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「……」
本日の授業が終了して一刻……五節も経たずに、ユイニィは生徒会棟の前にいた。一応級友達には用事がございますの、と言って、昼休憩の生徒会長との逢瀬を追及されないようにしてきたのだけれど。
「入りづらいなぁ」
ぽつりと漏らして、汗で滑る鞄を持ち直す。
生徒会棟は校舎から少し離れたところにある。中庭を取り囲むように四方に建つ校舎。方角で言えば北西の、他に何もない場所にあった。
外観は塔を思わせる。真っ白な石造りで三階建て。それほど大きな建物ではないけれど、ちょっとした彫刻や細工がしてあったり、上等な硝子の窓が輝いていたり、上品な造りをしている。これが二百年前に、英雄魔王様自らお造りになった物だと言うのだから恐ろしい。長年雨風にさらされているはずのその建物には、ひび割れ一つ見当たらないのだから。
別にひびがないから入り辛い、というわけでもないのだけれど。
辺りに生徒の姿はない。ユイニィ一人だ。一度も入ったことのない場所というだけでもしり込みしてしまうのに、一年生の自分一人という状況は、ユイニィには恐怖に近い。
しまったなぁ。ケイティアに付いてきてもらえばよかった。友人の顔を思い浮かべてため息を吐く。だってあの友人が物怖じしている姿を見たことがないのだもの。
「……あらあら、生徒会に御用事ですか?」
「……っ!?」
突然後ろから声を掛けられて、ユイニィは叫びそうになるのをぐっと堪える。少し呼吸を整えて振り返ると、そこには小柄な、青い髪を一つ括りにした少女が首を傾げて立っていた。
「それとも、この美少女に御用ですか?」
「……えーと」
確かに美少女なのだけれど。それを自分で言っちゃいますかと。どう言葉を返していいのか分からず、ユイニィは言葉につまった。
それと、目の前の人物に思い当たる。腰に差した二振りの黒い鞘と柄の小剣。『蒼黒美女』の二つ名を自分で名乗り始めたという剛の者。学園壁新聞で『特集させた』ことで有名な、四年生で、生徒会副会長。名前までは思い出せなかったけれど。
「私のファンですか? だったら抜け駆けせずに『蒼黒愛好会』にちゃんと話を通さないと、あとで酷い目にあいますよ」
指を一本立てて「めっ」としてみせる。そんな愛好会があったのか。ユイニィはなんだか疲れた気持ちになる。あ、でも、マテリア様の愛好会だったら入りたいかもしれない……じゃなくて。
「あ、えっと、失礼しました。私、一年光組、ユイニィ・アールクラフトと申します。本日はレシル様に招かれまして……」
「なーんだ、レシルのお客さんですか。レシルはちょっと用事を片付けてるから、中に入って待ってるといいですよ。お茶くらいなら出しますし……おっと、知ってるとは思いますが、『蒼黒美女』のクロ・シンですよ。クロ様と呼ばせて差し上げてもよろしいですよ」
クロ様はそう言うと金属製の扉を開けて、手招きしながら中に入っていく。確かにマテリア様やレシル様とは違う雰囲気の美少女なのだけれど。ユイニィは先を歩くクロ様の背中を見ながら思う。自分より年下にも敬語だけれど、物凄く尊大な物言い。凄い個性的な人だ。
「生徒会棟は初めてですよね。一階は物置みたいなもんです。二階が応接室や準備室。三階が会議室なんですよ。といっても、会議もなにもかも、大体応接室なんですけれどー」
「はぁ」
独り言のような調子で建物の説明をして下さるクロ様は、だけれどユイニィの様子なんて気にしたふうもなく、一人で壁に沿って伸びる階段を上っていってしまう。ユイニィも仕方なく、それに付いていった。
「そもそも、応接室にお客様が来ること自体稀なのが問題なんですよ。いいですかユイちゃん」
