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永悠少女譚  作者: 著者
17/17

17

 雨が降っていた。

 講堂を飛び出したマテリア様を追って外に出ると、いつの間にか降り出していた雨に視界を遮られ、ユイニィは辺りを見回した。

 石畳で校舎と繋がっている講堂前は足跡なんて残っているはずもなく、マテリア様の行き先はわからない。

 私、マテリア様のこと、まだ全然知らないな。

 ユイニィは心の中でそう呟いて、だけれど雨の中を走り始めた。

 いつも微笑んでいるマテリア様。

 レシル様はそれを、人と距離を置くためだと仰った。それはまだ知り合って日の浅いユイニィにも分かった。マテリア様はいつも周囲から一歩引いたところにいる。

 その理由はユイニィにはわからない。きっと乗り物が苦手だということと同じくらいの理由があるのだと思う。

 ユイニィは走った。腕の中のそれらが、小さく寂しげな音を立てている。暖かくなってきたこの頃だけれど、ユイニィは制服に染み込んで来た雨に身震いした。

 空は暗い。まだそれ程遅い時間ではないけれど、分厚い雲に覆われた空は太陽の光を吸い込んでしまっていて、校舎のあちらこちらで照明が点き始めていた。

 多分、校舎には入らないだろう。なんとなくだけれど、人のいない場所ではないかと思い、ユイニィはそちらに足を向ける。

 マテリア様には、親しい友人がいないらしい。

 アニス様から聞いた言葉を思い出す。

 もちろん同学年で生徒会の仲間であるアニス様とは、それなりに交流はあるのだそうだけれど、悩みを相談しあったり、年頃の少女らしい会話になったことはほとんどなく、また、そういう友人といる場面も見かけたことがないのだそうだ。

 そしてそれは、この学園に入学した初等部の頃から、ずっと。

 体育館の脇を通ると中から運動部の掛け声が聞こえてくる。もうすぐ競技会もあるらしいので練習にも熱が入っているのだろう。

 ……マテリア様は、部活動もしたことがないそうだ。

 剣術も馬術も魔術。美術や茶術、舞踏まで。小さな頃からそういう教室やお家で学んでいたから、あらためて学園でする必要もなかったらしい。レシル様が教えてくださった。

 だから、多分、生徒会の仕事をするようになるまで、それとなく一人で過ごしていたのだろう。

 まぁ、生まれた時からそうだったから、私にはそれが普通なのだけれど。学園で生活していると、ああ、自分はやっぱり、ちょっと違うのだと感じることは多いわね。

 マテリア様はそう仰っていた。

 そして時折、寂しそうな眼をされていた。

 その眼が、ユイニィの頭から離れない。

 寂しいのですか?

 何度となく、そう口にしてしまいそうになったのは、やっぱりそれだけユイニィがマテリア様のことを見ていたからで。

「……マテリア様」

 そして、今もユイニィの目は、その人の姿を見ている。

 生徒会棟の裏手。

 校舎と生徒会棟の間を抜けると大きな木が一本あり、その下に石碑があって、その前にマテリア様は立っていた。

 雨にうたれ、髪を身体に張り付かせ、小さく震えながら立っていた。

 ユイニィはこんなところに石碑があるだなんて知りもしなくて、ただ人気のない場所を探し回っていただけだったのだけれど、でも、何故か見つけられると思っていたので、叫んだりはしなかった。

