7
「髪よし、顔よし、服よしっ」
ユイニィはショーウィンドウに映る自分の姿を確認して頷いた。
時刻は緑三刻を回ったところ。場所は中央区三番駅に隣接しているパン屋の前である。休日の昼過ぎということで人通りはそれなりにあるけれど、北区や東区ほど栄えてはいないので、あくまでそれなりに。
待ち合わせは緑四刻なので落ち着かない気持ちを抑えながら待つ。今日は制服ではなく、乳白色の膝丈のワンピースに薄手の水色のカーディガン。靴は母親のショートブーツを借りてきた。いつもよりずっと、お嬢様、な格好を意識してしまった。肩掛けの茶色のバッグはワイバーンの皮膜から作られたお気に入りのバッグで、これはいつも通り。中には学生証と小剣も入れてあって、これは身分証明にもなるので持ち歩くことにしていた。
「……注意しなきゃ、か」
駅前を通り行く人々や魔動車を見ながら呟く。昨日のことを思い出したのだ。
昨日は先生の所から戻ってきたレシル様が、取り合えず保留になったと仰った。ロイス先生の方で調べてくれることになったらしく、レシル様はレシル様で調べてみるとのこと。
剣授の儀自体はどうなるかわからないが、部活紹介は関係ないのでこのまま準備を進めるらしい。そして双剣に関してはお困りのようだった。
先方にはすでに、いつ、誰が受け取りに行くか連絡済らしく、あまり予定を変更したくはない。気難しい方なのでなおさらであると。とはいえ脅迫が完全に悪戯ではないと言い切れない以上、受け取りに行くのは安全とは言い難い。
しかし、儀式を執り行うのと双剣を受け取りに行くことは若干意味合いが異なる。誰がいつ受け取るかなど、脅迫状の差出人の知るところではないだろうことから、注意はしなければいけないが問題はないだろうという結論になり、マテリア様も一緒に三人で行くということで先生からの許可も出たのだ。
念には念をということで、私服で行くということ。マテリア様は変装することという条件も追加され、まもなくその待ち合わせと時間となる。
しかし、昨日はあれほど脅迫状に動揺していたというのに、今日はマテリア様と出かけるということで落ち着かないのだから、我ながら現金だなぁと思う。
「あ、ユイニィさーん」
と、おっとりした声が聞こえる。声の方に顔を向けると、小走りに駆けてくるタニアさんの姿があった。
「こんにちわー。ユイニィさん、かわいいわねぇ」
「ありがと。タニアさんは、なんだかイメージと違って驚き」
ユイニィの前に立ちにこにこと言うタニアさんは、すらっとした紺色のズボンにスニーカー。長袖の白いシャツに草色のベスト。大きな三つ編みはそのままで、つばの短い丸い帽子を被っている。どっちかっていうと、男の子っぽい格好。
「おどろいた? ふふふ、格好いいでしょう?」
ほらって、ベストをめくって見せると、裏地の背中のほうに小剣が差してある。聞けば自分で小剣を収納できるように縫ったのだとか。よほど上手く作ってあるのか、外側から背中を見ても分からない。
「私、こういうの、大好き」
「すごいなぁ」
嬉しそうな笑顔のタニアさんに、それだけしか言葉が出てこなかった。普段はだいたいズボンを履いていて、男の子っぽい格好が好きなのだそうだ。おっとりしていて、ふわふわした印象が強いから、本当に人は見かけによらないものだと思う。
「ところで、マテリア様は、まだいらしてないの?」
「うん。多分まだ……もう時間になるけれど」
腕刻計を見れば丁度時間になったところ。辺りを見回してみるがそれらしきお姿は見当たらない。
と。
「うーん、これだけ気付かれないって言うのも、複雑な気持ちね」
「え?」
ユイニィ達が駅の入り口の方を見ていると、背後から突然声がした。
「こんにちは。二人とも可愛いわね」
「ま、ま……」
「マテリア様っ!?」
振り返った先にいたのは、白いジャケットとスラックスと革靴。青いカッターシャツに真紅の細身のネクタイ。つばの広い帽子に真っ黒の色眼鏡。金色の髪を無造作に束ねた、あまりお目にかかることのないであろう姿のマテリア様だった。
「あ。マテリア様、そういえば、あちらにずっといらっしゃいましたよね?」
そう、思い出してみれば、今三人がいるパン屋の隣の定食屋の前に、白い姿がずっとあったことを思い出した。
「やっと気付いたの? だめよ、もっと観察力を身につけないと」
くすくすと悪戯っぽく笑うマテリア様。いえ、観察力というか、怪しすぎてそちらに目を向けられなかっただけなんですというか。
