第30話
あれから二日間、ユーリィはベッドで過ごし、動けるまでに回復していた。顔色も戻り、食欲もあるようだ。やはり若さというのは一番の薬らしい。
今日はおいしい物が食べたいというユーリィの要望により、三人は連れだって街の食堂へとやってきていた。
昼前なのに食堂はかなり混み合っている。店内は喧噪に包まれ、目の前に座る二人が話している声も、誰かの笑い声に掻き消されてヴォルフの耳には届いてこない。それが彼をイライラとさせ、自分でも大人げないとは思いながら、組んだ足先を揺すっていた。
目の前には、アルフとユーリィが並んで座っていた。
あんな事があった後だというのに、二人の雰囲気はとても穏やかだ。一昨日まであったギスギスしたものは、今の二人には見受けられない。もしかしたら何かがあったのではないかと考え、ヴォルフは勘ぐるような視線を送っていた。
「仲直りしたみたいで、何よりだ」
皮肉は込めないように、なるべく平静を装った。アルフではないが、もう醜い感情など見せたくはない。
「喧嘩したおかげで、とても仲良しです」
一瞬、眉間に怒りマークが入ってしまい、慌てて作り笑いで誤魔化したヴォルフだったが、口の端が引きつっていた。
「くだらないこと言うなよ、アル」
まだ完全ではないユーリィが、いつもより色の薄い声色でそう言った。
(“アル”だとぉ。思い切り親しげじゃないか! ど、どういうことだ?!)
「そんな顔で睨まないで下さい、ヴォルフ、冗談ですよ」
宥めるようなアルフの言葉も、何となく腹が立つ。何かが吹っ切れたらしいが、その爽やかさ具合が今のヴォルフには猛毒だった。
「別に睨んでない」
「仲直りしただけですよ。それ以外は何もないですから」
すると、ユーリィが意味ありげな眼でアルフを見る。
「そうだっけ?」
途端、ヴォルフは手にしていたナイフを落としてしまった。皿とぶつかった“カチン”という音が響き、周囲の数人がチラリとこちらを見る。人の眼がなければ、暴れ出したい気分だ。それを何とか我慢して、もう怒りの表情も隠さずヴォルフは二人を睨んだ。
「じゃあ、何かあったのか!?」
「夜中に寝込みを襲……うぐうぐっっ」
アルフの手がユーリィの口をふさいで言葉を遮った。藻掻く少年を取り押さえつつ、アルフが“冗談は止めましょう、ユーリィ君”と引きつった笑顔を見せる。しかし既にヴォルフの精神はズタズタになっていた。
二人の様子はどう見たって、仲のいい恋人同士じゃないか。いや、そこまででないにしても自分とユーリィよりもずっと親しい間柄に見える。そう感じた瞬間、ヴォルフは頭の中が真っ白になった。
「……そうか、判った」
それだけを言い、ヴォルフはフラリと立ち上がると席を離れる。自分でもどうしていいのか判らないほど、気持ちが萎えて死にそうだった。俺の方が先なのになどと、意味もない優先順位を主張したかったが、そんなことを言えば益々情けない男に成り果てるのは判っている。今はただ、部屋に戻って横になりたい、それだけだ。
宿に戻ると、頭から毛布をかぶって横になる。こんなにも一途に彼を思っている自分に感心すると同時に、これではウブな娘じゃないかと情けなさを感じた。アルフでなければあの場で殴り倒したかもしれないが、アルフだからこそそれが出来ない。マリーの件で彼を傷付けたことは重々承知だし、それにユーリィがアルフを選んだのは仕方がないことだ。
そんなことをウダウダと考えていると、部屋の扉が鳴った。頼むから今は放っておいてくれと思った瞬間、鍵をかけ忘れていることを思い出した。
扉が開く音とともに、誰かが入ってくる足音がする。どうかユーリィではないようにとヴォルフは心で祈った。きっと醜い嫉妬が顔に出てしまっている自分を、その相手に見せるのは辛すぎた。