「ユイちゃん!?」
二階まで上がったところでクロ様が振り返って、その金色の瞳を瞬かせる。そしていつの間にかユイニィに愛称が付けられていた。
「生徒会というのは、高等部に上がった生徒全員が加入している、一つの組織団体を指すのですよ。つまりユイちゃんも生徒会の一員なわけなのですよ」
身を乗り出してくるクロ様に、ユイニィはちょっと仰け反る。階段の途中でこの体勢は正直辛い。
「なのに、行事前でもなきゃ、だーれも遊びに来ない。これって由々しき問題ですよ。そうでしょう?」
「そ、そうかもしれませんね」
言っていることはもっともだと思うけれど、取り合えず曖昧に答えておく。
「そうなのですよ。まぁ、これは歴代生徒会役員の落ち度といえます。規律や礼儀、上下関係も結構ですが、それで一般生徒に敬遠されては本末転倒。親しみやすいくらいで丁度いい。レシルはその辺り理解しているようなので、これからが腕の見せ所なのですがー……」
クロ様は満足そうに頷いて、再び奥へと歩き始める。何というか印象の定まらない人だけれど、物凄く生徒会、ひいては生徒達のことを考えてくれている人だというのは伝わってきた。ひょっとしたら、クロ様の奇異な言動行動も、親しみやすさを印象付けようとしてのことかもしれない。
「ほらユイちゃん。さっさと来るですよ。私がお茶をいれてやろうというのに、その麗しい姿を目に焼き付けないつもりなのですか?」
「は、はいっ。すみませんっ!」
左手の扉を開けて怒ったように手を振ってみせるクロ様に、ユイニィは慌てて小走りで駆け寄る。ううん。やっぱりよく分からないお人だ。
「はい、いらっしゃいませ。そこに座って待つがいいですよ。遠慮は無用。私に気を使わせるようなことはしない方が、ユイちゃんの身のためですよ」
「では、失礼します」
扉を潜ると、クロ様が笑って椅子へと促してくれた。脅し文句は冗談めかしていて、正直随分と緊張も解れてきていた。やっぱりクロ様は、緊張していたユイニィを気遣ってくれていたのかもしれない。
こうやってお話したのは初めてだけれど、ユイニィはこの先輩が随分と好きになっていた。
応接室の広さは一般教室より一回り小さいくらい。真っ白な壁。入って右手側に小さな調理台や流しがある。その奥の壁際には食器棚もあって、高そうな食器が並んでいる。中央には大きなテーブル。角が滑らかに丸くなっている長方形のテーブルで、十人以上は楽に並べそうだ。
ユイニィは扉から一番近い椅子に浅く腰掛けると、物珍しさからついつい室内を見回してしまう。
白いレースのカーテンのかかった大きな窓。古めかしいけれど素敵な棚。テーブルや棚の上には花瓶に花が生けられていて、室内はほのかに花の香りに包まれている。
さすが最上級のお嬢様の住まう場所。健やかで優雅だ。
「こりゃ。私を見なさいと申したですよ?」
「あ、すみません」
「まぁ、それだけ余裕ができたのなら上々ですよ。お客様を緊張させてなんていたら、レシルに何を言われたものか」
クロ様は調理台の前で、ユイニィを振り返ることなく肩を揺らしながら、見れば薬缶を小型魔動炉にかけていた。それは小さいが窯もついている優れもののようで、ある程度の料理ならできそうな設備が整っている。ひょっとして、その気になれば住めるのではないだろうか、この建物。
「しかしお手洗いは校舎まで行かなければならないのですよ。ままならぬものですよ」
そんなユイニィの考えを読んだかのようにクロ様がため息混じりに呟いた。
まもなくお湯が沸いて、やがてユイニィの前にカップが置かれる。
「こんな美少女にお茶を入れさせるなんて、ユイちゃんは大物ですよ。恥を知りながら、ありがたく飲むといいのです」
言葉とは裏腹に、クロ様は優しく微笑んでいた。
