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ほんのりガールズラブ要素があります。ご了承ください。
遠く剣戟の響き。撃ち上がる魔術の大輪の花。
知らぬ者が耳に目にすれば、どこの戦場かと思うその場所は、しかし無骨な戦士などとは程遠い純真無垢な乙女の園。
身に纏うは穢れを知らない白の制服。
胸元のリボンタイは情熱と夢を織り込んだ真紅。スカートから覗く脚は殿方の目に触れたりしないよう、黒いタイツに包まれている。
静々と集う乙女たち。擦れ違い、微笑み合い、挨拶を交わす。爽やかな女学校の朝の光景。
ただ一点。彼女たちがワンピースの腰のベルトに掛けて、各々小剣を携えていることを除けば。
皇立フレア女学園。創立から二百年を迎えた歴史あるこの学園は、世界を二度目の崩壊から救った『英雄魔王』と呼ばれる人物が作った、健やかなる女性を育てるための、いわゆるお嬢様学校だった。
八歳から十八歳までの十年。初等部三年。中等部三年。高等部四年。乙女たちは学問や家政から、礼儀作法やダンス。剣術、体術、魔術にいたるまで、ありとあらゆる事を学びながら、どこに向けてでも巣立つことのできる『お嬢様』へと育っていくのだ。
現に毎年。多くの卒業生たちが、世界中の様々な分野で活躍していた。
だから彼女。
高等部一年、ユイニィ・アールクラフトも、そんな将来を漠然と夢見ている。
まぁ、ユイニィはそれ程優秀な生徒ではない。もちろん劣等生でもない。
総合成績順位を見るならば、上から数えるよりも、下から数えるよりも、真ん中から数える方が早いといった具合の平凡な少女だった。
もちろん全てが平均的なのではなくて、得手不得手が均等にあるという感じなのだけれど。
「……はぁ。だめだぁ」
放課後。自分以外誰もいなくなった教室で、大きなため息をつく。本来こういった弱音やため息は、学園内に置いて好まれる行為ではないのだけれど、一人の時くらいは『英雄魔王』様だって見逃してくれるはず。
ユイニィの目の前には、机の上の一枚の紙。それをしばし見つめてからもう一つため息をつく。
手の平ほどの大きさの、赤を一滴落としたような不思議な光沢を持った黒い紙。それにそっと右手をのせて、ユイニィは瞳を閉じる。
「闇を照らせし光の精霊よ。汝は素。素は我。汝が力を……」
口中で並べるのは、今日の授業で習ったばかりの言霊。心を静かに保ち、身体を流れる魔力を感じ取り、それを手の平から紙へ流し込む。教わったことを頭は理解しているけれど、全く体感できていない。
「……ここに示せ……『白の太陽!』」
ただ暗記しただけの魔術言語を並べ終えて、ユイニィは恐る恐る目を開いた。
「やっぱり……だめだぁ」
そしてため息。実はこれをすでに五回繰り返していた。
魔術が成功していれば、目の前の紙がぼんやりと白く輝くのだけれど、授業から含めてユイニィは一度も成功していない。自分の部屋の魔光灯は指先一つで点くのに。便利な道具を思い浮かべて気持ちが腐るのを感じる。原理は同じと言われても、納得なんていくはずがない。
それに、失敗するだけなら大丈夫だったのだけれど、教室の中で成功しなかったのが自分だけというのはかなり落ち込んだ。
魔術基礎は高等部からの授業で、今日で四回目。実技実習は初めてだった。もちろん免許なんて持っているわけないから、生まれて初めて道具を使わない魔術の実践。ユイニィ含め、生徒たちは胸を躍らせながら授業に臨んだというのに。
「私、魔術の才能なかったのかなぁ」
もちろん一日でそんなこと分かるはずがないと頭ではわかっていても、お年頃のユイニィがそう呟くのも仕方ないことだろう。
「あーあ……」
いい加減疲れてしまい、椅子にもたれかかってぼんやりと教室を見回す。窓から差し込む夕日に照らされ、綺麗に並べられた机と椅子が淡く輝いている。
正面。黒板の上にある刻計。緑二十刻を示している。さすがにそろそろ帰らないと母親が心配するかもしれない。遅くなるなんて言っていないし。
