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風日、水日、土日と慌しく過ぎ、そろそろ講堂の準備に取り掛かった闇日のことだった。
この数日ユイニィはタニアさんと二人で、まだ馴染みきれていない高等部校舎を奔走し、どうにか予定通りに仕事を終わらせることができていた。
「でも、ユイニィさんと一緒で、本当に、よかったわ」
「へ?」
放課後。講堂の様子を見に行っている先輩方の留守を預かったユイニィとタニアさんは、応接室で並んでお茶を飲んでいた。
「ユイニィさんって、ぼーっとしてるって言われるでしょう」
「……え、う、うん。時々」
おっとり笑顔でそんなことを言われ、ユイニィは曖昧に頷く。確かにケイティアからもしょっちゅう言われるし、自分でも思っていることではある。けれども、それじゃあユイニィがぼーっとしているのがタニアさんにとって良かったことになる。それって迷惑でありこそすれ、喜ばれることではないのではないだろうか。
「でもね、ちょっと違うって分かって。ケイティアさんとも話してたんだけれど、ユイニィさんって気がつく人なのよね」
「……」
自分の知らないところで、友人二人が自分のことを話してるのって、なんだか凄く恥ずかしい。
「凄く色々考えて、周りの人の事も、よく見ていて……ほら、ここのお湯の入れ替えとか、花瓶の水の入れ替えとか、テーブルも拭いてくれているでしょう?」
タニアさんこそよく見てる。それは誰に言われたことでもなくて、ユイニィが自発的にやっているだけのことなのに。
「私ね、そういうこと、気付くのって苦手なの。やるべきことがあってとか、目標があってだとか、そういう時は、それについて色々考えて、色々な状況を想定して……そういうのは出来るんだけれど」
そちらのほうが凄いことなのではないかと、ユイニィには思えるのだけれど。
「さっきだって、私が何も言わなくても、私のお皿に角砂糖二つ置いてくれたでしょう」
「そりゃ、いつもタニアさんが二つ入れてるの知っているし」
「でもユイニィさん。ここでお茶を飲む人の好み、全員分、覚えているのでしょう?」
タニアさんがくすくす笑うと、その背中で大きな三つ編みが揺れる。
レシル様はディヴァイストのハーネルを薄め。
クロ様はそれの濃い目。
エルザ様は粉末茶の濃い目。
アニス様はエルゼンフラットに固形乳とお砂糖たっぷり。
タニアさんは何でも好きだけれど、お砂糖二つ。
ついでに、ユイニィは粉末茶をとっても甘く。
確かにユイニィはそれを覚えている。勉強もこれくらい簡単に覚えられたらいいのに。
「ユイニィさんって、多分一緒にいると、だんだん素敵な人だって、感じる人なのよ。私には出来ないことが出来る人。もしユイニィさんじゃなかったら、こんなにのんびり、お話なんて出来なかったのではないかしら」
「……恥ずかしい」
にこにこ笑うタニアさんに見つめられて、ユイニィの顔は真っ赤になっているに違いない。ぽって、顔が熱くなっている。
「だからきっと、マテリア様もユイニィさんには気を許せるのね」
「え?」
ぽつりと、聞き流してしまうような声音で、タニアさんが言った。
「マテリア様には失礼かもしれないけれど、私、マテリア様と少し似ている気がするの」
タニアさんはほんの少し、寂しそうな表情でそう言った。
確かに、そうかも。タニアさんとマテリア様はどことなく雰囲気が似ている。
「多分、ユイニィさんみたいな人に、弱いのね」
「えーっと……」
ほんのり頬に朱を差して微笑むタニアさん。
具体的なことは言われなくても、なんとなく伝わってくる。でもそれって、もの凄く照れることな気がするんですが。
「あの、その、ありがとう」
「ふふふ。どういたしまして」
何だか最近、こんなことばっかりだ。ユイニィは色々なものを甘ったるいお茶と一緒に流し込んだ。
と、そこに突然扉が叩かれる。ゆっくり四回。
「あ、はい。ただいま」
先に動いたのはタニアさんだった。扉の向こうに声をかけ、小走りにそちらへ向かう。
ユイニィも立ち上がり、制服の裾を払って扉へ向けて姿勢を正す。留守を預かっている以上は、ユイニィも生徒会役員と同じ。粗相なんてあってはならない。
「お待たせしました……あら、教頭先生。こんにちは」
「こんにちは」
扉の向こうにいたのは、教頭先生だった。
「こんにちは。会長やみなさんは不在かしら?」
「ええ。講堂準備のため皆様席を離れております……よろしければお呼びしてまいりますが」
さすがタニアさん。サリスさんの所でもそうだったけれど、こういう時の応対がとても自然にできている。見習わなければいけない。
「いえ、結構よ。講堂にも行くつもりだったから、そちらに伺ってみるわ」
そう言えばユイニィは教頭先生ともあまり面識がない。失礼だがお名前も覚えていない。
集会の時にお見かけするくらいで、こんなに近くでお会いするのも初めてである。
