第33話
月明かりの森の中を走りながら、ヴォルフはまだ心の中で泣いていた。
自分で自分が許せない。ユーリィは確かに体力的に限界だったのだろう。だから立ち止まり、同行を諦めたのだ。それに気づいてやれなかった自分に腹が立つ。きっと弱音を吐けない彼のことだから、真っ青になるまで歩いていたに違いない。そしてとうとう我慢出来ずに“休みたい”と言い出したのを、自分は無視したのだ。たとえ何かの術にかかっていたとしても、それが理由になるとは思えなかった。
護りたいと思っていながらこのザマだ。彼は置いていった自分達を責めもせず、ただ“足手纏い”を繰り返した。きっと自分が傷付いていることすら気付いていないんだ。だからこそ自分が許せなかった。
何故あの時“大丈夫”と言った彼を止めなかったのだろう。何故彼の体力をもっと真剣に考えてやれなかったのだろう。今更後悔しても遅いが、もしも彼が狼達に殺されていたらと思うと背中が凍りつく。ユーリィのことだから、きっとそれも良しと諦めて死んでいったのだろうが、それを考えるとヴォルフは益々凹んでしまった。
二刻ばかり走り続け、さすがのヴォルフも体力の限界を感じ始めた頃、森の外れに小さな光を見つけた。ユーリィを下ろしゆっくりと近付く。もしアル達ではなかったとしても、今夜はここで休もうと考えながら、そろそろと歩いていくと、光の中にアルの横顔が浮かんで見えた。
「アル!」
そう声をかけると、アルはホッとしたような顔で立ち上がる。焚き火の向こうで座っているシルフィは憮然として、顔すら上げなかった。
「ユーリィ君、無事だったんですね、心配しました」
「うん」
するとシルフィが初めて顔を上げ、ユーリィを睨みながら呟く。
「仲間に心配させておいて、“うん”はどうなんでしょうね?」
あまりの言い方にカッとなって怒鳴りそうになるヴォルフをアルが止め、その間にユーリィが「そうですね、申し訳ありませんでした」と馬鹿丁寧な謝罪の言葉を口にした。
彼が謝る理由なんてないのに、そう思っただけでヴォルフの胸はチクチク痛む。
「明日も同じペースで行きますわよ? もし付いて来れないのなら、諦めて下さい」
「うん、いいよ、僕に合わせなくても」
「当たり前ですわ」
女はきっぱりと言い切ると、そのまま横になった。その様子に、何故今日一日彼女と楽しく会話が出来たのかとヴォルフは不思議に思う。“術を使われた”というのは強ち気のせいではなさそうだ。アルも同意見のようで、気付かれないように小さく肩をすくめてみせた。
「ユーリィ君、何か食べましたか?」
シルフィを横目で見ながら、気遣うようにアルがユーリィに問いかける。
「食べてない、食べられそうにはなったけど……」
「え?」
「何でもない、独り言。食欲ないからいらないよ」
「駄目ですよ」
アルはそう言いながら、自分の荷物の中から干し肉を取り出し、ユーリィに手渡した。
「うーん」
ユーリィは本当に嫌そうな顔をしてそれを睨んでいたが、仕方がないという様子で噛みつく。その瞬間“生肉食べてる奴らの方が贅沢だな”と言った文句を聞き漏らさなかったヴォルフは、再び泣きそうになった。
次の日は、シルフィの隣とユーリィの隣を、ヴォルフとアルが交互に歩いた。シルフィ嬢は前日の朗らかさがすっかり消え、何やら面白くなさそうに歩いている。ユーリィはと言うと、本当に辛そうだったにも関わらず、弱音も吐かずに歩き続けていた。
ヴォルフは何度か“大丈夫か?”と尋ねたが、その度に“平気”と返される。その顔はとても平気そうには見えず、ヴォルフは胸を締め付けられる思いがした。
肩で息をしながら真っ青な顔で歩くユーリィを強引に立ち止まらせ、この依頼自体も断ってしまいたい。一度だけ彼にそう提案したが、勝ち気なユーリィの神経を逆撫したようで、“ふざけろ”という一喝の元に却下されてしまった。
