第38話
ソフィニアには夕方遅く、又は宵の口に到着した。随分とゆっくり歩いてきたものだ。途中で“歩みが遅い”と文句を言ったユーリィだが、ヴォルフもアルも“お前のせいだ”とは言わなかった。内心ではきっとムカついていただろうけど。気を使われているのは好きではないが、二人とも押しつけがましくないのがユーリィはちょっと嬉しかった。
今夜泊まる場所は、普段利用している所にしようとユーリィは思っていた。が、ヴォルフに「俺達の懐具合も考えてくれ」と言われてしまい、仕方がなく彼らの選んだ宿に泊まる事になった。高い宿に泊まるのは、見栄ではなく安全も一緒に買ってる ─といっても強盗やその類は厄介でムカツクから─ のだが、今回はヴォルフ達と一緒だからいいかなとユーリィは思った。
思ったが、一緒にいる理由がない事に気付いて思わず苦笑する。もしヴォルフやアルではなかったらきっと別々に泊まろうと言い出すはずだが、自分でも何故素直に従ったのかは分からない。
(これから先、二人ともどうするのかな?)
ユーリィは部屋の鍵を受け取る二人を眺めながらそう思っていた。誰も何も言わずにここまで来てしまったが、もしかしたらここで別れる事になるかもしれない。“しばらく別行動”と言った時、二人とも反対はしなかったし、“二、三日のんびり”と付け足したら変な顔をされた。
あれは、二人とも直ぐに別れたいと思っていたからなのかもしれない。諸々のことは ──敢えて表現はしたくない── 結局は欲求不満だったことによる気の迷いだろう。嫌われるならともかく、自分が好かれる理由がおよそ想像出来ない。要するに二人が言ったりしたりした諸々は、性格的な面で良く思われているのではなく、肉体的な面での事に決まっている、絶対に。
(だからソフィニアで欲求不満を解消しちゃえば、お別れだな)
きっと寂しいのは一瞬だけ。一緒にいることで誰かの心を傷付ける方が辛いから……。
そう思いながらユーリィは二人の後ろ姿を眺めていた。
各自、荷物を部屋に置くと食堂に集まる。食事も終わり、寛いでいたところでユーリィは例の件を勧める事にした。
「あのさ、二人ともまさかこのまま寝るの?」
「どういう意味だ?」
「ほ、ほら、夜遊びとか……するかなと思って……」
「夜遊び?」
ヴォルフが怪訝な顔で鸚鵡返しに呟いた。アルの方は俯いたまま、テーブルの上のカップを触っている。
「う、うん、そう」
「夜遊びしたいのか?」
「違うよ、僕の事じゃなくてヴォルフ達の事だって」
「夜遊びという歳でもないけどな。まあ、酒でも飲みに出るかもしれないけど」
「あ、そうなんだ!」
思わず声を張り上げてしまうと、ヴォルフに探るような顔をされた。
「えっと、つまり、今まで僕に気を使って色々大変だったから、ヴォルフ達も羽を伸ばして欲しいなと思って……」
慣れない作り笑いをしたら、完全に疑いを深めてしまったようだ。栗色の双眸は、明らかに機嫌を損ねたという光を放ち始める。
「何を企んでる?」
「企んでるなんて人聞きが悪いな。ただ少し一人になりたいなと思ってるだけだよ。僕だって子供じゃないんだし」
「君は子供だ」
即答されてムッとした。ヴォルフに比べればそうかもしれないが、子供と言われるほどの年齢ではないはずだ。
「とにかく僕の事は放っておいて欲しいんだよね。別に一緒にいる必要なんて無いんだから」
自分は間違ってはいないと思うから、そうだと言われたらきっと別れることになる。けれど、まだ何処かでた躊躇いを感じている自分が寂しさの信号を送ってきて、ユーリィは口にしてから後悔してしまった。
出来るなら、あと二、三日ぐらいは一緒にいたい。
ヴォルフは返事はしなかった。代わりにナプキンをテーブルに置くと立ち上がる。その顔は怒っていると言うよりも、暗くなったような気がした。
「確かに必要はないかもな。俺は一緒にいてもいいと思うけど、でも君が嫌だというのなら無理強いはしない」
「嫌なんて……」
「まあいいさ」
ヴォルフはそのまま立ち去ってしまった。
アルが小さな溜息を漏らし、顔を上げる。浮かんだ微笑みは何故か寂しげだった。
「二人とも素直じゃないですね。本当はユーリィ君だって一緒でもいいんでしょ?」
「アル達が嫌かなと思って……」
「そんな事言いました?」
ユーリィは小さく首を横に振った。
「それで、先ほどの事はどういう意味だったんです?」
「先ほどの事?」
「夜遊びとか言ってましたよね? 何を考えているのか教えて貰えます?」
言おうかどうしようか迷ったが、アルの真剣な眼差しに見つめられ、ユーリィは正直に告白することにした。
「二人とも僕に変な感情を持っているだろ? もしかしたらちょっと欲求不満なのかなと思って、だったらソフィニアで遊べばそんな感情もなくなるかなと思ったんだ」
「そういう事ですか」
「うん」
アルは笑い出した。相変わらず突然笑う男である。
「ヴォルフは分かりませんが、少なくても私は違いますよ」
「そ、それはどうかな。ほら昨日……」
