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周期が変わって火日。剣授の儀まで後七日。
昨日は生徒会棟に向かい、クロ様立会いの下で双剣を準備室に保管して、その後エルザ様も交えてちょっとしたお茶会になった。日程的に昨日までにできる仕事は全部終わったそうで、クロ様なんか調理室でお菓子を作っていたらしい。そのおかげで美味しい焼き菓子が食べられたのだけれど。
ユイニィは長く続く学園の塀の横を歩きながら、昨日のことを思い返していた。まだ時間は早いので、他に生徒の姿はほとんどない。
登校中は一人のことが多いので、こうやって考え事をしていることが多くなる。最近は専ら生徒会と、マテリア様のことばかり。
この数日で、色々なことがあった。いや、あり過ぎた。
初等部と中等部の頃を思い出しても、こんなに急に変化が訪れたのは初めてのことで、身体はともかく頭が着いてこられていないような気がする。
特に人間関係は著しく、とても刺激的だった。
その中でもマテリア様。
あの日、ぶつかってから。
マテリア様のお姿を見て。
マテリア様のお声を聞いて。
マテリア様の温もりを感じて。
「……あれ?」
ふと、レシル様の言葉を思い出した。
まぁ、いろいろあってちょっと他人と距離を取るようになってるのよ。
レシル様はそう仰っていた。
だけれど、よくよく思い出してみれば、昨日お誘いしたのはユイニィだったけれど、いつもマテリア様からユイニィとの距離をつめて下さっているような……。
「……おはよー、ユイニィちゃんっ!」
「うわぁっ!?」
いきなり背後から抱きつかれて、思わずユイニィの口から大きな声が出る。
「こらこら、そんなに大声出さないの。近所の人が通報しちゃうでしょ。それに、お嬢様がはしたないわ」
「レ、レシル様……」
真紅の髪と瞳。振り返ればレシル様がそこにいた。まだ早い時間だというのに、寝ぼけた様子など微塵も感じさせず、清々しくもお美しい。
「早いのね、ユイニィちゃん」
「はぁ。何だか最近癖になっておりまして」
ユイニィは曖昧に頷きながら、レシル様と並んで歩き始めた。
まだまだ登校する生徒の数は少ないからいいけれど、レシル様と並んで登校だなんて、見る人が見たら、やっぱり変な噂になりそう。
「そうそう、ご苦労様。双剣受け取ってくれたの、夕べクロから聞いたわ。ありがとう」
「あ、いえ。タニアさんとマテリア様も一緒でしたから」
「うん。だけれど、ユイニィちゃんにもありがとう。本来は私がいくべきだったのだけれど、会長の承認がいることが多くて……昨日は昨日で親戚の結婚式でね。本当に助かったわ」
レシル様は瞳を細めて微笑んだ。何事もなく無事でよかった、と。やはり、脅迫状の件もあり、心配されていたらしい。
「マテリアがいるなら、少々何かあっても大丈夫なのだけれど、そういう問題でもないしね……ああ、それと、朝一番で先生から連絡があって、剣授の儀に関して、私の提案が一応通ったわ。ユイニィちゃん、双剣を受け取ったこと、誰かに話した?」
「いえ、誰にも話してないと思います」
「よしよし。あのね、剣授の儀、中止で」
「……え?」
レシル様はにこにこと、重要なことを笑顔で言った。
え、あれ。これって、こんなに世間話みたいに発表していいのだろうか。もっと、応接室で全員集まってから。残念だけれど仕方がないの。分かってちょうだい。みたいな風に言うべきことなのではないでしょうか。
「うん。いい顔してる。一応理由は、双剣の納品日が変更になったってことになってるわ」
レシル様の言う通り、ユイニィは今、さぞや面白い表情になっていることだろう。中止。理由は剣が届かない。だけど、剣は昨日受け取ってきたわけで……ああっ!