結局ユーリィは最後まで頑張った。いや、頑張りすぎていた。顔からは血の気が失せ、眼の下にうっすらと隈すら出来はじめていたし、押せばきっと倒れてしまいそうなほどフラフラな状態だった。正直なところ、ヴォルフは倒れてくれとずっと思っていた。そうすればそれを理由にこの仕事を降りられる。途中放棄はハンターとして格が下がってしまうが、そんなことはもうどうでも良い。ハンターとして名を馳せても、大切なものを傷付けているのでは意味がないではないか。
ようやく野宿しようと言うことになり、四人は小さな湖の畔に腰を下ろす。ヴォルフは直ぐさまユーリィを横にして楽にさせた。倒れないのが不思議なほどの様子に、こんな状態では明日は絶対に無理だとアルが言い出す。彼は完全にシルフィとヴォルフに腹を立てているらしい。その空色の瞳は珍しく怒りに燃えて、二人を睨んでいた。アルに怒られるまでもなく、ヴォルフもずっとそう思っていたので、シルフィに途中放棄を言い出そうとした、その矢先だった。
「ここまで本当にありがとうございます、ヴォルフさん、アルさん」
美女は極上の笑顔を振りまいて、二人に礼を言った。前日までの状態だったら、きっと天にも昇る気分になったことだろうが、今は嫌味にしか聞こえない。その上、彼女は完全にユーリィを無視するつもりだ。
「悪いが、シルフィさん……」
「お礼と言っては何ですが、あの水晶をまたお見せ致しましょう?」
「……水晶?」
「あら、お忘れですか? この青い水晶を見て、お二人とも本当に感動なさってたではありませんか。これはこの世に二つとない宝物ですよ」
そんな記憶はないと言おうとした瞬間、シルフィがローブの中から何から取り出す素振りを見せた。
「ヴォルフ、目を閉じて下さい!!」
アルの叫び声が聞こえる。慌てて目を閉じると、シルフィの怒った声が聞こえてきた。
「何をなさってるの?! 早く見て下さい」
「何を企んでいるか知りませんが、もうその手は使えませんよ」
「では一生そうやって目を閉じているおつも……きゃあ!」
突如、シルフィが悲鳴を上げた。咄嗟に目を開けると、シルフィの直ぐ横にユーリィが佇んでいる。青い水晶と呼ばれたものは、遙か先でコロコロと転がっていくのが見え、やがて湖の中に落ちていってしまった。
「な、なんて事を!!」
「だってそれ、“誘惑の水晶”だろ。ソフィニアで売っていたの、僕見たことあるよ?」
“チッ”というシルフィの舌打ちが聞こえ、美女らしからぬ慌てた様子でその場から逃げ去ろうとした。
「待てよ、何が目的だったんだよ?」
「男子を二人用立てるように、命令されただけです」
「はぁ? なんだそれ?」
だがシルフィはそれ以上何も言わず、もの凄い勢いで林の中を駆けて行ってしまった。ヴォルフもアルもただ茫然とそれを見送り、彼女を捕らえることすら直ぐに思いつかない。やがて我に返ったヴォルフは、急いでその後を追おうとしたが、ユーリィの“放っておこうよ”という言葉に仕方がなく立ち止まった。
その瞬間、ユーリィの体がグラリと揺れ、ヴォルフは咄嗟にそれを抱きとめる。
「ちょっと限界かも」
「ちょっとじゃないだろ、馬鹿野郎」
「ちょっとだよ。それより……」
ユーリィは身悶えするとヴォルフの腕の中から逃れて、その場に座り込んだ。薄暗くなった空を見上げ、何故か大声で叫び始める。
「オイ、どっかで見てるんだろ? あの女ムカツクから、出来るなら追い掛けて正体調べて欲しいんだけど」
「だ、誰に言ってる?」
「ロジュに決まってる」
決まってると言われても、一度会ったとはいえロジュという魔導士が何者なのか知らないので、ヴォルフは答えに窮してしまった。
「それぐらいいいだろ、ロジュ?」
その刹那、近くの木からカケスが一羽“ジィー”と鳴きながら飛び去っていったのは、きっと偶然だろう。だがユーリィは満足そうにその鳥を眼で追って、やがて小さく溜息を付いた。




