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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
25/66

第25話

 少年は生きていた。


 凄まじい爆撃の跡の近くで、彼は茫然と立っていた。その向こうに見えた人影が霧のような白煙の中に消えていくのも見える。それを見送っているのか、それともヴォルフに気付いていないのか、少年は振り向きもしなかった。


「オイ、大丈夫か……?」


 恐る恐る声をかける。先ほどの乱暴な行為が許されているなんて思ってやしないし、今だって無視されているのかもしれない。だがそれでも、彼が無事であると確認せずにはいられなかった。


 そう、心配で堪らないのだ。


「……ユーリィ?」


 爆風で吹き飛ばされた土砂を踏みながらヴォルフがゆっくりと近付くと、ようやく少年は振り返った。何の感情も浮かんでいないその顔には、逆に冷徹と悲哀の中間ほどに表情が伺える。その色のない表情に気後れして、ヴォルフは少し手前で立ち止まった。


「怪我は……?」

「別に怪我なんてしてないよ。それよりアルフはどうした?」


 開口一番でアルフのことを気にするユーリィの態度に、何故か苛ついてしまう。確かに自分は好かれていないだろうし ──嫌われていると言うべきだろう── 心配してくれなどと頼まれてもいないし、ここにいること自体迷惑だと思われているかもしれない。だからこれはきっと、救いようのない嫉妬だ。


「ヤツならすぐに来るよ」


 ヴォルフは冷静さを取り繕うのに苦労しながら、何とか返事をした。するとユーリィは思い悩むように下を向く。その顔には若干の疲労が見られたが、ヴォルフは何があったのかと尋ねるのに躊躇してしまった。余計なお世話だと言われるかもしれない。また怒り出すかもしれない。こんな子供の顔色をうかがう自分にほとほと嫌気がさしたが、これ以上嫌われたくないのも正直な気持ちだ。


 すると突然、少年が顔を上げ、眉間に皺を寄せながら口を開いた。


「……あのさ、イワノフって知ってる?」

「イワノフだって?!」


 その思いがけない質問に、ヴォルフは素っ頓狂な声を上げてまった。


「知ってるの?」

「イワノフ家のことなら、もちろん知ってるよ」

「何か関係ある?」


 少年が怯えた瞳をしたのは何故だろう。ヴォルフは小首を傾げながら彼を見返した。


「関係? ああ、あると言えばあるな。俺の家は曲がりなりにも貴族なんだが……」

「うん」

「貧乏を絵に描いたような状態でね。俺が赤ん坊の頃はそうでもなかったんだけどね、親父もお袋も社交界に出入りしていたぐらいだから。でその頃、宮使いだった親父がイワノフの策略にまんまと騙され、領地も取り上げられたわけさ」

「恨んでるよね、じゃあ?」

「親父はどうかしらないが、俺は物心ついた頃には貧乏だったんで、別にどうとも思ってないな。それに貧乏が不幸だと思った事もない」

「ふぅん……」


 そう答えたユーリィの表情に、何故か安堵の色が見えた。


 イワノフのことなどを持ち出したのだろう。何かあの大貴族と関係するようなことがあるのだろうか? 尋ねようと口を開きかけたが、まるでそれを拒絶するように、ユーリィはヴォルフから離れ、所在なげに彷徨き始めた。


 重苦しい沈黙が続く。今すぐ少年の両肩を掴んで、何もかも吐き出せてやりたい。それで彼の気持ちが楽になるのなら、哀しい瞳が明るく輝くのなら、そうしてやりたいと思う。だが拒絶されることが明白すぎるほど明白で、ヴォルフはただユーリィの姿を目の端で追うしか出来なかった。


 周囲は緑の大地を土が茶色に染めている。今は白煙も土埃もすっかり収まり、天高く舞う鷹の姿までハッキリ見えた。火薬の匂いが残っていないのは、原因が魔法だからだろうか。爆発があったらしい場所には、大きな穴が開いている。ユーリィは何かを探すように穴の周りを眺めていたが、やがて“うっ”という呻り声を上げ、一歩二歩とその場から離れた。


「どうした?」

「……指だけって遺体と呼ぶと思う?」

「え?」

「埋めた方がいいのかなぁ」

「誰か死んだのか?」

「うん、まあ……」


 少年はヴォルフから視線を外すと、遠い目つきで彼の後方を見る。その視線に気付いて振り返れば、ちょうどアルフが坂を下ってくるところだった。




 蒼い空を縁取るように、遙か彼方の山脈が霞んで見えた。徒歩にして一月はかかるあの麓には大きな湖があり、広い川が流れている。ワスレナグサが群生している湖畔から船を漕いでのんびりと釣り糸を垂らせば、レッドリボンという名の魚が捕れる。レッドリボンはバターで両面を焼いて野ブドウと一緒に煮込めば、最高のご馳走だ。もう二度と味わえない母親の手料理を思い出して、ヴォルフは思わず唾を飲んだ。


