腐れ縁の彼
私は急いでいた─────出来るだけ早く。
入学式の開始予定時刻よりも、一時間早く着くように家を出た。
私の住んでるアパートから、今日から通う聖堂学園高校までは、電車で10分。家から最寄駅までゆっくり歩いたとしても20分。
だから30分あれば、学校には遅刻しないわけで。
おまけに入学式は8時から受付開始。
それなのに私は一時間前に学校に着くつもりで家を出た。
入学式に遅刻するからとか、そんな“普通の”理由ではなくて。
「束沙ちゃん」
私はその声に、恐る恐るゆっくり振り返る。
(あぁ・・・ダメだった・・・・・・)
そしてやっぱりと言うべきか、落胆した。
「・・・おはよう、真琴」
ガッカリと肩を落としていた私は、上手く笑顔を作れている自信はないが、とりあえず私をじっと見つめている男、神崎真琴に挨拶する。
(私、かなり競歩で歩いてたよ?というか、まだ朝の6時半ですよ?)
息が乱れている私と違い、呼吸ひとつ乱さずに涼しい顔で私を見つめる真琴。
─────はっきり言って、怖いです。
「束沙ちゃん、どうして僕を置いてくの?」
大きな瞳をウルウルさせ、あたかも傷ついたかのような表情で私を見つめる真琴。
第三者から見れば、まるで私の方が一方的に悪いことをしたかのようだ。
違います。真実は違いますから!
約束なんて、何もしてないし。
「ちょっと待て、その前にどうして一緒に登校しなくちゃならないの?」
(私と真琴の関係なんて、ただ去年まで同じ中学を卒業したってだけの腐れ縁。)
「どうしてって。僕たち、同じ高校だよ?」
「そうだけど」
真琴と話すのは、苦手だ。
気が付くとなぜか、彼に言いくるめられているから。
「道中心配だし」
「いや、何が?」
心配してもらうほど、私は美少女でもか弱くもない。
むしろ、細くて華奢で色白の美少年なあんたの方が道中心配だわ。
(って、そうじゃなくて!)
「あのね、私は今度こそまともな生活を送りたいわけ!分かる?」
「束沙?」
(あ、やば・・・。)
またやってしまった。
真琴の性格は、分かっていたつもりなのに。
今のは失言だ。
ツカツカと私の目の前まで歩いてくる真琴は、
笑っているけど、目が笑っていない。
(─────怖。)
「束沙は、僕が居ないとダメなんだから、ね?」
(逆でしょ?“あんたが”、私が居ないとダメなんでしょうが!)
と心の中でツッコむが、口には出さない。
口にしたら、もっとめんどくさくなるのが目に見えているから。
「束沙ちゃんかわいいから、変な虫に寄られても困るし」
(美人を想像した皆さますみません。
まったく美人でも可愛くもないです。
まぁブサイクまではいかないと思いたいけど。まぁ、普通です。)
「もし、私が真琴から離れたいって言ったらどうする?」
私は、少しだけ真琴の本音を聞き出そうと、質問してみた。
(“もし”、だから。仮定の話ね、あくまで。)
そう言っておかないと、真琴の答えは怖くて聞けそうにないし。
少し考えこんで、真琴が口を開く。
「その理由によるけど、」
そこから瞬き一つせず、途中息継ぎ一つせず、彼はこう言った。
「まぁ…例えば他に友達が欲しい、とかならとりあえずその友達を調べあげるよね。弱味とか。それからそいつに忠告するよね、僕の束沙を奪ったらどうなるか…って。あ、でも友達として無害そうだったらまぁ許すかな。だって束沙がそれを望んでいるんでしょ?」
「・・・・・・」
私は何も言えませんでした。・・・怖すぎて。
「束沙ちゃん?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼は、恐ろしくも美しい顔立ちで、しかも計算された、完璧な上目遣いだ。
「とりあえず、高校では悪目立ちしたくない」
私は、とりあえずそれだけ。もの凄くささやかな願いを口にする。
「中学では悪目立ちしてたみたいな言い方だね」
何が可笑しかったのか、クスッと笑って真琴が言う。
(してたじゃん、見事に。あんたのせいで。)
「ま、束沙ちゃんの言う“普通”に近付けるように、僕も努めるよ」
「本当?」
意外な言葉に、真琴を恨めしい目で見ていた私はこの時、夢のように目を輝かせていたと思う。
次の、真琴の言葉を聞くまでの、ほんの一瞬だけ。
「うん、僕にキスしてくれたら」
「―――は?」
(何故私が、真琴にキス?するわけないわっ!!)