「あの、それは、マテリア様の私服なのですか?」
恐る恐るといった風にタニアさんが尋ねる。同じ男っぽい服装だとしても、さすがに驚いたらしい。
「まさか、家にあったものを借りてきたのよ。お姉さまに変装といわれたから」
「ああ、お父様かどなたかの?」
「いえ、母よ。母は色々な服を持っているから、時々借りたりするの。体形も近いから、こういうとき助かるわね」
マテリア様のお母様、どうしてこの服を買うに至ったのだろう。公の場でも日常でも、この服を着る機会なんてありそうにないのだけれど。
そしてそれを選んでくるマテリア様も、どうなのかと。
「さあ、それじゃあ行きましょうか」
歩き出すマテリア様。すれ違う人たちが振り返っている。これだけ目立ってしまっては、変装の意味が全くない。
「……あんな素敵な方と親しくなれるなんて、良かったわね、ユイニィさん」
「タニアさん。顔が笑ってないよ」
声だけ笑顔のタニアさんに肩を叩かれて、ユイニィは小走りにマテリア様を追いかけ始めた。
旧ラムズ共和国は第二崩壊後最初に作られた街で、前身であるラムズ王国から継いで共和国と名前はあるが、その実巨大都市である。
全ての大陸、全ての都市を犠牲にして『終焉の魔王』を打ち滅ぼした英雄魔王様が最初に復興させたこの街には、当時の最先端技術が集約されていた。
第一大陸の南端の平地のほぼ全てがこの街であり、整地された通りを南端の港から北端まで歩いたとしたら、丸三日かけても到達できないだろう。
平たくいうなれば、だだっぴろい。
第二大陸、第三大陸の封印も解け、そちらに移住する人も増えているにもかかわらず、旧ラムズの人口は限りなく多く、その理由は、住みやすい、に集約されていた。
交通手段として、安価で利用できる魔動列車、魔動馬車が整備されており、少し料金は高いものの送迎魔動車の数も多い。
皇立警察や民間警備隊も十全に機能しており、治安は限りなく良好で、たとえ夜間に道端で眠っていたとしても、無事に朝を迎えられることができる。
それは、二百年前に滅びかけた人々の想いなのか、とにかくこの街は、平和で、平穏であろうとする。
結果、開拓精神豊かな人間は大陸北部や第二大陸へ移住し、この街に住む人々はどこか、かつての貴族思想が強くなった。
もちろんフレア女学園も、その一因であろうことは間違いない。
「別に、自分がそうだとは思わないけどなぁ」
中等部で習った大陸史を思い出しながら、ユイニィはぽつりと呟く。かつての貴族を知らないユイニィにしてみればこれが当たり前なのだし、自分がそれほどお嬢様だとも思っていない。まぁ、ユイニィの周囲にいる人物達が、自分よりも遥かにお嬢様だからかもしれないけれど。
「どうしたの、ユイニィ?」
「いえ、なんでもありません」
やや遅れ気味だったユイニィに、お嬢様達が声をかけてくる。
男の子っぽい格好のタニアさんは、聞けばお父様が商工会の会長も務めている会社の社長さんだというし、今は着替えて普通のワンピースに帽子と眼鏡姿のマテリア様は、名門コールウェル家の御息女。お嬢様もお嬢様である。
ユイニィの家は確かに裕福ではあるが、父親が個人で魔道具関係の会社をしているくらいで、家柄などはいたって普通。一応、社長令嬢ではあるのか。
多分、同じ学校に通っていなければ、一生縁のなかったであろう二人とこうして出歩いているのは、なんとも不思議な感覚だった。
「ええと、この先を左ですね」
地図を片手に先導するタニアさんに従って、その後ろをマテリア様と並んで歩く。住居よりも商店などが多いこの通りは、道もしっかり舗装されていて、たとえマテリア様の横顔ばかり眺めていたとしてもつまずく心配は少ない。
「あら、私の顔に、何かついていて?」
「え、あ、いえ、眼鏡もよくお似合いだなって」
眺めていたらふいにマテリア様と目が合って、そんなことを正直に答えてしまう。だって普段は見られない眼鏡姿。いつもより理知的なそのお姿に目を奪われてしまうのは仕方の無いことだもの。
マテリア様はユイニィの言葉に少し笑って、肩に掛けている大きな鞄を掛け直した。中には先程の服が入っている。さすがに自分でも少しおかしいかもしれないと思って、着替えを持ってきていたそうだ。
「でも、どんな方なのでしょう。先生に渡すのもお嫌いだなんて」
タニアさんが後ろを振り返りながら呟くように言う。それは件の鍛冶師のことのようだ。
