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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
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第6話

 昨夜ヴォルフが部屋に帰ってきたのは、東の空が白み始めた頃だった。


 部屋を出てその足で酒場 ──といっても宿屋の食堂が夜に酒を出しているだけだが── に行ったことは事実である。ただいつもは五、六杯飲むところを二杯だけに留めてヴォルフはそのまま森へと入ったのだった。



 真夜中、宿屋で借りたランタンを手に暗黒の森を歩いた。(ふくろう )と狼の声が交互に聞こえ、ときおり鳴く蛙の音にヴォルフの緊張が高まる。


 槍は部屋に置いてきた。もし持って出たらきっとあの少年に怪しまれるだろう。あの様子だと、下手したら着いてくると言い出しかねない。だから携えているのは短剣一本。もしこの場にヤツが現れたら、たったそれだけではさすがのヴォルフも心許ない。それに魔物はあの蛙もどきだけとは限らなかった。


 だが危険と知りながらここまで来なければならない理由がある。1つは罠を仕掛ける為。あのグロールという魔物は相当にしぶといのは知っている。ヤツを倒すには頭と臓器を同時に狙わなければならない。やはり小細工は必要だ。


 そしてもう1つは冷めやらぬものを平静に戻す為だった。


 

 森の奥、その場所に到着したヴォルフは、持っていたアイテムを次々と地中に埋め始めた。別に何という事はない子供だましのガラクタ。7つの小さな赤い水晶と、発動用の拳大ほどの水晶1つ。小さな方を目的の場所に置き、大きい方を破壊すれば7つの場所から一気に炎が噴き出す仕組みだ。ソフィニアあたりの闇市ではよく売られている魔法アイテムで、知人からそれなりに使えると言われたので一応は買っておいた。今までは使い道すら判らなかったが ──そもそもこうしたアイテムに頼るのもあまり好みではなかった── 今回は活躍してくれるかもしれない。


 とは言っても、これでヤツを倒そうというのではない。これはただの虚仮威(こけおど)し。グロールは火魔法に弱いので、ヤツを追い込む為の小道具に過ぎない。


 全て埋め終えると、ヴォルフは懐から煙草を一本取り出した。マッチを擦るとすえた燐の匂いが漂う。燃え上がった炎を煙草の先に移すと、闇の中に赤い光が瞬いた。マッチを振り消しながら、一服大きく吸う。酔いが覚めかけた体が更に気怠くなったが、一方で夜の音を耳が過敏に察知し始める。相変わらず煙草の効果は一長一短だとヴォルフは思った。



 研ぎ澄まされた神経の中、ヴォルフは再び重ねた唇のことを思い出していた。抱いたどの女とも違う新鮮な味。しかしそれを愛とか恋とか、陳腐な言葉でなど表すつもりはない。あの時のあの感覚は、例えるなら純粋なる欲望だ。女達に求めるものとは全く違う、堕ちてしまうかもしれないという恐怖を伴った……。


 ヴォルフは、再び吸い込んだ煙とともに小さく息を吐いた。きっと気の迷いだ。俺があのクソ生意気な子供にそんなことを思うわけがない。久しぶりに味わった唇の感触に体が熱くなっただけだ。街に行き、誰か適当な女を見つけて一晩過ごせばきっと忘れるに違いない。ヴォルフは自分にそう言い聞かせ、煙草をもみ消すとその場を立ち去った。


 

 朝方近く、ヴォルフは宿に帰ってきた。ランタンの火を細め、持って出た鍵で扉を開ける。蝶番が軋む音にビクつきながら中の様子を伺うと、少年は大人しくベッドの中で眠っていた。今度は素直に命令に従ったらしい。寝息は規則正しく聞こえてきたが、時々、息苦しそうに小さな吐息が混じる。熱がまだ下がっていないのだろうか。


 一瞬、熱の具合を確かめようとベッドに向かいかけたが、約束を思い出してヴォルフは毛布の位置へと歩いていった。コツコツという靴の音がやけに耳障りに感じる。吐息の様子で彼の病状を判断したいというのに。


 身をかがめ毛布を拾い上げようとしたその時、


「止めろっ!」


 突然、少年の声が薄闇に響く。ヴォルフは約束のことなど忘れ、慌ててベッドに駆け寄った。椅子の上に置いたランタンの光が弱々しく少年の顔を照らし、浮かび上がったその表情は苦痛とも哀しみともつかないものだ。


 薬の効きが悪かったのだろうか。ヴォルフはそっと額に手を当て、それほど熱くないことに安心する。ならば先ほどの声は単なる寝言だったということか……。彼が夢の中で“止めろ”と言った相手はもしかしたら自分だったのかもしれない。そうとは知らず約束を破って近付いてしまった自分に、ヴォルフは少々後ろめたさを感じた。


 と、再びユーリィは喘ぎ声のような小さな寝言を漏らす。


「……ここから……出して……」


 同時に固く閉じられた右目からスウッと一筋の涙が流れ落ちる。これは彼の瞳にある哀しみなのではあるまいか。ふとそう感じたヴォルフは、気がつけば指先でその滴を(ぬぐ)い取っていた。


 その昔、自分もいた暗い洞窟に、彼はきっと彷徨っている途中なのだ。出口も見つからず、誰彼構わずトゲを刺し、そうすることで己を慰める。暗闇から抜け出した今となっては、何とも子供染みた馬鹿馬鹿しいほどの感情だったが、あの時は自分の心の有り様など冷静に判断出来るほど成熟してはいなかった。


 少年は深い深い場所を当てもなく歩いているに違いない。自分の心を傷付け続ける刃を持って。


 ヴォルフはゆっくり寝息を立てる少年の顔に、自分の顔を近付けていた。彼の哀しみと痛みが昔の自分と同調する。唇をそっと重ねることで全てを取り除いてやりたいと、ただそう思った。

 柔らかな感触が唇に伝わった途端、ヴォルフはハッと我に返る。


 俺は……何をしてるんだ? 


 急いで体を起こして少しずつ退いた。自分で自分が信じられない。今までこんなことはなかったはずだ。女を抱く時でさえ常に冷静と冷徹の中間ほどの位置に精神を置き、全てが終わった後は綺麗サッパリ熱が下がっていく。熱情や衝動とは、自分はいつだって無関係であったはずなのに。


 それなのに俺は今、何をしたんだ?


 ヴォルフは靴音が響くのも構わず毛布の位置にまで戻ると、頭からそれを被って横になった。きっとまだ残っている酒が、自分を狂わせたに違いない。絶対にそうだ、そう信じよう……。



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