師と弟子
今日も、この牢獄の外から村人たちの罵声が聞こえる。
生まれてからずっと、この石で出来た冷たい塔の牢獄の中で何千何万と聞いてきた。
少年はまだ幼さの残る顔を曇らせて、鉄格子の付いた窓の方へと視線を向ける。
自分はなにもしてない。
なのに何故、村の人々は自分に怒鳴り、泣きわめき死んでくれと願う?
そんなに願うのならあのとき、殺してくれればよったのに。
生きたいと願った覚えはないのに。
少年は石の冷たい床にうつ伏せに寝転がると目を閉じる。
早く殺して終わりにしてほしい。
誰かに罵られるのにもう耐えられない。
でも、自分が生まれてしまったせいで魔族である 父が暴走してしまったのは事実だった。
元々、人間が好きだった父が人間の母と恋に落ち出来たのが自分。
魔族の子供を人間が身籠ると、母体が生まれてくる子供の力に耐えきれず死んでしまうらしい。
そのせいで母は死に、しばらく魔族の力を封じてた父は母の血に魅せられ殺人の衝動にかられこの村の人々を次々と手にかけた。
「アンリ、起きてますか?」
突然かけられた声に少年…アンリは目を開き、ゆっくり起き上がる。
固く閉ざされている筈の扉の前に一人の女性が立っていた。
扉が開く音がしなかった。
てことは、魔法で入ってきたのか…。
アンリは特に驚くことは無く小さく頷いた。
彼女の名前は、アンネ・リコール。
アンネの身に纏う黒いローブの縁には美しい銀色の刺繍が施されている。
そのローブは国家公認魔法使いの証。
彼女こそ、このヒューディーク村を護るために配属された守護者であり、アンリの父を殺した魔女である。
「村の守護者様が、ボクに何の用?」
アンリが皮肉を込めて言うが、アンネは静かに微笑んだ。
「貴方を迎えに来ました。」
アンリは驚いて目を見開く。
「迎えに来た…?」
「ええ。眠りの月の今日は貴方の十歳の誕生日よ」
アンネの言葉にアンリは眉をひそめる
。
「知ってる。昨日からどんちゃん騒ぎだし、いつもより罵声が酷い」
「そうね。もっと静かな場所に行きましょう」
そう言って差し述べるアンネの手を、アンリはジッと見つめる。
「ほら」
アンネに促されアンリは戸惑いながらその手を掴んだ。
すると、アンリの視界がグニャリと歪み次の瞬間には静かな森の中にいた。
「!?」
驚いて周りを見回す。
鬱蒼と生い茂る森。
右側には大きな湖まである。
森を駆け抜ける風が冷たく、だが、優しくアンリの頬を撫でた。
こんな景色、牢獄から出た事がほとんどないアンリには見たことがなかった。
「…すごい」
綺麗だと素直に思えた。
緑色の世界と青空を写す巨大な水の鏡。
「死ぬ前にこんな綺麗な景色を見られてよかった」
アンリの言葉にアンネはぎょっとした顔をする。
「へ?」
「殺すために牢獄から連れ出したんだろ?誰かが叫んでた。今日で終わりだって。…ボクを殺すつもりなんでしょ」
その言葉に、アンネは首を横に振る。
「いいえ。前にも説明しましたが、貴方を村の誰かが殺せば、ヒューディーク村の全員が死んでしまう呪いを貴方の父から掛けられてしまっているせいで私たちでは殺せません」
その言葉にアンリの中で何かが切れた。
「だったら何処からか殺し屋を雇えばいいだろ!!!いつまでボクは父親の罪を背負えばいい!?いつまで村人の罵声を聞き続ければ許されるの!?いつまでこんな風に生きてなきゃいけないんだよ!!!」
ずっと溜め込んできた不満が言葉となり一気に溢れだし、右手を横に振り払う。
その瞬間、右手から青い光が放たれ湖が凍りついく。
その光景にアンリはぎょっとして、目を見開く。
「な、何これ…!」
アンネは目を細めた。
