第32話
木の根を枕に、いつの間にか眠っていたらしい。辺りは薄暗くなり始め、枝の間から満月が森を照らしている。近くで狼らしい遠吠えが聞こえ、ユーリィは慌てて剣を手に取った。
「まずい……、ちょっと休み過ぎた」
チラチラと見える獣の瞳が闇の中で輝いている。囲まれているらしいことは、その量からも明らかだった。狼の類は本当に厄介である。数にものを言わせ、次々と襲ってくる。一度だけ狙われたことがあるが、爆弾を使いまくり、体力に任せてその時は逃げ切ることが出来た。けれど今はそのどちらも心許ない。
「……真面目にヤバイかも」
もしかしたらロジュが助けに来てくれるかもしれない。だがそれを当てにするくらいなら、この場で死んだ方がマシのような気がする。金の援助だけでも嫌なのに、更に加護を当てにするほど情けなくはなりたくなかった。
(こうなったら逃げるしかないか)
ジリジリと後退る。すると狼達はユーリィの動きに合わせて移動し始めた。
少しずつ歩を早め、やがて走り出すと、両側に地を蹴るような軽い足音が聞こえてくる。
満月の光だけが唯一の味方だ。それでも足元が覚束ないのは間違いなく、ユーリィは何度も転びそうになるのを必死に堪えた。
道を外れたかもしれない。同じところを廻っているかもしれない。それすら分からなくなり、ひたすら逃げ切ることだけを考える。
だが獣と追い比べをしても敵うはずもなく、気が付けば逃げる場所もないほどに前後左右を塞がれてしまっていた。
仕方がなく立ち止まると、それが彼らにとっては襲撃のタイミングになったようだ。いきなり一匹が飛びかかってきた。体を反らしてそれをかわしたユーリィだったが、すぐに二匹目の攻撃を受ける。シミターを振り回し牽制すると、側面から三匹目が襲ってきた。
もう駄目だと目を閉じる。
獣の餌になる死に方はちょっと嫌だなと思った瞬間だった。
“ギャン!!”
耳元で獣の悲鳴が聞こえた。
驚いて目を開ける。そこには二度と会うことがないと思っていた人物が、月光に照らされ立っていた。
「あれ、何で……?」
「君はいつもいつも!」
「別に好きでこんなことになっているわけじゃないし、助けに来なくても……」
「うるさい、黙ってろ!」
ヴォルフの槍が躍る。ユーリィを庇いつつ、的確な攻撃で襲い来る狼を倒していくと、集団は少しずつ後退を始めた。敵わないと悟ったのか、一頭が吠える。それを合図に、彼らは次々と闇の中へと消えていき、あっと言う間に全てがいなくなっていた。
ホッと溜息を付いて、ヴォルフが槍を下ろした。ユーリィはやや躊躇いがちに“大丈夫?”と尋ねると、髪の毛をグシャリと鷲掴みにされた。
「それはこっちのセリフだ。怪我はないのか?」
「ないよ」
「そうか……」
ヴォルフは安堵したような表情を浮かべたが、すぐに怒った顔で睨み付けられた。
「何で黙っていなくなるんだ!?」
「疲れたし、付いて行けそうもなかったから、足手纏いにならないように離脱しただけだよ」
「疲れたのなら、そう言えばいいじゃないか!」
「言ったよ、休もうって。でも依頼者の意見が優先だって言われたから、一緒に行くのを諦めただけじゃないか」
怒られる理由なんて一つもないはずだ。確かに依頼を請ける時に“大丈夫”って言ったのは自分だが、ずっと一緒に行くとか、危険になったら助けてくれとか一言も言ってない。だから別に放っておいてくれたって構わなかったのに、勝手に戻ってきて怒られるなんて、本当に大きなお世話だ。
そんなことを心で思いながら、ユーリィはヴォルフを睨み付けた。
「休もうって言っただって? 聞いてないぞ、そんなこと」
「何、寝ぼけたことを言ってる」
「心配したんだぞ!」
抱きしめられる。毎度毎度のおなじみのパターンだ。だが今度ばかりは絶対に許せない。
「止めろ、放せよ!」
腕の中で大暴れし、最後は腕に噛みついて、ユーリィはその拘束から逃れることに成功した。腕に手を当て茫然とヴォルフがこちらを見ている。
「もうお前のそういう冗談にはつき合えないから」
「じょ、冗談って……」
「今日は一日あの女に色目を使ってたくせに、何を今更」
「何の話だ……?」
「何の話だって? ふざけんのもいい加減にしろ! こっちはずっと嫌だって言ってるのに、なんでいちいち抱き付いてくるんだよ! 抱き付きたければ、あの修道女にでも抱き付けばいいじゃないか! つまらない冗談で不愉快にさせるなよ!」
怒鳴り散らしてから、肩で呼吸を整える。
すると茫然としたままのヴォルフは、うわごとのように呟いた。
「そんな覚えないぞ……」
「はぁ?」
嘘をつくにしてもあまりにも見え透いてるじゃないか。ここまで来ると酷いを通り過ぎて最悪だ。悪人ではないと思っていたが、本当は大悪党なのだろうか。