「デヴァイスト地方の一番摘み。私の一番好きな茶葉。お砂糖やジャムなんかは野暮ってもんです。遠方の大地の恵みを香りと舌と心で感じるのですよ」
「はい。いただきます」
クロ様が隣に腰掛けて、カップを掲げて詠うように言った。ユイニィが思わず笑うと、クロ様も目だけで笑い返してくれた。
「おやまぁ、クロが接待だなんて。明日はワイバーンでも降るのかしら」
「じゃあ、帰りに鍛冶屋で鋼鉄の傘を買って帰らないとだめですよ」
おいしいお茶でもてなされていると、やがて扉が開いてレシル様が現れた。
「私にも入れてちょうだい。熱いのね」
「仰せのままにですよ、お姫様。喉が焼けるように、火の精霊に頼んでおくですよ」
レシル様にそう言って、クロ様は自分のカップを片手に流しへと向かう。そのやりとりがおかしくて、ユイニィは笑ってしまう。
「いらっしゃい。私が呼んだのにお待たせしてごめんなさい。ちょっと組の話し合いが長引いてしまって」
「いえ、私が慌てて早く来すぎたのもありますし、クロ様にご馳走していただいていましたので」
クロ様が座っていたところにレシル様が腰を下ろす。
「クロもユイニィちゃんを気に入ったみたいね」
「え?」
「あの人、ああ見えて結構人見知りなのよ。気難しいし。気を許した相手にしか、お茶なんて入れないの」
クロ様を指差しながら、レシル様は笑って言った。
人見知り? 気難しい? ユイニィは首を傾げた。むしろ親しみやすいくらいだと思ったのに。
「こーら。人のことをこそこそ言うなんて、それが会長のすることですか?」
そこにクロ様が、カップを両手に戻ってきた。一つはレシル様の前に置き、自分はカップごともう一つ向こうの椅子に座る。
「事実でしょ。開かれた生徒会を目指すなら、もっと私たちのことを広めないと」
「それと個人の噂を吹聴するのは違うですよ。事実無根ですよ」
「でもそういう所あるでしょう。ねぇ、ユイニィちゃん?」
「どこがですか。美しくて気さくで美少女で、非の打ち所のないですよ。ねぇユイちゃん?」
「ええと……つまり、その、お二人は仲がよろしいということですか?」
二人に迫られ答えに窮したユイニィは、思わず的外れな答えを返してしまった。
すると二人は顔を見合わせ、吹き出して大笑いしたのだ。
「あっはっは。いいね、ユイニィちゃん。かなり良いっ!」
「ほんとですよ。黒目黒髪だけじゃなくて、これは貴重な人材なのですよ」
二人は絶賛してくれているのだけれど、ユイニィは訳が分からず愛想笑いを返すことしかできなかった。
その時。
「お二人ともっ……何をなさっておいでなのですかっ!?」
扉が開き、体が震えるような大声を上げは入ってきたのは、そんなお顔ができたのかと目を疑うほど厳しい表情をした、マテリア様だった。
「何をって……ねぇ、蒼黒さま?」
「ええ、焔姫。私たちはお客様を招いて、お喋りに花を咲かせていただけですよ」
しばしの沈黙の後、レシル様とクロ様はわざとらしい仕草と口調でそう言った。さすがユイニィより三つも年上。マテリア様の剣幕に、まったくたじろいだりなんかしない。
「何故、その方がいらっしゃるのですか?」
マテリア様はお二人の様子に一瞬顔を引きつらせながらも、どうにか先程より冷静な声音でそう呟いて、ちらりとユイニィを見た。目は合わなかったけれど、ユイニィにはその表情がとてもお辛そうに思えた。
「その方……ユイニィ・アールクラフトさんのこと? 何故って、私がユイニィさんの黒い髪に一目惚れして、口説いて連れてきただけよ」
えぇ。レシル様ってばとっても口から出任せ。嘘にしたってもっと上手い言い方があるでしょうに。そう思ってレシル様の横顔をみると、口元をきゅっと吊り上げて、とても悪いお顔をされている。ああ、これは挑発しているんだ。