「…それがアンリの生まれ持つ主魔法ですね。父親と同じ氷の魔法…」
「しゅまほう…?」
聞いたことの無い言葉にアンリは気持ちを落ち着けてから聞き返す。
「主魔法は生まれたときから持つ魔法。他の魔法と違って呪文がなくても自由に発動ができる魔法です。人によって扱えるものはことなりますが…」
アンネはそう言って右手を振りあげた瞬間、突風が吹き荒れた。
「これが私の主魔法。私は風を操れるんですよ」
そう言ってアンネは微笑むと、アンリの両手を包み込む。
「アンリ、貴方は魔族の血を半分引き継いでいます。貴方の中には強大な魔力が流れている。アンリが父親と同じく間違った道にいかないように私が貴方に魔法を教えましょう。十歳になったら私は貴方の師となることを決めていました。貴方を正しい道へと導く為に」
「何を勝手なことを…!」
アンリはアンネの手を振り払った。
「正しい道ってなんだよ!?ボクはどうせ誰にも生きることを望まれてないんだ!ボクの正しい道は死んで父さんの分まで罪を償うことだろう!」
アンリの血の吐くような言葉にアンネは悲しそうな顔をする。
「いいえ。貴方の命は多くの人の命と引き換えにあるのです。貴方が死ぬと言うことは多くの人の命を無駄にするのと同じなんです。償おうと思っているのなら、どんなに苦しくても辛くても生きなさい。貴方の父親に殺された彼からが生きたいと願った今日を必死に彼らの分まで生きなさい。」
アンリは俯いて黙りこみ、アンネの言葉の意味を考える。
父親が殺した人たちの分まで生きることを果たして自分がしてもいいのだろうか?
アンネはため息をつくと、ローブの中から剣を取り出しアンリに差し出す。
「誕生日プレゼントです、アンリ」
アンリはその言葉で顔をあげる。
それは見ただけで高価な剣なのだろうと想像がつく品物だった。
鞘には見事な装飾が施され、剣全体が青く淡い光を放っている。
「それは魔具と呼ばれる人間が待つ主魔法を最大限に引き出す武器です。その剣は氷の力を秘めています。貴方の父親が愛用していたものですよ。銘は氷月華【ヒョウゲツカ】。アンリに差し上げましょう。主魔法が氷の貴方にはぴったりの剣です」
アンリは恐る恐るその剣に手を伸ばす。
が、直ぐに剣を引っ込められてしまう。
「これが欲しければ、私を師匠と呼びなさい、アンリ・ローレンス」
アンリはその言葉に深く俯く。
勝手に父親と同じ過ちを犯さないよう、魔法を教えると言うアンネ。
アンネのせいで自分は無駄に生かされ、村の端にある塔に閉じ込められて、村人たちの罵声を聞き続けなければならなかった。
恨んでないと言えば嘘になる。
本当ならアンネの言葉など聞き捨てたい。
こんな奴を師匠と呼ぶなんて…!
でも…。
アンリは優しく微笑むアンネの顔を見た。
村の中で優しくアンリを見て微笑んでくれるのは、アンネだけだった。
アンネだけが、声をかけてくれた。
アンネだけが自分を罵らなかった。
アンリはどうすればいいのか、本当はどうしたいのか必死に自分に問いかける。
そして…。
「…はい、師匠」
父親に殺された人たちの分まで生きることが許されるのなら、これから一人で生きていくうえで、魔法は使えないと生きていけない。
それに父と違ってもしも自分が暴走して誰にも止めることが出来ずに多くの人を殺してしまったら?
なら、アンネを師匠として認めて色々教えて貰った方がいいかもしれない。
これがアンリの決断だった。
アンリの言葉に満足したのか、アンネは優しい笑みを浮かべると、氷月華をアンリに手渡した。
アンリはずっしりと重い氷月華を抱き締めると、覚悟を決めて師であるアンネを真っ直ぐ見つめた。