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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第三章
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第52話

 アルから聞いていたイワノフ家とユーリィ自身の関係により、この城での彼の立場がどんなものか、ある程度は想像が付いていた。だがその想像を越えるほどに、ここは冷えた空気が漂っていて、ヴォルフは凍えるような思いで一晩を過ごした。


 ユーリィの住んでいたこの塔は、その昔イワノフの当主が暗殺者を恐れて、独り籠もった場所であるとアルが説明した。居住区は四層に別れており、一番上が主寝室 ──つまりユーリィの寝室── で、その下は書斎として使われていたようだ。今は本棚や衣服が置かれている部屋で、三つある本棚にギッシリと本が詰まっている様子から、少年は見掛けによらず読書家らしい。もっとも彼が全てそれを読んだとは限らないが。

 その書斎の下が客室でベッドが三つほどあったが、ユーリィが来てからは乳母が一年ほど暮らしただけだという。確かに一晩使ったその毛布は、居心地の悪さに埃臭さを加えて、ヴォルフの睡眠の邪魔をした。


 次の朝、朝食を一緒にとイワノフ氏の申し出があり、三人は渋々、城の食堂へ行くことになった。


 長い階段をグルグルと下りる。重苦しい雰囲気は一歩踏み出す事に増えていくようだった。


「やっぱりお断りすれば良かったかもしれませんね」


 背後でアルが呟いた。


 そういえば昨夜、アルがベッドにいなかった気がしたが、あれは夢だったのだろうか。三つあるベッドの一つ挟んだ奥を彼が使っていたのだが、寝返りをうった時にはその姿は見えなかった。薄闇の中では確信は持てない。


 一方ユーリィは、昨日のことが尾を引いているのか、ヴォルフを避けるようなそぶりを見せた。


 ヴォルフも言い過ぎたとは思っている。しかし誰かが言ってやらなければ、彼はずっと暗い過去を引きずったまま、自分の胸に刃を突き刺して生きていくような気がして、それが我慢ならなかった。


 誰も彼を責めることなど出来やしないというのに……。



 塔の一番下までやって来た時、ユーリィは何故か壁の一部を触り、しきりに首を傾げている。

「どうした?」とヴォルフが声をかける。何でも無いというように小さく首を振った彼だったが、その表情にはわずかな不安の色があった。


「気になることがあるんなら……」

「多分、気のせいだから」


そう言いながらも、ユーリィの声には緊張した響きがある。しかしこれ以上追及しても、決して彼が口を割るとは思えなかったので、ヴォルフは黙って彼を見下ろしていた。 




 出迎えに来た執事により、三人は大食堂へと案内された。噂の異母兄エディク・イワノフにお目にかかれるかと、ヴォルフは期待と不安の入り交じった気持ちでいたのだが、残念ながら現れたのはイワノフ卿一人でだけであった。ユーリィとは席と共にしたくないと思ってのことか、それともこういうものなのかよく判らないが、食事の後、その事をユーリィに告げると、


「それなら一緒に行きますか? 僕もご挨拶に行かなければなりませんから」


 と見せたことのない微笑みを返された。


 その言動は父親の前だからなのだろうか。そういえば、自室のある塔にいる以外、彼は借りてきた猫のような大人しさで、日頃の辛辣な言葉は鳴りを潜めている。つまりここにいた十三年間、ユーリィはそうして暮らしてきたのだと思うと、ヴォルフはやりきれないものを感じずにはいられなかった。




 エディク・イワノフという人物は、ヴォルフが今まで会った中で一番病弱そうな人間であり、一番精力的な人間に見えた。年はユーリィより九つ上の二十四だというが、目の鋭さに老獪な印象を受けるのは、アルから聞いたユーリィの過去を知っているためだろうか。蒼白い頬と色の薄い唇が死者のそれによく似ていて、骨張った指で薄茶の髪を掻き上げる様子は、古城に住みつく亡霊のようだった。