年の頃はユイニィの母くらいだろうか。茶色の髪を結い、まだ女性では珍しいスーツ姿。目つきが鋭くて、凄く怖そうだとユイニィは思った。
「……お茶とお菓子ねぇ」
ぽつりと、教頭先生が呟く。目線はユイニィの後ろ。テーブルの上だ。
「学生の本分は学ぶことではあるけれど、お茶やお菓子から何が学べるのかしらね……ねぇ?」
「は……はい」
視線を合わせられユイニィは小さく返事を返す。
「生徒達の手本となるべき生徒会役員達がお茶会ばかりに興じていては、示しがつかないのではないかしら?」
「はい……」
今度はタニアさんに。
そんなことはありません。生徒会の皆様は、学園のため、生徒達のために尽力しています。
そうやって言い返したかったけれど、そんな勇気が出てこない。
二人は俯いて、教頭先生の言葉に頷くしか出来なかった。
「まったく……生徒会役員だから。成績優秀だから。名門だから。そんなことで双剣持ちに選ぶのは、どうなのかしらね。彼女がいずれ生徒会長になるのかもしれないと思うと、不安でしょうがないわ」
「……っ」
名前を出さなくても分かった。教頭先生が言っているのはマテリア様のことなのだ。
ユイニィは身体が震えるのを感じた。
この人はマテリア様が双剣持ちになることに、反対なのだ。
家柄や、成績や、役職。それだけで選ばれたと思っているのだ。
少し前まではユイニィもそんな風に思っていた部分もあった。だけれど、マテリア様のことを知るにつれ、それがマテリア様の一面でしかないということを、今のユイニィは知っている。
マテリア様は、マテリア様だからこそ、選ばれたのだ。それなのに。それだというのに。
「……あのっ」
「あらあら教頭先生。お忙しい身ですのに、こんな学園の外れまで御足労頂くなんて、いったいどうなさったのでしょう?」
ユイニィが声を上げそうになったその時、扉の向こう。教頭先生の後ろからよく知っている声が響く。
「シン、さん」
教頭先生が振り向いた先。小柄な御身体に強大な風格。無敵という言葉を思い浮かばせる美少女。クロ様が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「い、いえ。ハイエンドさんに用事があって伺ったのだけれど」
「まぁ、それはそれは、なんという不運なのでしょう。生憎レシルは講堂におりますの。私でよろしければお伺いいたしますわ」
たじろいでいる教頭先生に歩み寄りながら、クロ様はますます笑みを深くする。淑女状態のクロ様。美しすぎて、見ているだけで背筋が震えてしまう。ユイニィがああされれば、泣いてしまうかもしれない程の迫力。
「い、いえ。講堂の様子も見たかったのよ……そ、それじゃあ」
「ああ、そうですわ」
クロ様を避けてこの場を離れようとした教頭先生の前に、クロ様が立ち塞がる。
「今年の一年生は、本当に素晴らしい生徒ばかりですの。これも教頭先生を始め、先生方の教育が行き届いているからなのでしょうね。本当に、ありがとうございます」
「ええ、ええ、そう、ね。こちらの二人もとても素晴らしかったわ」
ユイニィの位置からは教頭先生の背中しか見えなかったけれど、その声はとても慌てていて、先ほどまでの感情もどこへか、何だか心配になってきたくらい。
「それでは……ああ、母が久しぶりにお会いしたいと言っておりましたよ。ご連絡いただけると、母も喜びますわ」
「そ、そうね。落ち着いたら、そうさせて頂くわ。それでは、お邪魔してごめんなさいね」
クロ様が一歩はなれると、教頭先生は逃げるように階段を下りていってしまった。
クロ様はなんとも言えない笑みを浮かべたままで応接室に入ると、扉を閉めて肩をすくめた。
「まったく。教師を取りまとめる者があんな様子じゃ、生徒達の未来が不安なのですよ」
いつもの調子でくすくす笑うクロ様に、一年二人はようやく身体をほぐすことができた。
「私のせいもあるのですがね、どうにも教頭は生徒会や一部の生徒を毛嫌いしているのですよ。まぁ、これでしばらくはちょっかいも出してこないのですよ」
本当に、クロ様は計り知れない。
「あの、クロ様のお母様と、教頭先生は、お知り合いなのですか」
タニアさんが尋ねる。それはユイニィも気になっていたのだけれど。
「タニアちゃん。世の中には知らないほうがいい事も、あるのですよ?」
「す、すみません……」
クロ様の笑顔でうやむやにされてしまった。
……それにしても。
どうにも教頭は生徒会や一部の生徒を毛嫌いしているのですよ。
クロ様はさっきそう仰った。
そして、マテリア様のことも。
ユイニィは脅迫状を思い出す。あれはつまり、マテリア様を双剣持ちにしたくない人物がいるということ。
でも、まさか。学園の先生が……?
「お、いい物飲んでるじゃないですか。ほれほれユイちゃん。私に美少女茶を入れるのですよ」
「あ、はい。え?あ、はい?」
考え込んでいたユイニィに、クロ様のよく分からない注文がなされ、ユイニィはもやもやした気持ちのまま、流しへ走って行った。