「そうそう、マテリア。貴女ってばお手伝いの生徒、まだ連れてきてなかったでしょう。折角だからユイニィさんにお願いしようと思っていたところなのですよ。彼女、とても良い子ですよ」
と、これもまたわざとらしくクロ様が言う。
しかもクロ様はユイニィがここに呼ばれた理由を、まだ知らないはず。恐らくマテリア様とレシル様の様子を見て推測したのだろう。クロ様、とんでもないお方だ。
お二人がマテリア様を挑発する真意は分からないけれど、多分、きっと、マテリア様のことを思ってのこと。だと思う。
とはいえ、今ユイニィにできることはないので、このぴりぴりした空気に耐えるしかない。
「……お節介も過ぎれば迷惑にしかならないと、お姉さま方が理解されていないはずがないでしょう。それを何故……」
「何がお節介だと言うの。言ってごらんなさいな」
「だから、昨日私が口にした名前の生徒が、今日ここにいるということですっ!! まさか偶然だなんて仰いませんよねっ!?」
「ええ、もちろん。だってその言葉を言わせたかっただけだもの」
レシル様にそう言われてマテリア様は、はっとユイニィの顔を見た。しまった。それはやや鈍感なユイニィですら読み取れるくらいに、はっきりとマテリア様の表情からうかがえた。
「酷い……お姉さまは生徒会長だというのに、こんな卑小なやり方……」
マテリア様は右手のひらを目に当てて、呻く様に呟いた。
確かに酷いと思う。だって、あまりにも一方的。
「だけれど、マテリア。その生徒会長にここまでさせた責任が貴女にないだなんて、そんなこと思わないですよね? 貴女が先延ばしにしたりしなければ、こんなことにはなってないのですよ」
クロ様はうなだれるマテリア様に追い討ちをかける。
「貴女はとても賢い子なのですよ。だから考えすぎるのですよ。貴女が先を恐れて独りでいたいと言うのも結構。どうするのも自由。だから、私たちが貴女に何かあったときに、お節介でも口でも手でも出すのも私たちの自由なのですよ。それを理解しているから、貴女は生徒会に入ったのでしょう?」
クロ様はマテリア様の側まで歩み寄ると、そっとその肩に手を置いて、優しく微笑んだ。
ユイニィには話の半分も理解できなかったけれど、その言葉でマテリア様が落ち着いたのが分かった。
「ごめんね、マテリア。分かってくれなくてもいい。私を恨んだっていい。だから、私に向けるその感情分だけでいいから、もう少し周囲に向けてほしいの」
レシル様の言葉に、少しして、ゆっくりとマテリア様が首を振った。
「いえ、取り乱してすみませんでした。ありがとうございます」
それから、ユイニィに向き直って。
「ごめんなさいね、ユイニィ。見苦しいところ見せちゃって」
「い、いえ……」
それからマテリア様はゆっくりと深呼吸をして。
「申し訳ないのだけれど、生徒会のお手伝い、してもらえないかしら」
「……はい。私で出来ることでよろしければ、喜んで」
マテリア様の困ったような笑みに、ユイニィは精一杯笑って見せた。
「よし、お節介終わり。クロ、とっておきの紅茶とお菓子を用意してっ!」
「了解なのですよ。レシルのお気に入りを大放出するのですよっ!」
「え、私のなのっ!?」
気を張っていたのか、レシル様はほっとしたように顔をほころばせ、クロ様とふざけながら流しの方へと歩いていった。
「まったくもう……困ったお人だこと」
マテリア様も少しだけ笑って、レシル様が座っていたのと逆隣に腰を下ろす。
「お姉さま達がごめんなさい。もちろん、私も。あなたは出来ることと言ってくれたけれど、気にせずに、気軽にしててくれていいわ。むしろ、私に出来ることがあれば、何でも言ってね。勉強でもなんでも、力になるわ」
