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「あら、ユイニィちゃん。早いのね」
「あ、こんにちは、エルザ様……えっと、お一人ですか?」
「うん……あ、悪いんだけれど、お茶いれてくれる。ユイニィちゃんのと二つ、ね」
昼休憩。生徒会棟応接室に来てみると、エルザ様がお一人で何かの紙に目を通していた。何やら難しい顔をして、考え込んでいるご様子。
ユイニィはお弁当箱をテーブルに置いてから流しに向かい、保温筒の中にお湯があることを確認して、戸棚から茶葉を用意する。
「えっと……エルザ様、お好みのお茶は?」
「うーん? そうだな……ああ、粉末茶あったでしょ。あれを濃い目に入れてくれる? 粉乳と砂糖は無しで」
言われて棚を見ると、あまり飲まれていないのか、茶葉の缶の並ぶ奥から粉末茶の缶が見つかった。品名のとは裏側に、美味しい入れ方が書いてあったので、それを見ながら二つ。エルザ様のは半匙程大目に入れてある。ユイニィはあまり飲んだことのないものだったので、粉乳と砂糖は多めに入れておいた。
「はい、エルザ様。お疲れ様です」
「ありがと。いいね、かいがいしい感じ。私の嫁に来なさいよ」
「あはは。またの機会に……それも、お仕事ですか?」
エルザ様の横手にカップを置いて、自分は何となく向かい側に座る。
「そ。運動部の予算申請関係ね。生徒会で部活やってるの私だけだから、何となく私が窓口になっちゃって」
エルザ様は肩をすくめてそう言うと、書類を脇に押しやって、代わりに紙包みを持ってくる。包みには知っているパン屋の店名が記されていた。
ユイニィは何となくそれを見ながらお弁当包みを開けて、少し急ぎ目に食べることにした。
「お、ユイニィちゃんはお弁当派?」
「いえ、いつもは食堂なんですけれど、お弁当だったらここでも食べられるから、その方がいいかなって」
ゆっくり食堂で食事してから来てみたら、先輩方が勢揃いで先にお仕事なさってたなんてことになったら、想像するだけで恐ろしい。だから今日は早めに起きて、自分で作ってきたのだ。明日からはお母さんにお願いするかもしれないけど。
「おお、感心感心。でも大丈夫だよ。昼はここでちょっと活動内容とか相談して、しっかりお仕事するのは放課後だし」
エルザ様は切れ長の瞳をふっと細めて、ポニーテールの髪を揺らして笑った。うわ、色っぽい。その仕草に、同性なのにどきどきしてしまう。生徒会の他の面々と同じ美人だけれど、他の方が綺麗とか可愛いなのに対して、中性的な美人のエルザ様。男装女装、どちらも大変似合いそうだ。
「おお、そうそう、このぐらいが好み。美味しいよ」
エルザ様はお茶を一口飲んで、包みからパンを取り出しながらそう言った。
「ありがとうございます。粉末茶ってあまり馴染みが無くて、ちょっと心配だったんですけれど」
「ふーん。私は家ではこれが多いんだけれど……ユイニィちゃんのお家は?」
「うちは、煮出し茶なんですけれど、お母さんが薬草が好きで、色々配合したお茶なんです」
「へー。何か格好いいね。身体にも良さそう」
小さい頃はお茶はそういう物だとずっと思っていて、級友達の家ではあまりやっていないと知ったときは随分驚いた。袋茶や粉末茶もたまに飲むものだと思っていたし、茶葉をポットに入れて蒸らして飲むなんていうのは、物凄く高級な飲み物だと思っていたくらいだ。
「なんだか、私の黒髪を綺麗にするのが最近の趣味らしくて、洗髪剤とか頭髪油とか。だから今家のお茶も、髪にいい薬草と、活力、魔力、体力にいい薬草を入れてるんだそうです」
「はー。確かに綺麗な黒髪だもんねぇ。お母さんの自慢の娘なんだ」
「顔と中身は平凡なんですけれどね。むしろ、お父さんと妹の髪の方がつやつやしちゃって」
ユイニィの家族は、ユイニィ以外全員濃い目の茶髪なので、光の下だとそちらの方が明るく映えて見えるくらいだ。
「まぁまぁ、ユイニィちゃんが愛されてる証拠だよ。で、妹いるんだ。フレアなの?」
「いいえ、初等部までフレアだったんですけれど、卒業して突然パン屋に弟子入りしちゃって、今はショート料理学校に通いながらパン屋で修行しています」
