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永悠少女譚  作者: 著者
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後九日。

 朝からクロ様とレシル様に廊下で抱きつかれる。

 その後エルザ様、アニス様とお話しする。

 マテリア様の去年の魔術基礎のノートをお借りする。

 どうやらタニアさんが上機嫌で、ユイニィと一緒に生徒会のお手伝いをしていると方々に話している。

 その結果、ユイニィは一年生の中で一躍時の人となってしまい、休み時間は質問攻めに合うようになってしまった。

 しかもここは年頃の乙女たちの集う園。話には尾ひれがついて泳ぎ回り、一部ではマテリア様の片刃候補と噂されるまでになってしまった。

「いや、お手伝いしてるだけ」

「何にもないよ」

「私より凄い人なんていっぱいいるでしょう?」

 ユイニィの口からは、それらが繰り返し吐き出される。

 それは事実だし、自分でも思っていること。

 だけれど不思議なもので、そうやって繰り返していると、なんだかどんどん自分が駄目な存在に思えてきて、平均点っていうのも怪しいんじゃないかと思えてきてしまう。

「ユイニィさんは、マテリア様の片刃になりたいのでしょう?」

 それは掃除の時間。そんな、無邪気で悪意のない純粋な質問をされた時。

「私なんかじゃ、マテリア様には……あれ?」

 予期せず、ユイニィの瞳から、涙が零れ落ちた。

「え、ユ、ユイニィさん?」

「だ、大丈夫っ!?」

 ぽろぽろ。とまらない、涙。

 悲しくなんてないのに、次から次から溢れてきて止まらない。

「ユイニィっ!!」

 だからケイティアが級友達を押し退けて、ユイニィを連れ出してくれなければ、ユイニィはそのまま泣き崩れていたかもしれない。



「これ。目に当ててなさい」

「……りがと」

 ケイティアが渡してくれた濡れたハンカチを両目に押し当てて、ユイニィはようやく少し落ち着くことが出来た。

 場所は一年校舎の三階。屋上へ続く階段の中程。三階には特殊教室しかないから、放課後には誰もこない。

「何、言われたの」

「……別に、何も言われてないよ。だから、彼女たちを責めないでね」

 押し殺したようなケイティアの声に、ユイニィは先手を打って釘を刺しておいた。こうしなければ、怒っている時のケイティアはとにかく危険なのだ。

 昔、収穫祭で酔っ払いにユイニィが絡まれた時など、恐ろしい目をしたケイティアが、酔っ払いの顔面を有無を言わさず蹴り抜いたこともあった。

 普段冷静沈着で飄々としている親友は、だけれど激情家でもあるのだ。怒りの沸点は限りなく低い。

「……相談」

「どうぞ」

 怒りが収まったケイティアはユイニィを階段に座らせると、自分もその隣に座った。

「私、生徒会の人たち、好きなんだ。面白いし、格好いいし、見た目とかじゃなくて、凄く尊敬できるって思った」

「うん」

 ユイニィ自身まとまらない感情を、親友は静かに受け止めてくれる。

「タニアさんとも仲良くなれて、仕事のお手伝いも大変だけれど楽しい」

「うん」

 遠く、運動部の喧騒が聞こえる。放課後の校舎はとても静かだ。

「マテリア様のこと、好きだよ」

「うん」

 学園で初めて見かけた時の、どこか儚げな微笑。

 ぶつかった時のこと。

 レシル様達に叫んだお姿。

 ユイニィの髪を撫でる指。

 二人で作った魔術の光。

 包み込むような、あの優しい笑顔。

 憧れて、言葉を交わして、触れ合って。

 マテリア様が好きだって思った。

「なれるなら、片刃にだって、なりたいよ」

「うん」

 この人のお役に立ちたいって。支えになりたいって。自分がそう望んだ。

 それなのに、何故自分の口から、それを否定することばかり言っているんだろう。

「あの人たちみたいに、素敵な人になりたいって思ったよ」

「……うん」

 それなのに、何故自分の口で、自分を卑下しているんだろう。

「……困ったなぁ」

「困ったね」

 きっと誰も悪くない。

 悪いとしたら自分なのだろうけれど、そんなことを口にしたら隣にいる親友は激怒するだろうから、誰も悪くない。

「ユイニィ、私はね、こうなるんじゃないかって思ってた」

「え?」

「みんなの憧れの先輩達なのに、突然現れたユイニィが仲良くしていたら、好奇心とか嫉妬とかで騒がしくなるだろうって」

 だから、それも含めてケイティアは怒っていたのだという。

「わかってたのに、止められなくて、ごめん」

「そんなことない。ケイティアがいてくれなかったら、駄目だった」