マテリア様は、そっとユイニィの左手をとって微笑む。もうそれだけで、ユイニィの胸は壊れそうなほどに高鳴る。失礼かもしれないけれど、マテリア様は美術館に展示された方がいいと思う。こんな美しい方がこんな近くにいるなんて、心臓に悪いもの。なんというか、こう、見た目だけじゃなくて、纏っている空気が浮世離れしているように感じる。
「どうかしら。今は困ったこととかない?」
「は、はい。今はこれといって……」
マテリア様、意外と押しが強い。一瞬昨日の出来なかった魔術が頭をよぎったけれど、そんなことに一々お手を煩わせるのは気が引ける。
「それと……お尻は大丈夫だった?」
マテリア様は少しだけ声を潜めて言う。
「あ、はい。私、こう見えて結構丈夫なんです」
ユイニィは空いていた右腕で力こぶを作るような仕草をする。長袖の制服では何も伝わらないだろうけれど。
本当は座って身体を揺らすと鈍く痛むのだけれど、わざわざ気を使わせることもない。
「よかった。かなり勢いよくだったから、後々心配になってしまって」
「あ、でも、マテリア様は? お加減悪くなさったりは……」
「大丈夫よ。私も、結構丈夫なの」
するとマテリア様。ユイニィから両手を放して、先程のユイニィのように両腕で力こぶをつくるような仕草をする。くすっと笑って髪を揺らす様子がなんとも可愛らしい。
「お、珍しい。マテリアがいちゃいちゃしてる」
そこに扉が開いて、ユイニィ達の方を見ながら入ってくる人物が二人。
「あら本当。マテリアさんがそんな風にしてるの、初めて見ました」
一人目は深い緑色の髪をポニーテールにした、精悍な顔立ちの、ちょっと男っぽい印象。二人目は銀髪を顎の線で切りそろえた、ちょっと気だるい雰囲気の小柄な少女。
「ああ、丁度よかった。エルザ、アニス。カップを運んでちょうだい」
「はい」
「承知しました」
私もお手伝いした方がいいのかなと少し腰を浮かしかけると、そっとマテリア様の手がユイニィの膝に置かれて止められる。
「いいのよ。ユイニィは今日はお客様。気持ちよくもてなされればいいの」
そう言われても上級生たちが働いて、自分が座っているというのは落ち着かない。お客様というのもなかなか大変だ。
そうしてカップにクッキーとスコーンの乗った皿が行き渡り、各々が席についたところで、レシル様の発案で自己紹介をすることになった。
「一年光組、ユイニィ・アールクラフトです。えっと、お声がけいただき、生徒会のお手伝いをさせて頂くことになりました。若輩者ですので、どうぞご指導のほどよろしくお願いします」
なんだか自己紹介まで平均点になっている気がする。皆からの拍手を受けながら、ユイニィは苦笑いで椅子に座りなおした。
「じゃあ私が続こうかしら……レシル・ハイエンド。生徒会長を務めさせていただいているわ。こう見えて、お菓子作りが趣味よ。よろしくね、ユイニィちゃん」
お菓子作りのところで他の面々が嫌な顔をしていた。どうやら会長、完璧超人というわけではないようだ。
「はい、美少女ですよ。クロ・シン。副会長なのですよ。趣味は美少女、特技は美少女、好きな食べ物は美少女なのですよ」
「いやいやいや、クロ先輩。最後怖いです。意味不明な上に怖いです」
淡々と言うのは先程アニスと呼ばれていた彼女。慣れた様子を見るに、クロ先輩は普段からこの調子のようだ。
「じゃあ、私。エルザ・ハミルトン。三年。剣術部。生徒会書記をさせていただいてる。最近は剣術だけじゃなくて、魔術にも興味がでてきたかな」
エルザ様は快活な印象で格好いい。これはクロ様じゃないけれど、愛好会がありそうだ。切れ長の瞳が不思議な色気を持っている気がする。
いかんいかん。ユイニィはエルザ様を見つめていたのを、紅茶を飲んで引き戻す。それにしても、生徒会の面々は美形揃いで困る。
