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「すみません。私がしっかりしていれば……」
状況を説明し終えると、エルザ様はうつむいて、深く頭を下げた。
「別にエルザの責任ではないのですよ。エルザは被害者なのです」
クロ様はそう言ってエルザ様の頭を乱暴なくらいに撫で回した。
小柄なクロ様だけれど、こういう時は本当に誰よりも大きく感じる。
エルザ様の悲鳴が聞こえた時だって、誰よりも先に駆け出していたし、犯人を追いかけて行ったし、頼りになる人なのだなと、ユイニィはクロ様の横顔を見つめていた。
今保健室に居るのは、ユイニィとマテリア様とクロ様、そしてエルザ様。それぞれが椅子に座っている。
保険医の先生が帰宅されていたので、レシル様が許可を貰ってエルザ様の手当てをしていたのだ。
そのレシル様はアニス様とタニアさんを伴って、先生に報告に行っている。
椅子に座っているエルザ様の足首には薬布が貼られ、包帯で固定されていた。それほど腫れている様子も無かったが、素人目に分かるものでもないだろう。
エルザ様の話をまとめると。
生徒会棟に向かったエルザ様は、応接室に上がり、速やかに目的を達成すると、再度施錠と確認をし、生徒会棟を出ようとした。
扉を閉めようとした瞬間、内側から扉がはね開けられ、その衝撃で倒れてしまったのだという。
倒れているエルザ様の横を、黒いローブの人物が駆け抜けていき、そこに駆けつけたクロ様。
クロ様は後ろのレシル様とアニス様にエルザ様のことを任せると、剣を抜き放ち、黒いローブを追いかけていったのだという。
「で、取り合えず危険はないと判断したレシルが生徒会棟を見回ると、準備室が開いていて、小剣がなくなっていた、と」
エルザ様が生徒会棟に戻ってから事件まで、一、二節の間の話である。
「つまり、私達が帰る前。中に既に誰かが潜んでいて、小剣を持ち出そうとしていた。そこにエルザ様が戻ってきたことで、自分の存在を気付かれたと思った犯人は、無理矢理逃走をはかった」
「そうかもしれないのですよ。実際、私達はあまり一階と三階は使ってないですからね。潜んでいても気付かないかもですよ」
マテリア様の言葉にクロ様が続ける。
例えば三階へ続く階段の踊り場。そこに誰かが潜んでいて、ユイニィ達の様子をずっと窺っていたとしたら……。
背筋に冷たいものが走り、ユイニィは身を震わせた。想像しただけで恐ろしい。
「さて……私はちょっと生徒会棟を見に行くのですよ。他に被害があるかもしれないのです」
クロ様はそう言うと荷物を持ち、保健室を出ようとした。
「クロ様、私も参ります。お一人で行動されるのは良くありません」
ユイニィの隣に座っていたマテリア様はそう言って、自身も荷物を手に立ち上がる。
「……そうね。一緒に来るのですよ、マテリア」
「はい……ユイニィ」
マテリア様は振り返ると、ユイニィに微笑みかける。
「は、はい」
「戻ってくるまで、エルザ様のことお願いね」
「……はい。お気をつけて、マテリア様」
正直あんなことがあったばかりだから、部屋から人が減るのは不安だった。エルザ様を狙って犯人が戻ってくるかもしれない、なんて不吉な考えが頭をよぎっていたりもする。
だけれど、マテリア様に頼まれたのだ。ならば任せてくださいと言うしかない。そんなことはないのだけれど、何故かユイニィの頭にはマテリアさまの願いを断るなんていう選択肢はないのだから仕方がない。
「……」
とはいえ、お二人を見送って二人になった保健室は、放課後の静寂も合わさって、なんとも心細くなるのも事実なのだけれど。
「ごめんね、ユイニィちゃん」
そんなユイニィの心情が伝わったのか、それとも顔に出ていたのか。エルザ様の申し訳なさそうな声が届く。
「いえ、大丈夫です。お加減はどうですか?」
「……少し楽になったかな……ありがとう」
エルザ様が苦く笑ったので、ユイニィはせめて元気一杯に笑って見せた。
「それにしても、クロ様って、改めて凄いんですね」
「え……ああ、さっきの?」
ユイニィの言葉に思い当たったエルザ様は、首をかしげて応える。
「いえ、なんとなく、レシル様の方が、その……そういう印象だったというか」
「まぁ、『焔姫』だものね」
エルザ様はレシル様の二つ名を口にして微笑む。
とくに例の密会からこちら、レシル様の方が激しい気質の印象があったユイニィには少し驚きだったのだ。
「そうね。ユイニィちゃん達は初等部、中等部であのお二人と一緒になることはなかったから特に驚くのかもしれないけれど、あのお二人は昔は仲が悪くて、しょっちゅう喧嘩していたのよ」
「それ、ちょっと想像がつかないです」
お二人とも普段は冷静で、落ち着いた印象がある。
「なんていうのかな。性格とか気質? そういうのが正反対みたいなのよね、二人とも」
冷静だけれど行動的なレシル様と、行動的だけれど冷静なクロ様。エルザ様はそう言った。
「上手く言えないんだけれどね。美味しそうなケーキがあるとして、誰のケーキか確認するのがレシル様。勝手に食べてから、食べたお礼とかお詫びとか考えるのがクロ様、かな」