 ハンカチから顔を離してケイティアを見ると、泣きそうな顔をしていた。

 思わずケイティアの首に腕を回して抱きしめる。ごめんねって。ありがとうって。大好きだよって。

 ああ、私はなんて情けないんだ。親友にこんな顔をさせるなんて。

 多分、お互いがそう思った。

 だから、もう大丈夫だって思えた。何も変わらない。明るく元気に、一生懸命やればいいんだって。

「ユイニィ?」

 階段を上ってくる足音がして、二人は慌てて身を離す。目が合って、照れくさくて、笑いあった。

「教室にいったら、出て行ったって……大丈夫?」

 マテリア様だった。級友達にユイニィが泣いていたことを聞いたのか、心配そうな顔をして、少しだけ息が上がっていた。

「すみません。ちょっと……」

「マテリア様っ! ユイニィの友人の、ケイティア・スターリンです」

 ユイニィの言葉を遮り、ケイティアが立ち上がる。階段の下のマテリア様を鋭い瞳で睨みつけ、言葉を投げつける。

「何、かしら?」

 それくらいで、たじろいだりはしなかったが、マテリア様は訝しげにケイティアに首を傾げてみせる。

「ユイニィは貴女を含めた皆のせいで傷つきました。責任をとってくださいますよう、お願いします」

 ケイティアはそれだけ言うと、一度大きく頭を下げて、そして階段を駆け下りていってしまった。

「……」

「……」

 気まずい。言いたいことを言って去っていった親友を恨む。気持ちは嬉しいけれど、気まずくてしょうがない。

 マテリア様はケイティアが去っていった方をしばらく眺めていたが、やがて大きく息を吐いて、ゆっくりとユイニィの方へと、階段を上ってきた。

「目、赤いわ」

「もう、大丈夫です」

 マテリア様が正面に立ち、その手がそっとユイニィの頬に触れる。

「素敵な友人ね」

「はい。親友です」

 それは、不思議と自分を褒められるより嬉しい。

「羨ましいわ……」

「……マテリア様?」

 マテリア様は微笑んでいるような、泣いているような、見たことのない表情をしていた。たくさんの感情を入れすぎて、顔が表情を作れなくなっているような、そんなお顔。

 寂しそう。

 ユイニィは、頬に触れているマテリア様の手に、そっと自分の手を重ねた。

「あのっ、マテリア様っ!」

「は、はいっ!?」

 突然ユイニィが叫んだので、マテリア様は目を見開いて肩を跳ね上げた。しまった、また力を入れ過ぎた。

「あの、明日は何かご予定ありますか?」

 明日は光日。休日だ。

「いえ、これといってないけれど……」

「で、では、私たちと一緒に、鍛冶屋に行きませんか? 明日はタニアさんと用事を済ませた後に喫茶店に行く予定でして、そこのケーキがとても美味しくて……っ」

 ユイニィがそこまで言ったところで、マテリア様が吹き出して笑った。

「え、マ、マテリア様?」

「馬鹿ねぇ……」

 身を震わせるマテリア様の笑いは次第に大きくなり、最後には涙まで流し始めた。

「えっと……」

 私、またおかしなこと言った?

 ユイニィが頭を捻っていると、ようやく呼吸を整えたマテリア様が、ユイニィの髪を撫でながら言う。

「ほんっとに……私の双剣を、私が受け取りに行ってどうするの。当日まで私は見ない予定だというのに」

「……あ」

 そうでした。ユイニィ達が取りに行って、レシル様に渡して、当日まで厳重に保管。予行演習は代理の小剣で行う。予定表にも書いてあった。

 わ、私って……。ケイティアのお陰で持ち直していた気持ちが、がくっと下がる。さすがにこれは酷い。

「でも……そうね」

 マテリア様は、触れていたユイニィの手を掴んで、座っていたユイニィの身体を引き起こす。

「剣は箱に入っているでしょうし、鍛冶屋の外で待っていれば目に触れることもないでしょう。それならば、お姉さまだって許して下さると思うわ」

「マテリア様……」

 悪戯っぽく微笑むマテリア様のお顔を、二つ上の段から見つめる。ちょっとだけ、恥ずかしそうにしている様に見えた。

「それに、私、ケーキ大好きなのよ」

 行きましょう。振り返り、ユイニィの手を引いて、マテリア様は階段を下り始めた。だから、マテリア様がどんなお顔をされているかはわからなかったけれど。

「はい。私も、大好きです」

 いつもより大きく弾むマテリア様の髪とスカートの裾につられて、ユイニィの胸も弾んでしまうのだった。




「マテリア、これに見覚えは?」

「……はい?」

 少しだけ見慣れ始めた生徒会応接室。ユイニィがマテリア様と共に中に入れば、そこには役員全員とタニアさんの姿がある。全員が揃っているとは思わなかったので驚いたところに、いきなりレシル様の質問。マテリア様は立ち止まり、ゆっくりと首を傾げた。