「もともと私はそういう趣味はないですから、貴方に好意があるのは、たぶん気の迷いではないですよ」
「でも、ほら、ヴォルフに当てつけるとか言ってたし……」
「もう過去の恋など関係ありません」
全く食えない男だ。反論しようにも何をどう返したらいいのかさえ分からなくなる。
「それより邪魔者はいなくなった事ですし、二人で夜遊びに行きませんか?」
「二人でって……」
「変な意味ではないですよ。それに私はこの街をよく知らないので、ちょっと観光気分で。いいですよね?」
爽やかに微笑まれ、ユーリィはもう反論する気力も失せて、黙り込んでしまった。
アルと連れだって通りに出ると、華やかな街の匂いが漂ってきた。独りなら買い食いでもして楽しみたいユーリィだったが、アルと一緒だと少し気後れがした。
「何処に行きます?」
アルは愉しそうに笑うと、人混みの先にある光を眩しそうに見つめた。
「ちょっと買いたい物があるから、闇市の方へ……」
「闇市?」
「う、うん」
咎められるかと思って遠慮がちに頷いたら、アルはただ“そうですか”と答えただけだった。ヴォルフだったら恐らく眉間に皺を寄せながら何か言うだろうが、その辺はアルの方が気が楽だ。
闇市に行くのは色々なアイテムを手に入れる為。剣の腕前が大したことがない以上、そんな物に頼るしかない。一人で生きていく為にはそれなりに自衛は必要だ。けれど死は常に覚悟しているので、本当はただの趣味かもしれない。
「ただの路上市場なんですね」
道を挟んで連なる露店や、敷物の上に商品を並べている者達を見ながら、アルは意外そうな顔をした。いったいどんな場所を思い描いていたのやらと思いながら、ユーリィは辺りの様子を窺う。
すれ違う者達は様々だ。一応人型はしているが、エルフだったり肌の色が赤かったり青かったり、中には明らかに人間ではない色をしている者もいる。猫のような眼を光らせる者とすれ違う時は、悪いと思うがつい視線を逸らしてしまった。
路上市場の店先で、何を買おうか一つ一つ手に取って眺める。店主は色々と説明をしてくるが、聞けば聞くほど胡散臭く、そんな物に限って買いたくなるから不思議だった。有り難いのはこういう場所では年齢的な差別を受けないので、心おきなく好きな物を買える事だ。露店の台に並んでいるアイテムは、見た目に武器と分かる物もあれば、何に使うえばいいのか分からない代物もあり、ユーリィの好みは、その“何に使うか分からない”アイテムだった。
「何か良い物、見つかりました?」
武器類などを眺めていたアルがやって来て、そう尋ねてきた。
「変な物は一杯手に入れた」
「例えば?」
「火を付けると水が出る棒」
「それは何に使うんですか?」
「よく判らない」
一瞬アルは困った顔をしたが、“そういうのも面白いですね”とクスクスと笑い始める。流石のユーリィも、今回ばかりは笑われるのも仕方がないなと諦めた。変な趣味である事は確かなのだから。
そんな物をある程度買い込んでいたら持ち金が半分に減ってしまった。今日はこれくらいにしておこう、そう思ってアルと二人でそぞろ歩きを始める。
「何に使えるか想像するだけで愉しくなりますね。先ほどの棒はきっと火事にあった時に使うんですよ。それとも火魔法を使う魔物に出会ったときの為でしょうか? 風の指輪というのは毒蛾を吹き飛ばす時には便利ですね」
アルが楽しげに話しているのを聞きながら、ユーリィは自分の足下に目を落とす。さすがに、貞操を守る道具も手に入ったと言えなかったので、アルに見えないように口元をほころばせただけで、何も答えなかった。
実はここに来たのはアイテムの為だけではない。ロジュに教えて貰った例の“教会”がこの近くにあるので、下調べとして場所だけでも確認しようと思っていた。けれど勘の良さそうなアルに気付かれないようにするのは一苦労だなと思う。ユーリィは、どう誤魔化そうかと考えながらチラリとアルを覗き見た。
ロジュの言っていた“教会”は直ぐに見つかった。
それは教会とは言いがたい、ただの白い建物だった。高さは四階分ほどあるだろう。閉ざされた正面扉の横に、大きな女性像が置かれている。街明かりに浮かんだそれは、あのシルフィ嬢に似て、美しさの中に不気味さを醸し出していた。
その上、建物は露天に囲まれていて、こんな場所に“教会”と呼ばれる場所があるとは、誰かに言われるまで気づかないだろう。
そんな建物をユーリィがジロジロと眺めていると、アルが鋭く尋ねてきた。
「何かありました?」
「何も無いよ」
平然と答えたが、実は胃を刺されるほど緊張をする。嘘は付かれるのも付くのも好きではない。けれどもし本当の事を言ったら止められることは判っていた。アルなら一緒に行くと言い出すかもしれないが、ヴォルフにバレたら怒り出すに違いない。眉間に皺を寄せた彼の顔を思い出し、
(僕の事なんて放っておいてもいいのに、アイツ、お節介だから)
と心でぼやきながら、アルを追い越してユーリィは早足に歩き出した。