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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
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第7話

 ユーリィはその建物の前に立っていた。村の外れ、前庭に鬱蒼(うっそう)と茂った樹木の奥に、今にも朽ち果てそうな小さな家。壁に絡まる(つた)が一層の不気味さを演出している。急な角度の屋根と、その天辺にある風見鶏ならぬ風見猫。誰もがきっと“如何(いか)にも”という形容詞を付けるだろうその家の、小さな扉に取り付けられたノッカーをユーリィは掴む。


 何度か打ち鳴らすと、内部で微かに人の動く気配があった。やがて鍵が外される音が聞こえ、開かれた扉の隙間に背の低い老婆の顔が現れる。尖った耳にエルフ種だと知り、彼女がどれほどの時間この世界で暮らしているのかと思わず尋ねたくなった。百年より短いことはないだろう。もしかしたら二百年以上生きているかもしれない。エルフ種の寿命は人間の倍以上あることはよく知られている。反面、体力が人間より低いことも公然たる事実だ。更に言えば殆どの者は魔力を備えていて、たまに辺境の村などで“魔女”や“魔法使い”として、人間達とともに長い人生をひっそりと暮らしている者も少なからずいた。


 目の前の老婆は確かに魔女だった。黒いローブを(まと)った彼女は、薄黄色の瞳でユーリィをジロリと見上げ、嗄れた声で“何のようじゃ?”と尋ねる。その眼には全てを見透かすように鋭く光があった。


「頼みたいことがあるから開けてよ」

「他人に物を頼む態度じゃないな、小僧」

「頼んだことを請けるって言うんなら頭を下げる」


 ユーリィの言葉に、老婆は“ふぉふぉふぉ”とやけに動物的な笑いを漏らした。


「なるほど、まず聞けと言うことか。まあ、良い。最近はめっきり暇じゃて……」


 老婆は体をずらし、ユーリィを導き入れる。家の中に一歩踏み入れると、薬草と埃の匂いに混じって僅かに死臭がした。棚に並べられている瓶の中の、薄紫の液体に浮かんでいるトカゲと目が合う。ブヨブヨと白く変色した体は、気色悪いとしか喩えようがなかった。すると老婆がユーリィの視線に気付き、“風邪薬じゃよ”と説明した。


「昔から“ヒポロ草”の汁にトカゲを浸けた物は良く効く。おや、風邪を引いているようじゃな。どうじゃ……」

「いや、いい。もう治りかけてるから」

「病気は治りかけが肝心じゃと言うではないか」

「風邪を治す為に、腹をこわしたくない」


 冷たく言い放ったユーリィに、老婆はフンと鼻を鳴らす。


「まあいいさ。それより頼みとはなんじゃ?」

「幻想玉を創って欲しい」


 老婆はユーリィの意図を推し量るように眉をひそめ、薄黄の瞳で彼を見上げた。


「……幻想玉なら、ワシもいくつか持っているぞ」

「子供騙しの竜や怪鳥が出てくる物じゃなく、僕が望む幻が出るようにして欲しいんだ」

「なるほどな。しかし残念なことに今ワシは“オーブ”を持っておらん」


 するとユーリィは砥草色の上着のポケットから、無色透明な小石ほど水晶玉を取り出して老婆に見せた。


「ほぉ、伝言オーブか」


“オーブ”とは内に魔力を込められる水晶の一種である。使い道は色々あるが、“伝言用”に使われることもある。いわゆる手紙の代用品で、受け取り主が両手に包んで念を込めれば送り主の姿とともにその言葉も見ることが出来る代物だ。一昔前はよく使われていたようだが、今はあまり見かける事はない。“オーブ“自体が高価な事がその大きな要因だが、扱い方によっては半永久的に残る物なので、遺言や愛の言葉などを残しておくのには便利だった。


「しかしこれを幻想玉に作り替えると、中身は全て消えてしまうがそれでも良いのか?」

「別にいいさ」


 ユーリィは吐き捨てるように言った。


 伝言オーブと幻想玉の大きな違いは、前者は何度でも入れ替えられるが、後者は一度創ったらもう別な物に替えられないということだろう。


「ではその前に中身をもう一度見なされ」

「いいよ。もう見る必要はないし……」

「駄目じゃ。見ないのなら、ワシはお主の依頼は請けぬ」


 ユーリィはじっと手の中のそれを見下ろした。二度とこれを見たくないという気持ちが募る。


「中身が何であろうと、ワシは誰にも言わぬ。もう世の中のあらゆる雑言を聞いてきた。今更何を聞いたところで、驚きもせぬし、興味もない。さあ、早うせい」


 仕方がなくユーリィは両手でオーブを包んだ。すると掌から白い光が溢れ出し、やがてそれは透けた人の上半身を象る。ライトブラウンの髪と組紐の髪飾り。青い澄んだ瞳と薄紅の唇。浮かぶは憐愛の表情。その女性は、髪の色を除けばユーリィによく似ていた。