しかしそんな祈りも空しく、ベッドのそばで話しかけてきたのは残念ながらユーリィだった。
「寝てるの?」
「……そうだ」
「じゃあいいや。ちょっと付き合って貰おうと思ったんだけど、一人で行く」
途端、ヴォルフは毛布を蹴飛ばして起きあがった。呆れたユーリィにニコニコと笑いかけ、きっと自分には尻尾が生えてきたに違いないと思いながら、見えないそれを思い切り振っていた。
隣を歩いている少年を見下ろす。綺麗な金髪が風に靡いている。頬は青白いほど透け、憂いのある青い瞳を目立たせている。唇はほんのりとピンク色で、その感触を思い出すだけで色々な場所が反応しそうになった。初めて会った時は少女のようだと思ったが、よくよく見えればそんなことはない。上がり気味の眼や、閉じられた口はどう見ても少年のそれであるし、無表情な顔は愛想の一つもなかった。それでもこれほど想えるのは自分でも不思議である。その横顔を見ているだけで、未だかつてない喜びを感じていた。
「ジロジロ見るなよ」
睨め上げられ、ヴォルフは慌てて顔を逸らした。
往来の少ない通りを二人は歩いていた。その距離が少し離れているのは、ヴォルフが遠慮していることと、ユーリィが警戒しているらしいことの半々だ。確かに数々の暴挙を考えればそういう行動は仕方がないが、ヴォルフとしては腕を組んで歩いてみたい。
「あのさ……、一昨日の夜、アルが来たんだ」
突然ユーリィが呟いた。その言葉に体が硬くなる。聞きたくないと耳を塞ぐのをヴォルフは必死に我慢した。
「へ、へぇ……」
「あ、変な想像は止めろよ。アイツ、色々と告白しに来ただけだから。話して気が楽になりたかったんだと思う。でも僕は人の気持ちが分からないから何も言えなかったけど、役に立ったらしいから、まあいいかなと思ってる。あんまり気の利いた言葉とか思いつかなかったし、同情もしなかったから、ガッカリされてるかもしれないけどね」
「そうか」
それにしても何故“アルフ”ではなく“アル“と呼んでいるのか気になっていると、
「アイツの本名はアルフじゃないから。アルベルトって言うんだ」
と、ユーリィが何気ない口調で説明する。
「俺もアルフって呼ばない方がいいのか?」
「うん、そうかもね。だって嫌いな……自分のじゃない名前で呼ばれるのはあまりいい気がしないだろ?」
それがユーリィ特有の優しさだとヴォルフは直ぐに気付いた。アルフ……いやアルの過去に何があるのかは知らないが、ユーリィなりに考えてそう呼ぶことにしたのだろう。それがあまりにも可愛くて、反面アルが羨ましくて、ヴォルフは複雑な気持ちになった。
「それにさ、辛いのは僕だけじゃ無いんだって思ったら、少しだけ気が楽になったよ。こういうことを考えたらいけないのかもしれないけどさ」
そう言ったユーリィの青い瞳には今までにない光があり、それを導いたのは紛れもなくアルだ。そう思うと、ヴォルフはやりきれない思いになる。そんな気持ちが表情に出たのだろう。呆れたような声でユーリィが追い打ちをかけた。
「一応断っておくけど、僕とアルは、僕とヴォルフと同じぐらい何の関係もないし、何の感情もない。変な嫉妬……じゃなくて勘ぐりでいちいち眉間に皺を寄せるな、鬱陶しいから」
「じゃあ、まだチャンスはあるんだ」
「全然全くない!」
きっぱりと言い切られ、ガッカリしているところで、駄目押しのようなことが起こった。
いきなり右腕を誰かに掴まれ、驚いてそちらを向く。
立っていたのは、以前この街で一夜を共にしたマチルダという女だった。
「ヴォルフじゃないの、いつ来たのぉ?」