ため息混じりに帰り支度を済ませ、一応黒い紙、魔現紙は鞄に押し込んで、ユイニィは重い足取りで教室を後にした。
ああ、お母さんに何か聞かれるかな。聞かれるだろうな。母の顔を思い浮かべながら息を吐き出す。今日は初めての魔術の授業があるのだと、朝、意気揚々と告げて出て来てしまったからだ。成績などにあまり厳しくない母なので、怒られたりすることはないだろうけれど、なんとなく気まずくなったりしそうでちょっとだけ家に帰りたくなかった。
ぼんやりしながら階段を降りて、昇降口へと向かう。腰の小剣が鳴る音が廊下に響く。刃の無い模擬刀とはいえ金属の塊。それなりに音もする。
だから。
自分の小剣の音ばかりに気を取られていたユイニィは、すぐ先の廊下の角の向こうから、足音がしていることなんて気づかなくて。
「あっ!」
「え、わっ!?」
突如目の前に現れた人物に思い切りぶつかって、弾き飛ばされ、視界が大きく上方に振られて、思い切り尻餅をついて転んでしまったのだ。
「い……っ」
上げかけた声を飲み込んでしまうほどの衝撃に、ユイニィの瞳に涙がにじむ。ああ、絶対痣になるなぁ。悪くしたら、椅子に座るのも辛くなるかも。
痛みが強かったおかげで一気に冷静になり、自分が人にぶつかったことを思い出す。向こうは大丈夫だったろうかと上体を起こして目をやると、そこには心配そうにこちらを見つめる真っ青な瞳があった。
「あなた、大丈夫?」
「あ、は……はい」
びっくりした。
絶句しているユイニィに微笑んで片手を差し出してくる人。その人は学園の有名人。
「あら。痛くて立ち上がれない?」
「あ、いえ、いえいえ、大丈夫ですっ!」
ユイニィが差し出された手を取ろうかどうか逡巡していると、その人はすっとユイニィの手をとって引き起こしてしまった。細くて白くて綺麗で柔らかいその手の感触に、胸の鼓動が強くなる。
「ごめんなさいね。少し考え事をしていたものだから」
「い、いえ。私こそ不注意で、本当に申し訳ありませんでした」
すまなさそうな相手の表情を見て、ユイニィはほとんど反射で頭を下げて謝罪した。
「ほら、じゃあお互いさまだわ。頭を上げてちょうだい?」
「……はい」
恐る恐る頭をあげる。ああ、間違いない。
ふわりと揺れる背中にかかる柔らかな金の髪。澄み切った湖面のような青の瞳。美し過ぎて見ているだけで涙が溢れそうになる整ったお顔。
マテリア・コールウェル様。
ユイニィの一つ上の学年の、この学園の誰もが知っているであろう憧れの人。
「えっと、私、一年のユイニィ・アールクラフトです。本当に失礼しました」
「こちらこそ、失礼しました。マテリア・コールウェルよ」
なんだか泣きそうになってしまったユイニィに、だけれどマテリア様は優しく微笑んでくださった。
「じゃあ、気をつけてね」
「あ、はい」
マテリア様は微笑みを一つ残して、廊下を歩いて行ってしまった。
「……はぁ」
また一つため息がこぼれる。
初めて憧れの人と言葉を交わしたというのに、そのきっかけがこんな失態からだなんて。
ユイニィはただでさえ重かった足取りをさらに重くして。
母親が学校のことを聞くのをためらうほどの落ち込みようで帰宅したのだった。
「で、ユイニィはそんな徹夜明けのゴブリンみたいな顔してるワケ?」
「それがどんなのかは知らないけれど、酷い顔って言いたいのは伝わった」
翌朝、昨夜なかなか寝付けなかった上に、今朝は日が昇る前に目覚めてしまったユイニィは、いつもより遥かに早く登校していた。
教室にはまだ数人しか来ておらず、交わされる言葉も少なめである。
「そんなねぇ、向こうはこっちのことなんて覚えてるワケないんだから。気にするだけ時間と精神力の無駄遣いでしょ」
手をひらひら振って言う友人に、ユイニィはちょっと膨れてみせる。
「なんで覚えてないって言えるの?」
「じゃあユイニィは、今朝ここに来るまでにすれ違った人の顔、覚えてる?」
なるほど。確かにマテリア様みたいな人物からしてみれば、ユイニィなんて通行人その一でしかないだろう。
