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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
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第4話

 少年を抱え、槍を持ち、ヴォルフは森の中を駆けた。雨が止み始めているような気がするが、ここまで濡れていたらどっちでも一緒だった。それでも霧のような雨が目に入り、塞がれた両手に拭うことも叶わなかった。


「名前は?」


 ふて腐れた表情でヴォルフに身を委ねている少年にそう尋ねた。息が切れる。さすがのヴォルフも人一人運ぶのは難儀な事だ。それが少女だったら気持ちは軽いだろうが、相手が男では嬉しく何ともない。


 傷が痛むのか、少年はヴォルフが倒木などを飛び越えるたびに顔を歪め、小さな(うな )り声をあげる。それでも泣き言を言わないところをみると相当に気が強い“王子様”のようだ。


「……自分から……」

「ああ、そうだったな。俺はヴォルフ、ヴォルフ・グラハンス」

「……ユーリィ……」

「ユーリィね、了解。そう棘を出すな。喧嘩をしようってわけじゃないんだから」


 息を切らしながらも優しく笑いかけたら、ユーリィ少年は返事もせずに目を瞑ってしまった。全く子供の扱いには苦労すると、ヴォルフは心の中で溜息を付いた。


 


 ヴォルフの予告通り半時で村に到着し、その足でこうした小さな村には必ずいる、教会の老神官を尋ねる。大抵の場合、彼らは“白魔法”の使い手であるが、この村の老神官も多分に漏れず、やはり白魔法を使えるようだ。


 ユーリィの傷を見た老神官は、“よくこれだけで済んだものだ”と呟き、それから彼は傷口に手を当てて呪文を唱える。すると忽ち染み出していた血が止まり、神官の手が白い光に包まれると今度は、腫れ上がっていた血色の肉が塞がり始めた。


 胸元から鳩尾近くまであった傷はあっと言う間に消え、数分後には綺麗な白い色の肌に痕一つさえ残ってはいなかった。


 


「傷口は塞がりましたが、出血がかなりあったので、二、三日は動かない方が良いですね」


 優しげにそう言った老神官は、続けて事務的に治療費を告げる。結局こうした教会の収入源はそれぐらいなのだから非難するわけにはいかないが、あまりの金額にヴォルフは絶句した。すると、それまで黙り込んでいた少年が徐に身を起こす。ズボンのポケットから財布らしき袋を取り出して、その中から金貨1枚を神官に手渡した。


「お釣りはいらない、重くなるから」


 素っ気ない言葉で少年は下を向く。その様子にヴォルフはただ唖然としてしまった。


 彼の財布の中には、チラッと見ただけでまだ七、八枚の金貨が入っていたようだ。いったいこの少年は何者なのだろうか? 金貨一枚でひと月は暮らしていけるご時世、それだけの金があれば当分何もせずに暮らせることは間違いない。その上、惜しげもなく、たったこれだけの治療にその一枚を使ってしまえるとは。渡された神官も初めは茫然としたが、さっさとコインを仕舞い込み、にこやかに“何かご不自由があったら仰って下さい”などと子供相手に敬語を使い始める。神に仕える者も人間であるという証拠だろう。


 


 教会を後にした二人は、村に一つしかない宿屋に向かった。当初、嫌がっていた少年だが、自分の体が万全でないことに気付いたのか、渋々ヴォルフに着いてきた。初めから素直でいてくれればこんな苦労はなかったのに……。


 残念ながらと言うべきか、この雨と例の魔物のせいで足止めをくった客が宿屋には溢れていた。そのせいで部屋は残っておらず、ユーリィは仕方がなくヴォルフの部屋を使うこととなった。彼は担いでいた皮袋から着替えを取り出して破れた上着と変えようとしたようだが、それもこれもすっかり湿っているらしい。その様子に、ヴォルフは部屋に置いてあった自分の荷物からシャツを出して彼に差し出した。