「……マテリア様?」

 呼吸を整え、歩み寄りながら再び声をかけると、マテリア様はうつむいていた顔を上げた。ユイニィの方を振り返りはしなかったけれど、深呼吸をしているようだった。

「……ごめんなさい」

 マテリア様は石碑の方を向いたまま、少しだけ掠れた声で、だけれどいつもと変わらない声音でそうつぶやいた。

「ちょっと、取り乱してしまったわ。迷惑をかけてしまったわね」

 マテリア様が振り返る。

 いつものように微笑んで。

 だけれど、その目が赤く腫れているのを見たから。

「マテリア様……私を、マテリア様の片刃にしてください」

 ユイニィはマテリア様のすぐ傍まで歩み寄り、両腕に抱えていた純白の双剣二振りを差し出した。

「ユイニィ?」

 マテリア様は首をかしげ、それからゆっくりと首を横に振ると、ユイニィの手の中の双剣に両手を添えた。

「ごめんなさい」

「私では、駄目ですか?」

 真っ直ぐに、マテリア様の目を見据えて、ユイニィは言葉を、気持ちを投げかける。

「違うの……ユイニィが悪いなんてことはないわ」

「では、何故です?」

 ユイニィの言葉に、マテリア様が困ったように笑う。

「私は、片刃を持つつもりはないの。前から決めていたことよ」

 マテリア様が、双剣を取ろうとした。

 ユイニィは、放さなかった。

「ユイニィ?」

「マテリア様は……マテリア様は、私のこと……」

 違う。ユイニィはでかかった言葉を飲み込むと、大きく息を吸った。

「私は、マテリア様のことが好きです。大好きです」

「……」

 ユイニィの言葉に、マテリア様はあっけに取られたように瞬く。

「何でもできちゃうマテリア様が格好よくて好きです。年上の方にもはっきり自分の意見を言うマテリア様が素敵で好きです。お優しいマテリア様が好きです。ちょっと悪戯だったり、お母様の服で変装したりするお茶目なマテリア様が好きです……」

 全部。ユイニィがマテリア様に思ったことを全部、遠慮もなにもなく、全部言葉に、声にして出した。

 多分、講堂での出来事から……いや、一昨日の応接室の時から、ユイニィの気は昂ぶったままなのだろう。ユイニィの頭の片隅の冷静な自分がそんな風に感じていた。

「ユ、ユイニィ、あの……」

「私はマテリア様のことを、尊敬して、憧れています。大好きです。マテリア様みたいになりたいとも思っています」

 マテリア様が何か言おうとしたけれど、ユイニィの口は止まろうとしない。

「ちょっと聞いて……」

「だから、マテリア様がお辛そうにされていると私も辛いです。だから、私に何ができるか考えてて、でも私にできることなんかなくて、だけれど、それでも、私はマテリア様を支えさせていただきたくて、支えになりたいって思ったので……」

「ユイニィ!」

「は、はい!!」

 マテリア様が大きな声を出されたので、ユイニィは跳び上がって返事をする。

「ちょっと落ち着きなさい……もう……」

「す、すみません……」

 マテリア様が呆れたように笑ったので、ユイニィは一気に冷静になることができて、だから先程まで自分がまくしたてていた言葉の内容を思い出し、一気に自己嫌悪を起こしてしまう。

 考えてみればエルザ様を問い詰めたり、ロイス先生に立ち向かったり、こうやってマテリア様に気持ちを押し付けたりしていたが、ユイニィにそんな資格なんてあるはずもなくて、これは子供のわがままと同じなのではないだろうか。

 思えば昔からユイニィにはそういう部分があった。

 気が昂ると抑えが効かなくなるのだ。

 普段はどちらかといえば大人しい性格なのだけれど、自分でも予期せぬきっかけで、こうなってしまうことがあった。

 親友のケイティアと友人関係になったきっかけも、そういうユイニィの短所とも呼べる性質から喧嘩になったのが始まりだった。もちろんこれはケイティアにも原因はあったのだけれど。