「それでは……二年、アニス・リグラントです。会計をさせて頂いております。見ての通り、レシル様を主と忠誠を誓い、粉骨砕身生徒会に取り組んでおります」
見ての通りと言われてみれば、アニス様の腰には炎色の小剣。こちらの鞘は銀色だが、彼女がレシル様の片刃のようだ。
「忠誠……レシルとケーキが崖から落ちそうになっていたら、どちらを助けるのです?」
「それはケーキです」
「忠誠やっすいなぁ」
クロ様の質問に即答するアニス様。こちらも随分個性的のようだ。レシル様も笑ってらっしゃるし。
「最後になりましたが。二年、マテリア・コールウェルです。生徒会では庶務を。趣味は……読書かしら。あと、身体が丈夫です」
最後のところで目があった。悪戯っぽく笑うマテリア様にユイニィも笑ってしまう。その様子に、他の面々もなんとなく察したようだった。
「というわけで、普段はこの五人でやってるの。ユイニィちゃんには、剣授の儀で手が回らない分のマテリアの仕事を手伝ってもらうつもり。みんな、いいかしら」
レシル様の言葉に拍手が答える。私にできるかなぁ。不安になるけれど、引き受けてしまったからにはしっかりやらないと。
「よし。明日から忙しくなるだろうし、今日は歓談とお茶にしましょう」
こうして、平凡なユイニィの慌しい日々が始まったのだった。
翌日。剣授の儀まであと十一日。
ともあれ、慌しい日々の一番最初にすることは、友人への事情説明だった。
「昨日、マテリア様と一緒に帰ってたね……やることやってるなら、わざわざ嘘つかなくてもよかったのに。打ち明けてくれないなんて、親友だと思っていたのは私だけだったのね」
話を聞けば、ケイティアは昨日の放課後、学園ではあまり推奨されていない行為である寄り道、買い食い、食べ歩き等を満喫し、書店で立ち読みをして帰るのが遅くなったらしい。夕暮れの中一人さみしく帰っていると、件のマテリア様と仲睦まじく帰る親友の姿を見つけた。用事があると急いで帰ったはずなのに、何故こんなに遅く。しかも、本人の口からは何もなかったと聞かされたマテリア様と。ああ、つまり逢引。友人は親友よりも彼の方を選んだのか。
と、さんざん芝居がかった様子で言って、先程の台詞に繋がったのだけれど、普段は気だるい様子で喋る彼女が生き生きとしている様子から、面白がっているだけだとひしひし伝わる。ユイニィの親友は、普段つまらなさそうにしている分、面白そうなことが大好きだから。
「……そろそろ、いい?」
「はい、どーぞ」
小芝居が一段楽したところでユイニィがたずねると、ケイティアはいつもの調子に戻って頷いた。
二人がいるのは昨日レシル様と話した連絡通路。昨日も思ったけれど、この場所は内緒話に丁度いい。朝礼前の早い時間なのもあるけれど、やはり人通りはほとんどない。
「実は、レシル様に声をかけられてね」
ユイニィは別に隠すこともないだろうと、昨日の出来事をケイティアに伝えた。もちろん、レシル様の思いとか、マテリア様の性格とか、そういう個人的なことは伏せておいたけれど。
「ふーん。じゃあつまり、マテリア様は親しい一年がいなくて困っていた。そこにたまたまユイニィが印象に残ってて、レシル様に名前を言ってしまって、それを聞いたレシル様がお節介をなさって、アンタを生徒会に引っ張り込んだ、ってことね」
「うん。まぁ、私は別に部活とかしていないし、用事も特にないから。お手伝いしてもいいかなって」
通路の石壁に二人で並んでもたれかかって、お互いに頷く。
「つまり、ユイニィはまんまと利用されたと。私の親友を道具にするだなんて、生徒会の皆様もなかなかお人が悪いわね」
目をそらし、遠くを見るケイティアの一言にぎょっとした。表情こそ普段と変わらないけれど、声の調子が冷たくて怖い。それは彼女が怒っている兆候なのだ。
