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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
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第28話

「そういえばアルフは?」


 視線を動かさず、少年は天井を眺めながらそう言った。その瞳に浮かぶ哀しみは、数日前よりずっと深くなっているというのに、本人はそれを気付かせない為か無表情を続けている。その姿があまりにも痛々しく、彼を救えない自分にヴォルフは苛立ちを感じた。


 ユーリィのフルネームを知ったのは昨日のことだった。


 アルフは宿に着くと同時に、まるで廃人のように部屋に籠もって動かなくなってしまった。椅子に座り続け、怒りとも哀しみともつかない表情で一点を見つめ続けている。いったい何が起こったのか、それすら説明する気力がないのか、唇を噛みしめ、ヴォルフを見ようともしなかった。


 あんなアルフは本当に初めてだった。


 それが昨日になって、全ての事情をぽつりぽつりと話し始めた。ユーリィがイワノフ家の人間であること、バラディスという王国のこと、今回の事件のこと。最後まで彼が口にしなかったのは、彼自身のことと、ユーリィが自殺行為に至った事情についてだ。たぶん二人が互いに傷付け合った結果なのだろうと薄々は感じられる。ユーリィも言っていたが、二人はきっと似たもの同士なのだろう。


「隣の部屋にいるよ」

「謝らないと駄目かな? 怒ってるよね、たぶん。謝っても許しくれるとは思ってないけど……」

「アルフは怒ってないと思うぜ、傷付いているけどな」

「……ああ、そうなんだ」


 まるで他人事のように呟いたユーリィを、出来ることなら今すぐ抱きしめたい。そんなことで彼が癒されないことは重々承知していながらも、ヴォルフは衝動を抑えるのに必死になった。


「ちょっとアルフを呼んでくる。大人しく寝てろよ」

「動きたくても動けないから」


 薄笑いを浮かべ、ユーリィは天井から目を離した。もともと白い肌が今は蒼いほど透けて、確かにその通りだろうと納得する。しかし万が一のこともあると思い、彼に気付かれないように、近くにあったペンをそっと隠した。


 


 隣の部屋の扉をノックする。しかし返事を期待しているわけでもなく、ヴォルフはノブをゆっくりと回した。


 アルフは相変わらず椅子に座っていた。食事も取らず、朝方に少しだけ眠るぐらいで、日々(やつれ)れていく姿がユーリィ以上に痛々しく見える。ヴォルフが入ってきても彼は身動きすらしなかった。


「目が覚めたぜ」


 微かにアルフが息を吐くのが聞こえ、僅かに全身から力が抜けていくように見えた。


「もう大丈夫だ。本人も心配するような状態じゃないし、何はともあれ良かった」

「本気で言ってるんですか?!」


 突然、アルフは空色の瞳に怒りを(にじ)ませ立ち上がった。


「本当は私のせいだと思ってるんでしょう?」

「アルフ、お前らしくないぞ」

「私らしくない? 私らしくないってどういう事です? 私のことなど何一つ知らないくせに!」


 荒げた声が部屋の壁に木霊する。そのあまりの激しさに、ヴォルフは目を丸くしてただ黙ってアルフを見つめるしかなかった。彼をここまで追い込んでいるものは一体何なのだろうか?


「すみません、怒鳴ったりして……」

「大丈夫か?」

「私は本当に醜い人間なんですよ。本心は醜悪なほど腐り、それを誤魔化す為に微笑んでいる。彼はそんな私の正体を暴いてしまうんです。それがとても怖かったんです」

「綺麗事だけで生きていける人間はいないさ。俺だって数日前まで酷い状態だったじゃないか。人間なんてそんなもんだ。お前だけが醜いわけじゃない」


 その言葉に、アルフは笑みを浮かべる。三日ぶりに見たそれはあまりにも力がなく、ヴォルフはふと、どうして二人とも自分を苦しめながら生きていくのだろうと、そんなことを考えた。


「私は彼のことを知っていました。それなのにあんなセリフを口にしました。そればかりか、貴方が知ったらきっと許せないことも企んでいました。だから言いたくない。私はこんな時ですら保身する人間なんです」

「それでも今は、そのことを後悔してるんだろ?」

「…………」


 アルフは答えなかった。きっとその答えに、二人の深い闇が眠っているのだろう。


「兎に角、会いに行こうぜ」

「私はこのまま会わずに消えた方が良いと思います」

「駄目だ」


 アルフの腕を掴む。拒絶するように彼はその手を振り払おうとしたが、ヴォルフは決して離さないぞとばかりにきつく握りしめた。ここで別れたら、二人とももっと深い暗闇に墜ちていくに決まっている。


「行くぞ、これは命令だ」

「…………」


 ヴォルフが強くいうと、俯きながらもアルフは素直に立ち上がった。



 ユーリィはさっきと同じように、じっと天井を眺めていた。ヴォルフが扉の手前で躊躇しているアルフを促して導き入れると、その気配を感じて少年はゆっくりと首を動かした。


「アルフを連れてきたぜ」


 ヴォルフの言葉に、相変わらずの無表情でユーリィが小さく頷く。瞳は二人を眺めていたが、本当は何も映っていないようなそんな(かげ)りがあった。


「さあ、アルフ……」

「ええ」


 アルフは覚悟を決めたように顔を上げ、ベッドに近付いていく。二人は言葉を探すようにしばらく見つめ合っていたが、その長い静寂を破って先に口を開いたのはユーリィの方だった。