「乾くまでこれを着てな」

「いいです」

「ほら、素直にって言ったろう?」


 ユーリィは躊躇いながらそれを受け取ると頭から被る。するとまるでワンピースのように丈が長い状態になって、ヴォルフはニヤニヤと笑いながら濡れたズボンも脱げと命令した。少年はもう逆らうことを諦めたようだ。何も言わずにヴォルフに従うと、そのままベッドに座り込んでしまった。どうやらかなり辛いらしい。例の“冷笑”も今は浮かんではいなかった。


「今日はひとまず寝なさい」

「……うん」


 返事をした彼の顔が妙に赤い。それに気付いたヴォルフは、その額にそっと手を当ててみる。するとまるで燃えるように熱く、思わず眉を顰めてしまった。どうやら怪我と雨に体が冷え、熱が出てきたようだ。


「かなり高いな。熱冷ましをもらってこよう。その前に髪の毛を乾かさないと駄目だな」


 ヴォルフは再び荷物の中を引っ掻き回し、小さな布を出すと、彼に投げた。


「ちゃんと拭いて、横になる、いいね」

「……うん」


 ユーリィは素直に頷くと布で頭をゴシゴシと拭き始めた。ようやく懐柔出来たらしい。そう思うと可笑しくなり、ヴォルフは顔を背けながら苦笑いを浮かべ、そのまま部屋を後にした。


 


 階下に行き、宿屋の女主人に頼んで熱冷ましの薬草を煎じてもらうことにした。それを待っている間、自分も着替えればよかったなと思いながら濡れた袖口を捲り上げる。それから壁に寄り掛かって窓の外を眺めた。


 雨は止んでいるようだ。夕刻に近いせいか、風景は徐々に黒一色へと変わりつつある。すぐそばの木の、細い枝先にある葉が風に揺れてザワザワと微かな音を立てた。森側とちょうど正反対にある村の畑が一望に見渡せる。鴉らしき影が収穫時期を迎えているらしい作物の中に舞い下りた。


 まさに長閑さと剣呑さが入り交じった情景だ。まるであの少年のようだなとヴォルフは思った。顔立ちは少女の如く、性格は毒矢の如く。青い瞳に映る哀しみと口元に浮かぶ冷笑は、彼の全てを物語っているのかもしれない。彼が今までいったいどんな人生を送った来たのか、量らずども想像が付くような気がした。


 彼は“ユーリィ”と名乗った。それほど珍しい名ではないと思うが、少なくても知人にはその名前の者はいないはずだ。それなのにどこかで聞いたことがある気がするのは、何故だろうか。その上、あの大金。よもや野盗の類とは思わないが謎の多い少年なことは確かだった。


 しばらくそうして考えているいると、やがて煎じ薬が出来上がり、女主人に熱くなったカップを手渡された。立ち上る暖かな湯気、それと同時に独特の匂いが鼻を突く。昔からヴォルフはこの匂いが大嫌いだが、果たしてあの坊やは素直に飲んでくれるかどうか。どちらに賭けるかと尋ねられたら、一も二もなく飲まない方に金貨1枚だろう。ヴォルフは苦笑気味にフッと鼻を鳴らして階段を上がっていった。


 


 部屋の扉を静かに開けると、寝ているはずの人間が部屋の隅で何やらゴソゴソとやっている。ものの数分でこれだ。彼はヴォルフが入ってきたことなど無視するつもりなのか、振り向きもせずに何かの作業を続けていた。ヴォルフも黙ったまま後ろ手に扉を閉める。そのままゆっくりとベッド脇のナイトテーブルに近付き、その上に手にしたカップを置いた。室内にコツンという鈍い音が響くと同時に薬湯がテーブルに零れ、それに反応して少年の動きが止まる。だがそれも一瞬のこと。直ぐ彼は何事もなかったように動き出した。