「ね、ねぇ、ケイティア。あの、怒ってるの?」
「うん。怒ってるね」
「えっと……何に?」
「色々」
そこでケイティアはユイニィに目を合わせてにっこり笑う。
「刻計の歯車だって、動きが悪くなれば潤滑油を差す。人間関係も同じ。それは当然だと思う。私だってそうする。だけれど、その油はどこから持ってきたのかしら」
「あぶら……」
それがユイニィのことだというのは分かった。
「ユイニィは何で引き受けたの? 生徒会の仕事に興味が出た? マテリア様とお近づきになれるから? 情に流された?」
そんな風に言われるとよく分からない。言われたこと、全部違うような気もするし、全部合っているような気もする。
「えっと、別に情にとかじゃなくて、そりゃあマテリア様のことは憧れていたけれど、それだけってわけじゃ……」
「まぁ、その、さ。全部怒ってるわけじゃないんだよ」
「え?」
見ると、ケイティアは苦笑いして、髪を右手でかきむしる。
「まさか、私が嫉妬するとは思わなくってさ。私の友達取らないでーって」
そして、とても恥ずかしいことを言っている。
「そんな自分に怒ってる。ごめんねユイニィ。自分でも自分がこんなに面倒臭いヤツだとは思わなかったから、焦った」
正直に話したから、許せ。って。
「黙ってるとよくないだろうから、とっとと話した。だから、ユイニィも、せっかく憧れのマテリア様と親しくなれそうなんだから、もっと浮かれた顔してなさいな。そんな顔してたら、向こうにも悪いよ」
「そんな顔……してた?」
「してた。アンタのことだから、ちゃんと出来るかなーって不安がってるんでしょ」
さすが親友。お見通しだ。
「私はアンタにだけは嘘はつかないよ。だからって私に何でも話せってことじゃなくて、相談くらいにはいつでも乗るからってこと」
ねっ、て。本当にこの人は、なんでこう、言いにくいようなことでも簡単に言ってしまえるんだろう。昔からそうだったし、きっとこれからもそうなんだろう。
「ありがと、ケイティア。やるからには、しっかりやらないとって、思ってたんだ。不安になってちゃ駄目だよね」
「そうそう。仕事なんて出来なくて当然なんだから。向こうだってそれくらい分かった上で、アンタに声かけてるよ。何にも期待されてないって分かってるんだから、気楽なもんでしょ?」
……そこまで言わなくても良かったかなって。それくらいは嘘ついてくれてもいいって。多分、ケイティアはそう言われて落ち込むユイニィの様子を見て面白がっているんだろう。
おかげで、不安なんてなくなったけれど、さ。
「んで、昨日マテリア様とはどこまで進んだの?」
「進んだって、あのさぁ」
嫉妬はどうした、親友。
「雑談しながら帰っただけだよ。後は、家が思ったより近かったくらいかな。登下校はいつも歩きだって言ってた」
「へぇ。名門のお嬢様だから、お高い魔動車とかで送迎してもらってるのかと思ってた」
「私も。苦手なんだって、乗り物。乗るくらいなら、四、五刻歩いたほうがましだって言ってたよ」
「うへぇ、結構遠いんじゃない。凄いわね、マテリア様」
本当に学校までの道のりが四刻以上ならば、昨日ユイニィと分かれてから二刻半以上歩くことになる。ちなみにケイティアの家はそれなりに遠いので、魔動列車と魔道馬車を乗り継いでいる。なのに昨日はなにをしていたんだか。
「何せ、折角の機会なんだから頑張れ。よくよく考えたら羨ましいくらいじゃない。退屈しなさそうで」
「なに。じゃあ、ケイティアも手伝ってくれたらいいじゃない。レシル様に話してみようか?」
ケイティアがいてくれたら随分と心強い。思わず声をかけると、しかしケイティアは意地悪く笑って。
「馬鹿ね。今となったら、一喜一憂忙しいユイニィを眺めてる方が楽しいに決まってるでしょ」
本当に、いい親友ですこと。