 そうやって色々なことを反芻しているうちに、ユイニィはすっかり普段の自分に戻ってしまい、雨を受け止めてくれている木の枝の下、その雨音を聞きながら固まってしまった。

「でも、そうね……そこまで言われてしまったら、私も話さなきゃいけないのかしらね」

「……マテリア様?」

 俯いていた顔を上げると、マテリア様は微笑んでいた。いつもより、少しだけ深く。

「私、身体が丈夫なの」

 それは、自己紹介でマテリア様が仰った言葉。

「この石碑は、英雄魔王様がこの学園をお創りになられた際に、記念に置いたものらしいの。古代の言葉で、『誰かが傷つく嘘をつかないように』と記されているわ」

 何故、学園の創立記念の石碑に、そんなことを記されたのだろう。ユイニィは不思議に思って首をかしげた。

「多分、この学園に通う生徒達に、真っ直ぐに育ってほしかったからだと思う」

 マテリア様は、小さく首を振りながら呟くように仰った。

「私はね、コールウェルに生まれたことが苦痛なの。元勇者の血筋は呪いと同じ。私は普通の女の子じゃないって、ずっと縛り付けられている」

 その、マテリア様の笑みは、見たことのない笑みだった。

「割り切ってはいるつもりなのだけれどね……見てて」

 マテリア様はそう言うと、右手の人差し指を小さく動かし、そのまま真横を指差した。

「っ!!」

 降りそそぐ雨の中、突如空中に手のひら程の大きさの火の玉が現れ、水滴を蒸発させながら消えていく。

 それが、魔術じゃないことはわかった。魔術には言霊と呼ばれる呪文が必要だから。

 それはユイニィが知る限り、英雄魔王様の物語に出てきた。

「……魔法」

 ユイニィの呟きに、マテリア様は小さく頷いた。

 今より魔術が広く使われていた英雄魔王様の時代でさえ、人にはほとんど使えなかったという、伝説の竜族達が使う能力。それが魔法だった。

「お祖父様もお父様もコールウェルの血筋だけれど、ここまでの力はないのよ。お母様が人並み外れているから、なおさらなのかもしれないわね」

 マテリア様は、ちょっと悪戯っぽく笑う。

「小さい頃。私が誘拐されたことがあるって、話したでしょう」

 ユイニィは頷く。そのせいでマテリア様は乗り物が苦手なのだ。

「その時、近所に住んでいた男の子もいたの。男の子はさらわれそうになった私を守ろうとしてくれたわ」

 マテリア様の前に立って、誘拐犯達に立ち向かってくれたのだという。

「だけれど、子供の力じゃ無理だったわ。すぐに私の腕を誘拐犯の一人が掴んだの」

 そのときよ。

 マテリア様は思い出すように、そして辛そうに顔を歪める。

「私は無意識に、魔法を使っていたの。初めてね」

 その力は目に見えない衝撃波となって、マテリア様の周囲のものを吹き飛ばし。

「その男の子にも、怪我をさせたのよ」

 その後、魔力を使ってしまったマテリア様は脱力してしまい、誘拐されてしまったのだという。

 その後、男の子は骨折していたことがわかり、しかしそれは誘拐犯と争ったのが原因だとされた。

 だけれど、マテリア様だけが、本当のことを知っていた。

「怖くて、言えなかった……私にこんな力があって、それが友達を傷つけてしまったこと。こんなことを知られたら、私は怪物だって思われて、恐ろしいことになるんじゃないかって」

 今はユイニィの手に添えられているマテリア様の手が、震えている。

「それに、その誘拐事件がきっかけで、コールウェル家の娘が特別だっていうことは、友人達のご両親の知るところにもなって……危ないから、遊んじゃ駄目って。母親にそう言われたって、友達が教えてくれたわ」

 それは学園に入る前の出来事だと聞いたから、まだ本当に幼い頃の出来事だったはず。子供心に、それはどれほど大きな傷となったのか、ユイニィには想像がつかなかった。

 だけれど、その友人達やその親を責めることはできないだろう。自分の子供に危険が及ぶかもしれないのであれば、それに関わらせないようにするのは、わが子を思う親としては当然なのだろうから。