「凄い妹さんだね……ん、ひょっとして、パン屋って……」
エルザ様はそこでユイニィの視線に気付いたようだった。つまり手元。パンの包み。
「正解です。その、パン屋クレンスベアが、妹のいるパン屋です」
妹に話を聞くと、最近は商品も作らせてもらえるようになったと言っていたので、案外エルザ様が今食べている物がそうかもしれない。そう考えると、妹がなんだかとても凄い人物に思えて、誇らしいような羨ましいような、複雑な気分になる。
「そっか……やりたいと思えることをやって、形にできるなんて、妹ちゃんは格好いいね」
エルザ様は手元のパンを見つめ、寂しそうに呟いた。
ひょっとして、調子に乗って喋りすぎて、何か気に障るようなことを無意識に言ってしまったのだろうか。曇ったエルザ様の顔を見て、ユイニィは慌てて自分の喋ったことを思い出そうとした。
「ん、ごめんごめん。ちょっと年頃乙女の悩み事」
ユイニィの様子に気付いたエルザ様は、軽く手を振って苦く笑う。
「ユイニィちゃん、将来の夢は?」
「……まだ、決まってません」
実は、あまり考えたこともなかったりする。
「そっか。私はね、剣術の先生になりたいの」
「わぁ、凄く似合うかも」
お美しい髪をなびかせ、優雅に剣を振るう女流剣士。想像するに素晴らしい。
「ありがと。でも、母親には反対されてるんだ。成績も悪くないし、生徒会にも在籍してるのに、双剣持ちになれないのは、剣術なんかやってるからだって。最近はそんなことまで言い出して」
「でも、それって……」
「そ、関係ない。でも、先にマテリアが選ばれちゃったでしょ。それでなおさら。ウチの母親もフレア出身で、自分も選ばれなかったから、私に随分期待しちゃってるみたいなんだなー」
エルザ様は軽い口調で笑うと、パンをかじった。
別に双剣持ちだけが優秀というわけではないのに。ユイニィはなんだか悲しくなる。エルザ様は三年になったばかりなのだから、選ばれていなくてむしろ当たり前なのだ。マテリア様の場合が特別過ぎただけで、きっとエルザ様も遠からず双剣持ちになるはずだろう。
エルザ様、生徒会も勉強も剣術も頑張っているのに。好きなことを母親に反対されてるなんて、さぞお辛いことだろうに。
「エルザ様、頑張ってください。私、応援してます!」
「おうっ!? ど、どうしたの、ユイニィちゃん」
気持ちが高ぶり過ぎたらしい。ユイニィは立ち上がって、テーブルに両手をついて身を乗り出し、大きな声でそう言っていた。
「エルザ様、素敵ですもん。綺麗だし、格好いいし、お話してて楽しいし、次に選ばれるなら、きっとエルザ様ですって……そりゃ、四年の方が選ばれるかもしれないですけれど、機会はまだまだあります」
勢いでそこまで言ってしまってから、ユイニィはエルザ様が笑っていることに気付いた。
「あっはっはっ……ユイニィちゃんは可愛いね。こりゃレシル様やマテリアが気に入るわけだ」
何が琴線に触れたのか、見ればエルザ様、涙を流して笑っている。
「いやいや、嬉しくって笑ってるんだよ。ごめんごめん……ありがとう、ユイニィちゃん」
「……いえ」
涙を拭いながら微笑むエルザ様を見て、急に恥ずかしくなり、ユイニィは椅子に座りなおして、小さくなってお弁当を再開する。
よく考えたら、私、凄く恥ずかしい人かもしれない。
ふっと親友の姿が頭をよぎる。ひょっとしたら、ケイティアに影響されているのかも。
「お、いかんいかん、そろそろみんな来るだろうし、さっさと食べて、みんなのお茶も用意しちゃおうか」
「はいっ」
だけれど、こうやって笑ってもらえるなら、恥ずかしいくらいは我慢しようじゃないか。
エルザ様の笑顔を見て、ユイニィはそんなことを思った。
この学園には掃除の時間というものがある。ずっとフレアに通っているユイニィは他の学校のことなどは分からないけれど、父親が通っていた学校や、妹の通っている学校には、生徒が自分たちで掃除をすることはないらしい。ちなみに母親もフレアの出身だった。
母親曰く、自分たちが生活している場所なんだから、自分たちで掃除した方がいい、らしい。自分が使う場所や物が汚れたり壊れたりしないように大切に扱う。そういう事を学ぶ時間なのだとか。だけれど、ユイニィの部屋の床は母親が掃除していたりする。