 青紫色をした繻子の衣装を着た彼女は、ゆっくりと顔を上げると哀しげに微笑む。


『いつでも戻っておいで……』


 その声の余韻が消えていく。と同時に光も薄くなり、残るは儚く哀しい幻の如く……。


「お主の母親か」

「らしいね」


 ユーリィは素っ気なく言った。


 確かに自分を産んだ人間というのは紛れもない事実だ。しかし彼女は一度も自分を抱いたことがないし、それどころか産まれたばかりのユーリィを連れ去った者達が行った暴挙に、母は今も傷付いたままだった。奴らは、イワノフの手の者は、妨害しようとした彼女の兄を斬り殺したのだ。


 それでもイワノフ家を飛び出したユーリィが過ごした半年間、母は母なりに努力はしていたと思う。だがときおり垣間見せたその表情に、ユーリィは彼女の本心を悟る。母はきっと自分を恨んでいるに違いない。イワノフの血が流れたこの身を。最愛の兄を奪って産まれた命に、彼女は後悔という感情を捨てきれず苦しみ続けている。産まなければ良かったと彼女は思っているのだ。父を愛さなければと……。


 だからユーリィは彼女の元を去った。一緒にいれば互いに傷付け合うだけ。そして、二度と会うことはないだろう。


 母の兄、つまり伯父殺害に荷担したのは、たぶん継母だ。彼女が略奪者に裏で指示していたと想像するのは、それほど難しいことではない。以前、“貴方は死と呪いの元に生まれてきたのよ”と冷笑とともに言った継母。彼女がユーリィとその母を苦しめるのは、きっと自分を裏切った父と、死を宣告された我が子への愛情の裏返しなのだ。それともプライドを傷付けられた女の怨念だろうか。今となってはどちらでも構わないが。


 自分の存在理由は他人を傷付けることだとユーリィは信じている。だから神と呼ばれる奴の意志に従って、そうあり続けてやろう。誰も恨まず、全てを恨んでやる。誰も傷付けず、全てを傷付けてやる。それが自分の生きる意味だから。


「どうした?」


 老婆の声にユーリィは我に返った。深い闇を彷徨っていた気がする。忘れたい過去がオーブの中を覗くだけで蘇ってきた。やはり早く消してしまうべきだ。こんな思いは二度としたくないから。


「何でもない。それより、ちゃんと見たんだから創ってくれるよね?」

「そうさのお……」

「約束を破るつもりか?!」

「……ちょっと待っておれ」


 老婆は部屋の奥に消えてると、しばらく戻ってこなかった。いったい何をしているのか。駄目なら駄目、出来ないなら出来ないとはっきり言えばいいじゃないか。そうしたら別の手を考えるだけだ。

 ユーリィはイライラと関扉の前を彷徨(うろつ)き回った。


 ようやくエルフの老婆が戻ってくる。皺だらけの掌を開き、中の物をユーリィに見せる。そこにあったのはホコリをがこびりついた伝言オーブだった。


「古い友人にもらった物だ。これを使うことにしよう」

「つまらない気遣いは止めろ。僕はこれを消したいんだ、判るだろう?」

「今のお主が未来のお主とは限らぬ。取り返しのつかないことは、なるべく止めなされ」

「だったら、あんたのそのオーブは……」


 すると老婆はさも可笑しそうに笑い出した。


「ふぉふぉふぉふぉ。友人はもう既にこの世におらぬが、ワシももうすぐ行くので心配せんでいい。荷物はなるべく減らして逝きたいものじゃ」


 本気とも冗談ともつかないセリフにユーリィは戸惑った。老婆の目は笑っていたが、生きる化石のような者の内心など読めるはずもない。


「さあ、何を映す玉を創りたいんじゃ?」


 ユーリィの気持ちを知ってか知らずか、老婆は優しげな表情でユーリィに静かにそう尋ねたのだった。



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