ゴブリンだの通行人だの言いたいことを言ってくれる友人に、若干腑に落ちないものは感じたけれど、励ましてくれるんだろうと好意的に解釈する。
彼女の名前はケイティア・スターリン。ユイニィとは中等部の頃からの友人関係である。
意思の強そうなアーモンド形の茶色の瞳と、すっきりとした短い茶色の髪。さばさばした性格で、結構な美人さんだったりもする。
「ていうか、そこで『憧れの先輩とお近づきになる好機!』ってならないところが、ユイニィらしいわよね」
笑うケイティアの言うことが理解できなくて首をかしげると、良い意味で言ってるのよと、ケイティアは手を振ってみせる。
「だって『痛くて動けないので肩を貸していただけませんか』とか、そういうの、しなかったんでしょ?」
「そりゃね。痛かったけど、動けないほどじゃなかったし」
「馬鹿ね。嘘ついて自分を印象付けようとか、画策しなかったかってこと」
言われて初めてそういうこともあるのかと驚く。話を聞くと、そういう人も少なからずいるらしい。
「みんなすごいなぁ」
確かに普段関わりの薄い上級生と親しくなりたいのなら、それくらい積極的でないといけないのかもしれない。
「ま、そういう悪いことできないユイニィだから、こうやって友達できるんだけどさ」
あんたのそういうところが、好きなんだから。だって。
よくもまぁ、朝っぱらからそんな殺し文句を言えるものだ。ユイニィは顔を熱くしながら友人の顔を見やる。
私も、そんな恥ずかしいことをさらっと言える、ケイティアのそういうところ、好きだよ。
もちろん、心の中で思っただけだったけれど、顔に出ていたのだろうか。ケイティアは微笑んでいた。
「っと、そういえばそのマテリア様だけれど、今度の『剣授の儀』に選ばれたのでしょう?」
「らしいね。二年生で選ばれるって、凄いことだって。みんな噂してるもの」
「凄いどころか、学園初かもしれないみたいね。やっぱり名門コールウェル家のお嬢様は違うわよねぇ」
そう言って苦笑するケイティアの言葉は嫌味でも妬みでもなく、純粋に感心している様子だった。
剣授の儀。
年間四期で四人。つまり一期に一人しか選ばれない、高等部のみの優秀な生徒の表彰式のようなものである。
前期の成績や生活態度。学園生活への取り組み等、あらゆる面で選考され、時には誰も選ばれないこともある厳しいものなのだ。なので毎回選ばれるのは、経験豊富な四年生やそれを見て努力する三年生。二年になったばかりのマテリア様が選ばれるとなれば騒ぎにならないはずがない。
「てことは、『双剣』も授与されるから……あーあ、ユイニィ。せっかくマテリア様の『片刃』になれたかもしれないのに」
もったいない。その言葉は先程の『お近づきになる好機』から来ているらしい。もっともそんなことは本心で言っていないというのは、鈍いユイニィでもわかること。だからユイニィも気軽に返せる。
「なれるわけがないでしょ。初等部から万年平均点をなめるなよ」
「やめてよ。悪いより悲しい響きに聞こえるから」
ちなみにケイティアの成績は好不調の波が激しいことで教師たちに広く知られているみたいだった。
双剣。剣授の儀で授与される、二振り一対の、特別な小剣のことである。
フレア女学園生徒の証明にもなっている、生徒全員に配られる個人の名前入りの小剣とは別に与えられるそれは、二つの剣の柄を合わせると一つの形になるという手の込んだもの。しかも毎回違う形をしていて、授与された生徒はそれに合わせた異名を付けられたりもするのだ。ちなみに現在いらっしゃる双剣持ちの方で言えば、生徒会長であらせられる『焔姫』が一番有名だろうか。
そして片刃というのは、その二振りのうちの一振りを譲り受けた、相棒、従者、隣人、親友のような存在の生徒の呼び名。
これは別に双剣持ちの義務ではなく、いつかの時代の生徒が始めたことで、剣授の儀の個人版のようなもの。
最初の生徒の意図は分からないが、今では『双剣持ちの支えになる』、『後輩を育てる』、『信頼の証』等、色々な意味を持つ行為になっていた。