掃除は組の中で決められた人数が当番となり、持ち回りで各所を掃除する。当番は一周期交代。今日を含めてユイニィはあと三日残っていたから、放課後少し遅れる旨は昼にレシル様に伝えてある。昨日は慌てていたので、級友に代わってもらっていた。今度二回代わってあげることになってしまったけれど。
「さて、これで終わりですね。閉めましょうか」
そう言ったのはルビーナさん。今日は普段使っている教室の掃除だった。もちろん毎日使っている場所だから汚れてはいるのだけれど、そこはみんなお嬢様。あまり汚したりはしていないので簡単に掃除するだけで済んでしまう。
それにこの学園は中履き、外履き、上履きという習慣もあって、通学用の靴とは別に三足も指定の靴がある。中履きは中庭や校舎。生徒会棟もこれ。外履きは屋外活動をするとき。運動体育の授業で運動場を使うとき等が主。上履きは屋内競技用。体育館等で使う。
だから度々靴を履き替えるので、靴は汚れるけれど、他所の汚れを持ち込まない。それだけでも随分綺麗に保たれる。
これは一般家庭にはない習慣なので、事情を知らない外部の人間が訪れると、皆困惑するのだとか。
「あ、私は日誌書いておくから、皆さん先に帰っていいよ」
「あら、ユイニィさん。でしたら私たちもお待ちしておりますわよ?」
そう言ったのはウェルムさん。後のお三人も同じように頷いている。
「いえ、昨日代わってもらったし、ちょっとやりたいこともあるから、構わずお先に」
「そう。じゃあ、申し訳ないけれど、お願いしますわね、ユイニィさん」
ユイニィの言葉にルビーナさんは頷くと、皆で小走りに教室を出て行った。
確か三人とも運動部だったはずだから、きっと準備等で忙しいのだろう。なんとも皆、奥ゆかしい。
本当はユイニィも急いで生徒会棟に行く予定だったのだけれど、お昼にエルザ様と話してから、ちょっと考えごとをしていて、少し時間がほしかったのだ。
自分の席に座って日誌を記入する。窓の外からは運動部の声が聞こえてきて、自分一人の教室が一層寂しく思えた。ふと、二日前を思い出して、机の中から魔現紙を取り出す。昨日今日と魔術基礎の授業はなかったので、あの日以来試していなかったけれど。
日誌を脇に置いて、魔現紙に右手を乗せ、言霊を紡ぐ。
失敗。
できれば次の授業までにはできるようになっていたい。
私はそんなに優秀な生徒じゃないけれど。
瞳を閉じて、ゆっくりと呼吸する。
母親の自慢の私。妹にちょっと嫉妬している私。エルザ様に頑張れと言った私。
もう一度。今度はゆっくりと、言霊を並べていく。
生徒会の面々を思い浮かべる。皆、目標や理想があって、頑張っている。だからきっとあんなに素敵なのだろう。
ほんの少しだけ、手の平が熱くなった気がする。
私も、あんな風になりたい。そう思った。頑張りたいって、そう思った。
もちろん今までだって頑張ってた。だけど、そういうのとは違う。もっと、強い思いで……
目を開けると、マテリア様のお顔が、そこにあった。
「う、うわあぁぁぁぁぁっ!?」
「きゃっ! な、なに……どうしたの、ユイニィ?」
ユイニィの叫びに可愛らしく悲鳴を上げるマテリア様。どうしたもこうしたも、音もなく現れては驚くに決まっている。
「ど、どうされたのですか、マテリア様」
「どうって、ユイニィを迎えにきたのよ。私も掃除当番だったから、一緒に行こうかと思って」
「だからって、音もなくいらっしゃらなくても」
「ノック、したわよ? 反応がなかったから、眠ってるのかと思って顔を覗き込んでいたの」
そう言って、マテリア様は再びユイニィに顔を近づける。マテリア様の湖面の瞳にユイニィの顔が映りこむ。鼓動が早くなる。凄く、どきどきする。
「やっぱり、綺麗な目。きっと、覗き込んだ相手の心まで映しているのね。だからきっと、あの日ユイニィの名前を口にしたのだわ」
マテリア様が囁くような声音で呟く。触れてもいないのに、耳をくすぐられたような感覚に身震いする。
あの日。つまりユイニィとぶつかったあの日。あの後、マテリア様はレシル様とお話になって。
