第59話
信じられない光景だった。ヴォルフもユーリィも入り口付近で立ち尽くし、呆然とそれを眺めていた。
塔の内壁には所々にランプが下げられていて、使用人達が毎晩点しに来る。その薄明かりに照らされているのは、地獄絵図のような有様だった。
ホールが血の海となっていた。頭の内部がそこら中に飛び散り、その海の中に浮かんでいる。遺体の手足はおよそあり得ない方向に折れ曲がり、顔の半分は原形を留めてはいなかった。見開かれた目は、最後に浮かべた恐怖の色を残したまま虚無を睨んでいる。
その奥に立つアルの姿に気がついて、ヴォルフは声をかける。
「何があったんだ、アル?!」
彼は茫然とした様子で、塔の内部を見上げていた。ヴォルフの声も聞こえないのか、身動ぎもしない。
「アルベルト?!」
再びヴォルフが呼びかける。するとようやく目が覚めたのか、アルはゆっくりへヴォルフの方に顔を向けた。
「ああ、ヴォルフ……」
「いったい何があったんだ?!」
そう言いながら、ヴォルフはちらりと死体に目をやった。
綺麗なドレスを身に纏った女がそこに倒れていた。いや、女だった物と言った方がいいかもしれない。肉の塊となった死体は、おぞましいほど歪んでいる。これがあの女だったとは、およそ信じられない事実であった。
ユーリィはまだ最初のショックから冷めていないのか、死体をジッと眺めていた。そんな彼に「もう見るな」と言って、ヴォルフはその腕を引っ張る。驚いたように見返したその瞳には、虚ろな色が浮かんでいた。
「アルベルト、お前がやったのか?」
「あれが……」
上擦った声でアルが天空を指差す。その先を追い、ヴォルフとユーリィは無言のまま顔を上げた。
何かが動いている気配がする。塔のあちこちに開いた灯り取り用の小さな窓から、月の光が僅かに漏れて、その薄い光に何かの影が時々映るのだ。形も大きさもよく分からない。その姿を捉えようと、ヴォルフは目を凝らした。
やがて見えてきたものは、鳥のような黒い影だ。どうやら天井部分を旋回しているようで、羽音も立てずに飛び回る姿は、鳥はないことを感じさせた。
「な、何だ、あれは……」
「ガーゴイル……?」
呟いたユーリィの言葉に、ヴォルフは彼を見た。
ユーリィは天井を見上げたまま、ヴォルフに説明をする。
「ガーゴイルの像が無くなっていたんだ。あれはこの塔の守り神が込められているっていう言い伝えがあって、でもそんなのは嘘だと思ってた」
「アル、お前が何かしたのか?!」
問いつめるようにヴォルフが歩み寄ると、アルは何か言いたそうに口を開きかけた。
だが彼が声を出す前に、背後から来た人物がそれを遮った。
「嫌な死に方だね」
振り返れば、闇の中に蒼白い頬を光らせたエディクがそこに立っていた。
彼は母親の死体を目の前にしてさえも、平然とした様子である。足を引きずるように近付く姿は確かに病人であることを感じさせるのだが、口元に浮かべた笑みは冷笑と言っても良いだろう。
「アルベルトに俺が命令したんだ」
「いったい何を?!」
「ずっとガーゴイルを呼び出す方法を探していたんだけど、それをやっと見つけてね。まさか図書室の本に挟んであるとは思わなかったよ。灯台もと暗しとはこの事だね」
「それをアルにやらせたのか?」
「思ったよりも簡単な方法だった。あの像をこのホールの床に置いて、上にある暖炉に火を付ける。だが確かめたくても、俺はあそこまで上がるだけの体力がない。だからノコノコとやって来たアルベルトにやらせたんだ」
アルはいったい何故、素直にエディクの命令に従ったのだろう。そんな疑問を抱いていると、早速エディクが説明してくれた。
「アルベルトの兄、アルフレッド・ウィンはバラディス王女と雲隠れしてね、二人の間に子供も生まれたとも聞いている。そのバラディスが内戦に陥り、子供の立場がかなり微妙になってね。この前は、それを利用してバラディスを引っ掻き回し、ついでにアイツを虐めようとしたんだが、アルベルトが裏切ったお陰で大失敗だった」
「最悪だな、あんた」
「何とでも言うがいい。俺のような病人が一国を操れる。こんな面白い事はないと思わないか?」
「それで、またアルを利用したのか?」
ヴォルフの質問にエディクは両肩を竦め、
「侯爵の居所をバラディスに伝えると脅したら蒼くなったんでね。嫌いだとか何だとか言っておきながら、案外美しい兄弟愛をお持ちのようなので、からかっただけだ」
「あんたはそうやって人の気持ちを玩んで、愉しいのか?!」
「ああ、愉しいね。俺は自分以外の奴が不幸になるのが大好きだ」
「母親が死んでもか?」
「この女は自分を着飾ることか、金のことしか興味がなかった。その為には見知らぬ男と寝るのも平気なんだから笑えるよな? それにフィリップを産んでからは、内心俺に早く死んで欲しいと思ってたに決まってる」
そう言うと、エディクは足の先に落ちていた肉片を、靴の先で踏みつぶした。
「この女と一緒に俺もこうなることを望んだのか、アルベルト? その場を見せたいから来いと俺に言ったのはその為なんだろう? それにしてもお前の言葉に従うとは、馬鹿な女だ」
「それは……」
エディクの言うことと黙って聞いていたアルが、その時初めて口を開く。感情が籠もっていない空色の瞳が床の一部にある肉片を見つめていた。
「それは明日叔父上が彼に家督を譲る決断をすると、私が言ったのを聞いていたのでしょう。そうなる前に彼に何かをするつもりだったのかもしれません」
「つまり彼女に聞かせる為に、お前はあんな嘘を言ったのか? まさかこうなる事を予期して?!」
詰め寄ったヴォルフの言葉を受けて、アルは辛そうな表情で死体へと視線を向けた。
「私が暖炉に火をつけて降りてこようとした時、彼女がちょうど塔を登ってくるところでした。アレは真っ直ぐに彼女に襲いかかり、そしてあの場所から……。私はただ、もし彼女がユーリィ君に何かするつもりだったら、自分達の仕掛けた罠で逝けばいいと、そう思っただけです」
「自業自得だよ。ユリアーナをいたぶるのは俺に任せればよかったんだ」
エディクはフンと鼻で笑ってから、頭上に目をやった。
「で、どうするんだ、アレ?」
まるで自分には関係ないと言った口振りに、ヴォルフが切れてしまったようだ。彼はエディクの胸ぐらに掴みかかると、殴らんばかりの勢いで怒鳴りつけていた。
「いい加減にしろ! 何だったら俺が殺してやろうか、今ここで! 貴様なんて早く死んだ方が世の為人の為だ!」
「俺は世の中全てに復讐する。お前に俺の気持ちなど分かるものか」
「ああ、分からないね。自分の不幸を人のせいにする奴なんて、俺は大嫌いだ」
激しい罵声がホールに響く。睨み合った二人は一発触発の状態で、アルはそんな二人を止める様子もない。そしてユーリィは……。




