第40話
当然といえば当然だが、ユーリィが部屋を抜け出したのは夜中だった。
部屋の扉を開く時に微かに軋んだ蝶番の音にビクつき、踏み出した床が僅かに鳴った音に顔を顰める。慌てて薄暗い廊下に視線を走らせたが、左右に並んだ扉に変化は起こらず、ユーリィはホッと胸を撫で下ろした。
あれからアルと別れ、しばらく部屋に籠もっていた。アルも自室に戻ったようだが、ヴォルフがどうしているのだろうか。本人が言ってた通り酒場に繰り出したのかもしれないし、ユーリィの思惑通り外泊していてるのかもしれない。何をしていても一向に構わないが、出来れば明日は機嫌が戻っていて欲しいとユーリィは切に願った。
静かに鍵を閉める。足を忍ばせ廊下を進み階段を下り、逃げるように宿屋の外に飛び出した。通りを少し歩いてから、大きく息を吐いて全身の緊張を解く。どうやら計画通りに事は運んでいるらしい。
そう思った瞬間だった。
「おい!」
「わっ」
背後から声をかけられ、ユーリィは飛び上がった。
「何処に行く?」
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、案の定と言うべきか残念ながらと言うべきか、ヴォルフ・グラハンスその人。
「あ、ヴォルフ……」
「“あ、ヴォルフ”じゃない。何処に行くって聞いてるんだ」
「えーっと、散歩?」
「散歩?」
うんうんと首を何度も縦に振ってみせる。だが相手は全く信用してないという顔で睨んできた。
「何を企んでる? これが夜遊びか?」
「た、企んでなんて……」
“いない”と続けようとしたのだが、実際に企んでいるので言葉にすることが出来ず、つい口を噤んでしまった。そんな態度が更に相手の疑いを深めてしまったようで、
「企んでるな?」
「え、えーっと」
「正直に言いなさい」
「いや、別に、何も……」
詰め寄られて、ユーリィは一歩下がる。
「いいか、フェンロンに比べて治安が良いとは言っても、フェンロンと比べてだからな。こんな大都市で女子供が夜中に彷徨いたら、身ぐるみ矧がされるぞ」
「う、うるさいな。僕は子供じゃないって言ってるだろ。自分の身ぐらい自分で守れるよ」
「守らなきゃならない場所に行かなければいい」
「そんなの、僕の勝手だ」
二人はそのまま睨み合った。内心、どうしてヴォルフと話すと喧嘩腰になるんだろうとユーリィは思う。素直になれない自分が悪いのか、言い方がきついヴォルフが悪いのか。
ひとまずここから逃げ出す算段をしようとしたその矢先、ヴォルフの背後にある宿の扉が大きく放たれた。薄暗い月夜の下に姿を現したのは、何とアル・エヴァンス。眠そうに欠伸をかみ殺した彼は、呆れ顔でゆっくりと二人の方に近付いてきた。
「夜の夜中に大騒ぎですね」
「ア、アルまで……」
頭を抱えてしゃがみ込みたい気分になる。どうやら今夜は大人しく宿に戻った方が良さそうだと、ユーリィは肩を落とした。
「で、何処に行くつもりなんだ?」
「もう行かないよ」
「そして明日の夜にするんですね?」
アルに鋭く突っ込まれ、ユーリィは慣れない作り笑いを浮かべてしまう。だが慣れないことは止めておいた方が身の為らしい。
「そういう作り笑いを見せるのは、大抵何か良からぬ事を考えている時です」
「そ、そんな……」
「さあ、大人しく白状しろ。じゃないと……いいのか?」
ヴォルフが飲み込んだ言葉は分かりすぎるほど分かって、ユーリィは思わず両手で口を押さえてしまった。いい加減に防御しないと、そのうちに当たり前のような行為になっていきそうで怖い。そろそろ自分でも慣れ始めている気がするのは、気のせいとばかりは言い難かった。
「さあ、吐いてもらおうか」
「正直にね」
二人はにやり笑いながらそう言うと、やがてゆっくりとユーリィに迫ってきたのだった。
「馬鹿か、君は?!」
開口一番、激しく罵ったのはヴォルフだった。馬鹿と言われてムッとする。確かに多少考え無しだとは思ったが、馬鹿と言われる筋合いはない。
「だってムカツクし」
「だからと言ってですね、こんな夜中に訪ねて何をするつもりだったんですか?」
ヴォルフの部屋でテーブルを挟んで向かい合う三人。ヴォルフもアルも本当に呆れ顔でユーリィの前に座っている。正直に話したのに文句を言うなんて酷いと思いつつ、ユーリィは下を向いた。
「何をって、もちろんお仕置き……」
「ユーリィ、あんな女は放っておけばいいだろう?」
「でもさ、あんなこと普通じゃないし、他にも被害者が出るかもしれないだろ。“男子を二人調達”とか言ってたし、それを黙って見過ごすわけ?」
本当はそんなことどうでもいいのだが、ちょっと正義感ぶってみた。すると思った以上に効果覿面で、困惑した表情を浮かべヴォルフは言葉を詰まらせてしまった。ユーリィはここぞとばかりに続けてみる。
「自分達は助かったけど、別の奴が何かされたら後味悪いよね、二人とも。まさかそんなの全然関係ないとか言うわけじゃないでしょ?」
自分で言ってても笑えるセリフだ。この世界でいちいちそんなことを気にしていたら生きていけないことは、ユーリィだって十分すぎるほど知っている。見ず知らずの他人を助ける為に、自分の命をなげうてる人間はそれほどいないし、正義を振りかざす英雄に憧れるほど子供ではない。だが敢えて口にしてみると、そんな甘い考えも正論に聞こえるから不思議である。
「えっとだな、まあ、それは確かにその通りなんだが……」
「やっぱり何かすべきだよね?」
駄目押しのように言うと、やがて根負けしたような顔をした。
「分かった、だが行くのは明日の昼間だ」
「もちろん今回は僕も一緒だから。じゃないと場所を教えないよ」
「分かった分かった」
ヴォルフは片手を振って仕方なくといった顔で同意した。
ひとまず寝ようということになり、ヴォルフの部屋だったせいで、彼が部屋に入るのをユーリィとアルは見送る形となった。
その扉が閉まり、自分も部屋に戻ろうとした時、アルはが少々意地の悪い笑みを浮かべながら、声を潜めてこう告げた。
「本当はユーリィ君だって、見知らぬ人のことなんてどうでもいいんでしょ? 要するにイタズラがしたいだけで?」
ユーリィは返事が出来ず、唇を噛みながら部屋の中へと逃げ込んでしまった。アルの勘の鋭さは厄介だなと思いながら。