「うーん。すっごく怖い人なのかな……マテリア様はご存知ないのですか?」
「ええ。前回お姉さまの剣授の時は、先代の会長がお受け取りになったのよ。とても疲れたお顔をされていたのを覚えているわ。きっと厳格な方なのでしょうね」
ユイニィの質問に、マテリア様が口元に手を当てて、思い出すように言った。どうしよう。緊張してきた。
マテリア様は表で待っているとのことだったので、中ではタニアさんと二人になる。タニアさんは大丈夫だろうけれど、自分は大丈夫だろうか。うっかり粗相をしたりして、怒らせてしまったりしたら……。
「ユイニィ」
「あ……」
そっと、マテリア様がユイニィの手を握った。
「大丈夫よ。普段通りを心がけるといいわ。背伸びをして、いつも以上を目指していると転んでしまうものよ」
「……はいっ」
マテリア様の手は温かい。ユイニィはその言葉を素直に受けることができた。マテリア様がこう言ってくださったのだから、緊張なんてしていたらもったいない。
「……」
前方からのタニアさんの含み笑いは見なかったことにした。
それから歩くこと五節ほど。少し建物がまばらになった場所にそれは見つかった。
「鍛冶屋バーナー……ここですね」
店先の看板を見ながらタニアさんが呟いた。
建物の大きさは、ユイニィの家の倍くらいだろうか。二階はないように見えるけれど、天井は高い。入り口は硝子のはめ込んである引き戸で、中は少し薄暗いけれど、台に鍋や薬缶が置いてあるのが見えた。
「じゃあ、行きましょうか?」
タニアさんは緊張した様子もなくユイニィに微笑む。ああ、おっとりしているのにタニアさんは全然物怖じしたりしない。ちょっと羨ましい。
「私はここで待っているわね」
「はい……タニアさん、行こう」
マテリア様と手を離して、ユイニィは引き戸に手をかけた。
「ごめんくだ……」
「るっせぇっ! とっとと出て行きやがれっ!!」
その瞬間、店の中から大声が上がり、人影がユイニィの方へと迫ってくる。
「危ないっ!!」
「きゃっ!?」
中途半端に開いていた引き戸が一気に開き、中から人が飛び出してくる。ぶつかると思った瞬間、ぐいっと腕が引かれ、ユイニィの身体は柔らかいものに包まれた。
「ユイニィさん、大丈夫っ!?」
向こうに避けていたタニアさんが声をかけてきたので、ユイニィは頷いてみせる。
「まったく……危ないわね」
「マテリア様……あ、ありがとうございます」
ユイニィはマテリア様の腕の中にいた。咄嗟に引き寄せてくださったようで、ユイニィは人影にぶつかることはなかった。
「男性だったみたいね……どうしたのかしら」
「なんだか、逃げ出したみたいでしたね」
マテリア様とタニアさんがユイニィの背後に目をやり言った。本当に危なかった。男の人の力で弾き飛ばされたら、怪我をしていてもおかしくなかった。
「お、悪い悪い。騒がせちまったな」
三人で少し呆然としていると、店内から声が聞こえ、続いて人が現れる。
「なんだ、べっぴんさんがお揃いだな。お使いか?」
「は、はい」
人物は女性だった。深い赤色の長い髪と瞳。年の頃は二十代中ごろに見える。肌着にシャツを羽織り、ゆったりしたズボンを履いていて、右手には松葉杖。
「あの、私達、フレア女学園高等部生徒会の者です。ご連絡した双剣の受け取りにお伺いいたしました。バーナー様にお取次ぎ願えますか」
意外。言わなきゃと思ったら、ユイニィの口からすらすらと用件が出てきた。周囲の人の影響もあるのかもしれない。
「おお、お前らがそうか。まぁ、上がって茶でも飲んでけ……あんま、店先でいちゃこらされても困るしな」
「あっ」
笑いながら言われて、ユイニィは慌ててマテリア様の腕の中から抜け出す。ああ、これも失敗になってしまうのだろうか。
「ええと、あの、バーナー様はおられますか?」
女性に尋ねたのはタニアさん。伺う旨は伝えてあるものの、万が一お留守だった場合、上がって待つのは良くないかもしれない。
「え……ああ、そうかそうか。アタシがバーナーだよ。サリス・バーナー。ここの店主だよ」
言われて三人とも目を丸くした。気難しい鍛冶師とのことだったから、てっきり父親よりも年上の男性を思い描いていたのだ。
「っかしーな。クロちゃんはアタシのこと知ってるはずなんだけど、聞いてないのか?」
首を傾げながら店内に戻っていくバーナー氏改めサリスさんを見ながら、三人はため息をついた。
多分、クロ様は知っていてユイニィ達に教えなかったのだろう。その方が面白そうだから、と。