「つまり全て片づいたというわけですね?」


 相変わらず飄々(ひょうひょう)としたアルフの声に、ヴォルフは想い出の中から引き戻された。アルフのそばでは、険しい表情のユーリィが(たたず)んでいる。


「らしいよ……」とそこで言葉を切ったユーリィは、探るような眼でアルフを見上げてから「残念だろうけど」と付け加える。アルフはただ「そうですか」とだけ返事をし、穴の中をじっと眺めていた。


 ユーリィとアルフの間に流れる雰囲気は、自分が勘ぐっていたような種類のものではなく、何か暗く深いもののようだと遅ればせながらヴォルフも気が付き始めていた。ようやくここ数日囚われていた感情が抜けてくれたので、心に余裕が出来た証拠だろう。もしかしたら、熱に慣れたと言った方が良いかもしれない。


「そろそろ俺にも全部説明してくれないか?」


 ヴォルフは努めて平静にそう質問した。アルフとユーリィは戸惑ったように互いに顔を見合わせたが、やがてアルフの方が口を開く。口元には例の笑みを浮かべていた彼だが、いつもより弱々しく見えた。


「端的に言えば、とある国の陰謀に付き合わされていたわけです、私達は」

「陰謀?」

「そんな仕事を請けた私が悪いのですが……。お二人にはご迷惑をかけました」


 軽く頭を下げるアルフの殊勝な態度に、ヴォルフが“気にするな”と言いかける。が、それを遮って、「でもさ、僕は生きてるけどいいの?」と、ユーリィが言った。


 聞き逃すほどの何気なさに、ヴォルフは最初その言葉の意味すら掴めず、凝然とユーリィを見る。冗談だろうかと(いぶか)しげに眼を細め、アルフに尋ねようと振り返ると、凍りついたような笑顔でいる友人の顔が目に入った。


「……いいも何も、貴方は死にたかったのですか?」

「悪いけど全部バレたから。お前のその笑顔の下にある顔もね」


 交わされている会話がヴォルフにはよく分からない。それとも二人の間には特別な関係があるからこその雰囲気なんだろうか。いや、そんなことではなさそうだ。アルフが微笑みを枯らして唇を噛む。彼のそんな表情を見たのは初めてで、マリーとの件で話し合ったあの時さえも、彼は口元の笑みを絶やすことはなかったというのに。


「何の話をしているのか、私には判りません」

「お前は嘘つきで最低だって話だ」

「だったら何だっていうんですか? 貴方にそんなことを言われる筋合いはありませんよ」


 二人はそのまま黙って睨み合い、やがてアルフが踵を返して歩き出した。“待て”と言おうとしたが、彼の背中が拒絶している。ヴォルフはどうしていいのか分からず、ただ茫然とアルフを見送った。




 日が傾き始め、薄暗くなった景色の向こうに街の明かりが見えてきた。アルフの姿は黄昏に溶け、微かに見える影も街の光と重なって、感じる程度にしか分からない。


 三人はずっと歩き続けていた。休憩や食事を取るのも惜しみ、ただ前進することが目的であるかのように。隣を歩くユーリィは一度も口を開いていない。もう数時間ずっと黙りっぱなしだ。その姿はあまりにも痛々しく、ヴォルフはかける言葉すら見つからずにいた。


 やがて街まで半刻という場所まで来た頃、ユーリィはようやくヴォルフの方を見た。


「やっぱアルフと話してくる」

「なにを?」

「色々。アルフは何となく僕に似ている気がするから……」

「そうか」


 返事をした自分の声が暗く沈んでいるのが分かった。

 別に嫉妬をしているわけではない。二人の関係を察してから、そのような感情がお互いにないことは知っている。あの険悪な雰囲気と、彼の発したセリフは尋常ではないものだった。ヴォルフを辛い気持ちにさせたのは、アルフと話すことで、少年の目に宿る悲しみが深くなることを恐れたのだ。


 しかしユーリィはどうやら誤解をしたようだ。呆れた眼でヴォルフを睨み上げて口を尖らせる。


「アルフに変な気持ちを持ってるわけじゃないぞ。下らない勘ぐりは止めろ。それにアルフとヴォルフなら、ヴォルフの方が若干マシだし。あ、でもそういう意味じゃなくて、それに変なことをしなければって前提だけど。だからつまりマシって言ってもどっちが嫌いかって意味で、好きとかじゃなくて、人間としてということで……」


 最後はしどろもどろになりながら赤くなったユーリィを見て、ヴォルフは抱きしめたい衝動に駆られた。


「本当に大丈夫なのか?」

「何が?」

「つまりアルフと話して……」

「もしかして、また喧嘩すると思ってるのか? 言っておくけど、僕だって丁寧な言葉ぐらい使えるんだからな。ただ、ちょっと色々あって、もう使いたくないと思っているだけで。それにお前が暴行を働くから乱暴な口調になるんだ」

「分かったから早く行ってこい。じゃないと抱き付くぞ」

「ふざけんなっ!」


 叫びながら走り出した少年の後ろ姿を眺めていると、急に得体の知れない不安が沸き上がってきた。もし虫の知らせというものがあるとしたら、こういう瞬間かもしれないと、後にヴォルフは思ったものだ。


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