 何事かとユイニィがマテリア様に並んで見てみると、レシル様がこちらに差し出しているのは配達用封筒だった。

「いえ、特に覚えはありません。そもそも宛名はベーベル・イースン様となっていますし、私達に関係があるものなのですか?」

 確かに封筒には知らない名前が書いてある。住所は、旧ラムズ共和国北区十二番通り……と、おかしな点に気付く。

「レシル様。北区は十番まででしたよね?」

「お、ユイニィちゃん、さえてるわね。そう、こんな住所は存在していないの。配達局の人も調べてくれたみたいだけれど、そもそもこの街にはイースンという人間はいないそうよ」

 存在しない住所。いない人間。でもだったら、どうしてそんなものがここにあるんだろう。ユイニィが頭をひねっていると、マテリア様が口を開いた。

「なるほど。差出人が、ここなんですね。お姉さまが持っているということは、生徒会ですか」

「おお、さすがマテリアなのですよ。ユイちゃんは惜しかったのですよ。ささ、こっちにきて残念賞のクッキーでも食うですよ」

 マテリア様の答えに席を立ったクロ様が答えて、ユイニィの腕を掴んでテーブルの方へ連れて行く。マテリア様凄い、と思う間もなく連れて行かれ、クロ様の隣に座らせられた。反対隣のタニアさんがくすくすと小さく笑っているのがわかって視線を向けると、タニアさんは顔を伏せて目を合わせない。彼女は今日も楽しそうだ。

 レシル様がクロ様の向こう、一番端の席に戻ると、マテリア様はため息を一つこぼして、少しだけユイニィに視線を向けてから、空いていたレシル様の向こう隣に腰掛けた。ちなみにその向こう、ユイニィの対面がアニス様。そのお隣にエルザ様が座っている。

「ということは、全員この封筒に心当たりはないってことね」

 レシル様が全員に見えるように封筒を掲げて言うと、各々が頷く。当然ユイニィにも心当たりはまったく無い。

 封筒は、白いどこでも手に入るような封筒で、切手に消印も押してある。裏面には差出人が書かれていて、そこには『フレア女学園 高等部生徒会』と記されていた。

「配達局で受理されたのは四日前。恐らく回収箱に投函されたのは五日前ね。一応中等部や、他の先生方にも確認してみたけれど、誰も知らないそうよ」

 レシル様は大きくため息を吐くと、手元のカップを口元に運び、音も無く傾ける。

 ええと、どういうことだ?

 配達物は相手のところに届かないと、確か差出人のところに戻されるようになっている。だけれど、差出人と思われる人たちにも覚えは無い。これじゃあ何が何だか……。

「遠回りですね。初めから無記名で学園に送るか、受け箱にでも入れておけばよかったでしょうに」

 マテリア様が頬にかかる髪を指ですくい上げながら呟く。どうやら配達物の意味がわかっているご様子。一つしか学年が違わないのに、どうしてこんなに差があるのだろう。

 思い当たらないユイニィが封筒を睨み付けていると、隣でクロ様が凄く楽しそうにこちらを見ていることに気がつく。

「……なんでしょう、クロ様」

「困り顔のユイちゃんをつまみに飲む紅茶が美味しいのですよ」

 にこにこと、素晴らしい笑顔のクロ様。

 どうしてユイニィの周りには、ユイニィを困らせて喜ぶ人ばかりが集まるのだろうか。なんだか嫌な気持ちになる。

 別にそういう人たちが嫌なのではない。なんというのだろう。そういう人達に困らされても、特に嫌だと思っていない自分が嫌になっているだけ。

 ……べつに、喜んではいないから、変態さんではない。多分。

「つまり、この封筒は初めから私達宛に送られた物かも知れないということよ。こうして出たら目な宛先にすれば、差出人の元へ戻るでしょう。そこに本来送りたい相手の住所を書く……ああ、無記名だと、先生方が不審がって確認したかもしれないから、こうしておけば、真っ先に私達の所に届くわね」

 マテリア様がユイニィを見ながらそう言った。マテリア様すごい。この封筒一つから、それだけのことを推察できるなんて。以前読んだ本に出てきた名探偵アンリユースみたい。

「ということ。まぁ、私達、が出した手紙なのだから、私達が開封しても問題ないわね。アニス」

「御意」

 レシル様の言葉にアニス様が応え、開封用の小刀を持っていく。レシル様はそれを受け取ると、慣れた手つきで封筒を開封していった。

「手紙が入っているわね」

 小刀をアニス様に手渡し、レシル様は封筒から一枚の折りたたまれた紙を取り出す。もちろん全員内容が気になっているので、その紙を食い入るように見つめている。アニス様なんて、完全に横から覗き込んでいる。

