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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第三章
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第54話

 不安だった。

 それはただ、漠然たる不安。


 アレが無くなっているのだ。


 伝説に近いような話だとしても、無くなったという事実に不安を感じずに入られない。


 塔の入口にあった小さなガーゴイルの像。小石ほどの大きさで、頭の所には革製の紐が通してあり、それを壁に釘で打ち付けてあった。


 その昔、この塔を作った城主が護符として作ったという代物で、伝えられた話によると、何かをすれば中に眠っているガーゴイルが侵入者に襲いかかるという。エディクなどはその方法が知りたくて、城中を探索させたが結局何も見つからなかった。


 ただ盗まれただけなら、何と言うことはない。


 昨日塔に登った時、あれはあっただろうか? 

 ユーリィは目を閉じて、その時の様子を思い出そうとしたが、何の映像も浮かんでは来ない。いつも気にして見ていたわけではないし、今朝気が付いたのだって、ただの偶然だ。


 気にするなとユーリィは自分に言い聞かせた。きっと使用人の誰かが盗んだのだ。ひと月もすればソフィニアの闇市に並んでいるに違いない。


 けれどこの不安は何だろう?


 そういえばエディクは、バラディスの件に関して何にも言わなかった。嫌味でも言われるだろうと覚悟をして行ったのに、まるで何事もなかったかのような素振りだ。父に釘を刺されて、忘れたふりをしているのだろうか。


 それともまだ何か他にあるのだろうか?


 ユーリィはイライラしながら室内を彷徨き回った。両脇にそびえる本棚には、昔読んだ本がギッシリ並んでいる。そのどれも内容は殆ど覚えていないのは、現実を忘れる為にただ文字を追っていただけだからだろうか。


 本当はヴォルフに打ち明けようかと思った。しかし、そんなことを言えば彼が心配するに決まっている。こんな自分になぜ愛情を持っているのか、それとも欲情を持っているだけなのかは別として、彼が一心に護りたがっていることだけは分かっていた。


 誰かに護られる、誰かに愛情を受ける。そんなことが自分に起こるなど思ってもいなかった。だからこそ、今までにない経験を、ユーリィはどう受け取ったらいいのか戸惑いを感じずにはいられない。

 


 しばらくして扉が鳴った。階段のある踊り場と部屋とを区切っているドアだ。ヴォルフだろうか。そう思いながら返事をしたら、アルの声が聞こえてきた。


「何の用?」

「少しお話ししたいことがあります」


 扉に隔てられているせいか、アルの声は少しくぐもって聞こえてくる。それともまたエディクにひどい事を言われたのだろうか?


 扉を開く。そこには笑みを浮かべたアルが立っていた。


「入ってもいいですか?」

「ああ」


 ユーリィの返事に、アルは部屋の中央まで歩いて、ゆっくりと振り返る。そういえば、まだアルの正体を知らなかった時も、こうして同じように部屋に導き入れたことがあった。今は全てを知っているので、彼が何を考えているのか想像するヒントは手中にあった。


 いや、果たして知っていると言えるのだろうか?


「彼と話してきました」

「エディクは何だって?」

「裏切りだと罵られました。協力するとは言いましたが、味方だと言った覚えはないのですが」


 そうまで兄は自分を殺したがっているのだろうか? それなら何故もっと直接的に殺さないのだろう。イワノフの力を借りれば、銃だって手に入るはずだ。あの場に座り、引き金を引けばそれで全てが終わるだろうに、自分の手を汚さないのが彼の主義なのか。


「自分で殺せばいいのに」

「彼はゲームを楽しんでいるんですよ。貴方を抹殺するゲームをね」

「そうかもね、そろそろ飽きてきたけど」


 アルは部屋の片隅にある暖炉を見つめていた。まるでそこに何かがあるとでもいうような、その真剣な面持ちだった。


 ユーリィはそんなアルを不思議に思って、同じく暖炉に視線をやった。この塔を作った時に一緒に作られたらしいのだが、こんな所まで薪を運ぶのも、運ばせるのも面倒だったので、一度も使ったことはない。それどころか、暖炉があったことすら、今の今まで忘れていたぐらいだ。


 妙な沈黙がしばらく続く。


 やがて、笑みを殺したままのアルが先に口を開いた。


「今夜……」

「え?」

「今夜、裏庭にある四阿(あずまや)に来れますか?」

「四阿? 何の為に?」


 しかしアルはその理由を答えようとはしなかった。代わりに両脇に並んだ本棚を見上げると、やや声色を上げて話題を変える。


「これ、全部読んだのですか?」

「話を誤魔化すなよ」

「政治学、経済学、植物学、技術工学、言語学、そして魔法学に魔物辞書……、多岐にわたってますね。意外と貴方は勉強家なようです」

「意外は余計。それに読んだと言うより見たと言った方が正しいから。内容なんて殆ど覚えてないし、理解したかどうかも微妙」

「貴方は当主に向いているのかもしれません。叔父上が期待している通りに……」

「親父が僕に何を期待しているか知らないけど、期待されるような人間じゃない。親父はお袋の幻影を僕に見ているだけだ。それとも罪滅ぼしだとか、馬鹿なことを思っているのか。いずれにしても下らない感傷で変な期待をされるのは、まっぴら御免だね」

「叔父上はそんなに感傷的な方には見えません。貴方を選ぶのも、すべてイワノフの血を守る為だと私は思っています」


 その言葉にユーリィは目を丸くした。まるで自分一人がイワノフの血を持っているような口ぶりだ。


「それって、どういう意味?」

「何がです?」

「だって、エディクはあんな体で当主には向いていないにしても、フィリップがいる。アイツはまだ子供だけど、そのつもりでソフィニアで英才教育もしてるしね。僕がお役御免になれたのも、フィリップが生まれたお陰なんだから、アイツがいずれ家督を継ぐさ」