「私に関わると、危ないの」

 マテリア様は笑った。

「コールウェル家っていうのは、そういう家なのよ。今回のことにしたってそう。お祖父様の……私の存在が、どれだけの人を苦しめたか」

 エルザ様。ロイス先生。そして事件に巻き込まれた生徒会。

「私は……怖いのよ」

 マテリア様は、いつもの様に微笑んでいる。

「傷つくことが、怖いのよ」

 周囲の人が。

 自分が。

 だからずっと、必要以上に人と距離を縮めたりせず、一人で生きてきたのだろう。

 深く関われば、傷つけてしまうかもしれないから。

「お姉さまは、そんな私を心配してくださっている」

 だからきっと、ユイニィを誘ったの。

 人と関わろうとしないマテリア様が、出会ったばかりのユイニィの名前を出したのだから。

「ごめんなさい、ユイニィ。あなたを巻き込んでしまって」

 でも、もうこれ以上、巻き込みたくないの。

 マテリア様はそう仰った。

 それはきっと、本当にユイニィのことを想って言ってくれているのだろうということは、十分に伝わっていた。

 でも、それはないじゃないんでしょうか。

「マテリア様は、私がお嫌いですかっ!?」

「……え?」

 マテリア様のお考えやお気持ちは伝わりました。乗り物が苦手な理由も、人と距離を置くのもわかりました。

 だけれど、それと私がマテリア様を想う気持ちは関係ないんじゃないですか、って。

 だって、マテリア様だって、ちょっとくらい私と一緒にいてもいいって思ってくださったから、私の手を引いてくれたりしたんじゃないですか、って。

「あ、あのね? 好きとか嫌いという問題ではなくて……」

「そういう問題なんですっ! 好きな人と一緒にいたいからっていうのは、そういう問題じゃないですか……マテリア様だって」

 ユイニィはそこで言葉を一度切ってしまう。これ以上を口にするのは、これ以上踏み込めば、きっともう、戻れない。

 だけれど。

「マテリア様だって、生徒会の皆さんのことが好きだから、生徒会にいるんでしょう!?」

「……っ」

 マテリア様の表情がくずれる。微笑がなくなって、厳しい表情になる。

「一人でいるの、寂しそうじゃないですか! ケイティアのこと、羨ましいって仰ったじゃないですかっ!」

 いつものマテリア様の微笑みの下には、悲しげな、だけれど怒りを含んだ、マテリア様の心の顔があった。

「子供じゃないのよ。わかりなさい、ユイニィ。私といたら、貴女もいつか危険なことに巻き込まれるかもしれないの」

「私は子供です。それに……それに、マテリア様だって、子供じゃないですか!」

「私は違うのよ! 私は貴女とは違う! 皆とは違う世界に住んでいるの!」

「……マテリア様っ!!」

 声を荒げるマテリア様に、ユイニィは双剣を手放し抱きついた。力いっぱい、腕ごと、マテリア様を抱きしめた。

「マテリア様は、今、ここにいます。ここにいて、私と……私たちと同じ世界に住んでるんです!」

「……」

 魔術を教えてくれた。生徒会の仕事も教えてくれた。一緒にケーキも食べた。紅茶を美味しいと言ってくれた。手をひいてくれた。秘密のお話もしてくれた。今度一緒にでかける約束もした。

