第49話
やや命令気味に、城に戻るようにとロジュに言われ、ユーリィはかなり凹んでいた。二度と帰るものかと飛び出してから既に二年。またあの場所に足を踏み入れるのかと思うと、心も体も重くなっていく。
ベッドの上でユーリィは寝返りを何度も打った。夜はいつもよりゆっくりと更けているようで、何度も窓に目をやったが、まるで穴ぐらを覗いているような気分になり、薄明かりのついているランプへと視線を戻す。明日か明後日には再びやってくるだろう凍りつく自分の感情を思うと、どうにも寝付けなかった。
朝方、ようやくウトウトし始めたところで起こされる。
出来れば昼ぐらいまで放っておいて欲しいのに……。
この際、無視を決め込もうとドアに背を向けて毛布を被ると、今度は嫌がらせのようにリズムカルなノック音と変わっていった。
「誰だか知らないけど、あれは明らかに交戦的行為だよな」
ブツブツ呟いて仕方がなく扉を開けると、やや眠たそうなアルが立っていた。
「何だよ?」
こちらとしても寝不足では、最低限の愛想も見せられない。仏頂面のままユーリィがそう言うと、アルはいつもほど爽快さがない表情で“すみません”と小さく呟いた。
「ですが、どうも噂が広がり始めているようです」
「噂?」
「昨夜の一件です、もちろん。宿屋の主人にどういう事なのか、尋ねられましたよ。イワノフの名が出てくる前に、ここを離れた方がいいでしょうね」
「うーん」
噂が広がれば、某人物の耳に入らないとも限らない。そういった情報だけはやたら鋭い男だから、異母弟が関与していると知れば、嫌味に一つや二つでは済まされないだろう。もし一生あの場所へ戻らなくて済むのなら、気にも留めないことなのだろうけども。
「戻るのでしょう、城に?」
さも決められている事実のように言ったアルに、ユーリィは反論しようとしたのだが、“違う”と言いかけた瞬間、空色の瞳とぶつかって、思わず口を閉ざしてしまった。その目に浮かんだ同情の色に腹が立つ。
「戻ろうと戻るまいと僕の勝手だ」
「ヴォルフはきっと付いていきますよ?」
「何で?」
「そういう人だから、としておきましょう」
「アルは?」
「もちろん私も決着を付けなければなりませんから」
ユーリィはそれ以上何も言えなかった。
三人して慌てて出発の準備を整え、宿屋を後にした。逃げるようにといえば語弊があるが、適当に詰め込まれている荷物が、その正しさを示しているようであった。
宿賃の支払いをヴォルフとアルに任せなければならなかったユーリィは、不本意極まりない気分になった。何はなくても今まで一度も、金には困ったことが無かったというのに。例えそれが自ら稼いだ金ではなかったとしても、それだけが生きる糧だった。
「絶対に返すからな」
そう言うたびに、ヴォルフもアルも“ハイハイ”と返事をし、余計にユーリィの神経を逆撫でた。
「それより、イワノフの城までどれくらいかかる?」
「ソフィニアからなら、歩いても二日で着く。馬車なら半日かな」
「じゃあ、馬車を頼むか」
「ゆっくり行きたい……」
「君は嫌なことは後回しにするタイプだな?」
からかうようにヴォルフに言われて、ユーリィは口を尖らせる。
「だからどうした?」
「嫌なことは早く済ませようぜ。どうせ、遅かれ早かれ行かなければならない道なんだろ?」
そう言われて、ユーリィは仕方がなく同意した。
もう二度と訪れないと思っていた場所を目の前にしてみると、何だか変な気分になる。あれから二年、何もなかったといえば何もなかった年月だけが、ユーリィの記憶に眠っている。
あれから自分は成長したのだろうか?
馬車は広い敷地をゆっくりと進んでいく。先に見えるのは高い塔を幾つも抱えた古城であった。丘の上にあるので、急な坂に二頭の馬が喘いでいるようだ。時々、左右に揺れては御者に叱咤を受ける馬達を眺め、ユーリィは少々同情に似た気持ちを抱かずにはいられなかった。
「随分と古い城だなぁ」
窓から古城を見上げつつ、ヴォルフはポツリと言った。アルは黙ったまま目を閉じている。彼は彼で思い出したくない過去があるのだし、本当は自分と同じように来たくなかったのではないかと思いながら、ユーリィもまた座席にもたれ、目を閉じたのだった。




