欲望
シャロンは街から出ると、息を切らしながら周囲を見回す。
確か、昨日この辺に瞬間移動の魔方陣を書いてたからアンリがいるはずなのに見つからない。
「どこ…どこに行ったの?」
待ち合わせ場所もここなのに…!
シャロンは不安そうに首から下がるアンリから貰ったお守りを握りしめる。
街の住民に見つかってしまったのだろうか?
いや、そんなはずはない。
シャロンがアンリの名を呼ぼうとした時、目の前に広がる森の入り口で何かが動くのが見えた。
「アンリ!?」
慌てて森の入り口へ駆け寄ると、そこにはぐったりと木の幹に寄り掛かるアンリがいた。
遠くからではわからなかったが、あっちこっちに傷があり重傷なのは一目両全だった。
「何でこんなになるまで、一昨日会ったばかりの子の為にここまで戦うのよ!!もっと自分を大切にしててって言ったじゃない!!」
そう怒鳴ろうと思ったが、アンリが微かに震えているのに気づいてシャロンは隣にしゃがむとそっと肩に手を置いた。
「アンリ、大丈夫?」
アンリは肩をビクッと震わせると、顔をあげてシャロンだとわかり安堵して微笑んだ。
「…シャロン、か。街はどうだった?ルヴィカは?」
「大丈夫。全部、計画通りうまく行ったわ…一つを除いてね」
シャロンはアンリの火傷した腕を手に取ると、ファリスから貰った魔法薬を数滴垂らした。
「それは?」
「ファリスさんから。ファリスさんにはばれちゃった」
「そっか。でも、ファリスさんなら大丈夫だろうな」
「…うん」
シャロンはジオーグで調達した包帯を鞄から取り出すとハッとして固まる。
どうしよう、そういえば巻き方を知らない…!
少し考えた後、グルグルと適当にアンリの腕に包帯を巻き付けていく。
「ごめん、ちょっと適当だけど許して」
「大丈夫、それより悪いな」
そう言うアンリの声が震えている気がして、シャロンは包帯を解けないようにしっかり結ぶと顔をあげてアンリを見つめた。
「泣いて、るの?」
動揺しながら、聞いてくるシャロンにアンリは苦笑した。
「何か、自然と出てきた。…シャロンの声を聞いて少し安心したからかな?」
「え?」
「本当は怖かったんだ。…街を襲っているときに歯止めが利かなくなったらどうしようって不安だった。あのまま呪いに負けていたら俺はルヴィカを殺してたかもしれない」
アンリは頭を抱えて俯いた。
「ローエルが来たとき本当は殺そうと思ったんだ。何とか欲望を押さえ込んだけど…。この欲望は呪いから来るものなのか、それとも元々持っているものなのか自分でわからないんだ。…呪いが解けたとしてもいつかは人を欲望のままに殺してしまうかもしれない。父親のように…」
それが一番怖かった。
父親のように欲望のままに人を殺してしまうのが恐ろしい。
結局、どう足掻いても自分は魔族で父親と同じ道を歩むことになる。
そしたら、もうケーキをくれたあの子に会わせる顔もない。
「いつか、この手は血で染まるのかもしれない…」
自分の手を眺めてポツリと溢した。
「馬鹿ね」
その言葉と共に自分の手をそっとシャロンの両手が包み込んだ。
アンリが驚いて顔をあげると、優しく微笑むシャロンと目があった。
「…人を快楽で殺せないってアンリが一番わかってるでしょ?アンリはお父さんと違うって今ならわかる。アンリはすごく優しいよ?そうじゃなかったら、そんなにボロボロになってまでルヴィカを助けようとしないし、人を殺す事にこんなに罪悪感なんて抱かないでしょ?」
「シャロン…」
「だから、今アンリが抱いてる欲望は全部呪いのせい。本当のアンリの欲望なんかじゃない」
そう告げて、シャロンはぎゅっとアンリの手を強く握る。
「それからね、もしアンリが呪いに負けそうになったら私が全力で止めてあげるよ。…何があっても絶対にアンリに人を殺させたりしない。だから、怖がらなくていいんだよ」
シャロンのその言葉で、身体の震えがピタリと止まった。
アンリはちょっとだけ、驚いた顔をした後に笑みを浮かべると「ありがとう」と言った。
らしくないことを言ったせいか、段々恥ずかしくなってきたシャロンがアンリから顔を反らせて空を見上げるといつの間にか雨は止んでいて、青い空から雲の切れ間から顔を覗かせていた。
「雨、止んだな」
「そうだね。通り雨だったのかな?」
シャロンはアンリに肩を貸して一緒に立ち上がる。
「さて、旅の続きでもしよう?…ここだと街の人に見つかっちゃうから、少し離れたところで他の箇所の手当てするね」
「悪いな。…じゃあ、俺はそのついでにシャロンが上手に包帯を巻けるように教えてやるよ」
「…っ!やっぱり適当じゃダメ!?」
「そりゃあ、ダメだろ。今後のためにも」
「うぅ…。料理に包帯まで…。アンリに頭が上がらない」
「だろうな」
アンリとシャロンはそこで黙って見つめ合った後、二人して大声で笑うと「行くか」というアンリのの言葉でジオーグの城壁に背を向けて森の中へと歩き出した。