優秀すぎる……」

 それは不意に零れたもので、彼女自身でさえ、実際に口にしたのか電脳の内奥で呟いたのか分からなかった。


 ものの二十秒。それで全てのデータに目を通し、それから警察庁へのアクセスルートを消し去る。


 新たな疑問や発見があれば、また適宜i-linkへアクセスを行い、その工程を何度か重ねることで、現場から収集したデータのファイリングを済ませた。


 

 十五分程度の調査で彼女は得られるだけの情報を掻き集め、高槻とともにその場を撤退し、再び規則線の外側に戻ってきた。


 同じ空に覆われている筈なのに、規則線の内と外では青空の透明度が異なっているようにさえ感じる。やはり人が惨殺された現場は重くどんよりとして、其処では、空の淡く澄んだ青も変わり果てる。

 

「マリオンの接地があまりに丁寧すぎると思いませんか」


 藍那は高槻に囁くように、そう一言だけ告げた。

 

 まるで全てが被害者の自演であるかのよう。これでは、悪霊に取り憑かれた者が狂気に基づき、自殺を図ったのだと捉える方が余程現実的であるように思える。


「地面に残されているのは、被害者が抵抗した跡だけ……ですか?」


 経験の浅い高槻の観察力は、彼女のレベルには至らない。しかし、彼の目から見ても、これまで捜査に携わった殺人事件と比較して、この一件は不自然な部分が多く存在している。


「だとすると、足跡が有るか無いか以前に、正直本当にマリオンというレプリカントが現実に存在するのかどうかを疑いたくなりますね」

 まさしく、それは高槻の本音だった。最早、全てが不可解な事象に思われて彼には仕方がなかった。


「ええ、当然疑うべきでしょうね。その辺も一度、調べてみないといけないみたいです」

 彼女は何食わぬ表情で告げた。


「えっ……?」

 自分では軽く冗談を言ったつもりだった。その為、高槻は彼女の言葉を予想していなかった。


「あの……ですがさっきのは……。それにマリオンは……」

 さっきのは……冗談だ。思わず愚痴を零してしまったに過ぎない。

 マリオンは……ちゃんと実在するし、報告書に虚偽は無い。どう足掻いても、どう転んでも、犯人は間違いなく、あのレプリカントなのだ。



「その言葉の通りです」


 その一言は何かを突き付けるかの如く、高槻が考えていた次の台詞を完全に抑圧した。彼は先程の彼女の発言に対する疑問を消化する機会を失ってしまった。


 藍那は少々考えた上で、高槻の困惑した表情を見ようともせずに、彼に告げた。


「レプリカントは転ばないのでしょうか?」

 

「え?」


「私は転ぶと思っています。石があれば躓くし、穴に嵌ると落ちる、まるで人みたいに」


 ……レプリカントが転ぶ?


 そんな筈がない。少なくともそれを目撃した人物は居ないだろう。とても想像し難い現象である。


 彼女の本意はいまいち掴めないままでいるが、高槻は率直に意見を述べることにした。

「そう簡単には転ばないと思いますが……」


 高槻がそう答えると、藍那がほんの少しだけ微笑んだようにも見えた。


「DELTAの本社にでも行って、レプリカントは転ぶか聞いてみると何か掴めるかもしれません」


 藍那はとても不思議な気分だった。それは、あまりに高槻という新人巡査の表情がきょとんとしていたから。きっとそうに違いなかった。

 そもそもDELTAの本社は米国にあるのだし、仮に其処へ向かったとしても、私は多分、レプリカントは転ぶか?なんて尋ねない。真っ先にレプリカントの行動原理を尋ねるだろう。彼等は何を優先し、どんな時に行動するのか?又、人の命令に背くとしたらそれはどんな時なのか?殺人レプリカントを処理するにはそれを知る必要がある。


 こんな冗談を言うなんて自分らしくないな、今日は……

 そして、不思議な感情の余韻に少しだけ浸った。


「高槻さん、調査への協力感謝します。私は向かう所ができたので、そろそろ現場を離れます」


 そう告げると彼女は一礼し、高槻に背中を向けた。


 彼女の長く艶やかな黒髪が少しばかり靡いて、それに気を取られた高槻は声に出すタイミングが少し遅れた。

「あ、あの……ちょっと待ってもらえませんか?」


 彼の言葉を余所に、少し申し訳無さそうに「失礼します」とだけ添えて、藍那は何かを思い出したかのように現場を後にした。



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