分かるような分からないような。
妙に具体的な例えだと思ったら、去年そんな事件があったのだそうだ。
「それでかな。中等部のある時に、とうとう学年全部を巻き込むくらいの抗争に発展して」
「ひえぇ……」
「詳細は知らないのだけれど、それからお二人は親友になったらしいの。お互いに認め合えるようになったらしいわ」
怖くて本人達には聞けないんだけれどね。
そう言ってエルザ様は苦笑した。凄く知りたい気持ちはあるのだけれど、確かになんだかちょっと聞くのが怖い。
それからなんとなく、思い思いのことを二人で話し、保健室の中にあった張り詰めた空気が薄らいできた。
エルザ様もようやく肩の力が抜けたらしく、おかげでユイニィの不安も落ち着いてきていた。
「それにしても、どうやって小剣を持ち出したのかな」
ふっとエルザ様がそんなことを言った。
「どうやってって……箱をこじ開けて……」
ユイニィが手で紙箱を破るような仕草をして見せると、エルザ様は首を横に振った。
「いえ、準備室の鍵をね。あそこの鍵は応接室の鍵箱の中じゃない?」
「あ、そうですね」
確かに、先日ユイニィ自身、そのことをクロ様と確認していた。
「ほら、周期明けだったかな。ユイニィちゃんとクロ様が二人で確認してたでしょう」
「はい。準備室の鍵が見当たらなくて……でも、隣の鉤にかかってたんですけれどね」
結局ユイニィはレシル様から何も聞いてないのだけれど、あれはただのかけ間違いだったのだろうか。
「蓋が開いてたんでしょう? 鍵箱も替えてもらったほうがいいのかもね」
「……そうですね。危ないですもん」
苦笑するエルザ様にユイニィも笑う。
ああ、そうか。ユイニィはその日のことを思い返していた。
鍵箱の鍵が開いていて、準備室の鍵が無かった。
その後クロ様と見た時は、隣の鍵と一緒にかけてあることに気付いたのだ。
それはどちらも昼休憩の間の出来事。
ユイニィの頭の中に何かが引っ掛かった。クッキーを食べてる最中にくしゃみが出て、鼻の奥にクッキーの欠片が入り込んでしまった様な……いや、この例えはあんまりだけれど。
「どうしたの、ユイニィちゃん。くしゃみが出ないみたいな顔してるよ?」
「あ、いえ、違いますよ?」
そんなに具体的に伝わるような顔してるのか私は。それかもしくはエルザ様に読心術の心得があるか。多分前者なのだろうけれど。
「あの、皆さん遅いなって思って」
「そうね……何かあったのかしら」
話していたから気付かなかったのだけれど、クロ様とマテリア様が部屋を出てから既に二刻は過ぎている。
と、ユイニィの言葉にエルザ様が頷いたところで、保健室の扉が開いた。
「お待たせ。もう色々あれだから、送迎車を呼んだわ。エルザもその方がいいでしょう。私も疲れたわ」
入ってくるなりレシル様はそう言って、首を鳴らした。職員室で何かあったのか、随分疲れた顔をされている。
「アニスと私でエルザを送っていくわ。家の方向も一緒だしね。みんなも送迎車使っていいわよ」
いいわよってレシル様。送迎車って、学生にはちょっと高級なのではないでしょうか。
「ほっほっほ。送迎車の券を教頭から脅し取る……もとい快く譲っていただいたのですよ。心配いらずですよ」
レシル様の後に入ってきたクロ様。確かにその手には券が二枚握られている。
脅し取るっていうのは、聞かなかったことにしよう。
「じゃあ、マテリアとタニアちゃんとユイニィちゃんが一緒でいいかしら?」
レシル様の言葉に、マテリア様とタニアさんが頷いている。
「えっと、あれ。クロ様は?」
そういえば名前が出なかったと、ユイニィが尋ねる。
「おお、そう言えばユイちゃんには言ったことなかったですよ。私は寮暮らしなので、心配ご無用。フレア学生寮の女王とは私のことなのですよ」
それは想像できるようなできないような。
ユイニィは返答に困ったので愛想笑いだけ返しておいた。
「こんなことになったけれど、明日の予行演習はあくまで部活紹介が主だから、そのままの予定で行うわ……エルザは足の具合をみて、朝にでも私に連絡してちょうだい。みんな、わかった?」
レシル様の言葉に全員が返事を返した。
ああ、このまま剣授の儀は中止になってしまうのだろうか。ユイニィは胸が苦しくなるのを感じながら、レシル様の後ろ、マテリア様のお顔を見る。
いつも通りに微笑を浮かべているのだけれど、どこか浮かない表情なのはユイニィの心がそう見せているのだろうか。
「あの……」
ユイニィがそんなことを考えていると、ふっと、エルザ様が声を上げた。
「……どうしたの、エルザ」
レシル様が、首をかしげて微笑む。
「え、あの、すみません……ありがとうございます」
「いえいえ。ほとんどクロがやったことだし、剣のことなら気にすることじゃないわ。仲間が困ったら助ける。それを嫌がる子なんてここにはいないのだから」
レシル様の言葉に全員が頷く。
「……困った時は、いつでも仲間を頼りなさい、エルザ」
「……はい」
レシル様に肩を叩かれ、エルザ様は小さく頷いた。