「俺、そんな状態だったのか、本当に?」
「あのシルフィとかいう女の肩を抱いて歩いてたよ。それともあれはお前にとって普通の行動なの?」
“女泣かせ”という異名があるくらいだから、あの程度の事は自然なのかもしれないし、それをいちいち指摘して、嫉妬だなんて勘違いされたら腹が立つ。そんなことを言われたら、何も言わずに立ち去ろう。そう思ったユーリィは、黙ってヴォルフの言葉を待っていると、彼はあまりにも予想外な事を言い出した。
「昨日、彼女に会ってから君がいなくなったと気付くまで、良く覚えてない」
「えぇ?」
「嘘じゃない、本当だ。いや、覚えているとことは覚えている。けどある部分は抜け落ちて、ある部分は自分の感情が良く思い出せないんだ。まるで霞がかかったように……。だから君がさっき言った事も記憶にない」
「あのね、嘘を付くにももう少しマシな嘘があると思うんだよね。それじゃ子供の戯言より酷い」
「嘘じゃないんだ、本当に!」
叫ばれたってどうしようもない。ユーリィは呆れた顔で首を振り、信じられないと無言で訴えた。
「信じてくれないのか?」
「悪いけど……。でも気にしなくてもいい、彼女は綺麗だったし、男として気を引きたくなるのは当然だしね。僕につまらない冗談を言うよりは、彼女に色目を使った方がよっぽど普通だよ。だから足手纏いになる僕は一人で行く。これは怒ってるとかじゃなくて、本当にそう思うから言ってるんだ。ヴォルフも二人のところに早く戻ってソフィニアに……って、オイ、泣くなよ!!」
ヴォルフは肩を振るわせて泣き出していた。大の大人がそんな状態になるのを初めて見たユーリィは、驚きのあまり言葉を失う。ヴォルフの頬を伝う涙に、自分がそれほど酷な事を言ったのかと、思わず反省しそうになった。
「本当なんだ……」
「だ、だけど」
「俺は君を見捨てた自分が許せない。だから……」
「だから、それは別に気にしなくてもいいって」
「もし信じてくれないと言うなら、今ここで自分を突いて果ててもいい」
「そ、そんな大げさな……」
そうは言ったものの、泣き出したヴォルフは大げさだとは言えなかった。それに考えれば、確かに昨夜から今日にかけて、ヴォルフとアルの様子は少し変だなとは思っていた。自分に対する態度もそうだが、目つきが普段と違っていたような感じもする。ならば百歩譲って彼の言うことを信じてもいいかとユーリィは納得した。
「わかったよ、信じる。信じるからそんな顔は止めろ」
「本当か?」
「うん。でもそうだとしても、ここで別れるのは許してくれるよね? だって今日のペースで明日は歩けそうもないし、足を引っ張るのは目に見えているから」
「駄目だ!」
「駄目って言われても……」
「アルが待ってるんだ。君を見つけてくるって奴に約束したから、置いて来たなんて言ったら一生口をきいて貰えなくなる。君も失って、アルとの仲も永遠に壊したくない」
なんとまあ、我が儘な意見だ。
けれど、ヴォルフにそんなふうに思わせる自分が益々嫌になってきた。やっぱり他人と一緒にいるのは自分には向いていないらしい。人を傷付けたり怒らせたり疲れさせたりするのが自分の運命なんだと、ユーリィは今更ながら感じてしまった。
「でもさ、依頼人の彼女が怒るだろ?」
「もうとっくに怒らせてる」
「マジで?」
ヴォルフはゆっくりと近付いてくると、涙の消えた瞳で苦笑いを浮かべた。
「君がいなくなったと気付いた時、俺もアルも本当に慌てたんだ。で、君を捜すって言い出したら、彼女が“付いて来れないなら置いていこう”と言い出して……。その時になって何となく彼女の本性を見た気がして、俺もアルも目が覚めた。だけど依頼人を捨てて行くわけにもいかず、とりあえずアルに彼女を任せて、俺が探しに戻ってきたんだ」
「じゃあ、また迷惑をかけたわけだ」
「そんな言い方しないでくれ、頼むから……。とにかく彼らに追い付こう? それにアル一人だと少し心配だ。どうもあの女、普通じゃないような気がしてきた」
ヴォルフの言うことも一理ある。修道女にしては辛辣で ――そういうものだと言われればそれまでかもしれないが―― 自分が持っている修道女のイメージとは少々かけ離れているような気がしなくもない。
「わかったよ」
ユーリィは溜息を付いて同意すると、いきなり抱き上げられてしまった。
「お、おい」
「こうしないと追い付けないだろ? 頼むから我慢しててくれ」
本当は暴れようと思ったが、また泣き出されたら適わない。それに少しだけ人肌が暖かくて、これぐらいなら我慢してやろうと諦め、ユーリィは落ちないようにヴォルフの首に腕を回した。
すると真顔で見下ろされ、慌てて顔を背ける。我慢出来るのはここまでで、それ以上は勘弁しろと思いながら。