だから片刃になるのは双剣持ちに近しい生徒が多い。あとは、下級生に。
「なんで下級生に多いのかな?」
「そりゃ上級生にしたら、自分の方が優秀だって嫌味にもとれるかもしれないし、同級生でもそうでしょ。仲のいい可愛い後輩を指導するって渡すのが、一番波風たたないじゃない」
ケイティアにたずねるとそう返された。
「じゃあ、誰にも渡さないってのが一番良いんじゃない?」
そう思ってたずねる。元々個人に渡してるのだから、むしろ渡すほうが変なんじゃないかと思ったら。
「あのね。大先輩たちから受け継がれた伝統行事みたいなもんじゃない。しかも年頃の乙女たちの群れなのよ、ここは。そんな艶やかな情事を無視できるワケないし、周りがさせるワケないでしょ」
呆れたように返されてしまった。まぁ、私も興味津々だけどさぁ。
「ま、剣授の儀が終わってしばらくするまで、この話題で盛り上がれるってことよ、みんな。乙女たちは退屈してるのさ」
そういうあなたも乙女でしょうに。妙に達観したような友人に、ユイニィは苦笑を返すのだった。
ところでユイニィは、学園内、いやこの街でも珍しい、黒目黒髪だった。
二度目の崩壊以前は多く見られた特徴らしいけれど、精霊の力の流れが変化した影響で、現在では完全な黒髪、黒目は珍しいのだそうだ。確か……中等部で習ったような気がする。
だから真っ直ぐに背中にかかる黒髪と、黒曜石みたいと称される瞳は、数少ないユイニィの自慢だったりする。友人いわく、高等部で一人だけとか。
これで、顔立ちがもう少し美形ならば。いやいや、健康に生んでくれた両親に感謝なのだけれど。
「ユイニィさん! ユイニィさんっ!!」
「……はい?」
昼食休憩はたっぷり六刻あるので、ユイニィはゆっくり食堂に行く準備をしているところだった。
突然ユイニィの机の前に、級友であるルビーナさんが目を丸くして駆けてくる。余ほど慌てているのか、手にはお弁当箱を持って振り回していた。どうぞ汁気の多い物が入っていませんように。
「って、ちょっとルビーナさん落ち着いてっ。どうなさったのよ」
「落ち着いている場合ですかっ! ユイニィさんにお客様ですよっ!」
早くお行きなさいと、半ば強引に椅子から立たされ、教室の前の入り口の方へ向かうように背中を押される。優雅に休憩していた教室に残っている級友たちも、すわ何事かと目を丸くしてユイニィの方を見ているようだった。
お客様?
お客様ということはこの組以外の人物なのだろうけれど、高等部になってからまだ一月ほど。他の組に知り合いが居ないわけではないけれど、ちょっと思い当たらない。
すると入り口付近の生徒たちの様子がおかしいことに気づく。ひそひそざわざわという感じだろうか。騒ぎたいけれど騒げないというような。いったい何事かと、ユイニィは恐る恐る、級友達の視線を受けながら、教室から廊下へと出てみると。
「こんにちは。お呼び立てして申し訳ないわね……ユイニィ・アールクラフトさんで間違いないかしら?」
「は、はいっ」
なんということでしょう。ユイニィの背筋がぴんっと伸びる。
そこに在らせられるは、全校生徒の頂点にして双剣持ち。生徒たちの憧れの的。『焔姫』の二つ名に相応しい、真紅の長い髪に紅玉を思わせる意思の強そうな瞳。すらりと伸びる四肢。上品な身体つき。非の打ち所のないお嬢様。
「わ、私に御用でお間違いないでしょうか、レシル様」
「あら、私の名前を知っているのね」
レシル。レシル・ハイエンド様。紛れもない現生徒会長であり、もちろんユイニィとの面識はない。ルビーナさんが慌てるのも無理はないと思った。単純に三学年上というだけでちょっと怖いのに、相手が生徒会長では。
「ええ、お間違いないわ。だって貴女に用があってここまで来たのだもの」
くすくすと口元に手を当てて笑うレシル様。その年頃の女の子らしい仕草にユイニィは内心ほっとしていた。よかった。女の子だった。