「私を片刃にしてください、マテリア様」

「ユイニィ……」

 抱きしめたまま、じっとマテリア様の顔を見上げる。

 マテリア様も、ユイニィを……ユイニィの瞳を見つめている。

「そして、私を守ってください。私はできる限り、マテリア様の支えになれるように努力します」

 勉強だって、剣術だって、なんだってやってみせる。

「マテリア様に……もう、そんな顔をさせないように、頑張りますから……」

 マテリア様は、寂しそうな、困ったような顔をして、目には涙を浮かべていた。

「馬鹿ね……」

「マテリア様……?」

 マテリア様の手が、ユイニィの背中を抱く。

「私は……今、喜んでるのよ。嬉しいって」

 だとしたら、なんて喜ぶのが下手なのだろう。ユイニィはおかしくって、泣いてしまった。

「それに……片刃にしてくださいって言われても、私はまだ剣授の儀をちゃんと行っていないじゃないの」

「……そうでした」

 馬鹿ね。マテリア様が笑ったから。はい、馬鹿なんです。ユイニィも笑った。

「雨が過ぎたわ……戻りましょうか」

「はい……っ!」

 見上げれば、雲間から柔らかな光が差し込んでいる。

 マテリア様は左手に。ユイニィは右手に。それぞれ一振りずつ純白の小剣を持って。

 空いている手は、繋いで。

 二人とも、びしょ濡れねって。

 笑いながら歩き出した。






 まぁ、なんというか。レシル様とクロ様は当然のように手を回していて、翌日の放課後に、きちんと剣授の儀は執り行われた。

「わたくしマテリア・コールウェルは、双剣を持つものとしてより努力し、全生徒の手本となれるよう努めてまいります」

 いまは幼虫だけれど、いつか立派な蝶になりなさいということなのかしらね。

 マテリア様は、そう笑っていた。

 その笑顔は、気のせいだろうか。少しだけ幼くなったように見えた。



 そして、そのすぐ後。

 ユイニィはマテリア様から純白の小剣の一振りを受け取った。

 お願いします。私の片刃になってください。

 帰り道。いつもの分かれ道で差し出されたそれは、翌日からユイニィの腰に提げられた。

 鞘は妹が譲ってくれた。妹はもうフレアの生徒ではないので必要ないから、と。

 片刃になったことを両親は喜んでくれたけれど、相手がコールウェル家のお嬢様だと聞いて卒倒しそうになったり。

 もちろん級友達には取り囲まれたり。

 親友には心底からかわれたり喜ばれたりしたり。

 しばらくは随分騒がしかったのだけれど、ユイニィはそれを少しも嫌だとは思わなかった。



 エルザ様は、生徒会役員を退任した。

 表向きは剣術に専念したいからという理由になった。

 本当は学園を辞めるおつもりだったらしいのだけれど、クロ様が引きとめたのだという。

 それどころか、学園長に話をして、エルザ様を学生寮に住まわせた。もちろんエルザ様の両親も説得したらしい。

 クロは、仲間のためなら魔王相手でも退かないわよ。

 レシル様はそう笑っていた。でもきっと、レシル様も尽力なさったのだろうとユイニィは思った。

 ある日の昼休憩の時、エルザ様が応接室に忘れ物を取りに来た。

「ごめんね。ありがとう」

 エルザ様は、ユイニィにそう言って、部屋を後にした。

 ユイニィは、粉末茶を濃い目にいれて、砂糖も粉乳もいれずに飲んだ。

 苦いなぁ。

 一人になった応接室でお弁当を食べながら、苦いお茶に涙が溢れた。



 ロイス先生は、学園を辞めた。

 生徒会の誰も訴えたりはしなかったけれど、学園長と話し合って、そう決定したという。

 短い文面の、謝罪の手紙が生徒会に届けられた。

 翌日、クロ様が、学園生活で初めて、一日だけ欠席した。

 理由は聞けなかった。



 エルザ様が役員を辞めたので、役職が空席になってしまった。

「じゃあ、書記はマテリアがやりなさい」

 レシル様が人事を発表した。

「で、ユイニィちゃんは庶務ね」

 マテリアの片刃なんだから、しっかり働いてね、と。

 あの、私まだ、高等部に上がってひと月ちょっとなんですけれど。

 抵抗空しく、ユイニィは学園史上で一番早く生徒会役員になってしまった。

「ふふふ。これからも一緒に頑張りましょうね?」

 タニアさんはちゃっかり、会計補佐という新しい役職に着任していた。彼女は今日も楽しそうだ。



 ある日、生徒会役員たちは、学園長室に呼び出された。

「おー、チミたちが問題児かね?」

 悪戯っぽく笑うその人は、学園長という肩書きが似合わない姿で椅子から立ち上がった。

 豊かに広がる赤金髪と深い赤の瞳。真紅のワンピースというその姿は、令嬢というのが一番当てはまる。

 年齢は知らなかったけれど、制服を着せたらこの学園の生徒でも通用しそうなほどに若々しい。

「レシルとクロちゃん。ロイス先生からも事情は聞いたけれどアンタ達無茶し過ぎよ」

 めっ。ユイニィ達に指を突きつけて顔をしかめてみせる。

「大人は敵じゃないのよ。教頭だってあんなのだけれどさー、あれで結構生徒のこと考えてるの。ちゃんと大人を頼りなさい。自分達で何でも出来るなんて思ってたら、ぜったい後悔するんだからねー」