「ん、気付いた? 表向きは中止。部活紹介だけってことになってるわ。実際は順番を入れ替えて、部活紹介の後に行う。当日まで誰にも知らせない予定よ。多少準備は慌しくなるでしょうけれど、対策としてはいいでしょう」
確かにそれなら、これ以上何か起きる心配はなさそうだ。
「だけど、せっかくマテリア様が双剣持ちになられるのに……」
こんなふうに、こそこそ隠れるようにしなければならないなんて。
その方が危険もないし、中止にもしなくていいのだから、良いということは分かる。だけれど、栄誉あることなのだ。それは不本意なことではないのだろうか。
校門を抜け、石畳の道を歩く。レシル様と並んでいるけれど会話はなかった。ユイニィが黙り込んでしまったから。良くないことだとは思うけれど、一度黙ってしまうと次に口を開きづらくなってしまった。
やがて、噴水の所まで来たところで、レシル様が口を開いた。
「ユイニィちゃん。マテリアのこと、好き?」
「はい」
あまりにも唐突な質問に、ユイニィは考える前に返事をしてしまった。レシル様は、ちょっとだけ笑った。
「よし……ちょっとおいで」
「え、え、え?」
レシル様はユイニィの手を取ると、昇降口からは離れ、図書館の方へと引っ張っていく。当然校舎から離れると、他に人の姿なんて全然なくなる。これはひょっとして、密会というやつではないだろうか。
「うん。ここでいいか……何だか、ユイニィちゃんとはこうやって話してる印象ばかりだわ」
「言われると、私もそうです」
レシル様と最初にお話したときも、こんな風に人目を避けていた気がする。
「うーんとね。私もね、会長って立場じゃなければ、強行したいくらいなんだわ。私の可愛い妹分の晴れの舞台に水さすんじゃねーっ! ってね」
そう言って笑うレシル様は、何を思ったか、突然腰の小剣の止め具を外して、炎色の剣と共通の剣をユイニィへと差し出す。
「ちょっと、持っていてくれる」
「は、はい」
それは、とても貴重なものなのだ。ユイニィは緊張しながらも、それを両手で受け取る。
重い。
二振りだからとか、装飾が豪華だからとかではなくて、その剣から伝わる重さは、ユイニィの腰にある剣とは異質な重さがある。
「歴史なのか何なのかは知らないけれど、全く重い剣なのよ。一振りでも重過ぎるくらい。クロは本当に凄いわ」
そう言って笑うレシル様は、身軽だった。
身体だけじゃなくて、心も軽くなったみたいに感じられる。 きっと、剣を外したからだろう。ユイニィは何となく思った。今、ユイニィの前にいるのは、生徒会長とか、双剣持ちという重石から解放された、素顔のレシル様なんだ、と。
「アニスがいてくれなかったら、きっと今頃土に埋まってたわ」
ああ、だからこそ片刃が必要だったのだろう。レシル様の苦笑いを見て思った。それを見越して、クロ様はアニス様をレシル様の片刃に推したのだ。
「私も、マテリアが好きよ。だから、できるなら、最上の形で剣授の儀に臨んでもらいたい。その気持ちは、間違いなくユイニィちゃんと同じよ」
「……はい」
ああ、レシル様は先程のユイニィの様子を見て、こうやって話してくれているのだと分かった。申し訳なく思ったけれど、嬉しいとも思う。
「だけれど、今の私にできるのは、さっき話した方法が精一杯。マテリアを危険にさらすなんて、それこそ出来たことじゃないわ」
「それは、もちろんです」
不満には思ったけれど、ユイニィだって、マテリア様を危なくさせたいなんてことはない。
「だから、私達は同志だわ」
「……はい?」
「気持ちは同じってこと……剣授の儀の件。知っているのは高等部の先生方と学園長。それと生徒会役員と、タニアちゃんとユイニィちゃん。各組には先生方から、剣授の儀は中止と伝えてもらう手はずになっている」