「うーん……ちょっとお時間よろしいかしら。ここじゃ人目に付きすぎて、落ち着かないでしょう、お互いに」
「は、はい。大丈夫です」
ユイニィが答えると、じゃあ移動しましょうと、レシル様は歩き始めた。ここで逃げ出すわけにもいかないので、ユイニィはなんとなく足音を立てないようにその後をついて行く。
あれ。私何か上級生に呼び出されるようなことしたかなぁ。頑張ってここ何日かの記憶を引き出してみても、そもそも上級生と話したことすら……いやマテリア様とぶつかってしまったけれど。
それならばそれでマテリア様が訪ねてらっしゃるなら分かるけれど、生徒会長ということはないだろう。上級生に無礼を働いた生徒を罰するほど、この学園は厳しいわけではない。
「うん。ここでいいか」
そこは一年校舎と中庭、三年校舎と続く連絡通路だった。食堂や売店は中庭を挟んで向こう側の建物になるし、二学年違う校舎に行く用事もあまりないせいか、見える限りほとんど人影は見られない。
「ええと、あの、私、何かレシル様にご迷惑お掛けするようなことをしてしまいましたでしょうか?」
「え、私何かされちゃったの?」
結局自分から聞いてしまったのは不安に耐えられなかったからだけれど、ユイニィの言葉にレシル様はころころ笑う。
「うそうそ冗談。ごめんね。別に怒ったり責めたりじゃないから、そんなに構えなくていいわよ?」
「は、はぁ」
曖昧に頷くユイニィに、しかしレシル様はさらに身構えるような行動をしてくる。
「ちょ、ちょ、ちょっと、レシル様っ!?」
「あらあら、本当に綺麗な黒髪。さらさらじゃないの。洗髪剤は何を使ってるのかしら?」
「え? あ、母が買ってきてくれる、アンリフェアリーの薬草調合のものですけど……じゃなくてー」
そう、レシル様はいきなりユイニィの髪を手櫛ですいたり、頭を撫でたりしてきたのだ。別に嫌というわけではないのだけれど、緊張と動揺が物凄い。もちろん振り払ったりできないから、取り合えず目線だけで訴えてみる。
「ま、戯れはこれくらいにして」
レシル様はユイニィから手を引くと、少しだけ真面目な顔つきになった。
「単刀直入に、今度執り行なわれる剣授の儀のお手伝いをしてもらえないかしら?」
「……は?」
意味が分からない。いや分かるのだけれど、理解が追いつかないというか。やっぱり人違いをしておいでではないでしょうかと思ってしまう。
「ユイニィちゃん、部活動してないでしょう。お昼休みや放課後、何か忙しかったりするかしら?」
「いえ、特に用事はないですけれど」
「それは上々。そうね、お茶とお菓子くらいはご馳走するわよ。あと、勉強を見てあげるくらいはできるかな」
それは報酬の話らしいけれど、そんな大切な役目を、自分で言うのも悲しいけれど、平々凡々を絵に描いたユイニィにさせることが理解できない。
「あの、失礼ですが、何故私なんかにお話を? もっと相応しい方はたくさんいらっしゃると思うのですが」
だって、先日の試験の成績だって、学年百人中単独五十番という、狙ったかのような結果だったのだ。少なくとも成績だけならユイニィより優れた人が四十九人はいることになる。
「だって……黒目黒髪の、ユイニィ・アールクラフトさんは、貴女だけでしょう?」
「……そうですね」
「じゃあ、貴女にお願いするでしょう?」
頭が良過ぎる人との会話って、こんなに成り立たないものなのだろうかと思った。それとも私の頭が悪すぎるのかしら。
「そうね。まぁ、剣授の儀とか、生徒会主動で執り行われる行事には、毎回何人かの一年生に手伝ってもらってるの。そうやって浸透させていかないと、次の代に受け継がれないからね」
確かに、剣授の儀が生徒会主動ということも、今始めて知った。
「で、誰に手伝ってもらうか決めるわけだけれど、やっぱり適当に決めるわけにもいかないから、生徒会の幹部役員が推薦したりするのね。みんなフレアに通ってきてるわけだから、下級生のことだって、目立つ子や、親しい子なら分かるし」
それでいくと、本当にユイニィは黒目黒髪だけで選ばれたということになるのだけれど、それって適当に選んだのと何が違うのかと思う。