 そう言いながら、だけれど学園長の顔は嬉しそうに笑っている。

「ま、私は出張してたしね。先生が犯人じゃ、教師を頼りたくないのもわかるし、大事にしたくなかったのも分かるから、お咎めはなし!」

 それに、私はそーゆーの、好きだしね。

 ころころ笑うその人はとても女の子らしくて、だけどとても頼れるお姉様という印象だった。

「褒めちゃ駄目なんだけど、ありがとね。君達には辛い思いをさせたけれど、きっと、たくさんの子達が救われてるよ」

 エルザちゃんも、何も知らされずに済んだ生徒達も、きっと、ロイス先生も。

 学園長は、瞳を細めて微笑んだ。

「英雄魔王だって、褒めてくれてるよ、きっと」

 でも、金輪際無茶しちゃだめだぞ。

 そう念押しされて、生徒会役員達は学園長室を後にした。

「ユイニィちゃん。マテリアのこと、よろしくねー」

 出るときに、ユイニィに学園長が耳打ちした。

 そのことをマテリア様に話すと。

「学園長は母の古くからの友人なのよ。今でも時々家にいらして、母とお茶を飲んでるわ」

 と、苦笑していた。

 多分、マテリア様は少し恥ずかしかったみたいだと、なんとなくユイニィは思った。



 そうして、ユイニィの慌しい日常が少しずつ落ち着き始め、第一期末の試験も近づいてきたある日の昼休憩。

 いつもの様にお湯を準備しテーブルを拭き、先輩方を迎える準備をすませ、自分が飲む苦い粉末茶を用意してテーブルにつくと、応接室の扉が開いた。

「……マテリア様?」

 いつもは後二刻は誰も来ないので、ユイニィは思わず椅子から立ち上がる。

「ふふ……お邪魔してもいいかしら?」

 お邪魔って。ここはユイニィの部屋というわけではないのですけれど。そう思ったけれど口には出さず、ユイニィは頷いた。

「お茶、入れますね」

「あ、じゃあ、ユイニィと同じものをお願い」

 流しへ足を向けるユイニィに、マテリア様の声がかかる。

「えっと、苦めの粉末茶なんですけれど」

 マテリア様は、普段はディヴァイストのアディリスという癖のないお茶を好んで飲まれる。正直、安っぽい粉末茶なんてお口に合わないのではないでしょうか、と。

「ええ、それでお願いね」

「はぁ……わかりました」

 粉末茶はお湯を入れるだけなので簡単に出来る。ユイニィは自分が飲んでいるものより少しだけ分量を少なくしていれると、テーブルへと戻った。

「お待たせしました」

「ありがとう。実は前から、少しだけ気になっていたのよ」

 ユイニィが飲んでいたのを見て、興味が出たのだという。

「最近、ユイニィお砂糖もいれなくなったでしょう」

「……よくご存知で」

 もちろん、私の大切なユイニィのことですもの。

 ユイニィの隣の席に座ったマテリア様は、ユイニィの手をとって嬉しそうに笑う。

 なんとなく、それがエルザ様の好きだったお茶だとは言い出せず、ユイニィは曖昧に笑っておいた。

「ええと、それでマテリア様。随分お早いですけれど、私に御用でしたか?」

 いつも食堂で昼食を取られるマテリア様。この時間ではお食事もまだのはず。

 するとマテリア様は片手に持っていた小さな手提げ袋をテーブルの上に置き、嬉しそうに笑った。

「ユイニィ、自分でお弁当を作っているって言っていたでしょう。お昼をここで取っているのは、お姉様方を気持ちよく迎えたいからだって。私、見習わないといけないと思ったの」

 つまるところ、マテリア様。ユイニィとの雑談で思い立ち、自分でお弁当を作って持ってきたのだという。

「自分でお弁当なんて初めて作ったから、ユイニィにも食べてほしくって」

 マテリア様、あまり料理もされないと仰っていた気がする。まぁ、フレアには家政の授業もあるし、調理実習もあるので大丈夫だとは思うけれど。

 そうして二人並んで包みを開ける。

 ユイニィは昔から愛用している木製のお弁当箱。マテリア様のものは何だか妙に豪華な金属製の箱。

「……あら?」

「……」

 マテリア様のお弁当。多分袋の中で傾いていたのだろう。中身が箱の半分に寄ってしまい、サンドウィッチやサラダ等が少し混ざってしまっていた。

「ええと、お弁当って、しっかり詰めておかないと中身が動いちゃうんです」

 ユイニィはそう言って自分の箱の蓋を開ける。

 同じくサンドウィッチだったけれど、枠や串をつかって動かないようにしてあるし、塩漬けの野菜や切った果物も小さな容器に分けて入っているのでほとんど形は崩れていなかった。