「……これは」

「あ……」

 広げた紙に目を落としたレシル様が厳しい表情で呟き、アニス様は目を見開いて絶句した。

「な、何が書かれているのですか?」

 固まってしまったお二人に、エルザ様が声をかける。他の面々も戸惑ってしまい動けずにいた。

 少し間があって、レシル様が重々しく口を開く。ため息を吐き出し、新たに空気を取り込まれ、やがて言葉を発した。

「完全に対応を誤ったわ……少しでも面白がっていたことを反省する」

 しばしの間の後、レシル様は手に持っていた紙を裏返し、こちらに向けた。


 マテリア・コールウェルの剣授の儀を中止せよ。さもなくば命の保障はない。


「……」

 一同は言葉を失った。

 物語の中で見ることはあっても、まさか自分の人生の中でそれを目にすることがあるなんて、誰も思っていなかった。

 定規を使ったかのように直線だけで書かれたその文章は無機質で、だからこそ悪意を感じる程に不気味だった。

 脅迫状。

 その手紙は、脅迫状だった。

「まず、ごめんなさい、マテリア。まず私は一人で内容を確認するべきだった。思慮が足りなかったわ」

「いえ、お姉さまが謝られるようなことではありません」

 レシル様の言葉にマテリア様は小さく首を横に振る。レシル様は顔をしかめ、その顔色は悪い。

「その上でここで隠さなかったのは、これが悪戯であろうとなかろうと、生徒会役員に対しての悪意あるものだと判断したからよ。悪戯にしては手が込んでいる。関係者全員が注意する必要があるわ」

 レシル様の言葉は重い。

 注意。その言葉はつまり、危険があるということ。

 命の保障はないという文面にユイニィの背筋が寒くなった。

「とりあえず、顧問……ロイス先生に相談に行ってくるわ。アニスもお願い」

「かしこまりました」

 レシル様は手紙を封筒に戻し、アニス様と扉へと向かう。

「ここは、クロ……お願い」

「わかりましたのですよ。気をつけるのですよ」

 クロ様はそう言ってレシル様を見送り、小さく息を吐いた。

「さて……ユイちゃん、タニアちゃん。取り合えずお茶をいれてくれる? 私、少し考えるから」

「あ、はい」

 いつもより力強い口調のクロ様の言葉に、一年生二人は慌ててお茶の用意に取り掛かる。あまりの出来事に呆然としていたが、クロ様の言いつけのおかげでどうにか動けるようになった。

「エルザ。レシルと一緒にこの手紙を受け取ったのよね。その時のことできるだけ思い出して。できれば紙にでも書き出して」

「あ、は、はい。わかりました」

 次はエルザ様に。エルザ様はすぐに取り掛かった。

「マテリア……」

「はい」

 クロ様は真っ直ぐにマテリア様を見据える。

「心当たりは、ないのね」

「……私自身には、ございません」

 私自身。マテリア様はそう言った。

 その意味はすぐにわかった。マテリア様は、名門コールウェル家の人間だから。マテリア様にはなくても、コールウェルという家には何かあってもおかしくはないのだ。

「わかった……のですよ。取り合えず性質の悪い悪戯だと思うのですが。全員、このことは口外せぬようにするですよ。こういうことが起きたということ自体が、良いことではないのですから。学園側の判断が出るまで、大人しくするように」

「はい」

「わかりました」

 息を吐いて、クロ様は身体から力を抜いた。その様子はもう、いつものクロ様だ。

 ユイニィは少しわかった気がする。どうしてクロ様はああいうお人なのか。

 クロ様はきっと、その場その場に合わせて、違う仮面をかぶっている。その場に一番相応しい仮面をかぶることで、常に自分の思う最高の自分でいようとしているのではないかと。

「それと、マテリア」

「何でしょう、クロ様」

 クロ様の言葉に、マテリア様もいつもと変わらない様子でこたえる。脅迫状に名前があったのに、いつもの調子のまま。

 マテリア様は、そんなにもお強い心をお持ちなのだろうか。

「まだ、辞退するなんて言わないようにするですよ。迷惑だなんて、思ってないのですよ」

「……わかっています。ありがとうございます」

 優しい声音のクロ様の言葉。マテリア様は小さく微笑んだ。

「ユイニィさんっ。お湯、溢れるっ!」

「あ、ご、ごめんっ」

 お二人に気を取られすぎて、タニアさんに注意を受けた。ああ、私も落ち着かないと。

 そう思っても、ユイニィの視線はどうしても、マテリア様から離すことができそうになかった。

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