 仕方がなくコホンと一つ咳払いをしてみる。ヴォルフの存在すら忘れたかのように、少年は黙々と自分の荷物から何かを取り出してはじっくりとそれを眺めると、戻したり足元の床に並べるといった作業を止めることはなかった。その様子にヴォルフは小さく首を振り、ひとまず濡れた服を着替えることにした。


 わざわざユーリィの見える位置で上着を脱ぎ捨て、焦げ茶の服を羽織る。だが少年は一瞬も顔を上げることはない。仕方がなくヴォルフはその場で腕を組みジロリと彼を眺めた。本当に、完璧なまでに人を不愉快にさせる技術を身につけているらしい。しかし今回は相手が悪かった。この程度の“子供の愚行”に付き合うほど、ヴォルフは若くも熱くもない。


 ヴォルフは少年の前で腰を落とすと、両膝で両肘を支え、両手で顔を支えて、その顔を覗き込んだ。


「もしもーし、何してるのかなぁー?」

「…………」

「それは、今すぐしなきゃならないことなのかなぁー?」


 ユーリィは初めて顔を上げ、険しい表情でヴォルフを見返した。


「……アイツに致命傷を付けられなかったよね?」

「アイツ? ああ、あの蛙もどきのことか」

「昔、魔物辞典で見たことがある。たしかグロールとかいう魔物だ。雨の日に現れる化け物で、人の血肉を好むって」

「おや、よくご存じで」


 ヴォルフの言葉が嫌味に聞こえたのか、ユーリィは目を細めて彼を睨む。


「僕は受けた痛みは倍にして返すと決めたんだ。だからアイツは絶対に許さない」


“オイオイ”と心で呻る。熱血はいいが俺まで巻き込まないでくれと。少なくてもヤツを成敗するのは自分が依頼された仕事なはずだ。妙な気合いで邪魔はして欲しくはない。そうは思ったが正直に口にすれば、きっと激しく嫌味混じりの言葉で返されるに違いなさそうだ。さて、


 どう(なだ)めるか……。


「ひとまず今夜はゆっくり寝ないか? 顔が真っ赤だ。頭もフラフラしてるんじゃないの?」

「……ちょっとだけだ」

「明日は晴だぜ。慌てなくてもまだ時間はある。今は薬を飲んで熱を下げて、たっぷり寝て体力を復活させてからにしなさい」

「僕に命令するな!」


 ヴォルフの言葉に、ユーリィはそう叫びながら勢いよく立ち上がった。しかし高熱のせいで体のバランスが上手く取れずに、目眩を起こしたようにフラッと倒れそうになった。ヴォルフは慌ててその体を受け止める。両肩を抱き、何とか床に激突するのを防いでやった。


「ほら、言わんこっちゃない。さっきより熱が高くなってる。世話の焼ける小僧だ」

「………」


 ヴォルフはユーリィの腕を掴むとベッドまで引っ張っていき、その上に腰掛けさせる。次いでナイトテーブルのカップを手に取り、彼の鼻先に突き出した。途端、少年は顔を背ける。思った通りの反応だ。


「……金貨一枚だな」


 そう呟くと、下からジト目で睨まれてしまった。


「独り言だ。それより飲まないと熱が下がらないぞ」

「そんな物飲むくらいなら、一生、熱出したままでいい」


 それは死ぬだろうと思いながら、ヴォルフはどうしようかとカップとユーリィの顔を見比べる。飲ませる方法を頭で画策したが、言葉で諭すことは無理だとは判っていた。


 小さく息を吐き、カップを持ったまま少年の隣に腰を下ろす。こちらの行動の意味が分からない相手は、眉を寄せてヴォルフを見返した。ヴォルフはそんな視線を無視し、カップに半分ほど入ったどす黒い液体を眺め、気力を振り絞って一気にそれを口に含んだ。ユーリィはヴォルフの行動を唖然と眺めていたようだが、次に起こったことはきっと愕然としたことだろう。