 母親がそういう風にしていたのでそれを真似しているだけなのだけれど、マテリア様はとても感心したようで、しきりにユイニィを褒めた。

「ユイニィ。私に教えてくれないかしら。私にはやっぱり一般的な常識が足りないのだわ」

 これって、あまり常識とかは関係ない気がするなぁ。そうは思うのだけれどマテリア様が随分力強く仰るので断ることもできず、ユイニィはやっぱり曖昧に頷いた。

 それからお弁当の中身を交換したりしながら、他愛ないお喋りをする。もうすぐ試験ね。試験休みの予定はあるの。このパンはどこで買ったのかしら。

 ここのところのマテリア様は、ユイニィにたくさん話しかけ、たくさん質問をなさる。

 これまでずっとそうしてこなかった分を取り戻すように、時間があればユイニィと話をされる。

 もちろんユイニィとだけでなく、生徒会役員を含め、周囲の人達とも少しずつ、以前よりも話をするようになったようだ。レシル様が随分喜んでらした。

 もちろん、ユイニィも嬉しい。片刃としても、生徒会役員の一員としても、お役に立てているのならそれはとても嬉しい。

「……そうだ。試験が終わったら、一緒に東区に出かけない?」

「東区、ですか?」

 東区には美術館や英雄記念館などの施設が多く、観光客も多く訪れる地区である。それってつまり。

「前に一緒に出かけましょうって話したでしょう。試験を頑張ったご褒美に、遊びに行きましょう」

 もちろん、魔動列車で。マテリア様が微笑む。

「はい。喜んで!」

 ユイニィの声に合わせて、背中で二振りの小剣が小さく鳴る。

 マテリア様はきっと、自分の苦手なことを克服していこうとされているのだろう。

 周囲の人達と距離をつめたり、お弁当を作ったり、乗り物を克服しようとしたり。

 それに。

 ユイニィはお茶とお弁当を見ながら思った。

 こうやってユイニィの傍に来てくれるのは、いまだにエルザ様のことを引きずっているユイニィのことを思ってのことかもしれない。

 ……思い上がりかな。

「……どうかして?」

「あ、いえ」

 自分の考えたことに思わず苦笑してしまい、マテリア様が首をかしげた。

「マテリア様……私、マテリア様のお役に立ててますか?」

 ふっと、そんなことを尋ねていた。

 マテリア様は少し目を見開いて、それから微笑んで、ユイニィの手をとった。

「……馬鹿ねぇ。そんなの、当然でしょう」

 私の顔を見ていれば、一目瞭然でしょうに。

 マテリア様は少しだけ、恥ずかしそうに微笑む。

「……はいっ!」

 マテリア様の指がユイニィの髪に触れる。

 私、こんなに素敵な人のお役に立ててるんだよ。

 それだけのことだけれど、それは長い黒髪以外では初めて、ユイニィの自慢できることの一つになった。





 おまたせしてすみませんでした。

 ここまでで、第一部というか、一区切りです。

 読んでくださった皆様、評価、感想下さった皆様、本当にありがとうございます。


 ユイニィとマテリア様の出会いの話はここまでで、次回からはまた別エピソードを書きたいと思っておりますので、お暇がありましたらまた、お付き合いくださいませ。

 何を書くかはまだ決まってません。決まってなくても書き始めますけれど。

 もしこの登場人物の話を読んでみたい等ありましたら、感想にでも書いてください。できる限りで書きたいと思います。


 私は『お話』を書くのは好きなのですが『小説』となると苦手で、なんだか読みにくくなってすみません。変にシリアスですし。

 次回以降は基本的に軽いのを書きたいと思います。


 失礼いたしました。

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