 三人がエディクの部屋を訪れた時、彼は長いソファーに横たわり、虚ろな目で宙を眺めていた。口元には笑みを浮かべ、心ここにあらずといった感じであったが、ユーリィを一目見た瞬間、眼光は鋭く光り始める。もしも視線だけで呪い殺せるならば、間違いなくユーリィはその一瞬で息絶えたことであろう。それほどまでに彼は、この異母弟を憎んでいるのだ。


「誰かと思えば、お前か……」


 かすれた声でそう言ったエディクは、その憎しみを隠しもせずにユーリィからアル、そしてヴォルフへと視線を移す。もしあの一件が彼の仕業だとしたら、二人が誰であるか知っていただろうが、空々しく“この二人は?”とユーリィに尋ねた。


「エヴァンス氏はご存じですよね? こちらはヴォルフ・グラハンス氏ですよ、兄さん」


 感情の一切無い声でユーリィが答えた。兄弟の会話とは思えぬほど緊迫した空気が室内に漂う。


「ああ、なるほどね。で、何しに来たんだ?」

「お久しぶりですので、ご加減はどうかと思って……」

「相変わらず死にそうだろ? 去年からは部屋にずっと閉じ籠もりきりだ」

「そんなにお悪いのですか」

「お前には何とか先に死んで貰おうと頑張ってるけど、お前がなかなかしぶとくてね」

「いつでも死んで見せますよ、今すぐここでと仰るなら、それでも構いません」


 そう言ってユーリィは、ニッコリと微笑みながら腰からシミターを取り出すと、己の首へと押し当てた。“オイ!”と言ってヴォルフが止めようとするのを、アルが腕と掴んでそれを押さえた。黙ってみていろと言うことなのだろうが、黙ってみていられる状況とも思えない。


「アル、放せ!」

「ヴォルフ、落ち着いて下さい」


 すると二人がもみ合っているのを見たエディクは、口の中で“ククク”と笑い始め、ユーリィの方へ“もういい”と言うように手を振って見せた。


「しばらく会わないうちに、随分と反抗的になったもんだな。以前なら引きつった顔で、情けなく笑ってたお前が、外に出たというだけでその態度か。どうやら例の脅しはもう通じないようだな?」

「例の脅し?」


 ヴォルフの問いに、エディクは肩をすくめて、


「俺に逆らったら、コイツの母親一族を皆殺しにしてやると言ってたんだ。それを言うと俺が命令する通り、床に這いつくばるコイツの様子が、俺のお気に入りだったのにガッカリだ」

「ゆ、床にって……」

「面白いゲームがあってさ。床に零した水を全部舐め取らせるってやつ。それと一日中、窓の外に立つというのもあったよな? 少しでもバランスを崩せば裏庭に真っ逆さま。なるべく風の強い日を選んだんだけど、落ちなくてつまらなかった。それ以外にも口では言えないようなこともさせたけど、コイツ一度も泣かなくて、可愛くなかったけどな」 


 その瞬間、ヴォルフの怒りが頂点に達しそうになった。もしユーリィが小さく首を振らなければ、そのままエディクに掴みかかって殴りつけたことだろう。


 きっとエディクはそうした言葉を使って、ユーリィを長いこと(いや)しめていたに違いない。想像を絶するほど屈辱的な事を、繰り返し繰り返し。それを思うとヴォルフはユーリィの顔をまともに見返すことすら出来なかった。


「で、今日は本当に何の用だ?」

「挨拶にと言ったはずですが、聞こえませんでしたか?」

「俺にそんな生意気な態度でいていいのか? ははん、父上がお前の味方だから、調子に乗っているってわけだか。いい気になってるのも今のうちだからな、そのうち、お前を産んだ阿婆擦れを……」

「殺してもいいですよ、兄さんのお気が済むように」


 ユーリィはそのまま踵を返すと、ドアに向かって歩き出した。ヴォルフとアルの間を抜ける彼の顔には、何の表情も浮かんではないなかった。だがいつも以上に蒼白になっている顔が、感情の全てを物語っているようだ。


 ノブに手をかけたユーリィに、エディクが静かに声をかける。


「殺される前に、俺を殺してもいいんだぜ、ユリアーナ」


 ユーリィの肩がぴくんと震える。

 だが振り返ることもなく、彼はそのまま部屋から出て行った。



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