「今回、貴方がここに呼び出された理由をご存じですか?」

「理由……?」


 鸚鵡返しに尋ねてから、聞かなければ良かったとユーリィは後悔した。知らない方がいいという予感が胸を掠める。これ以上この家と関わるなと、心の中で別の自分が囁いた。


「フィリップ君が叔父上の子供ではないと言う事実を、叔父上が知ったからだそうです」


 目眩がする。やはり知らない方が良かったようだ。知ってしまえば無視は出来ない。


「そんなのは嘘だ。フィリップは親父によく似ている。金髪だし、目も親父と同じライトブルーだし、顔は母親似かもしれないけど、そんなのは良くあることだ」

「これはエディクから直接聞いた話です。彼は笑いながら教えてくれましたよ。彼の母親が、貴方に家督を譲らせない為に、叔父上に似た人物をわざわざ探し出したと」


 無茶苦茶な話だ。もしそれが本当なら、例の“大天使”と何ら変わらないではないか。あの女は、そこまでしてイワノフ家を我が物にしたいのだろうか。その上、まるでエディクが死ぬと決めつけている行為も、妙に腹が立つ。別にエディクを(かば)うつもりはないけれど……。


「あの人はなんて言ってるんだ?」

「エディクは貴方を殺し、母親を殺し、そしてフィリップを殺して、この家を抹殺すると言ってます」

「そう……」


 どうやら愛されていない子供は、自分だけではなかったようだ。

 確かにエディクは産まれた時から死を予言され、その為に自分はこの家に引き取られた。それが彼には我慢出来ず、ずっと自分を虐めてきた。その上、母親まで彼を捨て駒としか見ていないとしたら、彼はもしかしたら自分以上に辛いのではないだろうか。


 こんなふうに思うのは、生まれて初めてだった。


「エディクに同情していますね」

「同情なんかしていない」

「顔にそう書いてありますよ。貴方が彼を憎みきれないのは、ずっと彼に同情していた為ですか?」

「今も今までも、同情なんかしたことはないよ。ただ……」

「ただ?」


 首を傾げてアルは微笑んだ。まるでユーリィの気持ちを全て受け止めようというような、優しさに溢れた笑みだ。


「誰が一番悪いかと言うのなら、親父だ。子供は家を継ぐ為の道具なんかじゃない、そうだろ?」

「ええ、そうですね」

「アイツもエディクが死ぬと決めつけてる。死ぬと言われてそれでも生きてるんだから、意外としぶとく生き残る可能性だってあるのに。エディクが死んで、それから全てを決めればいい。家督を継ぐ権利が誰かにあるとしたら、長男であるエディクだ、僕はそう思う」


 ユーリィは言い切ると、肩で息をした。こんなにはっきり自分の意見を口にしたのも初めてだった。ここにいた頃は、まだ子供だったせいか、物事全てが受け入れがたく、何をどう考えていいかも判らなかった。けれど今は違う。年月が、外の世界が、それともヴォルフ達が自分を少しずつ変えたのかもしれない。


 アルがゆっくりと近付いてきた。


「以前、貴方が綺麗だと言いましたでしょ?」

「だからなんなんだよ……」


 ヴォルフのように抱き付かれるのかと身構えたが、さすがに彼はそんなことはしなかった。目の前に立った彼は、微笑みを浮かべたまま、真っ正面からユーリィを見つめる。


「エディクに、貴方の方がずっと綺麗だと言っておきました」

「余計なことを言うなよ」

「そうしたら彼は“それは生きているからだ”と。それと、もし貴方が殺しに来るなら、それはそれで構わない、自分はすでに死んでいるのだから、と」

「そんな事するわけないだろ」

「私もそう言いました。貴方は決して彼を憎んでいないと。けれど彼はそれが嫌なようです。貴方に同情されるのは、彼のプライドが許さないのでしょう」

「同情なんてしてないのに……」


 たぶんこれは同情なんかではない。エディクは憎んではいないが、嫌いなことには変わりはないし、もし自分が同じ立場にいたとしても、同じ事はしないと思う。今だって誰かを殺そうなんて思ってはいないのだから。


「貴方は叔父上やフィリップを“アイツ”と呼ぶのに、エディクには“あの人”を使う。何故ですか?」

「そ、それは……」

「貴方達がもし分かり合えたなら、きっと素敵な兄弟になったことでしょうね。人と人との繋がりは、ほんの少しの感情のズレで、全てを失ってしまう。私と兄がそうだったように。一時の感情が、あらゆる可能性をドブに捨てることになってしまうなんて、幼い私にも判りませんでした。私達も貴方達も、もう引き返すことは叶わないと思いますか?」

「俺達は無理だけど、アルは違うと思うよ。だって喧嘩とかしているわけじゃないんだろ?」

「生まれてしまった憎しみは、なかなか消すことは出来ないようです。もし私が貴方のように誰も憎まなかったら、こんな事にはならなかったはずでしょうに……」

「こんな事?」


 しかしアルはそれには答えず、ただ小さく首を振った。


「夜、来て貰えますよね?」

「いったい何を……」

「来ればわかります。それで全てが終わるはずですから……」


 アルは呟くようにそう言うと、やがて部屋から出て行ってしまった。


 全てが終わるとはどういう事だろう? 彼は何を終わらせるつもりなんだろうか?


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