 ヴォルフは少年の胸元を掴んで、自分の方へと引き寄せた。その可憐な唇に自分の唇を重ねる。抵抗される前に舌で強引にこじ開け、口の中にある苦い液体を彼の中へと注ぎ込んだ。ヴォルフにしてみれば何と言う事もない行為だ。ただし相手が同性でなければという条件が付くけれど……。


 全てを注ぎ込んだ後も、ヴォルフは相手が飲み込むまで唇を放さずにいた。しばらく少年は身もだえし抵抗を試みていたが、それを押さえ唇を重ね続ける。やがて“うぐっ……”と喉が鳴る音がして、どうやら我慢しきれず薬を飲み込んでしまったようだ。


 漸くヴォルフは少年から顔を離した。唇の端から漏れ出た薬湯を左手で拭う。お互いの唾が混じり合ったそれは確かに苦かったが、以前ほど悪い味ではない。多分、自分が大人になった証拠だろう。


「……な、な、な……」


 上擦った少年の声が部屋に響く。勢い、ヴォルフから逃げるようにベッドから飛び降りると、ふらつきながら二三歩後退った。


「素直に飲まなそうだったからな」

「だ、だからって……」


 やや上がり気味の双眸が大きく見開いている。驚きの為かそれとも熱の為か、両肩で息をしていた。


「君が素直に飲めばこんなことはしなかった。俺だってこの薬は苦手だが、熱もないのに口に含んだんだぞ」

「そ、そ、そんなことは……そっちの勝手だ」


 まあいいさと思いながら、ヴォルフが立ち上がる。すると少年は怯えた犬のようにビクビクしながら更に下がった。彼にすれば当然の反応だろう。


「何もしないから早くベッドに入りなさい」

「で、でも……」


 その顔に浮かんでいるのは恐怖。ユーリィはベッドとヴォルフの間に視線を泳がせ、嫌だというように首を横に振った。ヴォルフは彼が何を考えたのかすぐに判ったので、両手を上げて降参のポーズを作る。それからベッドにあった2枚の毛布のうち一枚を掴み、部屋の片隅、ベッドから一番離れている場所まで行くと、床の上にそれを落とした。


「今夜はここで寝る。明日はきっと客が減るだろうから、君は別の部屋に移れる。それで良いだろう?」


 努めてにこやかにそう言ってみたが、少年は未だ疑うような瞳でこちらを睨んでいる。


「言っておくが、俺はそういう趣味はないよ。女は数え切れないほど抱いたけどな」

「も、もし少しでもベッドに近付いたら、殺す」

「りょーかい。じゃあ大人しく横になること。あとで夕食を持って来させよう。俺はこれから酒場に行って寝酒を愉しんでくる。街なら女の一人でも引っ掛けて戻ってこないだろうが、こんな小さな村ではそれも叶わないだろうから、君が寝た頃に戻ってくるさ。それからこの場所で身動き一つせず眠ることにする。神に誓ってもいい」


 自分でも相当に言い訳臭いと思ったが、とりあえずユーリィ少年は納得したようだ。唇を尖らせながらも、諦めたように小さく頷く。


「じゃあな、おやすみ」


 そう言い残し、ヴォルフは扉に近付いてそこから滑り出た。


 薄暗い廊下に出ると直ぐにヴォルフは扉近くの壁に身を持たせ、上を仰いだ。並んでいるランプに浸食されない闇が片隅に残っている。その中に潜んでいるかもしれない魔を一瞬想像し、ヴォルフは眉を潜めた。


 子供相手に俺は何を一生懸命やってるんだろう。この部屋とあのベッドは俺が使う権利があると開き直ってもよかったはずだ。こちらの親切を全く気にしないあの少年に全ての非があるはずだ。


 ヴォルフは指先で自分の唇を触った。まだ感触が残っている。柔らかい少女のような赤い唇。自分でも言った通り同性相手にしたことはないが、この程度のことは数え切れないほど経験しているではないか。


 それなのに……体の芯が妙に熱いことを認めざるを得なかった。


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