「魔現紙ね……私はこれが苦手だったの。最初失敗して、凄く落ち込んだのを覚えているわ」
「え、マテリア様も、失敗なさったんですか?」
「ええ。級友達にも同じ反応をされたわ。私だって失敗することくらいあるというのにね」
くすくすと笑うマテリア様。ふわふわの髪がさらさら揺れる。
意外だった。マテリア様はなんでも、そつなくこなしてしまいそうなのに。
「それで、私も放課後。こうやって練習したのよ。家で練習していたら、両親に見つかって怒られてしまうのではないかと思ったりしてね」
「ええと、やっぱり、ご両親は御厳しい方なのですか?」
コールウェルといえば、千年以上の歴史を持つといわれる、名門中の名門。かつての勇者の血筋であり、かの英雄魔王様も噂ではコールウェルの出身だったとか。さぞ厳しい家柄なのかと思ったのだ。
だけれどマテリア様はころころ笑う。
「それが全然。ちょっとくらい厳しくしてもいいのではないかと、私が不安になるくらい。好きなことをやりなさい。好きなようにやりなさい。無関心ではないようなのだけれど、かえってどうしたらいいか困るくらい」
「それは……凄く大変そうですね」
好きにしろと言われても、自分の家が立派だというのは、それだけで物凄い重圧なのではないだろうか。ユイニィは想像してみてぞっとした。だって、常にあの娘は名門の娘という目で見られるのだから。自分の振舞い一つが家に悪影響を与えるかもしれない。
「まぁ、生まれた時からそうだったから、私にはそれが普通なのだけれど。学園で生活していると、ああ、自分はやっぱり、ちょっと違うのだと感じることは多いわね」
ふっと、お昼にエルザ様としていたお茶の話を思い出す。お茶とマテリア様を一緒にしてしまうのは失礼だけれど、自分の認識が皆と違うというのは、多少なりとも寂しい気持ちになるものだ。
……寂しいのですか?
思わず声にしかけて、慌てて飲み込む。目上の人に言うようなことではない。そんな踏み込んだことを失礼にも聞けるような関係ではないというのに。
「……ユイニィ。手をかしてくれる」
「えっ?」
マテリア様がユイニィの手を取って魔現紙の上に置く。そして。
え、えっ、えっ!?
ユイニィの後ろに回り込むと、上から重ねるようにして、ユイニィの右手の上に、御自分の右手を重ねたのだ。そうするともちろんユイニィの背中にはマテリア様が重なっているわけで、マテリア様の左手はユイニィの左肩の上にある。後ろから抱かれているような状態だった。
マテリア様、温かい。
だけれど、手はユイニィより少し冷たいようだ。ああ、それよりもマテリア様って良い香りがする。なんだか頭の中がぼうっとしてくる。
「じゃあ、目を閉じて。意識はここに集中するのよ」
マテリア様はそう言って、ユイニィの手を軽く握る。ユイニィは言われるままに目を閉じて、マテリア様の右手の感触だけに集中した。
「そうしたら、ゆっくり深呼吸。吐くときに、身体の中心から外側。特にこの手の平から外に何かが出て行くのを思い浮かべるの」
深呼吸。吐く時に手の平。それを繰り返していると、確かに身体の中を何かが通って、手の平から出て行くような感覚が出てきた。
「それが、魔力の通り道。どうかしら。手が熱くなってきたでしょう?」
なってきた。マテリア様の手も温かい。だんだんと背中のマテリア様も感じなくなってきて、真っ暗な中に手の熱と、マテリア様の声だけを感じる。
「じゃあ、ゆっくりと、言霊を紡いで……」
マテリア様も言霊を並べる。ユイニィも、ゆっくりと、いっしょに並べていく。一つ並べる度に、手が熱くなってくる。
『白の太陽』
目を開いた。
「あ……あぁ……」
「ほら、出来た」
マテリア様が横から顔を覗き込んでくる。ユイニィは頷く。
手の平が光っている。真っ白な、純白の光。
「あれ?」
よく見ると光っているのは、光るはずの魔現紙よりも少し上。
二人で、ゆっくりと手を上げていく。
「マテリア様……これって……」
マテリア様を振り返る。目が合う。その瞳にユイニィが映りこむ。マテリア様は優しく微笑んでくれた。
「ふふふ。二人分だったからかしら。初めての共同作業ね」
手の平の上に、小さな魔術の光の玉が、だけれど力強く輝いていた。