「それで、私を含めて現在生徒会幹部五人のうち、四人は決めたの。現に数日前から手伝ってもらっているわ」
「……え、レシル様も含めて、ですか?」
確かにレシル様に選ばれたとは思ってないけれど、じゃあこの状況は何なんだと思わずにはいられない。
「そうよ。ちなみに私が選んだのは、一年水組のタニア・シーベルさん。知ってる?」
「はい。お隣の組なので」
というか、先の試験の一位の生徒がタニアさん。少し話したことがあるくらいだけれど、やわらかい雰囲気の、可愛らしい人。
「ところが、剣授の儀まであと十二日。肝心の張本人であるところのマテリアが、お手伝いを選ばないの。あの子自身は式典に出なきゃいけないから、それ程準備にまで手は回せない。だから彼女の代わりの人手が欲しい。それでまぁ、昨日懇々と言い聞かせて、誰でも良いから、気になる一年生いないのって問い詰めたの」
誰でも良いからって、もう本末転倒なんじゃ……。口には出さないけれど、レシル様は思っていた人物像とはちょっと違うお人のようだった。
「で、聞き出した名前がユイニィちゃん。貴女だったわけ」
「……え?」
そんな馬鹿な。だって、マテリア様とは昨日ぶつかっただけで、それ以外に接点なんて一つもないのだ。
「いえ、本人は名前を言った後に、『いえ、彼女は違います。何でもありません』って言ってたけれど、正直私はそこで名前を言うなんて思ってなかったのよ」
レシル様は頬に手を当てて、どこか嬉しそうに瞳を細めて続ける。
「あの子とは遠縁の親戚で、フレアに入学する前からの仲なんだけれど、まぁ、いろいろあってちょっと他人と距離を取るようになってるのよ。にっこり笑ってごめんなさいって感じでね。私は知った仲だから多少踏み込めるけれど、踏み込み方を間違えると、こっちが怪我をしかねない」
それは想像がつかないことだった。あんなにもお優しそうなマテリア様に、そんな面があるだなんて。
「だから基本的にあの子は独りなの。だから、そんなあの子が貴女の名前を言っただけで、私はこうやって頼まれもしないのに来ちゃったってわけね」
レシル様は、何ともいえない表情で笑った。泣いてるみたいな、怒ってるみたいな。
「だから、ユイニィちゃんには関係ない話なの。こんな話きかされていい迷惑だってことは重々承知しているわ。だから、これは本当にただのお願い」
「レシル様……」
ユイニィの右手をレシル様は両手でとって、少しだけ頭を下げた。
「ちょっとだけ、マテリアの近くにいてあげて。何かしなくてもいい。ただ普通に、準備を手伝ってくれてるだけでいいから」
「……えと、ちょっとだけ、お時間いただけますか」
ユイニィはそれだけ搾り出した。本当は八割以上引き受けてもいいと思っていたのだけれど、なんだか違う気がして。
「あの、お返事は、マテリア様もいらっしゃる前で……多分、その方が」
だって、きっと決めるのはマテリア様じゃないといけないと思うから。
「……そうね。ユイニィちゃんの言う通り。あはは、だめね。生徒会長がこんなんじゃ」
レシル様は笑って、ぽんぽんと、ユイニィの頭を撫でた。
「ありがと。ごめんね。ユイニィちゃんは良い子だ」
手を離して、数歩離れる。
「とはいえ、時間が無いのも事実なの。今日の放課後、生徒会棟まで来てくれる? そうね……単純に、私のお客様ってことでいいから」
「はい。わかりました」
じゃ、またね。そう言って、レシル様は去っていった。
その腰には、共通の小剣と交差するように、柄も鞘も炎色をした小剣が携えられていた。一振りなのはきっと、レシル様には片刃がいらっしゃるのだろう。
マテリア様を思い出す。共通の小剣だけしか持っていなかった。
なんで、レシル様はマテリア様を片刃にして差し上げなかったのか。多分きっと、レシル様の仰った『いろいろあって』に含まれているのかもしれないけれど。だけど。
「なんか、ちょっと、やだな」
何がかはわからないけれど、そう思った。