色香漂う声でそう詰め寄られる。朝から随分と大胆なドレスを纏い、これ見よがしの長いスリットから細い脚を出して見せつけられた。
「に、二、三日前だ」
「それなのに私のところに顔を出さないなんて、信じられないわ」
ユーリィのことが気になって、彼の顔をチラチラと盗み見る。しかし相変わらずの無表情で彼はこちらを眺めていた。
「君にしては随分と早起きじゃないか、マチルダ」
「いやねぇ、早起きじゃなくて、これから寝るのよぉ」
コロコロと笑うマチルダの様子に、ヴォルフは頭を抱えたくなった。何もこんな時に会わなくてもいいじゃないか。
「ねえ、私、今日は暇なんだけど、一緒にのんびりと過ごさない?」
「えっと……」
「僕のことなら気にしなくてもいいよ。一人でも大丈夫だか……」
「駄目だ駄目だ駄目だ。俺は忙しいんだ。マチルダ、悪いけど今日はつき合えない」
「あら残念。じゃあ明日は?」
「明日も明後日も明々後日も絶対に忙しい。また今度にしてくれ」
ヴォルフはユーリィの腕を掴むと急いでその場から立ち去った。これ以上墓穴は掘りたくない。
少年を引きずるように歩き続け、やがて“痛い、放せ”という言葉に気付いてようやく手を放す。
「何を慌ててるんだよ」
「何をって、つまり……」
「“女泣かせのヴォルフ”って話本当だったね、冗談かと思った」
シラッとした顔で言われて、背筋に汗が流れる。色んな意味で一番見せたくない人物に、一番見せたくない場面を見せてしまった。嫉妬されないのは仕方がないが、軽蔑されるのだけは勘弁して欲しい。
「だ、誰がそんなことを……」
「アル」
(くっそ、アルの野郎、余計なことを言いやがってっ!)
「それにしても、あんな綺麗な人の誘いを断るなんてヴォルフも凄いね。僕なら一も二もなく付いていくけど」
「何を言ってるんだ、今は君と……」
「別に僕のことなんてどうでも良かったのに。大した用事でもないし」
用事と言われて、ヴォルフはふとその事に気付いた。何となく“デート”だと思っていたが、いったい自分達は何処に向かっているのだろう?
「何処に行くんだっけ、俺達?」
「ギルド。今頃聞くなんて、ヴォルフって意外と間抜けだね?」
本当に間抜け過ぎる。これではアルとの差が益々付いてしまうではないか。もう少し落ち着いた大人を演出したいというのに、駄目人間の象徴のようになっていく自分が情けない。
すると、相変わらず無表情のユーリィに、「まあいいよ、ヴォルフのそういうところ、そんなに嫌いじゃないから」と言われ、思わずヴォルフは少年を抱きしめた。もちろん、腹に一撃を食らったことは言うまでも無い。
ギルドに到着すると、ヴォルフは直ぐさま例の魔物退治の報奨金を受け取った。村から直接貰えれば面倒はないのだが、殆どのケースは仲介役のギルドが金の管理をしている。仕事完了を報告すると、そこから仲介料をさっ引かれた報奨金が渡される仕組みだ。ギルドのおかげでハンターとして食べていけるのだから仕方がないが、三分の一近く持っていかれるのはさすがに辟易する。
係の男から金貨二枚を受け取り、それを懐に仕舞いながらユーリィの方をチラリと見ると、白い封筒から大量の金貨を取り出しているところだった。さすがはイワノフの御曹司だ。
ユーリィは無造作に金貨をポケットに入れると、躊躇いもせずに手紙と封筒を破り、近くにあった屑入れに投げ捨てる。何となく見てはいけないものを見た気がして、ヴォルフは慌てて視線を逸らした。
きっとあの行動がユーリィの立場や感情の象徴なんだろう。
「何してるの?」
いつの間にか近付いていたユーリィが、不思議そうな瞳でこちらを見上げていた。