「……何があったのか、実はよく覚えてないんだ」

「そうですか」

「迷惑かけて悪かったよ。呆れてるかもしれないけど……」

「何故そんなふうに思うんですか? 私のことを罵っても決して間違ってはいないのに?」

「だから覚えてないんだって。自分が何を言ったのかも……。どうせなんか非道いことを言って怒らせたんだろ? 僕、喧嘩腰だから、気にしなくていいよ」


 その瞬間、アルフの肩が揺れるのが見え、ヴォルフは咄嗟にベッドへと駆け寄った。これ以上互いを傷付け合うのは絶対に止めるべきだと思いながら。


 だがヴォルフが恐れていたことは起こらなかった。アルフはただ片手を上げ、自分の額に手を当てながらクスクスと笑い出す。ヴォルフが驚いてその顔を覗き込むと、アルフは決して笑っていないその双眸で見返した。


「済みません。ただ自分があまりに情けなくて……」


 ヴォルフには彼の眼に幻の涙を見た気がした。しかし彼の瞳は決して曇っておらず、それどころか今までになく澄んで輝いている。


「自分だけが苦しいと考えていたことが馬鹿みたいですね。傷付けられても平静を装う自分が恥ずかしい気がします」


 少年は不思議そうにアルフを見つめていた。何か言おうと口を開けかけ、思い悩むような顔をして再び開く。


「人の気持ちってよく分からないから、僕」

「同情はいりませんよ。それより本当に覚えてないんですか? 全く?」


 疑るような声でアルフがそう言った。その言葉に、ヴォルフは思わず肘でアルフを突いてしまった。きっとユーリィは忘れたふりをして、この場を丸く収めようとしているにちがいない。だから追求を止めないアルフを止めたかった。


「もし私に気を遣ってるなら……」

「違うよ。最初に“怒ってる?”って尋ねたまでしか本当に覚えてないんだ」

「私がなんて言ったかも覚えてないんですか?」

「あーっと、アルフ、もういいじゃないか。覚えてないのならわざわざ……」


 ヴォルフは我慢出来なくなって、思わず口を挟んでいた。万が一本当に忘れていたとしても、それを思い出させてしまったらまた険悪な雰囲気になるに決まっている。しかしそんなヴォルフの心配をよそに、ユーリィは眉一つ動かさずにその言葉を遮った。


「もしかしたら“死ね”とか“消えて欲しい”とか“汚い”とか、そんなふうなことを言ったんじゃないの?」

「やっぱり覚えているんですか?」

「全然覚えてないってば。でも想像は出来るけど」


 ユーリィの声には、微かな哀しみが混じっていた。


 もし本当にアルフがそんなことを言ったとしたら、殴りつけてやろうと思うほどの怒りが沸いてきて、ヴォルフは右手を握りしめた。だが横目で見たアルフの表情があまりにも悲痛に満ちていて、ヴォルフはゆっくりと拳を緩めた。

 

「僕、変だから気にしなくていいよ。そんなことを言われると心の何処かが切れて、自暴自棄みたいなことすることが時々あるんだ。理由は判ってるし、一種の病気なんだろうね。そのうち何とかなるか、それとも本当に死ぬか、どっちが先なのかなとは思ってるけど……。なるべく周りに迷惑をかけない程度の事にしておきたいけど、こればっかりは何とも言えない。だから、ヴォルフもあんまり僕と関わらない方が身の為だよ。爆弾持ち歩いてるから木っ端微塵にしないとも限らないし。今回はそうしなかったのは、たまたま運が良かったんだって……?!」


 気がつけばヴォルフは、その唇で喋り続けるユーリィの口を塞いでいた。もう怒鳴られることも嫌われることも覚悟の上で、少年の口から流れ出す、鮮血のように赤く、凍りつくほど哀しい言葉を止めたかった。まるで他人事だといわんばかりの無感情な声は、苦しみや悲しみに身を曝すことすら拒絶しているようだ。客観的な物言いは、きっと心を閉ざしてしまっている自分に気付きながら、渇いていくことに諦めてしまっている証拠だ。涙で潤すことすら、彼は忘れてしまっているのだろう。


 ベッドと体の間に手を回す。逃げ惑う舌を追って強引に絡み絡みつける。一頻(ひとしき)り柔らかな感触を(むさぼ)ったあとで顔を離すと、少年は目の縁を赤くしながら肩で息を繰り返した。そんな彼を再び抱きしめると、頬を寄せて耳元にそっと囁いた。


「もういいから、もう分かったから、だからもう何も言わないでくれ、頼む。聞きたくないんだ」

「怪我人を襲うのは犯罪だぞ」

「そうだな」

「もうしないって言ったじゃないか、嘘つき」

「そうだ、あれは嘘だ。好きだという気持ちは止められない」

「ふざけろ、っていうか退け!」


 仕方がなく身を起こすと、なぜかアルフが睨んでいた。


「ヴォルフ・グラハンス、こんな時にそれはないんじゃないですか?」

「俺は自分に正直になることに決めたんだ」

「でしたら、私も貴方に見習いましょう。その役、私も立候補したいと思います」

「なんだって……?!」

「傷つけた罪滅ぼしに。それに彼の気持ちは私の方がよく分かりますから。それだけでも貴方より私の方が相応しく感じませんか?」


 本気なのか冗談なのか分からない真顔に、ヴォルフはしばし言葉を失った。自分の感情だけでも嘘のような話なのに、アルフが対抗してくるなど夢でも見ているのだろうか?


「お前ら、いい加減にしないと別の意味で切れるからなっ! とっとと部屋から出て行け!!」


 あらん限りの力を振り絞った様子でユーリィが怒鳴り、その声は部屋中に反響したのだった。



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