口を滑らせないようにと、釘を刺されてしまった。これは注意していないといけない。
「これで、当日までは安心。だけれど、解決ではないわ」
「はい」
「だから、私はこっそり、脅迫状の犯人を捜そうと思ってる」
「はいっ!?」
悪戯っぽく言うレシル様に、ユイニィは思いっ切り声を上げてしまい、レシル様に口をふさがれた。
「しー。簡単な話よ。犯人が見つかれば、何の問題もなく剣授の儀を執り行えるでしょ?」
「むぐ……そ、それはそうですけれど」
素顔のレシル様。実は相当お転婆なのかも。
「マテリアはこういうことをすると怒るだろうし、クロはあれで堅実だから反対するでしょう。それはアニスも一緒。エルザも危険だからやめろって言うだろうし、先生方はもってのほか。だから、私一人でこっそり調べるつもりだったのだけれど」
だとしたら、それをユイニィに話してしまってよかったのだろうか。もちろんユイニィは犯人ではないけれど、誰が犯人かも分からないのに。
「マテリアを好きなもの同士、手伝ってちょうだい。大丈夫。絶対ユイニィちゃんを危険な目には合わせない。それは……この剣に誓うわ」
「レシル様……」
レシル様はユイニィの手から剣を取ると、眼前に掲げた。炎を模した剣とレシル様の真っ直ぐな瞳が朝の光に輝く。
「分かりました。手伝います。手伝わせてくださいっ」
「……ありがとう」
何ができるかなんて分からないけれど。マテリア様を思い浮かべる。
でも、自分ができることがあるなら、そうしたい。
好きな人のために何かしたいと思うのは、だって、当然なんだって思うから。
昼食休憩。ユイニィはお弁当箱を片手に生徒会棟に来ていた。
授業終わりですぐに出てきたので、まだ誰も来ていないかもしれない。鍵は朝にレシル様が開けているので大丈夫だろうことは知っていた。誰が来るかは分からないので、お茶の準備だけしておこうと思ったのだ。今週期からは部活動関係者も頻繁に来るらしいから。
しかし、朝といい昼といい、ユイニィは自分の心配性を思ってため息をつく。眼前にやることがあると、どうにも落ち着かなくて焦ってしまうのだ。
家族で旅行する前日は眠れなくなるし、人と待ち合わせれば、早い時には四刻以上前に待ち合わせ場所に着いてしまう。悪いことではないと思うけれど、もう少し落ち着いて行動したいものだ。
「あれ?」
金属の少し重い扉を開け中に入ったところで、頭上に人の気配を感じる。階段の方に目をやるが誰の姿もない。どなたか、先にいらしたのだろうか。
少し慌てて階段を上がっていると、扉の取っ手のなる音がした。繰り返し鳴るその音は、どうやら鍵の開いていない扉の取っ手を上下しているようだ。鍵が開いていないのだろうか。
階段を上がりきって二階に着くと、応接室ではなく、向かいの準備室の扉の前に人影があった。
「ロイス先生?」
「おっ!? ああ、アールクラフトか」
そこにはロイス先生がいた。急に声をかけたからか、随分驚かれてしまった。
「準備室に、御用事でしょうか?」
「ん、ああ。この間シンに頼まれていた台座を直そうと思ってな。用務のシラットじいさんがこういうの得意らしい」
用務員のシラットさん。綺麗な白髪とお髭の、ちょっとお茶目なおじいちゃん。凄く優しくて、時々悩みを相談に行く生徒もいるくらいだという人気者である。聖誕祭前になると、男性の先生よりもクッキーをもらうのだとか。
「あ、多分台座なら昨日下の倉庫に移したはずです。クロ様がぼやいていたので」
「ああ、そうなのか。誰もいなくて困ってたんだ。助かったよ」
ロイス先生はそう言って階段を下りていった。
昨日知ったのだけれど、ロイス先生は生徒会の顧問だった。考えてみればレシル様もクロ様も、報告はロイス先生にしていたのだから、普通に考えれば当然だった。