「色々考えごとを……」
「こんな場所ですると、邪魔だと思うけどね」
「ああ、そうだな」
思わず苦笑い。ペースの戻ったユーリィ少年は、相変わらず辛辣だ。
「用事は済んだのか?」
「うん、金を受け取りに来ただけだから。金を受け取りに来て、外で狙われることが何度かあったんで、ヴォルフに護衛役をね」
申し訳なさそうに上目遣いでヴォルフを見たユーリィの表情に、ヴォルフはつい破顔していた。
「役に立ったんなら良かったよ」
「自分でも情けないと思うけど、貰わないと僕一人では暮らせないしね」
「そうか……」
「そのうち一人で生きていけるようになりたいな。ギルドのハンターもいいけど、強くないから」
考え込むような素振りをしたユーリィに少しだけ暗さが戻る。
「人生は長いんだから、すぐに結論を出すことはないさ」
ヴォルフは彼の闇を消すように努めて明るくそう言った。するとユーリィは珍しく口元に笑みを浮かべ、“そうかもね”と答える。そんな健気さがヴォルフの胸を打つのだ。
「しばらくは親の臑をかじっていくよ。向こうも金を出せば責任逃れが出来るんだから、お互いに納得だろうしね」
「一緒には暮らせないのか?」
「僕は邪魔者だから」
一瞬下を向いたユーリィは、気を取り直すように顔を上げると、いきなり話題を変えた。
「そんなことよりヴォルフは仕事請けないの? 折角来たんだから何か探してみれば?」
「そ、そうだな……」
「うん、そうしよう。一度ハンターの仕事って見てみたかったんだ」
そう言いながらユーリィはヴォルフの腕を掴むと、依頼書の束があるカウンターまで引っ張っていく。思いがけない接触にヴォルフは嬉しくなりながら、素直に彼に付き従った。
「どれにする?」
少しだけ明るい顔でユーリィはヴォルフを見上げる。周りのハンター達が彼をジロジロと見つめているが、そんなことは気にならない様子だ。中には嫌味な視線で少年を見つめる者もいたが、ヴォルフが睨むと慌ててそっぽを向いた。
ヴォルフは依頼書の束をパラパラとめくってみた。中には触手を伸ばしたくなるような美味しい仕事もあったが、さすがに魔物退治の類はユーリィと一緒では無理だ。そもそもしばらくはハンターの仕事は休んで彼と過ごしたいので、真面目に考えるつもりはない。適当なものがないと言い訳して、ユーリィを諦めさせようと思っていた矢先、ユーリィがある依頼のところで手のひらを乗せた。
「あ、これがいい!」
いきなり叫ばれ、ヴォルフは驚いた。周りの人間達もそんなユーリィを注目したが、相変わらず少年は気にも止めていないようだ。どうやら彼は、夢中になると周りの事など全く目に入らないらしい。そんな子供らしい一面を垣間見て、少し嬉しくなるヴォルフを、早く見ろとばかりにユーリィが突っつく。
「依頼者は女の人だ。シルフィ・ロマンだってさ。ソフィニアまで男性に護衛を求むって書いてある。三人とも男だからちょうどいいな。それに護衛なら僕がいたって邪魔じゃないだろ?」
「お、女か……」
「女の人とソフィニアまで旅が出来るんだ」
期間が三日というのがヴォルフは気になった。ここからソフィニアまではだいたい三日の道のりだが、それは“休まずに”ということが前提だ。今のユーリィの体力ではそれは無謀に近い。それをユーリィに言うと「大丈夫だよ」ときっぱりと言い返された。
「午後にでも会いに行こうよ。さっきの人みたいに綺麗だったらいいなぁ」
忘れた頃にマチルダのことを持ち出され、ヴォルフは軽く殴られた気分になった。
「女は綺麗だから良いってもんじゃ……」
「健全な男子は綺麗な女が好きなんだよ」
言いながら、ユーリィはその依頼書を抜き取った。