だけれど、先生も気軽にお茶をしに来られるくらいでもいいのかもしれない。開かれた生徒会を望むクロ様の言葉を思い出しながら、ユイニィは応接室に入った。
テーブルにお弁当箱を置いて、部屋の奥の窓を開ける。二階なのでさほど高くはないけれど、こちらの方角には校舎等の建物がないので遠くまで見渡せる。いつもよりちょっと高い目線は、けれども広大に広がる街並みが見えて気持ちがいい。
それから流しに向かいお湯を沸かす。気付いたのだけれど、この小型魔動炉。ユイニィの家の魔動炉よりも小さいのに、火力は随分強いらしくてすぐにお湯が沸く。
その間に台拭きに保温筒から少しぬるくなったお湯をかけ、テーブルを拭く。お茶を飲んだりするだけではなくて、書類仕事なども行われるこのテーブルは、見えないけれど割と汚れているのだ。事務的なお仕事の手伝いはユイニィにはできないので、せめてこれくらいはやっておきたい。
そうこうしているうちにお湯が沸き、保温筒の中身を入れ替える。薬缶には丁度一杯分くらいのお湯が残ったので、これはユイニィの分。
「……ん?」
戸棚から粉末茶の缶を出そうとして、ふと違和感に手を止めた。
違和感の正体は何かと部屋を見回すと、壁に取り付けられた鍵箱で目が止まった。普段は閉まっている箱の蓋が少し開いているのだ。この鍵はレシル様かクロ様が管理していて、必要なとき以外は開けられない。
気になったので戸棚の向こう、部屋の扉から一番奥の角の壁にある鍵箱へと向かう。昨日準備室の鍵をクロ様がかけた後、鍵箱の施錠を忘れたのかもしれない。
「あれ?」
箱の中。並んだ鉤に鍵が下げられている。それぞれの上に紙片が貼られていて、準備室と書かれたその下には、鍵はなかった。
ひょっとして、クロ様は鍵を戻すのも忘れたのかもしれない。
ユイニィは鍵箱の蓋を閉めて、後でクロ様に伝えることにした。
「お、今日も若奥様はかいがいしいね」
「あ、お疲れ様ですエルザ様……奥様って」
粉末茶の缶を取り流しに戻ったところで、扉を開けてエルザ様が現れた。お昼はパンのエルザ様とはこの時間、いつも一緒になる。
「ふっふっふ。この時間は私がユイニィちゃんを独占させてもらおう」
「……じゃあ、エルザ様が旦那様なんですか?」
「ほっほっほ、ユイニィや、ちこう寄れ」
「そんな旦那様は嫌ですー」
そう言って笑いあう。エルザ様とも随分打ち解けて、こうやって冗談を言い合えるようになった。それが嬉しいので、美味しいお茶をお出しする。
「はい、濃い目です」
「ありがと。最近これが楽しみでね」
お世辞でも、そう言ってもらえるのは嬉しい。エルザ様の笑顔を見ながら自分のカップを置いて、エルザ様の隣に座った。
隣にいると、エルザ様のカップの様子がわかるので、お茶のおかわりだってすぐに気付ける。
ここ数日で分かったのことだけれど、ユイニィはこうやって誰かのお世話をさせて頂くのが好きなようだった。人に喜んでもらえることが、凄く嬉しいと思う。
「しかし、まいったね。剣授の儀」
「そ、そうですね」
お弁当を食べ始めたところでエルザ様が呟いたので、ユイニィは身体を震わせた。朝のレシル様との会話を思い出す。
エルザ様は、剣授の儀が部活紹介の後に行われることを知っている。だから、レシル様が犯人を捜していることだけ、秘密。心の中で確認する。
「当日は段取りが大変だから、ユイニィちゃんとタニアちゃんには、裏に回ってもらうことになるかもしれない。本当は最初だから座席から見せてあげたかったんだけれど……ごめんね」
「いえ、お手伝いさせていただけるの、本当に嬉しいんです。お気遣いありがとうございます」
申し訳なさそうな表情のエルザ様に、ユイニィは笑顔でそう応えた。最初は戸惑っていたけれど今は違う。心から、この先輩達の手伝いがしたいと思える。
「そう……ありがとうね」
ユイニィの言葉に、エルザ様はどこか苦笑混じりに微笑んだ。